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7.魔王様と夜の森

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 私がカイル殿と森での暮らしを始め、最初に行ったことは湖のコインを拾い集める作業だ。
 湖に入って、一枚一枚金貨を根気よく拾い集める作業。何せこの森深い場所にはコイン拾いに役立ちそうな道具が大して無いのだ。
 ちなみに深い場所に落ちたものは湖の精霊が集めてくれている。一日でもかなりの量が集まり、ここ数日の成果として金貨が山と積もっていたが、全体からすれば我々のやっていることなどまだまだ微々たる量だ。まったく埒が明かない。

 ここに来た時に私が吸い取った邪気や毒素は、水の底に金貨がある限り多大に発生し続けるだろう。それではいつまで経っても水質が改善しない。湖が汚れたままでは、それを飲む動物や周囲の土壌にも影響が生じる。巡り巡って人間も森の恵みを口にし、水も飲むだろう。すると徐々に人の心身は乱れ、結果全てが荒んでいく。そしてそのまま放置すれば湖の精霊は消え、汚染が進行し……魔の国のような荒野になる日もそう遠くはないことだろう。
 それでは私がわざわざ足を伸ばして人の国に来た意味がなくなる。負の気は確かに私にとって必要な栄養素の一つであるが、食物を口から摂取さえしていればそんなに多く摂取しなくてもいいものなのだ。
 森や動物は生きている以上微量ながらも毒を生み、陰気を作るものだ。それを僅かずつでも拝借できればそれで十分足りるだろう。これでもっと人の多い場所に行けば、負の感情がたんとあるに違いない。
 村での暮らし……ふふふふ、楽しみだな。
 まずは湖の精霊から貰った金貨で小さくとも家と畑を作る。それから牛やヤギを飼えるだけの収入を手に入れて、それから……

「アンヘルさん、先ほどからずっとニヤついてますが……あとヨダレが出てますが、何か良いことがありましたか?」
「あ、すまない。少し妄想が膨らんだ」
「妄想ですか、それはそれは……
 というかそろそろ陽が落ちます。帰りましょう」

 ここから管理人小屋までは少々距離がある。日が暮れると夜行性の獣が徘徊するからか、カイル殿はいつもまだ陽のあるうちに作業を切り上げて撤収していた。
 しかし彼の実力があれば、獣の群れごときなら軽く躱せるだろうに。一体何を恐れているのだろうか。
 もしや、私が獣に襲われるのを危惧しているとでもいうのか? いや、まさかな……?
 そうこうしているうちにカイル殿はいそいそと帰り支度を整えて私を待っていた。私は慌てて湖から上がり、足を拭いてカイル殿のもとへ急いだ。

 管理小屋には数日に一度の頻度でカイル殿の故郷の村から必要物資が届けられている。丁度今日がその日だったようで、カイルが小屋のドアを開けると木箱が数個置いてあった。その中からはいい匂いがしていて、私は大きく息を吸い込んでニンマリとした。
 木箱の中は必要最低限の調味料、野菜や穀物、そして――焼きたてのパン!
 この香ばしく中の生地がふわっとしたパンが、目下私の大好物だ。ドライフルーツやクルミがバランスよく入っていて、塩味が絶妙で甘みもある。これを作った職人に称賛を送りたいと言ったところ、カイル殿は少し笑った。

「これは、俺の幼馴染のシンシアが作ったパンなんですよ。彼女のお袋さんが村一番の料理上手で、その味をしっかり自分のものにしたみたいですね」
「そうか、料理……私も覚えないとな。
 人として暮らしていく上で、食事は大切だからな」
「まだ時期尚早です。……アンヘルさんにはここから出る前に、最低限人の国のルールを覚えてもらう必要がありますから」
「う……わ、分かった。頑張る」
「はい、頑張りましょう」

