妻を殺した男と寝る

三原みぱぱ

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妻を殺した男と寝る

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 今日は久しぶりに早く仕事が終わってしまった。
 私は重い足取りで、家路につく。
 いっそ、どこかで飲んで帰ろうかとも考えたが、酒の匂いをさせた私に妻が何と言うか想像もしたくなかった。
 地獄の門のカギを開け……開いている?

「ただいま……え!」

 妻が玄関で、うつぶせに倒れていた。その体の下には、真っ赤な液体が流れていた。
 死んでいる?
 良かった。
 私は倒れている妻を踏まないように奥のダイニングに行くと、男が家探しを行っていた。
 身長は私よりも少し高いくらい。瘦せ型で部屋の中なのに帽子も取らず、薄汚れたトレーナーとジーンズを身に着けており、手には血が付いた包丁を持っていた。
 よく見れば、服にも返り血がついている。

「土足はやめてほしかったな」

 人生に疲れ果てていた私から出た言葉が、それだった。自分でも妻を殺した強盗に発した言葉としてはどうかと思うが、素直に出た言葉なのだから仕方がない。

「あ、すみません」

 男は自分の足元を見ると、素直にボロボロの靴を脱いだ。その靴は、私ならとっくに買い換えているであろう、くたびれ具合である。

「それで、目的は金か?」
「そ、そうだ。金を出せ」
「金ならないよ」
「嘘をつけ! あんたの嫁はいつも高そうな服や貴金属をつけて、出かけているのを知っているんだぞ」
「だからだよ。飲むかい?」

 私は冷蔵庫から安い発泡酒を取り出すと、男に勧めたが、静かに首を横に振られた。
 まあ、強盗に来て酒を飲むような人間はいないか。しかし、これは私の唯一の救いだ。いま、包丁で刺されようと、飲ませてもらおう。
  いつものような軽快な開封音。グラスに琥珀色の液体を注ぐと、一気に喉を潤す。上唇に泡をつけるのをいとわず、グラスを空ける。

「ふ~、うまい」

 私は一息ついて、改めて男を見ると、包丁を構えたまま固まっている。
 まあ、そうだろう。強盗を目の前に、ビールを飲む人間など予想もしていなかったのだろう。

「金、金を出せ!」
「だから、無いよ。私が稼いだお金は、全部彼女が使っちゃったからね。専業主婦のくせに私の給料で散財したから、貯金なんてないよ。彼女のバックや宝石類を売ればいくらかの金になるだろうけど、すぐに足がつくんじゃないかな?」
「そんな、じゃあ、俺は何のために……」

 男は帽子を床にたたきつけた。肩まで伸びた髪は、自分で切ったかのようにぼさぼさだった。帽子の下から現れた顔は思ったよりも若く、まだあどけなさを残していた。年のころは20代前半くらいだろう。
 こんなに若くて、強盗に入らざるを得ない人生と言うのはどんなものなのだろうか。
 ふと、興味が沸いた。

「なあ、腹が空かないか? と言うか、私は腹が空いた。出前を取ろうと思うんだが、何が食べたい?」
「ふ、ふざけるな。そんなことを言って、警察を呼ぶつもりだろう」
「まあ、そう思うよな。だったら、君が注文をしてくれればいい」

 そう言って私は、携帯電話を男に渡した。
 今日は何とも気持ちが良い。結婚当初から、散財と浮気を繰り返した妻がいなくなったのだ。家にいても、罵倒が聞こえない、静かな夜。妻がいつ帰ってくるのか怯えなくてもよい。なんだか、お祝いをしたい気分だ。

