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第一章 自転車になったお兄ちゃん
第23話 姫子アフター 3
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叶恵は階段を昇っていく。教室へ行くのかと思ったが、彼女が目指しているのはもっと上のようだった。さらに上へ続く階段に足をかけた。
姫子は黙って彼女の後姿を見つめながら後をついていく。このまま行けば屋上まで行ってしまう。でも、そこは普段生徒が立ち入らないように施錠されていたはず。
そう思っていたところで不意に叶恵が途中の踊り場で立ち止まり、振り返って声を掛けてきた。
「この前はごめんなさい。人の悩みを人の多い教室で聞こうとしたわたしが浅はかだったんです」
「いえ、わたしこそ……」
姫子は何かを言おうとしたが言葉が出てこなかった。叶恵は気さくな笑みを浮かべた。
「だから今度は人のいないところで話しましょうね」
叶恵は再び歩き出す。その軽い背中を見て姫子は困ったことになったと思った。
施錠されていたドアを叶恵はポケットから出した鍵で開けた。ドアが開かれると明るい陽射しが入ってくる。
姫子が叶恵に案内されてきた場所はやはり屋上だった。今鍵を開けたばかりだから当然人の姿はない。
叶恵は歩みを進めて伸びをした。
「うーん、いい天気」
彼女が言ったように今日はいい天気だった。
屋上も暑すぎることもなく過ごしやすい環境だった。でも、姫子にはそれを楽しむような余裕も気もなかった。
これから何を言われるんだろう。そればかり気になってびくびくしてしまう。
「姫子さん、こっちに来て」
言われ、叶恵のいる屋上の端へ行き、
「あれを見て」
言われるままに叶恵と並んで校庭を見下ろした。放課後の校庭では運動部のみんなが元気に活動をしていた。
「あれがわたしの目指している世界なんです」
「叶恵さんの……世界?」
「みんなが笑顔でいられる世界。そのためには悩んでいる人がいれば手を差し伸べたい。わたしはそう思っているんです」
「でも、わたしの悩みなんて……」
自分の悩みなんて酷くちっぽけで自分勝手な物だと思う。こんな大勢の人を巻き込むような物ではないと思う。姫子は顔を伏せてしまう。そんな姫子を叶恵は逃がしてはくれなかった。
「姫子さん、顔を上げてわたしを見てください。わたしはそんなに頼りないですか?」
「そんなことは……」
叶恵の目は優しかった。姫子がうろたえてしまうほどに。
「わたしで駄目なら会長に話を通してもいいんですよ。あの人ならもっと大きい町の権力を動かせますから」
「それは困ります」
この学校の生徒会長、大鷹翼(おおたか つばさ)は町の有力者の娘で、叶恵の言う通りいざとなったら町の権力を動かすことも可能だろう。でも、そうなるとごく普通の一般家庭に過ぎない田中家はどうなってしまうのだろう。
もうこの町にいられなくなってしまうかもしれない。会長をこの件に関わらせるわけにはいかなかった。
「わたしは……わたしの悩みは……」
姫子は観念して自分の悩みを口に出すことにした。
それは風に流されて消えてしまいそうな言葉だったが、叶恵には確かに届いたようだった。
「彼氏と絶交……ですか」
「はい、くだらない取るに足りない悩みですよね……」
小さい悩みだとは思っていたけれど、口に出してしまうとそれはより一層小さい物に感じられた。大勢の人を巻き込んでなにをしているんだろうと自己嫌悪になってしまう。
そんな姫子にかけてくれる叶恵の声は優しかった。
「いえ、姫子さんをずっと悩ませていた問題を小さいとはわたしは思っていませんよ。でも、彼氏ですか……」
「何か問題が?」
ここは由緒と伝統ある女子高だし、異性と付き合ってはいけないとか何か別の問題があるのだろうかと姫子は思った。もし、そうなら自分はこの学校を卒業するまで悠真と仲直りが出来なくなってしまう。そんなのは嫌だった。
