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2.魔王様のお金の出どころ

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人物紹介
魔王……過労死寸前のところを勇者に倒された。セカンドライフのため文字通り裸一貫で人間の国に赴く。名はアンヘル
勇者……死闘の末魔王を倒し人の国に勝利をもたらした(多分)
湖の精霊……聖域である森の湖の精霊。金髪碧眼の衣装濡れ透けセクシー美女
青年……鳶色の髪と薄緑色の目を持つ、神官風の出で立ちの青年

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 青年は私がローブですっぽり体を包み、裸体が隠れたのを確認すると、矢の構えを解かず湖に駆け寄った。
 恐る恐る手を伸ばして湖に指先を入れると、触れた部分の水が微かに金色に光る。

「――、なんだこれは……」

 青年は慌てて手を引き抜いて、信じられないようにかぶりを振って私を見る。

「この湖はこんな森の奥にある『聖域』にも関わらず、邪な欲望や願望が強く残っていた。
 何か理由があるのか?」
「…………」
「ああいや、話せないようならいいんだ。
 もうこの場に用は無いので、私は早急にここを去る……あ、これはお返しせねば」
「あぁっ、ちょっとそれはっ!」

 私が羽織ったローブを脱ぐために前を開こうとすると、青年は人間離れした速度で私の前にすっ飛んできて片手でローブの合わせをわし掴みにする。
 それは私にすら目で追えない驚愕の速度だったが、彼は赤面の上若干涙目で何度も横に首を振っていた。

「お願いです着ててください! お願いです!」
「……私の胸も掴んでいるようだが」
「――……今すぐ手を切り落とします」

 青年はひどくショックを受け、がっくりと四つん這いで私の前に倒れ伏した。そして背後から流れるようにナイフを取り出し右手に突き付ける。
 私は慌てて彼の前に屈み、ナイフを持つ左手をそっと制止した。

「私は問題ないから、どうか落ち着いてくれ神官殿」

 人間は腕を切ったら恐らく再生しないだろうし、戦闘に特化した恵体である青年の戦闘力は人類の至宝だと思われる。
 そんな若者の栄光ある将来を、リタイア魔王の貧相な胸ごときで奪うなど……正直後味が悪すぎる。
 青年はナイフの切っ先を右手のグローブに食い込ませたまま、息を大きく吸って大きく吐いた。

「……胸……すみませんでした」
「気にしないでくれ。
 聖域と知らずに足を踏み入れてしまったとはいえ、謝るのは私の方だろう」
「できれば……近くに私が寝起きする詰め所があります。そこまでは共に来ていただけませんでしょうか。
 貴方には聖域への害意は無く、偶然であったことは一応理解しました。湖の浄化をしていただいた事に対しての感謝もあります。
 しかし……話を伺う必要があるとも認識しています。が、『強制はしません』」

 彼はグローブからナイフを抜き、添えていた私の手をそっと掴んだ。
 強制は無いが、拒否すれば追って捕らえる。……恐らくそういう事だろうな。

「……
 わかった。貴殿に同行しよう」

 私は自分の出処が発覚する恐れもあるとやや危惧したが、どうせ今逃げたところで彼の追跡から逃れるのは大変骨が折れる作業だ。
 せっかく勇者が来た国とは別の国に入ったのだ、またお尋ね者になるのはごめんだ。
 私は早く人の世界に馴染んで、雨風を凌げる家とフカフカのベッドを入手したい。そして毎晩規則正しくぐっっっっすり眠るのだ!
 そんな大切な野望の為には、多少の我慢も必要だろう。


   ◇◇◇◇◇


「そんな服しか無く……申し訳ありません」
「いや、ローブだけでなく服まで借りられるとは。本当に助かった」

 青年は私に自分のシャツを貸し与えてくれた。私は魔界でスカートを履いたことがないため足がスースーしたが、シャツ一枚で太腿まですっぽり隠れたのでローブ一枚よりも更に安心できる格好になった。
 これまで目のやり場を失っていた青年はほっとしたように目を細め、私にパン一片と温めたスープを提供してくれた。
 まさかここまでの厚遇が与えられるとは思いもよらず、持て成されたことが単純に嬉しい。
 勇者に倒されて以来、約8ヶ月振りのまともな食事にありついたのだ。
 野菜ベースの出汁が利いた透き通る黄金色の塩スープは、胡椒とハーブ調味され質素だが体内がほかほかと温まる。カブと羊の腸詰めが入っていて、一言で表現しきれない程おいしい。毎日食べてても飽きのこない味だ。
 パンも火で少し炙ったのか暖かく、鼻に抜ける香ばしさと甘み、それからほのかな塩味のバランスが魔界には到底真似できない。昔から魔の国の食事は何故だかとても大味なのだ……

「ありがとう。遠慮なく頂かせてもらう」
「ええどうぞ。食べながらで構いませんので、貴方の事情を少々お伺いします」
「分かった。そういえばまだ名乗っていなかったな。
 私の名はアンヘルという」
「アンヘル……さん」

 青年は噛みしめるように私の名を呼んだ。この名で誰かに呼ばれるのは魔王に就任する前……100年より以前のことだ。私はつい懐かしくなって、カイルを見上げながら目を細めた。

「申し遅れましたが、私はカイル・ジャスティンと申します。
 アンヘルさんのお察しの通り私は神官でしたが……今はただの聖域の管理人です」
「カイル殿は神官を辞めていたのか」
「はい、あまり外聞の良い話ではありませんが……縁あってこの地で職にありつけたのは有り難いことでした」

