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2章
15.変化2
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「それで……街を救った英雄様が俺に何の用だ?」
そう皮肉げに言うべモスの顔は恐怖と感謝、それと自責の念で歪んでいた。
「この前の学園の件で、謝りにきた」
「……は?」
僕のこの行動は予測できなかったのか、歪んだ顔を直し、呆けた面を晒すべモスに僕はゆっくりと近づいていく。
「ほとんどの人はあの紫の髪の男子に焚き付けられたことはもちろん分かっていた。けれど、僕は僕自身を御し切れなかった。君が言ったようにこの街を脅威から救えるだけの力を持ちながら……ね。それは僕自身の未熟さが招いた悲劇だ。行ってしまった事実は消せないし、言い訳をするつもりもない。だから僕は君に謝罪を受け入れてもらうためにここにきた」
「……」
しばらく呆気にとられていたべモスはしかしながら次の瞬間には僕に噛みつきにかかった。
「それは虫が良すぎるというものだろう!?なぜ今なんだ、なぜ今になってやってきた!俺は……俺は……」
「すまない」
飾る言葉は僕にはない。
だからこそ頭を下げる。丁寧に。言葉ではなく態度で誠意を伝えるために。
あの出来事の直後ではなく、べモスが口にした通り、街の人々から『英雄』と称されるようになった今。
揺らがないその事実は学園でのあの事件の当事者たちにとって正しく怒り心頭に発するものである。
並の守護者を寄せ付けなかった怪物を倒したという偉業が僕に重く、ひたすらに重くのしかかっていた。
それ故、僕にはただひたすらに頭を下げ、許しを乞うこと以外は許されない。
許されてはならない。
ならばこそ頭を下げ続ける僕にべモスはあらん限りに力を振り絞り罵倒する。
しかしそれは不意に終わりを迎える。
僕の視界の端の上、つまりべモスの足元にポツリポツリと小さなシミが作られていく。
薄黄色の砂の上に落ちたそれらはゆっくりと地面に染み込んでいく。
驚きに顔を上げた僕の視界に飛び込んできたのは涙を流す1人の武人の姿であった。
「──すまない。本当に申し訳ない!」
「ど、どうしたの!?」
慌てて尋ねる僕にべモスは首を振りながらその場に座り込んだ。確か、極東に伝わる誠意を現す座り方、セイザ、だっただろうか。
背筋を伸ばし、少し開いた膝の上に握り拳を置いたべモスはゆっくりと目を伏せ語り始めた。
「本当に罰せられるべきなのは俺なのだ。周囲の空気に気圧され、己に負け、お前の家族を貶めた。俺は弱かった。あのとき、数的にも常識的にも圧倒的に不利だった状況で、それでも己の意志を貫いたお前と違って俺は弱かった。……それをあのとき知らしめられておきながら、俺は俺の弱さを認めることができずにこの場でもお前を罵った。己の浅ましい自己を守るために俺はお前を売ったのだ」
「それは、君のせいじゃないよ。人間なら誰もが持っているもの──」
「──違う、違うんだッ!」
僕の言葉を遮り、べモスは叫んだ。
突然の出来事に黙り込む僕を他所にべモスは深く息を吸い込み、衝撃の事実を切り出した。
「俺なんだ」
「……え?」
「この街で暴れたというあの怪物ベヒモスは──俺なんだ……」
時が止まるようだった。
僕はこのときどんな表情をしていただろうか。
驚きで目を見開いていたのだろうか。
はたまた、恐怖で顔を引きつらせていたのだろうか。
それは僕と向き合っていたべモスにしか分からないのであろう。
ただ唯一僕が感じ取っていたもの。
それは──殺意。
自分がベヒモスだった、と語る少年に対する強烈な殺意だった。
嵐のように荒れ狂うそれは僕の心を蝕んでいく。
弾けるように次々と浮かんでは消えていく僕に無力さを突きつけた様々なモノたち。
2度も踏み潰された教会、無惨に破壊された街並み。
そして──アガレスに八つ当たりをする僕自身。
