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45:<土曜日> 四色カレー3
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「染さん……」
どうしよう、すごく嬉しい。
彼が楓の頑張りを認めて、目に見える形で評価してくれた。
染さんに勇気をもらった楓は、再び母親に向き合う。
「お母さん、私、このお店で働きたいの。転職はしたくない」
「楓、何を言っているの」
「将来の夢なんてなかったけど、生まれて初めて、やりたいことが見つかったから」
正社員といっても、収入が大幅に増えるわけではないだろう。
個人経営の飲食店なので、確実に安定しているとも言いきれない。
でも、楓は洋燈堂がいいのだ。
自分を受け入れてくれた店。そして、染さんと一緒に育ててきた大切な店だから。
「私、前の会社で酷い目に遭ったからこそ、わかったことがある。自分の頭で考えるのを放棄して、他人の言いなりで動いちゃ駄目なんだよ」
「急にどうしたの? 楓だって昔は、『良い会社で働きたい』って言っていたじゃない」
「あ、あれは」
そう答えれば、両親が喜ぶから口に出していただけだった。
そこに自分の意志は微塵も介在しない。
当時はやりたいことがなかったから、どこに就職しようがどうでもよかったのだ。
しかし、今はそうではない。
「私も『悪い職場よりは良い職場を選びたい』と思っていたよ。でも、『良い』の基準は、人によって違う。自分の人生だもの、何かあったときに他人のせいにしたくない……自分で決めたいの」
震えながらも、声を絞り出す。
後ろで染さんが見守ってくれているので心強い。
母はしばらく無言で楓を見つめていたけれど、やがて鞄を持って立ち上がった。
「そう。なら、勝手にしなさい」
「お母さん……」
「あとで泣きついても、面倒は見ないからね」
手早く会計を済ませ、母は店を出て行く。
冷たい態度ではあるけれど、楓の訴えが受け入れられたのだと思った。
鉄の階段の音が響かなくなり、楓は全身の力が抜けたように椅子に座り込む。
母に言い返したのは初めてのことで、緊張が解けて頭が真っ白になってしまった。
「楓ちゃん、大丈夫? ……じゃないよね」
「ちょっと、びっくりしてしまって」
「お客さんはもう来ないだろうし、休憩にしよう」
「はい、お騒がせしてすみません」
雑誌の効果で毎日行列ができるようになってから、洋燈堂はランチ時間とディナー時間に分けての営業を行っている。
間の時間帯は、もともとお客さんがあまりいないので一旦準備中とし、その時間に足りない食材の確認などを行うのだ。昼休憩や食事も、この時間帯を利用することに決まった。
「謝る必要なんてないよ」
「でも、染さんに迷惑をかけてしまいましたし」
「僕も、同じような内容を親に言った記憶がある。君は何も悪くないんだよ。頑張ったね、楓ちゃん……」
彼の言葉に、目頭が熱くなる。
楓と染さん、ついでに理さんは全員、似た境遇の持ち主なのだ。
だからこそ、互いの気持ちをわかり合える。
「あの、染さん。さっきは援護してくださって、ありがとうございます」
「もっと格好良く君を守れたらよかったのだけれど……」
「十分守ってもらいましたから」
彼がいたから、楓は母に自分の気持ちを伝えられた。
今までの楓なら、何も言えずに逃げていただろう。
相手に訴えられなければ、きっと今までと変わらなかった。
それに、染さんの取った行動は後に、楓のプラスに働くことになる。
あのあと、地元に帰った母は雑誌を片手に、得意げに楓の話を触れ回って歩くようになったのだ。「娘は店主の片腕として、カレー屋を大人気店に押し上げた功労者だ」とかいう、巨大な尾鰭をつけて……
妹や弟からの電話で知った楓は、顔から火が出そうだった。
しばらく、地元には帰れない……
