女伯爵は幸せを望まぬ

Neishelia

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皇弟指導中な女伯爵⑴

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 タナトスの話が終わると、少しの時間でも惜しいため、アクリュスはルグランジュを連れて第十三番隊の訓練所へ向かった。本来、帝国軍の訓練所は他の隊と共用であるが、第十三番隊には暗殺部隊としての訓練所がある。その存在は秘匿されており、宮殿の主たる皇族でさえも場所を知らない。

「こんなところに地下室があったなんて……。全く知りませんでしたよ。もう19年も住んでいるというのに」

 軍隊兵寮に隣接している隊別の詰所。それぞれ棟を一つずつ構えており、全ての棟が空中廊下で宮殿とも繋がっている。その中でも最も宮殿に近い位置にある第十三番隊の詰所には、他の隊の棟にはない地下室があった。第十三番隊隊員しか入ることのできないそこは、暗殺訓練の設備が整っている。

 等間隔に配置された光の魔導具のお陰で、地下への階段は薄暗い。歩くの音が湿っぽい空間に響く。ルグランジュもアイアンブルーの軍服を着ており、ロングブーツを履いている。詰所に現れた彼を見たとき、誰もが様になっていると感じていた。

「皇帝陛下でもご存知ないからな。知らなくても仕方ないだろう。……さて、時間が惜しいからな。一ヶ月で任務遂行上で必要となる技術を身に付けてもらう」

 そう言ってアクリュスは扉についている石に魔力を流す。彼女の魔力を認証した扉が一人手に開くと、その奥には広い空間が広がっていた。ここまでの階段とは違い、光の魔導具がいくつも設置されているため薄暗いなんてことはない。どこもかしこもはっきりと見える。地下室はいくつかの空間に仕切られており、酒場や裏路地らしきものから始まり、果てには貴族の寝室やホールらしき空間まである。実戦を想定しているのだろうが、再現度が高すぎて不自然極まりない。

(ここで暮らすこともできるのではないか……?)

 あまりにも予想外な光景にルグランジュは唖然としている。アクリュスが初めてここに案内された時は当時«小さな淑女»とまで呼ばれていた彼女でさえも開いた口が塞がらなかったほどだ。

「驚くのも無理はない。だが先程も言ったように時間が惜しいからな。そこの椅子に座ってくれ。覚えてもらうことを説明する」

 一番手前にある空間は市井にある食堂を模している。近くにあった椅子を引いてアクリュスが座ると、テーブルを挟んで向かい側にルグランジュも腰かけた。アクリュスはアクリュスとしての生活をもう10年は続けているため、所作が美しすぎるなんてことはない。しかし、ルグランジュは皇弟として身に付いている所作が抜けていないせいで、椅子に座るという単純な動作でも洗練されていた。

(洗練されすぎているのも考えものね……)

 かつて自分が言われたことを棚に上げルグランジュを仕方なさそうに見るアクリュス。肩にかかっていた夜色の三つ編みを後ろに払うと、訓練内容の説明を始めた。

 彼女の口から語られたのは、暗殺者としての基礎の基礎。この一ヶ月ほどでルグランジュができるようにならなければならない三つだ。
 一つ目は言わずもがな、気配を消すことである。暗殺は殺る前に感づかれて逃げられては敵わないし、暗殺対象ターゲット以外に姿を見られてしまうと元も子もない。主な内容は目立たないようにする、足音を消すなどと言ったところである。現にここに来るまでアクリュスは足音を一切立てなかった。
 二つ目は魔力偽装及び魔力隠匿である。どんなに気配を消そうとも、魔力には個々に違いがある。魔法に長けている者であれば、殺しに来た者が誰であるか、普段はいない筈の人間がいることにも気がつかれてしまう。アクリュスの場合は正体がばれないよう、常日頃から偽装している。また、アクリュスのように魔力が少ない場合は特に問題ないが、ルグランジュのように皇弟ともなるとその膨大な魔力は特徴となってしまう。それを隠すためにも魔力隠匿は必要不可欠である。
 そして最後は認識阻害。これは最も必要かもしれない。見たとしても記憶にはっきりと残らない。そこにいるはずなのにいない。相手にそう感じさせる技である。クラテスには必要ないように思える技だ。

「……認識阻害はできます」

 アクリュスが説明を終えると、ルグランジュは少々ばつが悪そうにアメジストの目をさ迷わせた。実際にやってみてもらうと、完璧と言えるほどに上手かった。軽い気持ちでアクリュスができる理由を聞いてみる。

「幼少期からよく脱け出していましたから……」

 ばつが悪くなるのも無理はない理由に、アクリュスは仮面の下で目を細める。彼も一人の人の子であったのだ。

「誰しも息抜きは必要だ。常に魑魅魍魎の中で気を張っていたら疲れる」

 アクリュスがルグランジュから目を話して独り言のように呟いたそれには、彼女の優しさが滲んでいた。ルグランジュはそれを感じとると苦笑する。子供っぽく口元を歪ませた彼をアクリュスが可愛いと感じたことは口にしなかった。