叶恵は形の良い顔で少し考えてから答えた。
「ここは女子高ですし、わたしも翼様も彼氏はいないんですよね。ですから、上手く助言できるかが分からないんですけれど……」
「ごめんなさい」
姫子は自分の悩みが小さいだけでなく酷く場違いだと気が付いた。叶恵は苦笑したようだった。
「それにしても彼氏ですか。姫子さんってやるんですね」
「やると言っても、わたしなんて何も出来てないし、失敗ばかりだし」
「思い切って自分の気持ちを言えばいいと思いますよ」
「でも、わたしから絶交だって言ったのに」
「なら、なおさら姫子さんから言うべきです。彼氏とはまだ仲が良いんですよね?」
「はい、悠真さんは優しいから……」
「わたしにそう言える度胸のあるあなたになら出来ますよ」
「わたしって度胸があるんでしょうか」
そう言われたのは初めてだった。叶恵は自信を持って答えた。
「うん。まだ何か困ったことがあったら言ってください。こじれるようならわたしと翼様とでその男の方に話をつけに行ってもいいですし」
「それ困ります。本当に困るんです」
「もう自分の力で行けますよね?」
「はい」
自信は無かったが、自然と返事が出ていた。叶恵の話は続く。
「彼とよく行っていた思い出の場所に行ってみるのはどうでしょう。そういう場所なら本音が言いやすいのではないでしょうか」
「はい、ありがとうございます」
姫子は決意して屋上を後にした。
姫子の去った屋上。入れ替わるように人影が滑り込んできた。
姫子は気づいていないようだったが、叶恵は気が付いていた。
「叶恵さん、姫ちゃんは何て?」
それは姫子のことを心配してきていた苺だった。叶恵は屋上に流れる風にゆったりと身を任せながら答えた。
「人の悩みを話すことは気の進まないことですが……」
話を聞かせてもらえないとショックを受ける苺を叶恵の黒い瞳が見つめた。
「そうですね。一つヒントを言うなら男の方のことでした」
「男の方?」
おとなしい姫子と粗野な男がどう結びつくのか苺にはさっぱり分からない。叶恵の瞳を見つめてもこれ以上何も語ってくれるつもりはないことは分かった。
何か良くないことが起こりつつある。そう予感した苺は急いで姫子の後を追っていった。
姫子は黙って彼女の後姿を見つめながら後をついていく。このまま行けば屋上まで行ってしまう。でも、そこは普段生徒が立ち入らないように施錠されていたはず。
そう思っていたところで不意に叶恵が途中の踊り場で立ち止まり、振り返って声を掛けてきた。
「この前はごめんなさい。人の悩みを人の多い教室で聞こうとしたわたしが浅はかだったんです」
「いえ、わたしこそ……」
姫子は何かを言おうとしたが言葉が出てこなかった。叶恵は気さくな笑みを浮かべた。
「だから今度は人のいないところで話しましょうね」
叶恵は再び歩き出す。その軽い背中を見て姫子は困ったことになったと思った。
施錠されていたドアを叶恵はポケットから出した鍵で開けた。ドアが開かれると明るい陽射しが入ってくる。
姫子が叶恵に案内されてきた場所はやはり屋上だった。今鍵を開けたばかりだから当然人の姿はない。
叶恵は歩みを進めて伸びをした。
「うーん、いい天気」
彼女が言ったように今日はいい天気だった。
屋上も暑すぎることもなく過ごしやすい環境だった。でも、姫子にはそれを楽しむような余裕も気もなかった。
これから何を言われるんだろう。そればかり気になってびくびくしてしまう。
「姫子さん、こっちに来て」
言われ、叶恵のいる屋上の端へ行き、
「あれを見て」
言われるままに叶恵と並んで校庭を見下ろした。放課後の校庭では運動部のみんなが元気に活動をしていた。
「あれがわたしの目指している世界なんです」
「叶恵さんの……世界?」
「みんなが笑顔でいられる世界。そのためには悩んでいる人がいれば手を差し伸べたい。わたしはそう思っているんです」
「でも、わたしの悩みなんて……」