「そうだ。お祝いと言えば、寿司だよな。寿司を取ろう。それも特上寿司を取ろう。君も一緒に食べないか?」
「……あんた、イカれてるのか? 俺は強盗だぞ、それに殺人も犯した」
「そうだな。もう、とっくに私は壊れていたのかもしれない。妻が死んだとわかって、悲しみや自分が殺されるかもしれないと考える前に、ほっとしたんだ。いつも私が妄想していたものが、そこにあって、とうとう自分で訳が分からないうちにやってしまったのかと思っていたのだけれど、君という犯人がいて、自分がまだ、まともなのかとも再確認ができた」
「な、何を言っているんだ? 訳がわかんねぇ」
「いいんだよ。ただ、私は君に感謝している。それだけだよ。それよりも早く注文をしてくれ。金がないといっても、飯を食うぐらいの金はあるし、出前はカード払いだ。気にしないで好きなものを頼んでくれ。そうだ、飯が届く前に、風呂に入ろう。君もそんな血まみれで食事をしたくないだろう」

 私はそう言うと、風呂掃除をしてお湯を張った。
 風呂場で響く音で、自分が鼻歌を歌っていることの気が付いた。
 こんなに気持ちが高揚したのは、いつぶりだろうか?
 風呂の準備をして、リビングに戻ると、男はソファーに腰かけていた。頭を抱えているようにも見える。
 私は二人分の着替えを準備すると声をかけた。

「どっちが先に入る?」
「俺は入らない」
「私に気を使っているのかい? 正直に言うと、君、ちょっと匂うんだよね。せっかくのお祝いの気分が台無しになる。だから、ぜひともお風呂に入って、さっぱりして欲しいんだよね。なんだったら、包丁を持っても、私の携帯を持って行ってもいいよ。風呂から上がるまで、縛っておくかい」

 そう言って、私は彼の前に両手を差し出した。
 そんな私の態度を見て、どう思ったのか、彼はあきらめたように言った。

「先に入る」
「じゃあ、これが着替えだ。私の物だが、ちゃんと洗濯しているから安心してくれ。ただし、サイズはちょっと小さいかもしれないのだけれど、そこは我慢してほしい」

 男は私から着替えを奪い取ると、脱衣所に消えた。
 さて、これからどうするか。
 配達人が来て玄関を開けると、妻の死体を見てしまうかもしれない。
 そうすると、せっかくのお祝いが台無しになる。
 配達人を殺すか? いや、それはあまりにもかわいそうだし、帰ってこない配達人を探して別の人が来るかもしれない。
 そうかと言って、妻の死体を片付けるのも面倒だ。触りたくもない。
 しかし、私の懸念は杞憂に終わった。
 置き配である。カード払いのため、玄関先に荷物が置かれて、配達人と対面する必要もなかった。
 私は邪魔な死体を踏まないように気を付けて、大きな寿司桶をリビングに運ぶと、冷えている発泡酒の残量を確認した。十分だった。明日が休日のため、念のために多めに冷やしていたのが功を奏した。
 すでに風呂から上がりさっぱりしている彼は、寿司を見てそわそわしている。
 彼も腹が空いているのだろう。
 配達が来るまでに、私もすでに風呂に入っている。
 準備は万端だ。

「飲み物はどうする? お茶か炭酸水くらいしかないけど、あと、インスタントでよければコーヒーもあるぞ」
「それで……」

 男は、私が手にしている青い500缶を指さした。
 その様子を見て、嬉しくなった。
 久しぶりに一人酒でない。
 私はもうひとつグラスを用意すると、ビールを注いで渡した。

「それじゃあ、さっそく、乾杯だ」
「……」

 二つのグラスがぶつかって、澄んだ音が響く。
 白い雲の下にある琥珀の空を飲み干す。
 男を見ると、なんだか浮かない顔をしている。

「どうした?」
「苦い」
「そりゃビールは苦いもんだろう。あ、もしかしてビールは好みじゃないのか? 悪いな。」
「いや、初めて飲んだから」
「そうだな、私も初めてビールを飲んだ時、なんで大人どもはこんな苦いものをありがたがって飲んでいるんだろうって思ったもんだ。コーラを持ってこようか?」
「いや、良い。もったいない。それより、これ、食べていいか?」
「いいぞ。私に気にせず好きに食べてくれ。ただし、アナゴだけは残しておいてくれ。私の好物なんだ。いつも最後の楽しみに取っているからな。それ以外だったら好きに食べてくれてかまわないよ」