 そう言って、食卓越しのカイル殿は私にとろけるような極上の笑顔を見せた。
 時折カイル殿は負の感情ともつかない厳しい一面を垣間見せてくる。しかし今のように私が肯定すると、すぐにほわっとした陽の感情に変わってしまうのだ。人間は……カイル殿はとても謎めいている。
 もっと謎なのは、彼の不可解な感情に翻弄された挙げ句、ぎゅっと胸を掴まれたような感覚に陥り、顔が熱くなる私自身だ。
 更には彼の口から『幼馴染のシンシア』という言葉が出てきた時には、胸を針先でつついたような、初めて体験する痛みも走った。
 肉塊になっても死なないしぶとい体を持っているのに、病気になったとでもいうのだろうか?
 まだまだ金貨は湖の底に沢山あるというのに、余計な心配をさせてカイル殿これ以上負担をかけるにはいかない。とりあえず私はそれらを黙っておくことにした。
 ところで、カイル殿はいつになったらその『人間界のルール』とやらを教えてくれるのか? 未だそういったものを彼から聞いたことがない。
 もしかすると……これがいわゆる『技術はよく見て盗め』というやつだろうか。魔の国の職人にも一部そういった文化があるらしいと宰相に聞いたことがある。
 ……迂闊だった。私は一体今まで彼から与えられる厚意をヌクヌクと享受して、堕落していただけではないか。
 これからはカイル殿の動きをつぶさに観察し、しっかり覚えていこう。

「あ、あの……」
「? どうしたカイル殿」

 スープを飲む時の手の運びを注意深く見つめていると、カイル殿は何故か視線を泳がせていた。

「それはそうとですね……そろそろ俺のことは、カイルと呼んで下さい。殿は要りません」
「いや、しかし……私は貴方にここまで世話になっている以上、そういうわけにもいかないだろう」
「それでもです。さすがに、殿なんて全然ガラじゃないんですよ」
「そ、そうか……ならば、か、か、カイル……」
「はい、アンヘルさん」
「ず、ずるいぞ! カイル、も……私のことは呼び捨てでいい」
「で、ですが……いや、同居しているんですから、それもそうですね。アンヘル……」
「…………っ」

 カイルが私の名を呼ぶと、また胸にぎゅぅっと来た。それに顔面から火が出そうだ。やはり病気かもしれない。
 そんな一抹の不安を抱いていた時だった。

 おもむろに小屋の玄関が乱暴な音を立てて開き、何者かが雪崩込んできた。そのただならぬ様子に瞬時にカイルが反応し、ドアと私の間に立ってナイフを構えている。私も即座に椅子から立ち上がった。
 しかし突然の来訪者は床に転がったまま、呻き声をあげて蹲っている。

「……ダレルおじさん? その傷はどうしたんですか!」

 カイルは武装を解いて入室してきた者に駆け寄る。そこには中年の男が床に力なく伏したまま、肩から血を流していた。

「カイル、知り合いなのか?」
「いつもここに物資を運んでくれる、俺の叔父にあたる人です。おじさん、今手当をします」
「か、カイル……
 魔獣と、そ、遭遇した……このままでは、村に危険が……」

 私は無言で小屋を出ると、薪割りの斧を掴んで暗くなった森へと駆け出した。
 カイルが背後で私の名を呼んでいたが、今はそれどころではない。

「カイルは叔父殿の手当を! 魔獣は私に任せろ!」

 道にはまだ叔父殿が味わった恐怖の気が色濃く残っている。その気配を辿りながら、魔獣がいるであろう場所へと疾走した。


   ◇◇◇◇◇


 深い森の中、木々の枝の上を縫うように駆け抜け、恐怖の残滓を辿る。魔力を込めた鉄の斧は既に黒く染まっている。
 飛び移った木の眼前が開けた。カイルの叔父殿が通っていた街道に出たようだ。
 道の真中には荷台付きの馬車が停まっていた。いや、残骸といったほうが正しいか。
 月明かりに蠢く影がひとつ。むせるような血臭が辺りに立ち込め、恐怖と苦痛の気配が充満している。
 影は大きな体躯の魔獣だった。奴はこちらに背を向け、先ほどまで荷台と叔父殿を運んでいた馬を貪り食っている。大量の馬の血が地面をてらてらと濡らしている。
 私は木から飛び降り、唯一の武器である黒い斧を上空へと投げ飛ばした。
 音を耳ざとく察知した魔獣は食事を止め、私を振り返る。狼のような長い鼻面の獣は筋肉で膨れ上がった体全体で私を威嚇し、唸り声をあげる。
 それを意にも介さず、私は黒い魔力に染まった右手を上へと軽く凪いだ。

「ギャアッ!」

 頭上から凄まじい速度で落下してきた斧に貫かれ、魔獣は甲高く叫んだ。
 心臓を一突きにしたが、さて……

「ガウルルルル……!」

 魔獣は生命力が強い。加えて負の感情を摂取したばかりでとてつもなく頑丈になっていた。
 斧は急所を一直線に狙ったが、恐らく心臓まで刃が達していないのだろう。
 私はなおも威嚇し続けている魔獣の背に素早く飛び上がり、幾重にも魔力を込めた踵を斧にの持ち手に落とした、斧ば更に魔獣に食い込み、轟音を上げながら地面を抉るほどの衝撃で魔獣に致命傷を与えた。

