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第一章

第四十四話 魔王、焦る

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「……?お嬢様、あの男をご存知なのですか?」

 天空騎士ライオネル。

 エリスの呟きに、コウガが振り返る。
 だが、空に浮かぶ青年は、キョトンとした顔で首を傾げた。

「ライオネル……?残念だけど、それ、僕じゃないと思うよ」

「なに?!」

 ――別人じゃと……?いや、しかし、この魔力とあの顔。見間違えるはずは……。

「僕の名前は……今は、カイエって名乗ってるよ。よろしくね」

 ――カイエ……。本当に別人なのか?だが、あまりに魔力が酷似しすぎている……。

 顔の形が人それぞれであるように、魔力の純度、量、波長も、個々人でまるで違う。親兄弟の間にも、明確な差が存在する。
 ゆえに、魔法に精通している者ならば、魔力感知を駆使して、目で見る以上の精度で人を見分けることが可能だ。
 エリスの魔力感知精度はもちろん人間のそれとは比べるべくもなく、その感覚がはっきりと、『こいつはライオネルである』と告げている。

 ――となると、考えられるのは……。

 この青年が、のちに改名し、ライオネルとなった可能性だ。
 未来で起こる出来事であれば、今、本人が知らないのもおかしくはない。

 そこまで考えたところで、エリスはかぶりを振った。

 ――いや、今、そんなことは重要ではない。仮に、こやつが本当に黒幕だとすると……。

 横目で周囲の様子を確認する。

 ――この状況は非常にマズイのじゃ……。

 エリスの表情が、強張る。
 冷や汗が、ほおを伝った。

 ――どうする?まずは時間を稼がねば……。

「そ、そうか、どうやら人違いのようじゃ。……で、カイエとやら。お主は一体、なんの目的があって、わらわに喧嘩を売ってきたのじゃ?」

 焦りを顔に出さないよう気をつけながら、エリスはカイエに質問を投げる。

「別に喧嘩を売ってる訳じゃないさ。僕はキミになんの恨みもないし。ただ、死んで欲しいだけ」

「貴様!」

 コウガがすごい形相で一歩前に出た。
 だがカイエと名乗る青年は、その様子を愉快そうに眺めているだけだ。

「言ってもなんのことか分からないと思うんだけどね。キミが死んでくれれば、僕らの物語が始まるのさ。とっても楽しい、物語がね」

 ふわふわと宙を漂いながら、カイエは世間話でもするかのように、そう話した。

「物語、じゃと?」

「うん、そう。ああ、ごめんごめん。死んだ後の話なんて、どうでもいいよね?」

 カイエが、静かに地面に降り立った。

「まさか僕自身が出てこなきゃならないなんて予想外だったけど……まぁ、いいや。じゃ、早速だけど……死んでもらうね」

「あ!えと、ちょっと待つのじゃ!まだ、ほら、話し足りないこととか……」

「いや、もう別にないよ?これから死ぬ人たちと長話しても仕方ないしね」

 不敵な笑みを浮かべるカイエの両手に、魔力が集中し始める。
 彼の周りを強いつむじ風が覆い、髪や服がはためきだした。

 その魔力を魔眼で確認したエリスは、思わず後ずさる。

 ――マズイマズイ!!やはり思った通りじゃ!

「皆、ここは……!」

 エリスが声を発そうとした、次の瞬間。
 彼女のそばを突風が通り抜けた。

「やらせるか!」

 コウガが剣を振りかざし、カイエへと突撃したのだ。

 カイエは、笑みを顔に貼り付けたまま微動だにしない。

 今やコウガの一撃は、S級悪魔すら退ける破壊力を持つ。
 人間の青年に放てば、完全にオーバーキルであった。
 
 ……相手が、ただの人間の青年であったならば。

「待て、コウガ!!」

 エリスが、とっさに叫んだ。

 
 
 ……先ほどからエリスが焦っている、その理由。
 

 それは、カイエの魔力が、だったから、である。

 
 ――あの時のライオネルは、完全覚醒した四天王や、勇者たちとほぼ同等の実力だった!それはすなわち……!

 
 コウガの剣が、叩きつけるように振り下ろされた。
 カイエの肩口で、音が炸裂する。

 ……正確には、肩の、薄皮一枚ほど手前で。

「風の……壁!?」

 局所的に渦巻いた突風が、コウガの必殺の一撃をピタリと止めていた。

 
 ――今のコウガたちでは、太刀打ちできぬ!!

