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第一章

第三十六話 魔王、眠る

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「お嬢様!!上、上!!」

「ん?」

 オリヴィスの声に反応したエリスが、ぼんやりと空を見上げる。

 そして、これ以上ないほど邪悪を腹一杯溜め込んだ巨大な黒球が、頭上に存在しているのを見てとると、エリスは思いっきり叫んだ。

「ななななな、なんじゃこれはあああ!?」

「なんじゃこれはじゃないぜお嬢様!やべえ魔法なんだろ、これ!!早く止めてくれよ!」

「……え、これ、わらわが?わらわが作った?」

「そうだよ!?めっちゃ詠唱してたじゃんか!」



「えーと」



 非常にバツが悪そうな顔をしながら、エリスは自分の手を開いたり閉じたりしている。

「……これ、止められんのじゃ」


「……は」

「はああああああ!?」


 オリヴィスの呆気に取られた顔に、エリスは半笑いで返す。

「いや、その……もう魔力がすっからかんでな。ほれ、もう……めま……い、が……」


 ばたーん。


 ……詠唱有りとはいえ極大中の極大魔法を唱えた代償は、とても大きかった。
 すっかり魔力枯渇状態になってしまったエリスは、舞台上でひっくり返ったのであった。


「おおおい!?どうすんだこれ!?」

 オリヴィスが両手を頬に当てて絶叫する。

 見れば、制御を失った闇魔法究極奥義がゆっくりと、だが確実に高度を下げて、舞台へと迫っていた。

 例え不完全な状態でも、あの黒球がここら一帯を消し飛ばすには十分すぎるほどの暴威を孕んでいることは、一目で分かる。


 だが……舞台中央に立つ少女は、その脅威に対してなんら引く様子を見せなかった。

「リィ!?なにやってる!お嬢様を引きずって早くこっちへ!!」

 リィの様子に慌てたオリヴィスが、舞台に足をかけて叫ぶ。

 しかし、少女は動かない。

「……エリスさまは、私たちを救ってくれた。だから、私がエリスさまをたすけるんだ」

 リィの眼は、確固たる意志を持って、上空の黒球を見据えていた。

 そして、『あの日のように』、リィが手のひらを黒球へと向ける。



「【アーリーン・アーリーン・ク・リアーセ リブル・テスタ・リ・オーラ】」



 リィの右手を中心に、大量の光の粒が発生する。魔力の高まりと共に、それらは一斉に輝きを増し始めた。



「【聖なる天雷を纏い 其は顕現せり 水と大地の祝福と 風と炎の守護のもと 貫き清めよ 破魔の槍】」



 それは、エリスがリィに教えた、ただ一つの魔法であり、そして――光系統最強の、破邪魔法。




「【天魔滅槍アンテバルト】!!」




 リィが詠唱を終えると同時、手から強烈な閃光が迸る。

 それは見る者の視界を真っ白に覆い、そして極短時間、全ての物音を吹き飛ばした。






 ……視界が落ち着きを取り戻し、観客席の人々が恐る恐る舞台上を確認する。

 そこには……膝をつくリィと、目を回し大の字で倒れ込んでいるエリスの姿があった。

 上空にあった黒く巨大な球は、嘘のように姿を消していた。

 しん、と静まり返ったままの会場。

「……今だわ!!」

 シェリルは小声で呟くと、舞台下でずっとオロオロしているナレーション役の男性に、強烈な目配せを行った。

 その刺すような視線に敏感に反応した男性は、なにかを察したように手元の台本をバタバタとめくり始め、そして……

「……こうして魔王は、聖女と聖騎……聖女の前に敗れ去り、大陸に平和が戻りましたとさ。めでたしめでたし」

 強引に締め括った。


 少しの間、静寂が続く。


 やがて、パラパラとした拍手が響き始め……

 そしてそれはすぐに、地鳴りのような大歓声へと変わった。

「最高だ!すごい迫力だった!」

「こんなの観たの初めてよ!!」

 皆興奮した様子で、口々に称賛の言葉を投げかける。

「皆さま!」

 熱狂に包まれる会場に、凛とした声が通る。

「本日は、我々ウィンベル商会協賛の観劇にお集まりくださり、誠にありがとうございました!舞台上での演出、いかがだったでしょうか。あれらは、ウィンベル協会の照明魔道具を応用した新作の発光装置です!」

「おおお!?そうだったのか!あれはウィンベル協会の魔道具か!」

「アンタんとこの照明はウチも使ってるよ!安心安全で大助かりだ!」

「なるほど、こんな演出でも使えるのか……こんど店のイベントで使わせてもらおうかな」

「皆さま、今後ともウィンベル協会をどうぞご贔屓に!!」





「……ふう。これでばっちり全部誤魔化せたわね!」

「商会の宣伝にもなったしな。むしろそっちが目的だったんじゃねえか?ホント大した人だぜシェリルさんは」

「ほほほ。何のことかしらね。……さぁ、今のうちにお嬢様を回収するわよ」

「それならもう行ってきた。こちらにお連れしている」

「あら。コウガさん、仕事が早いわね。……うん、すっかり目を回してるわね。『聖女様にご挨拶を』とか来る前にトンズラするわよ」

「リィ!無事か!?怪我はないか!?」

 オリヴィスが、舞台からゆっくりと降りてきたリィに駆け寄る。

「うん。わたしは大丈夫」

「すごかったぞリィ。お姉ちゃんの知らないところですごく成長してたんだな。舞台に一人で上がってった時はどうしようかと思ったけどよ」

「うん……。わたしも、よくわからなかったんだけど」

「え?」

「エリスさまの痛みを感じて……その時に、誰かの声が聞こえた気がしたんだ」

「誰かの声?」



「うん……エリスを、お願いって」



 ◆◆◆



 未だ興奮冷めやらぬ会場の最後列から、ゆっくり立ち上がった者が二人。
 旅人風の出立ちをした若者と、がっしりと体格の良い壮年の男は、その場から離れるように歩き出す。