なにかと見栄を張らずにはいられない母だけれど、いつか和解できる日が来ればいいと思う楓だった。
どうしよう、すごく嬉しい。
彼が楓の頑張りを認めて、目に見える形で評価してくれた。
染さんに勇気をもらった楓は、再び母親に向き合う。
「お母さん、私、このお店で働きたいの。転職はしたくない」
「楓、何を言っているの」
「将来の夢なんてなかったけど、生まれて初めて、やりたいことが見つかったから」
正社員といっても、収入が大幅に増えるわけではないだろう。
個人経営の飲食店なので、確実に安定しているとも言いきれない。
でも、楓は洋燈堂がいいのだ。
自分を受け入れてくれた店。そして、染さんと一緒に育ててきた大切な店だから。
「私、前の会社で酷い目に遭ったからこそ、わかったことがある。自分の頭で考えるのを放棄して、他人の言いなりで動いちゃ駄目なんだよ」
「急にどうしたの? 楓だって昔は、『良い会社で働きたい』って言っていたじゃない」
「あ、あれは」
そう答えれば、両親が喜ぶから口に出していただけだった。
そこに自分の意志は微塵も介在しない。
当時はやりたいことがなかったから、どこに就職しようがどうでもよかったのだ。
しかし、今はそうではない。
「私も『悪い職場よりは良い職場を選びたい』と思っていたよ。でも、『良い』の基準は、人によって違う。自分の人生だもの、何かあったときに他人のせいにしたくない……自分で決めたいの」
震えながらも、声を絞り出す。
後ろで染さんが見守ってくれているので心強い。
母はしばらく無言で楓を見つめていたけれど、やがて鞄を持って立ち上がった。
「そう。なら、勝手にしなさい」
「お母さん……」
「あとで泣きついても、面倒は見ないからね」
手早く会計を済ませ、母は店を出て行く。
冷たい態度ではあるけれど、楓の訴えが受け入れられたのだと思った。
鉄の階段の音が響かなくなり、楓は全身の力が抜けたように椅子に座り込む。
母に言い返したのは初めてのことで、緊張が解けて頭が真っ白になってしまった。
「楓ちゃん、大丈夫? ……じゃないよね」
「ちょっと、びっくりしてしまって」
「お客さんはもう来ないだろうし、休憩にしよう」
「はい、お騒がせしてすみません」
雑誌の効果で毎日行列ができるようになってから、洋燈堂はランチ時間とディナー時間に分けての営業を行っている。
間の時間帯は、もともとお客さんがあまりいないので一旦準備中とし、その時間に足りない食材の確認などを行うのだ。昼休憩や食事も、この時間帯を利用することに決まった。
「謝る必要なんてないよ」
「でも、染さんに迷惑をかけてしまいましたし」
「僕も、同じような内容を親に言った記憶がある。君は何も悪くないんだよ。頑張ったね、楓ちゃん……」
彼の言葉に、目頭が熱くなる。
楓と染さん、ついでに理さんは全員、似た境遇の持ち主なのだ。
だからこそ、互いの気持ちをわかり合える。
「あの、染さん。さっきは援護してくださって、ありがとうございます」
「もっと格好良く君を守れたらよかったのだけれど……」
「十分守ってもらいましたから」
彼がいたから、楓は母に自分の気持ちを伝えられた。
今までの楓なら、何も言えずに逃げていただろう。
相手に訴えられなければ、きっと今までと変わらなかった。
それに、染さんの取った行動は後に、楓のプラスに働くことになる。
あのあと、地元に帰った母は雑誌を片手に、得意げに楓の話を触れ回って歩くようになったのだ。「娘は店主の片腕として、カレー屋を大人気店に押し上げた功労者だ」とかいう、巨大な尾鰭をつけて……
妹や弟からの電話で知った楓は、顔から火が出そうだった。
しばらく、地元には帰れない……
なにかと見栄を張らずにはいられない母だけれど、いつか和解できる日が来ればいいと思う楓だった。
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