自分の悩みなんて酷くちっぽけで自分勝手な物だと思う。こんな大勢の人を巻き込むような物ではないと思う。姫子は顔を伏せてしまう。そんな姫子を叶恵は逃がしてはくれなかった。
「姫子さん、顔を上げてわたしを見てください。わたしはそんなに頼りないですか?」
「そんなことは……」
叶恵の目は優しかった。姫子がうろたえてしまうほどに。
「わたしで駄目なら会長に話を通してもいいんですよ。あの人ならもっと大きい町の権力を動かせますから」
「それは困ります」
この学校の生徒会長、大鷹翼(おおたか つばさ)は町の有力者の娘で、叶恵の言う通りいざとなったら町の権力を動かすことも可能だろう。でも、そうなるとごく普通の一般家庭に過ぎない田中家はどうなってしまうのだろう。
もうこの町にいられなくなってしまうかもしれない。会長をこの件に関わらせるわけにはいかなかった。
「わたしは……わたしの悩みは……」
姫子は観念して自分の悩みを口に出すことにした。
それは風に流されて消えてしまいそうな言葉だったが、叶恵には確かに届いたようだった。
「彼氏と絶交……ですか」
「はい、くだらない取るに足りない悩みですよね……」
小さい悩みだとは思っていたけれど、口に出してしまうとそれはより一層小さい物に感じられた。大勢の人を巻き込んでなにをしているんだろうと自己嫌悪になってしまう。
そんな姫子にかけてくれる叶恵の声は優しかった。
「いえ、姫子さんをずっと悩ませていた問題を小さいとはわたしは思っていませんよ。でも、彼氏ですか……」
「何か問題が?」
ここは由緒と伝統ある女子高だし、異性と付き合ってはいけないとか何か別の問題があるのだろうかと姫子は思った。もし、そうなら自分はこの学校を卒業するまで悠真と仲直りが出来なくなってしまう。そんなのは嫌だった。
叶恵は形の良い顔で少し考えてから答えた。
「ここは女子高ですし、わたしも翼様も彼氏はいないんですよね。ですから、上手く助言できるかが分からないんですけれど……」
「ごめんなさい」
姫子は自分の悩みが小さいだけでなく酷く場違いだと気が付いた。叶恵は苦笑したようだった。
「それにしても彼氏ですか。姫子さんってやるんですね」
「やると言っても、わたしなんて何も出来てないし、失敗ばかりだし」
「思い切って自分の気持ちを言えばいいと思いますよ」
「でも、わたしから絶交だって言ったのに」
「なら、なおさら姫子さんから言うべきです。彼氏とはまだ仲が良いんですよね?」
「はい、悠真さんは優しいから……」
「わたしにそう言える度胸のあるあなたになら出来ますよ」
「わたしって度胸があるんでしょうか」
そう言われたのは初めてだった。叶恵は自信を持って答えた。
「うん。まだ何か困ったことがあったら言ってください。こじれるようならわたしと翼様とでその男の方に話をつけに行ってもいいですし」
「それ困ります。本当に困るんです」
「もう自分の力で行けますよね?」
「はい」
自信は無かったが、自然と返事が出ていた。叶恵の話は続く。
「彼とよく行っていた思い出の場所に行ってみるのはどうでしょう。そういう場所なら本音が言いやすいのではないでしょうか」
「はい、ありがとうございます」
姫子は決意して屋上を後にした。
姫子の去った屋上。入れ替わるように人影が滑り込んできた。
姫子は気づいていないようだったが、叶恵は気が付いていた。
「叶恵さん、姫ちゃんは何て?」
それは姫子のことを心配してきていた苺だった。叶恵は屋上に流れる風にゆったりと身を任せながら答えた。
「人の悩みを話すことは気の進まないことですが……」
話を聞かせてもらえないとショックを受ける苺を叶恵の黒い瞳が見つめた。
「そうですね。一つヒントを言うなら男の方のことでした」
「男の方?」
おとなしい姫子と粗野な男がどう結びつくのか苺にはさっぱり分からない。叶恵の瞳を見つめてもこれ以上何も語ってくれるつもりはないことは分かった。
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