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第二章 最期の言葉

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 講堂を歩いていると、スマホを耳に当てながら京ちゃんが私の方に駆けてきて、グイッと力強く腕を掴んだ。

「おおおおお母さんとお父さんから、電話!!」
「っっ!!」

 杭で心臓を突かれたみたいにズンと突き刺さり、瞳がカッと見開いた。京ちゃんは青ざめた顔をしていて、私の腕を持つ手が震えていた。

「お願い。私ひとりじゃ恐いから、そばに、いて」

 じっとりとした汗が毛穴から湧き出してくる。今、京ちゃんの両親がニューヨークでどんな状況にあるのかを知るのが、正直恐いし、聞きたくないという気持ちでいっぱいだった。

 それでも……もし、私が京ちゃんの立場だったらと思うと、拒むことなんて出来ない。

「うん。わかっ、た」

 京ちゃんは涙目になりながら、『ありがとう』と声にならない声を口で表現した。

『京子!? 京子!? 聞こえてる?』

 スマホから、京ちゃんのお母さんの声が聞こえてきた。その後ろでは人々のさざめきが波のように聞こえてきてて、その声に負けないように電話口から張り上げるようにして声を出している。

「ぁ、うん!お母さん、聞こえてるよ」
『え、なに!?』
「うん、聞こえてる!!」

 声が聞こえにくいお母さんのために、京ちゃんも声を張り上げ、スマホの音量を最大に上げるとスピーカーに切り替えた。

『京子ー!! お父さんだぞー!!』
「お父さん! そっちは大丈夫なの!?」

 京ちゃんが必死に呼びかけ、私は全神経を耳にしてそのやり取りを聞いていた。一瞬息を詰まらせた後、おじさんが低く重い声で告げた。

『京子、お父さんとお母さんはじきにブラックホールに呑み込まれる』

 その声を聞き、今まで遠巻きに見つめていた人たちの張り詰めていた空気がパシャンと割れる。それを合図に、人々が動き始める。

 現実から目を逸らしたくて、声が聞こえない遠くへと移動する人。現実を知りたくて、近づいてくる人。そこから動かないけれど、視線と耳をこちらに向けている人。

『ガラガラガラガラー!!!』

 何かが崩れ落ちるような音が響き、続いて人々の怒声や喚き声が耳を揺らす。

「お父さん! お母さん!! 無事なの!? ねぇ、返事して!!」

『京子、大丈夫だ。地震が起きてて、あちこちで建物が崩壊してる。私たちは車で出来るだけ建物のない山の方へ逃げようとしたが、どこも渋滞で混乱してて今はもう、地割れで避難出来ない状態にある』

 避難出来ない状態。それはすなわち、『死』を意味しているのだと悟り、頭を鈍器で殴られたような衝撃が全身に響いた。

 再び受話器の向こうから地響きのような音と、天井をつんざくような金切り声が重なって響く。『お父さん、私に!』とおばさんがおじさんに声をかけ、ガチャガチャッと音がくぐもって聞こえてきた。

『京子! お母さんよ、聞いて……ッッ京子、あなたが中学生になってから、叱ったり、喧嘩になったり、対立することも多かったけど……ッグ……でも、お母さんは、あなたを大切に思ってるの……ウッ……京子が生まれた時、どんなに嬉しかったか……いいお母さんじゃなくて、ごめんね……ヒクッ……いつも、文句ばっかり言って、自分の理想を押し付けてッグ、反抗されたら無理やり抑えつけて……ウゥッ本当に、だめな母親、だよね。それ、でも……京子を、愛してる……ウゥッ愛してる、から……』

 京ちゃんの瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちる。

「おか……さん……ッグ……私、こそ……いい娘じゃなくて、ごめんなさい……ウッ、ウッ……いつ、も、お母さんに当り散らして……毎朝、早起きしてお弁当作ってくれてたのに、文句言って……ウグッ……してもらってることの方が、全然多かったのに……ックしてもらってないこと、足りないことだけ、ッッしか、考えてなくて。お母、さんに『ウザい』とか言って、口もきかなくて……ウゥッ……お母さんのこと、ッグ大好き……なのにッグ。本当は、もっと……ウブッ……もっ、と……いろんなこと、話したかった、のに……ヒック……素直に、なれなかった……ウゥッ。

 お母さん、お父さん……ッグ、ウグッ……死なないでよ! お願い、ひとりにしないでぇっ!! ウッ、ウッ……こんなのやだ、嫌だよーーっっ!!」

 京ちゃんの悲痛な叫びが、講堂を震わす。
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