暴風はまだ止まない。
けれど。
──精進することじゃ。
大地に根ざす木々たちは強い風に煽られてその幹を揺らがせるが、その根は太く逞しくなってしっかりと大地を掴んでいた。
「薄々、勘づいてはいたんだ」
「!?」
驚きを顕に立ち上がるべモス。
「ベヒモスの出現場所はここだって聞いてたし、僕がベヒモスを倒したのとほぼ同時刻に君が突然壊れ果てた家の上に現れたって街のみんなやクラスの人たちも言っていたしね」
「他の者たちの元へも行ったのか……!?」
「うん、君以外は皆寮に住んでいるからね、ここに来る前に寄ったんだ。それ以前に色々と話は聞いていたからね、心の準備をしたくて君は最後にしたんだ。……あの紫の髪の男の子には会えていないけどね」
拍子抜けしたように脱力しべモスはその場に崩れ落ちてしまう。
「最初から全て分かった上で俺に謝りにきていた、というのか……」
放心し、そう呟くべモスに僕は困ったように笑いかけた。
「一応、他の皆は許してくれたんだけど、君はどうかな?」
膝を曲げ、べモスに手を差し出す。
それに気づいたべモスは数瞬の逡巡の後、口の端を吊り上げ、僕の手をガッシリと掴んだ。
「その言葉は卑怯だな」
僕の手を借りて立ち上がったべモスと僕の間の距離は物理的にも精神的にも確実に狭まっていた。
そして、それを見守る影が2つ。
べモスの父と母である。
「青春ね~」
「そうだな」
少女と見間違うほどの母親は口元を手で隠し、微笑んだ。
見た目とは裏腹に妖艶な雰囲気を発する美女の隣に立つ夫はまるで忠実な騎士、いや極東風に言うのならば武士であろうか。
とにかく、その姿はまるで姫と護衛のようであった。
「次はどんなことが起きるのかしら」
「……」
その笑みをさらに深ませ、目を三日月のように曲げる美女に男が何かを言うことはない。
「楽しみね」
「……そうだな」
女の嬉しそうな呟きに男も僅かながらにその口元を緩める。
月の明かりが少年2人を照らし、1組の夫婦に影を纏わせる。
今宵の空には、蠱惑的なまでの美しい満月が浮かんでいた。
そう皮肉げに言うべモスの顔は恐怖と感謝、それと自責の念で歪んでいた。
「この前の学園の件で、謝りにきた」
「……は?」
僕のこの行動は予測できなかったのか、歪んだ顔を直し、呆けた面を晒すべモスに僕はゆっくりと近づいていく。
「ほとんどの人はあの紫の髪の男子に焚き付けられたことはもちろん分かっていた。けれど、僕は僕自身を御し切れなかった。君が言ったようにこの街を脅威から救えるだけの力を持ちながら……ね。それは僕自身の未熟さが招いた悲劇だ。行ってしまった事実は消せないし、言い訳をするつもりもない。だから僕は君に謝罪を受け入れてもらうためにここにきた」
「……」
しばらく呆気にとられていたべモスはしかしながら次の瞬間には僕に噛みつきにかかった。
「それは虫が良すぎるというものだろう!?なぜ今なんだ、なぜ今になってやってきた!俺は……俺は……」
「すまない」
飾る言葉は僕にはない。
だからこそ頭を下げる。丁寧に。言葉ではなく態度で誠意を伝えるために。
あの出来事の直後ではなく、べモスが口にした通り、街の人々から『英雄』と称されるようになった今。
揺らがないその事実は学園でのあの事件の当事者たちにとって正しく怒り心頭に発するものである。
並の守護者を寄せ付けなかった怪物を倒したという偉業が僕に重く、ひたすらに重くのしかかっていた。
それ故、僕にはただひたすらに頭を下げ、許しを乞うこと以外は許されない。
許されてはならない。
ならばこそ頭を下げ続ける僕にべモスはあらん限りに力を振り絞り罵倒する。
しかしそれは不意に終わりを迎える。
僕の視界の端の上、つまりべモスの足元にポツリポツリと小さなシミが作られていく。
薄黄色の砂の上に落ちたそれらはゆっくりと地面に染み込んでいく。
驚きに顔を上げた僕の視界に飛び込んできたのは涙を流す1人の武人の姿であった。
