オトナの恋の証明

各眉つる

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子ども扱い

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 用意を済ませて、東堂さんの家のチャイムを鳴らした。少ししてから、普段より瞳に覇気のない東堂さんが姿を現す。
「純、どうした」
「ちょっと、お邪魔してもいいですか」
「いいよ」
 東堂さんの家にあがって、まず見えたのはテーブルに置かれたアルコール。ガラスのコップのそばに、ウイスキーのボトルとペットボトル入りの炭酸水が並んでおり、それが東堂さんの覇気のない瞳の理由だとすぐに分かった。
 東堂さんはキッチンから空のコップとお茶を持ってきてくれて、オレの前に置いてくれた。注いだお茶を飲みながら、テーブルの上の灰皿に、途中まで灰になったタバコが置かれているのを確認する。
「なにかありましたか、東堂さん」
「何にも」
 床に座ってソファを背もたれにしながら、ハイボールを飲む東堂さん。オレも床に座り直して、東堂さんの横顔を覗き込んだ。嘘をつく東堂さんの横顔は、いつも以上に『悪い大人』の顔をしていた。
「オレ見たんですよ」
「何を」
「東堂さんが、女の人とキスしてるとこ」
「悪趣味」
 東堂さんがオレの鼻を指先で軽く叩き、下を向いて笑った。そして上を向いてから、ハイボールを一口飲んで、話し始める。
「告白されてさ」
「付き合ったんですか?」
「ううん。断った」
「じゃあ、なんでキスを?」
 彼女じゃないことに一抹の安心感を得て、オレは呼吸を整えた。しかし、彼女じゃない人にキスをするのか? というなんとも言えぬ不快感を感じる。その真意を問うと、東堂さんは灰皿に置かれていたタバコを吸ってから、答えた。
「『キスしてくれたら潔く諦められる』んだとさ」
「……何それ、そんなわけないじゃないですか」
 キスで諦められる恋なら、最初から恋なんてしていない。フラれたんならあとを濁さずさっさと立ち退けばいいものを、あの女はダサい悪あがきをしたものだ。
 それに東堂さんも東堂さんだ。女のわがままを真に受けて、あんなに丁寧に口付けをするなんて、悪い男にもほどがある。
「そうだよなぁ、バカだよなぁ、俺もあの子も……」
 タバコを灰皿に押し付けて、東堂さんは再びハイボールを飲んだ。まったく東堂さんは押しに弱い。ここで、オレの脳内にある考えがよぎった。
「ねえ、東堂さん」
「ん?」
「……オレが、キスしてってお願いしたら、キスしてくれますか」
 思い切って、オレは聞く。東堂さんの貞操観念を試したかった。キスしてくれるならオレは嬉しいし、今後その先を求めてもいいのかなと思える。してくれないならしてくれないで、オレを大切に思ってくれていることを実感できる。
 けれど、東堂さんの答えはそのどれも違った。
「傷心した大人をからかうな」
 いつも通り、東堂さんはオレの頬を軽くつねって笑い飛ばすだけ。キスうんぬんの話は無かったことにされた。それがどうしても許せなかった。東堂さんにとってオレは永遠に子どもなんじゃないか、そんなふうに思ったのだ。
 そもそも今、東堂さんをからかう意図は無かった。オレはオレなりに、東堂さんと向き合ったつもりだったのに。確かにオレはガキだけど、それは相手の話を笑い飛ばしていい理由にはならないはずだ。
 ムカつく。また、ムカついた。東堂さんに、オレの存在を色濃く写したかった。笑い飛ばすなんてそんなことが出来ないぐらいに、どんな手を使っても。だから、東堂さんがお手洗いに行ったタイミングで、オレは東堂さんのハイボールに粉状の睡眠導入剤を混入させた。別に殺すつもりは無い。ただ、話し合いの場を設けるだけ。逃げられないように、抵抗されないように、東堂さんにオレの相手をしてもらうだけだ。
 部屋に戻ってきた東堂さんは、しばらくテレビでドラマを見ていたが、ついにハイボールに手を伸ばした。一口飲んで違和感に気付いたのか、部屋の電気に透かすようにガラスのコップを持ち上げたので、オレは東堂さんに話題を振って、バレないように場を回す。
「ごめん、純。今日は泊まっていってもいいから……」
「寝るんですか?」
 オレの質問に返事を返す前に、東堂さんは床に座ったまま、ソファに上半身を預けて眠ってしまった。オレが盛った睡眠導入剤は、服用してから10分ほどで眠気がピークに達し、3時間もすれば薬による眠気は覚めてしまう、あくまでも『導入剤』だ。
 眠ってしまった東堂さんをじっくり眺める。閉じたまぶたはまつ毛の長さが目立つし、眠っているのに眉は微かにひそめられていた。オレはスマホを起動させて、1枚、シャッター音を響かせながら写真を撮った。
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