 若者が、後ろを見遣りながら口を開いた。

「いやぁ、圧巻だったね」

「まこと。あの女商人はなにやら取り繕っておりましたが……こんな片田舎の連中ならいざ知らず、我らの目は誤魔化せぬ。あれは紛れもなく魔法。それも、超ド級の、でござる」

「魔道具も一応魔法だけどね。まぁ、うん、タルバの言いたいことは分かるよ。……あれほどの魔力の奔流は、俺らの国でも過去に例が無いんじゃないかな」

「魔法大国たる我らの技術を凌駕すると……?」

 大きく眉根を寄せて、壮年の男が若者を見る。

「技術うんぬんじゃないよ。あれは……あの二つの魔法は、どちらも人間のレベルを超えている」

「神の領域と?まさか、そんなことがあるはずござらぬ」

「そうかな?そもそも俺らはここに、聖女の噂を聞いて立ち寄ったんじゃなかったっけ?」

「……そんなもの、戯言でござる」

「あれ?信心深いタルバが聖女を疑うのかい?」

「聖女の存在を疑っているのではござらぬ。ただ、こんな田舎の国に聖女が現れるはずはないと」

「ここは聖女生誕の地じゃないか」

「……こんな田舎の国に、そう何度も聖女が現れるはずはないと」

「要は、悔しいんだ?」

「ぐむっ!……では、若様はあの二人のどちらかが聖女だと?」

「んー、そうだね。使った魔法は、後から来た小さい子のほうが聖女っぽかったけど。あれ、天魔滅槍アンテバルトだったよ」

「バカな!?天魔滅槍アンテバルト!?かつての聖女が用いた伝説の……!にわかには信じられぬが……いや、しかし若様が言われるのであれば間違いは無い。では、若様はあの小娘……いや、少女のほうが聖女とお考えか」

「さあ、どうかな」

「と、言うと?」

「エリスっていう、例の令嬢の子。あっちの子の方が、魔力の純度が遥かに格上だった。この俺でも、底が見えないくらいにね」

 タルバと呼ばれていた壮年の男は、脱力したようにその大きな肩を落とした。

「……もう、なにがなにやら分かりませぬ。いずれにしても、早急に国へ戻り、陛下に報告して調査部隊を立ち上げる必要がありますな」

「えー、もう帰るの?もう少し見ていこうよ」

「何を申される。若様がどうしてもと言うから半年だけ諸国漫遊の旅が許されたのです。もうとっくに帰国の期限なのですぞ」

「いやぁ、そもそもさ、俺は運命の出会いを探しに旅に出たんだよ?それなのに四六時中むっさい顔が隣にあるし、周りでは護衛がごっそり隠密行動してるし。全然思い描いてたのと違うんだけど」

「運命の出会いなどとお戯れを。いい加減ご自分の立場を理解なされよ。若様は栄えある大国、ミカドリア帝国の第一皇子なのですぞ。少しは腰を落ち着けてですな……」

「ああ、わかったわかった。タルバの小言は長いんだよ、全く」

 若者は肩をすくめながら、もう一度後ろの劇場を見遣った。

「ま、いっか。……運命の出会い、見つけたかも、だしね」

「何か?」

「いや?さぁ、帰ろうか」


 ……高度な魔法技術により、大国として名を馳せる、ミカドリア帝国。

 現皇帝も優秀な人物であるが、後継となる第一皇子は、武芸、魔法、学問全てで帝国一と讃えられる天才であった。
 帝国の更なる繁栄を全国民から期待されるその皇子の名は、アデル・シン・クライフォード。

 ……今より七年後。
 魔王軍の猛攻により帝国が滅亡した後、聖女リーシャの導きにより聖剣と共に覚醒。

 全人類最後の希望として魔王エリスに挑んだ勇者アデルの、若かりし頃の姿であった。




「……そういえば」

「どうなされた、若様?」

「タルバ、天魔滅槍アンテバルトって、どんな魔法か知ってるかい?」

「それはもちろん。帝国では子供も皆知っていることでござる。光輝く白き竜が魔を穿つ……まさに聖女の奥義に相応しい魔法ですな」

「じゃあさ、さっきの魔法は、見た?」

「……いえ、その……恥ずかしながらあまりの眩しさに思わず目を閉じてしまい……」

「……あっそ」

「何か気になることでも?」

「いや、魔法の形がさ。光の竜っていうより……なんだか、人間の女性のように見えたんだよね」

「人間の女性?伝承とは違いますな」

「そうなんだよね。さっきの魔法は黒球を砕きにいったんじゃなくて、舞台上を包み込むように顕在化してた。魔を穿つっていうより……どちらかというと、子供を抱き締め守る、母親のような感じ。……まぁ、考えても仕方ないか」




 ◆◆◆




 ところで後日談。

 後ほど自宅で目を覚ましたエリスは、舞台上での自分の振る舞いを知らされると顔面蒼白で焦り、コウガの提唱した「お嬢様が何か邪悪なものに取り憑かれていた」説を必死になって肯定した、ということであった。





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