「──すまない。本当に申し訳ない!」
「ど、どうしたの!?」
慌てて尋ねる僕にべモスは首を振りながらその場に座り込んだ。確か、極東に伝わる誠意を現す座り方、セイザ、だっただろうか。
背筋を伸ばし、少し開いた膝の上に握り拳を置いたべモスはゆっくりと目を伏せ語り始めた。
「本当に罰せられるべきなのは俺なのだ。周囲の空気に気圧され、己に負け、お前の家族を貶めた。俺は弱かった。あのとき、数的にも常識的にも圧倒的に不利だった状況で、それでも己の意志を貫いたお前と違って俺は弱かった。……それをあのとき知らしめられておきながら、俺は俺の弱さを認めることができずにこの場でもお前を罵った。己の浅ましい自己を守るために俺はお前を売ったのだ」
「それは、君のせいじゃないよ。人間なら誰もが持っているもの──」
「──違う、違うんだッ!」
僕の言葉を遮り、べモスは叫んだ。
突然の出来事に黙り込む僕を他所にべモスは深く息を吸い込み、衝撃の事実を切り出した。
「俺なんだ」
「……え?」
「この街で暴れたというあの怪物ベヒモスは──俺なんだ……」
時が止まるようだった。
僕はこのときどんな表情をしていただろうか。
驚きで目を見開いていたのだろうか。
はたまた、恐怖で顔を引きつらせていたのだろうか。
それは僕と向き合っていたべモスにしか分からないのであろう。
ただ唯一僕が感じ取っていたもの。
それは──殺意。
自分がベヒモスだった、と語る少年に対する強烈な殺意だった。
嵐のように荒れ狂うそれは僕の心を蝕んでいく。
弾けるように次々と浮かんでは消えていく僕に無力さを突きつけた様々なモノたち。
2度も踏み潰された教会、無惨に破壊された街並み。
そして──アガレスに八つ当たりをする僕自身。
暴風はまだ止まない。
けれど。
──精進することじゃ。
大地に根ざす木々たちは強い風に煽られてその幹を揺らがせるが、その根は太く逞しくなってしっかりと大地を掴んでいた。
「薄々、勘づいてはいたんだ」
「!?」
驚きを顕に立ち上がるべモス。
「ベヒモスの出現場所はここだって聞いてたし、僕がベヒモスを倒したのとほぼ同時刻に君が突然壊れ果てた家の上に現れたって街のみんなやクラスの人たちも言っていたしね」
「他の者たちの元へも行ったのか……!?」
「うん、君以外は皆寮に住んでいるからね、ここに来る前に寄ったんだ。それ以前に色々と話は聞いていたからね、心の準備をしたくて君は最後にしたんだ。……あの紫の髪の男の子には会えていないけどね」
拍子抜けしたように脱力しべモスはその場に崩れ落ちてしまう。
「最初から全て分かった上で俺に謝りにきていた、というのか……」
放心し、そう呟くべモスに僕は困ったように笑いかけた。
「一応、他の皆は許してくれたんだけど、君はどうかな?」
膝を曲げ、べモスに手を差し出す。
それに気づいたべモスは数瞬の逡巡の後、口の端を吊り上げ、僕の手をガッシリと掴んだ。
「その言葉は卑怯だな」
僕の手を借りて立ち上がったべモスと僕の間の距離は物理的にも精神的にも確実に狭まっていた。
そして、それを見守る影が2つ。
べモスの父と母である。
「青春ね~」
「そうだな」
少女と見間違うほどの母親は口元を手で隠し、微笑んだ。
見た目とは裏腹に妖艶な雰囲気を発する美女の隣に立つ夫はまるで忠実な騎士、いや極東風に言うのならば武士であろうか。
とにかく、その姿はまるで姫と護衛のようであった。
「次はどんなことが起きるのかしら」
「……」
その笑みをさらに深ませ、目を三日月のように曲げる美女に男が何かを言うことはない。
「楽しみね」
「……そうだな」
女の嬉しそうな呟きに男も僅かながらにその口元を緩める。
月の明かりが少年2人を照らし、1組の夫婦に影を纏わせる。
今宵の空には、蠱惑的なまでの美しい満月が浮かんでいた。
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