 私がそう言い終わる前に、彼は寿司に手を伸ばして食べ始めた。
 その食べ方は決して綺麗とは言えない。嫁が見たら食欲をなくすほど文句を言いそうだが、おいしそうに食べる姿はほほえましかった。
 私も寿司をつまみ、飲みなれた発泡酒で喉を潤す。
 お互いに、静かに食事をする。
 お互いに、見知らぬ者同士。
 お互いに、腹を空かせた者同士。
 お互いに、安い発泡酒を飲む。
 しばらくして、腹が落ちつくと、自然と口を開いた。

「これから、どうするんだ?」
「何も考えていない」
「そうか」
「なんで、こんなことをしたのか聞かないのか?」
「聞いて欲しいのか?」

 男は黙って首を横に振った。まるで、雨に濡れた犬がしずくをはじくかのように。
 そんな姿を見ていると、なんだか可愛くも見えて、ふと笑みが漏れる。

「何がおかしい」
「いや、もしも私に息子がいたらこんな感じなのかと思ってね」
「ふん、あんたの息子なら俺みたいには、ならないだろうよ。あんたはあのくそ親父とは違う。暴力を振るわねぇし、うまい飯も食わしてくれる」
「そんなにひどい親なのか?」
「ひどいなんてもんじゃない。最低の親だよ。ろくに働きもせず、酒ばっかり飲みやがって。俺が稼いだ金を使い込むだけでなく、借金までしやがって」
「それで、強盗なんてしようと思ったのか?」

 また、黙って首を縦に振るだけだった。
 遊ぶ金欲しさに強盗に入ったんじゃないだろうということは、その服装から何となく予想をしていたが、まさか親の借金を肩代わりするためとは。
 それで、殺人まで犯してしまうとは、可哀そうに。

「母親はどうしているんだ?」
「とっくの昔に男を作って出て行ったよ。子供がいちゃ、男がひっかけられないからと言って、俺は置いていかれたけどな」

 そう言うと、男は発泡酒をあおるように飲んだ。
 母親に捨てられ、父親には食い物にされ、ひどい人生を歩んできたことが、彼の言葉と姿から容易に想像ができる。
 ろくでもない両親の間にできた子供。
 やはり、私たち夫婦に子供ができていたならば、このような子に育っていたのだろう。
 妻は子供ができると、遊びまわることができなくなると考えてか、ピルを飲んでいた。私との性行為など、これまでの結婚生活で数えるほどしかないにも関わらず。

「そうか……ちょっと待っていてくれ」

 私はそう言うと、ビジネスバックを開き、札束を取り出した。
 妻に給料などを使い込まれる私が取った対抗策。タンス預金ならぬ、バッグ預金。日々の生活費の一部や出張手当などをこつこつと貯めていた、私のヘソクリである。
 その額は100万程度あるはずだ。
 妻が死んでしまった今、ヘソクリの役目はもうないだろう。

「持っていきな」
「い、いいのか?」
「私のヘソクリだけど、もう、ヘソクリなんて必要ないからな。でも、これを渡すのに一つ約束をして欲しい」
「なんだ?」
「親を捨てろ。借金返済なんて父親に任せればいい。この金でどこか遠くに行って、君の人生をやり直せ。これだけあれば、どこかでアパートを借りて、生活できるだろう。そこでまじめに働くんだ」
「やり直す……でも、俺は人を殺したんだぞ」
「そこは私が上手くごまかすよ。今日はもう、終電もないだろうから、ここに泊まって、明日の始発で行きなさい」
「行くって、どこに」
「それは自分で決めな。これからは、親の指示で生きるんじゃない。自分の考えで生きていくんだよ。その第一歩は自分が行くところを決める。いいな」
「……わかった」