 人間も魔族も、神官として信仰の徒となればおいそれと辞められるわけではない。何か深い理由がそこにはあるのだろう。
 私はパンを小さく千切って口に含んでよく咀嚼する。ああ……このパン噛めば噛むほど美味しい。

「不躾な質問ですがどうかお聞かせください。アンヘルさんはどちらからいらっしゃったのでしょうか?
 そしてどのようにしてあの『浄化』の力をお使いになられたのか」
「…………」

 私は内心、どう答えたものかと考えあぐねた。
 というかどう答えてもその話をカイル殿がどう捉えるかは別問題だ……
 まさか目の前の小柄な女が『我は魔王だが先日勇者に倒された。起き上がるのが面倒だったのでマッパで寝てた』と言われて、一体何人が信じるだろうか。
 『魔界に捕らえられていたが命からがら抜け出してきた人間』ということにしようか。
 さすがにここまで良くしてくれたカイル殿に嘘をつくのも憚れるが……
 そんな風に考えていると、おもむろに小屋のドアがノックされた。

「……こんな森の奥に、こんなタイミングで尋ね人ですか……」

 カイル殿は腰に挿したナイフの柄を掴みながら、すっとドアの横に寄る。

「……どなたですか?」

 警戒した声でカイル殿が尋ねると、ドアの向こうからは女性の声がした。

『あのぅ、わたくしは近くにある湖の精霊と申しますが……こちらに魔王様のいらっしゃる気配がいたしましたので、お尋ねしましたの』
「……まお……様? ですか?」

 私はあまりの展開に思わず頭を抱えた。カイル殿が困った様子でこちらを見ている。
 超絶空気を読めない湖の精霊は言葉を続けた。

『魔王様に浄化のお礼と、お届け物がございまして……そのぉ、こちらを開けてくださいません?』
「ええっと……? あ? はい……」

 カイル殿は警戒しつつも、気の抜けるような精霊の雰囲気にドアを開けた。
 ドアを細く開けて外を覗き込むカイル殿は、一瞬の後、顔を両手で覆いながら盛大に後ずさり、背中から壁に激突した。
 さもありなん……ドアの前に場違いな程セクシーな美女がいて、しかも水に濡れて微妙に透けてる布羽織っただけの格好なのだ。

「うっわ……ちょっともう、またですか……」
「その反応なんかちょっと傷つきますわね……まあ仕方がありませんわね。
 あ、魔王様! 先ほど振りです~」
「あ、ああ……
 というか頼む、私のことはアンヘルと読んでくれ。ほんと頼むから……」

 ドアから覗く呑気な精霊は私にぶんぶんと手を振っている。
 もうなんだかとてつもなく頭が痛い……


「…………」
「それではアンヘル様、こちらが頼まれていたお洋服ですわ。
 あ、森の妖精が急遽設えたものですから、人里から盗ったりしたものではありませんのよ?」
「……そ、そうか。ありがとう」
「いえいえ~、それからこちら。……よっこいしょっと!」

 精霊は木の机の上にドンと麻袋を載せた。どういうわけだかかなり水浸しだ。

「湖に赴いた人達が置いていかれる湖の底の物の一部なのですが……金色ですし、きっと人には多少の価値があると思いますのよ。
 人里で暮らすと仰っていた魔……コホン! アンヘル様になら、きっと何かの足しになると思ってお持ちしましたわ!」
「これは……」
「金貨……に見えるが……?」
「……まぎれもなく、金貨です……」
「あら、通貨でしたの? では換金せずともそのまま使えますわねっ!」

 精霊は得意げにガッツポーズをしている。
 いや……出処が不明の金とか怖いのだが……
 若干引いてる私の意図を汲んだのか、カイル殿は濡れた金貨を一枚手にして口を開いた。

「これは恐らく、聖域指定される前に湖に投げ入れられた金貨でしょうね。
 あそこは昔から神聖な場所でしたが、3年前まではただの湖として誰でも近寄ることが許されていました。その頃は『願いの叶う聖なる湖』という噂が流れていて、わざわざここまで金貨を投げ入れに来る輩も少なからずいたようです」

 カイル殿の説明に、精霊は困ったように溜息を漏らした。

「お願いも、最初のうちは健康祈願などのささやかなものでしたので、わたくしでも少々お手伝いはできたんですけど……
 途中から来られる方が増えてしまって、わたくしでは手に負えないような過ぎたお願いをしていかれました……誰かに死んで欲しいとか、意中の方を恋人にとか、死者復活だとか……かなり無茶苦茶でしたわ。
 そういう方に限って信じられないほど沢山金貨を湖に入れて帰られましたわ。結果水底の環境が荒れてしまって毒気が溜まり、強過ぎる欲望が邪気になり果ててしまいました……」

 聖域という割にどうにも陰の気配が多いとは思っていたが、人の手で環境が荒んでいたのか。
 金貨などの湖の養分にもならない物を入れられて、精霊も困り果てていたわけだ。

「ですからっ! 魔お……アンヘル様のお力でその陰気を抜き取っていただけたのが本当にとっても有り難くって……!
 わたくし、久々に生き返るような清々しさですのよ! 力も少し戻りましたわ!」
「そうかそうか……良かったな……」

 私は高テンションの精霊をよそに遠い目をしていた。
 精霊が魔王と呼ばなくなったのは本当に今更だった。カイル殿は穏やかな顔に眉根を寄せ、私に驚愕と疑惑の眼差しをガンガンぶつけてくる。
 『魔王』というワードをばっちり聞かれてしまったため、今更誤魔化しや嘘は通用しないだろうし、穏便に済ますためにもこの際すべてを話すしか道はない……はずだ。

「……カイル殿、私の素性を説明しましょう……」
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