 アクリュスがルグランジュに出した課題はただ一つ。アクリュスが首に巻いたスカーフを取るということだった。詰襟の上から巻くことはできないので、彼女がボタンを一つだけ開ける。そこから見えた乳白色のほっそりとした首筋に、ルグランジュは彼女が女なのだと実感した。

 アクリュスはスカーフを巻くと、席を立って地下室の奥へと消えていった。残されたルグランジュは魔力を消そうと集中する。その様子を奥に消えていったはずのアクリュスが見守っていた。彼女は魔力隠匿と認識阻害を駆使して気配を殺し、食堂のカウンターに座ってルグランジュを眺めている。

(この様子なら一ヶ月もかからないかもしれないわね)

 ルグランジュの魔力は少しずつではあるが薄まってきている。完全に隠すにはまだまだ時間はかかるだろうが、他の隊員に比べれば速い。アクリュスは第十三番隊において隊長であるタナトス、クラテスに次いで三番目の古参メンバーであり、その後に入ってきた者たちの成長過程を知っている。その中で一番魔力の扱いに長けていたのは両親に英才教育を受けたアクリュスであったが、魔力偽装や隠匿は高度な技術だけでなく精神力が必要であったため、彼女でさえもかなりの時間を要した。しかし、ルグランジュはものの数分で隠匿に近いことができようとしている。それは本人のポテンシャルの高さを表していた。

(それにしても、すぐに探しに来るかと思ったのだけれど……。やはり聡い人は違うのね)

 アクリュスは確かに奥へと行ったが、ルグランジュが元の場所から一歩も動いていないことを感じて戻ってきたのだ。彼女はもしルグランジュがすぐに自分の後を追いかけてきたら、その喉元に大鎌を突きつけてやろうと考えていた。準備もできていないのに追いかけてくるような短慮な人間だったら脅してやろうかと考えていた。なお、自分に彼が第十三番隊にくることを早くから伝えてくれなかった彼の兄への恨みがないこともない。



 アクリュスがスカーフを巻いてから三時間ほどが経過。すると、目を閉じて集中していたルグランジュがふと目を開いた。そしてそのまま見開く。

「い、いつから……?!」

 彼の前の席にはアクリュスが座っていた。どこから持ってきたのか、悠長にも本を読んでいる。その首にはもちろんスカーフが巻かれているが、ルグランジュはそれを取ることができない。ただ読書をしているだけなのに隙がなかった。

「そろそろ休憩にしないか? 長いことやっているだろう。根を詰めすぎるのはよくない」

 ルグランジュの声に顔を上げた彼女は本を閉じた。テーブルの上に置かれた本の題名は『永遠の騎士』。ちまたで有名な主従関係にあるご令嬢と護衛騎士の恋愛物語である。どう考えてもこの場にそぐわない。

「ああ、これか。秘密にしておけよ? クラテスの愛読書だ。本人は隠しているつもりだったのだろうが、訓練所の図書室エリアの本棚に置くのは得策ではない」

 クツクツと笑うアクリュスは非常に楽しそうだ。すぐに笑い終えた彼女はふと思い出したかのようにルグランジュにあることを尋ねた。

「なぜ第十三番隊ここに入った? 皇弟という身分がありながらなぜ己の手を血で汚そうとする」

「兄上のためです。兄上には常に光の中で輝いていてほしいから。兄上のためなら俺は何だってできます」

 即答したルグランジュにアクリュスは若干引いた。愛が重い。彼が皇帝のためを思って行動する人間だと分かってはいたものの、ここまでとは考えていなかった。
 だがすぐにアクリュスはルグランジュの瞳をまっすぐととらえた。

「皇弟殿下は兄皇帝に忠実だと聞いていた。だが、兄のためだからと言って人殺しにだけはなるな。暗殺者ならば仕事だ。引き返すことができる。だが……、人殺しはその世界に一歩踏み入れたが最後。もう後には戻れない」

(そう。私のように……)

 自分の目を見据え、淡々と抑揚のない声で話すアクリュスの雰囲気に、ルグランジュはゾッとした。底の見えない深淵を覗いたような感覚に陥る。仮面の向こうの明るいアイスブルーの双眸が、ほの暗い闇を宿しているように見えた。

「まあ、そんなことになるとは心配していないがな。ところで、読むか? 案外楽しめるかもしれない」

 すぐに先程までの楽しげな雰囲気に戻ったアクリュスはクラテスの愛読書をルグランジュに勧める。

「いえ、遠慮しておきます」

 口元をひきつらせたルグランジュは丁寧に断った。それは残念、とおどけた表情で肩をすくめてみせるアクリュス。しかし、その表情は一瞬にして消え去った。
 ルグランジュが気づいた時には彼女に突き飛ばされていた。かなりの力で押されたらしく、彼の体はカウンターに打ち付けられる。鈍い痛みが身体を駆け抜けるが、それはすぐに頭から吹き飛んだ。

 キィン!!

 ルグランジュが突き飛ばされると同時に、耳をつんざくような金属音が地下室に響いた。音源には大鎌を振り下ろしたアクリュスがいる。彼女がいるのは今の今までルグランジュが座っていた席だった。テーブルの上に乗り上げた彼女は、地下室の入り口を睨み付けている。

「何のつもりだフォボス」

 その視線の先にはニコニコと笑うフォボスが立っていた。
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