 男は新生活へのチケットを受け取った。
 私は晴れやかな気分になると、眠気が襲ってきた。

「眠くなったな。私はもう、寝るから、君は妻の寝室を使うといい。朝出て行く時は、周りの住人に見つからないように気をつけてな。それじゃあ、お休み」

 そう言うと私は大きなあくびを一つして、自分の寝室へと移動した。
 明日、彼が出て行ってから、彼の痕跡をなくすために掃除をしよう。それから、警察に連絡をする。
 警察はなんていうだろうか。会社へは警察から連絡してくれるのだろうか。
 そんなことを漠然と考えながら、うとうととした頃、誰かが布団に入ってきた。
 彼だった。
 全裸で布団に入ってきた彼は、私に体をぴたりと合わせた。

「なんのつもりだ」
「お礼。こんな俺に良くしてくれたあんたにできるのは、これくらいしかないから」

 彼は慣れた手つきで俺の体を触り始めた。その手つきにこれまでも、父親の酒代を稼ぐために自分の体を売っていたことが容易に想像できた。
 妻のせいで女性に立たなくなった私の物は、彼の心のこもった愛撫にいきり立ってしまった。

「うれしい」

 彼がそう言うと、私と唇を重ねた。
 親子ほどの年の差にもかかわらず、付き合い始めたころのような恋人のように私たちはお互いの体を貪り食った。

 気が付くと、朝になっていた。
 久しぶりにすっきりとした朝である。
 隣にいない彼を確認して、私は満足すると、昨夜の計画通り、彼の痕跡をなくすために掃除を行い、警察を呼んだ。

 懲役三年。
 初犯の上、日ごろから妻に虐げられ、不貞を働かれ、金を使い込まれている。
 些細なきっかけの口論の末、妻が包丁を持って外に出ようとするのを止めようとして、刺してしまった。そんな状況から、刑は軽くてすんだ。
 ただし、なぜ、刺してしまった後、すぐに救急車も警察も呼ばなかったことが、裁判官の心証を悪くしたが、心神喪失で次の日の昼までそこに思い至らなかったと申し開きをした。
 幸いなことに会社では、正当防衛もしくは不慮の事故と考えてくれたらしく、いくらかの退職金を出してくれた。
 マンションは事故物件扱いとなり、二束三文で買いたたかれるだろうが、それでも出所後の当面の生活費にはなるだろう。
 イチョウの葉が道路を覆いつくす頃、私はひっそりと出所した。
 妻の呪縛から逃れ、親戚関係からも疎遠になり、会社という社会からも自由になった私は、これからを思い、つぶやいた。

「さあ、どうしようか」
「大人って言うのは、自分の未来を自分で決められるんじゃないのか?」

 私はゆっくり後ろを向くと、あどけなさの抜け、健康的に日に焼けたあの男が立っていた。
 その姿を見て、私は思わず笑みがこぼれた。
 一目見てわかる。
 あの夜、全てを憎み、あきらめていた男の顔はなく、明るくはないが、ちゃんと日の当たる場所で生きてきた男の顔だ。

「そうでもないさ。大人だって、たまには道に迷うものだ。立ち止まり、道草を食い、また歩き始める」
「それで、今のあんたはどんな状況だい」
「迷子だね。ノープランだ」

 私は、刑務所の中で老け込んだ肩をすくませて、答える。
 そんな私の姿を見て、彼は笑みを浮かべた。

「じゃあ、俺に親孝行をさせてくれ」
「いいのかい?」
「そのために、歯を食いしばって頑張ってきたんだ。あの日の恩返しをさせてくれ」

 男は胸を張って言った。
 それに対して、私は間違いを訂正する。

「私は、恋人ではなく、父親でいいのかと聞いているんだけど」

 私の言葉に、男の顔を赤くなっていくのが、面白いように見て取れた。

「それは……あの、どっちもで」

 こうして、私はいまだ名も知らぬ男と新しい生活を過ごすことになったのである。
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