 
 次の瞬間。
 
 バンッという耳をつんざく破裂音とともに、コウガの身体が盛大に弾き飛ばされた。
 
 エリスたちの横を抜け、錐揉みしながら離れた屋敷の壁に激突する。
 すでにこれまでの戦闘で破損していた屋敷の外壁は、とどめとばかりに打ち込まれた衝撃になすすべもなく、三階部分から下へと一気に崩壊した。

 コウガの姿は瓦礫に埋もれ、また周囲に巻き上がった土煙もありまったく様子が窺えない。

「コウガ!?……てめぇ、やりやがったな!!」

「ま、待つのじゃ!」

 エリスの静止も聞かず、オリヴィスが地を蹴って飛び出した。
 オリヴィスの持ち味のひとつは、その強靭な脚力から生まれる爆発的な推進力である。
 瞬間的にトップスピードに達したオリヴィスは、勢いそのままにカイエに拳を撃ち込んだ。

 しかしその一撃もまた、風の壁に阻まれる。

「くっそ!なんだこれは!」

「風の絶対防御だよ。キミたちの力じゃ、ちょっと破れないだろうね」

 オリヴィスの拳を受け止めた風の渦が、その回転を一気に強める。

「風は良いよ?とても自由で、変幻自在。最高の防壁にもなるし、そして」

 カイエが、指を持ち上げた。

「最高の剣にもなるんだ」

「うああああーーー!?」

 突如発生した竜巻に呑み込まれ、オリヴィスは螺旋状に空高く打ち上げられた。
 竜巻の内部では風の刃が無数に生じており、オリヴィスの肌を、ズタズタに切り裂いていく。
 鮮血がまるで雨のように、荒地と化している庭園に降り注いだ。

「お姉ちゃん!!」

 竜巻は上空から真下へと、うねりの向きを変える。
 受け身もまともに取れず、オリヴィスは地面に激突した。

「がふっ……」

 口と全身から血を流し、オリヴィスが沈黙する。

「いやぁ!お姉ちゃん!!」

「行くな!リィ!」

 ――くそっ!これまでのようじゃな……!

 姉の元へ駆け寄ろうとするリィの手を掴みながら、エリスはウィスカーの方を振り返った。

「ウィスカー、退くぞ!シェリルとリィ、あとは後ろに転がっている者たちを連れて、転移せよ!!」

 ウィスカーも魔法に関しては熟練者である。
 カイエの術式を見て即座にその実力を理解していたため、エリスの指示にすぐに頷いた。

「お嬢様は!?」

「わらわはコウガとオリヴィスを拾ってすぐに行く!」

「分かりました!シェリル、リィさん、こっちへ!」

 ウィスカーが転移魔法を展開する。
 さすが【エルフの至宝】と呼ばれるだけあり、魔法発動までの諸動作が実にスムーズで、速い。
 あっという間に魔法陣がシェリルたち全員を覆った。

 しかし……


「逃げるつもり?そうはいかないよ」


 カイエが右手を軽く振る。
 ただそれだけの動作で、魔法が発動した。

「くぅっ!?」

 超々高密度に圧縮された空気が、一気にウィスカーを押し潰す。
 地面に叩きつけられ、なおものし掛かる巨大な圧力に、ウィスカーは完全に体の自由を奪われた。
 術者の集中が断たれたことで、転移魔法陣が霧散する。

「あなた!?」
「ウィスカーさん!」

「……キミたちもね」

 直後に、ウィスカーを拘束しているものと同じ空気の塊が、シェリルとリィを強襲した。

「ああっ!」
「きゃあ!!」

「リィ!シェリル!!」

 カイエの魔法が三人を地面に拘束し、締めつける。メキメキと骨の軋む鈍い音をあげ、三人の顔が苦悶に歪む。

「ううっ……!」
「かはっ……」

「ふふふ。このまま押し潰してあげちゃおうか。そこの金髪の子なんか柔らかそうだし、卵みたいに割れちゃうかもね」

「!そうは……させない!」

 なんとか指を動かし、ウィスカーが魔法を発動させようとしたところで……

「遅いよ」

 風の刃が、ウィスカーを背中から貫いた。

「!?が……はっ……」

 直後に刃が消え、傷口からおびただしい量の血が溢れだす。
 血溜まりの中で、ウィスカーは動かなくなった。

「ははっ。これが【エルフの至宝】かい?大したことないなぁ!……っと?」

「うらぁぁぁぁぁ!!」

 カイエの意識がウィスカーに向いていた一瞬の隙をつき、いつの間にか立ち上がっていたオリヴィスが躍り掛かった。

 それに呼応するように、屋敷下の瓦礫が爆散する。
 中から、闘気の塊のようなコウガが飛び出した。

 疾風怒濤の突撃で、一気にカイエを必殺の間合いにとらえる。

「おおおおおっ!!」

 だが。

 

「……だから、遅いって」



 カイエの左手がゆらりと動く。

 突如出現した無数の風のナイフが、二人を全方向から滅多刺しにした。

「……がはっ!」
「うぐあっ!」

 濃縮され、高速で流動する空気の刃が、肉を裂き、抉る。

 二人はそのまま力無く、ぐらりと崩れ落ちる。

 地に伏した二つの身体は、もはやピクリとも動かなくなった。
 血に染まる地面だけが、じわりとその範囲を広げていく。

「ふふふ……あはははは。脆いね。脆すぎる。最初から、僕が出てくればよかったよ」

 カイエが哄笑する。
 その目には血塗れの庭園と、その先でたたずむエリスが映っていた。

「さて……最後はキミだ」














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