「ギャアアアアアアアアッ」

 断末魔の雄叫びを上げた魔獣はすぐに大量の血を吐き、激しくのたうった後沈黙した。
 腕を回転させると魔獣に刳りこんでいた斧はすっと浮き上がり、上空を回転して今度は魔獣の首に落ちた。
 深く抉れた首元を覗き込み、骨が断たれているのを確認して魔獣の上から離れる。
 その途端、背後の藪が揺れる音が聞こえた。

「アンヘル!!」

 振り返ると、明かり魔法を掲げたカイルが肩で息をして立っていた。
 驚いた。どうやってここまで私を追ってこれたのか、叔父殿は大丈夫だったのか。
 それを口にする前に、突如カイルに腕を引き寄せられて私の視界は真っ黒に塞がれた。
 両肩がギュウッと締め付けられ、カイルの鼓動がとても速いのが分かった。
 ……私はカイルの腕の中に、すっぽりと抱きしめられていた。

「無事なのか? 怪我は……?」
「だ、大丈夫だ……どこも、怪我してない。あ、だが、叔父殿の馬が……っ」

 食べられた。と続けようとすると、カイルの腕の力が更に強くなった。私の黒髪に顔を埋め、大きく息を吸い込んで、長い溜息を吐いた。

「良かった……っ」

 ……いや、良くない。全然良くない。叔父殿の大切な財産である馬が食われたぞ。一大事だ。
 しかもこの心配具合はおかしい! もしかして私が元魔王だって事を忘れてないか?
 とにかく腕の力が強くて苦しい。ついでに胸もまた痛苦しい。一体私はどうなっているんだ。

「お、おい……とりあえず、無事だけど、苦しい……から」
「――あっ! すみません!!」

 突如圧迫されていた胸が開放され、空気を一気に吸い込んだ私は軽く咳き込んだ。

「すみません、大丈夫ですか?」
「ああ……何ともない。
 それよりも叔父殿の怪我は大丈夫なのか?」
「はい、回復魔法で傷は消しましたが、少し失血したので小屋に寝かせてきました」
「そうか、命に別状は無さそうでよかった。
 だが、私が駆けつけたときには叔父殿の馬が魔獣に食われていた。間に合わなくて申し訳ない」
「アンヘルに怪我が無いなら、それでいいんです。
 とにかく、ダレルおじさんが意識を取り戻しているかもしれない、ひとまずここは置いておいて、小屋に戻りましょう」
「……分かった」

 この血の臭いだ、魔獣以外の獣も集まるかも知れない。街道はかなりの惨状だが、さすがに夜の間はここを離れたほうが良いだろう。
 私達は森の中へと、再び足を踏み入れた。


   ◇◇◇◇◇


 我々が小屋に辿り着くと、カイルの叔父殿は既に意識を取り戻していた。だが失血のため顔色がひどく悪く、ベッドの上から頭も起こせない状態になっていた。
 しかし帰還した我々を見た叔父上の目は驚きに見開かれ、涙を浮かべながら恐る恐る震える手をカイルに差し出した。カイルはその手を握り返した。

「か、カイル……無事なのか……? さっきの娘さんも……?」
「はい。俺達は無傷です。魔獣は殺しました」
「……そうか、お前ならやってくれると思っていた……すまない。怪我がなくて、本当によかった……」
「おじさんがこの小屋まで、頑張って辿り着いてくれたからこそです。よく逃げられましたね」
「前に、お前から貰った聖水瓶を、お守りがわりに、常に持ち歩いていた……魔獣に投げつけた……痛がって気を取られている、その隙に、森に……」
「あの聖水が役に立ったんですね。本当に良かった……
 今はとにかく血が足りないので、少し何か食べましょう」

 残っていた晩餐のスープを飲ませると、カイル殿は倉庫の奥から常備してあった鎮痛薬を持ち出し、叔父殿に与えた。
 やがて叔父殿は眠った。まだ顔色は悪いが、とにかく今は休ませるより他ない。

「おじさんの傷は塞がっているので、ひとまず安静にしておきましょう。動かせそうなら、明日事情の説明を兼ねて、村の医者に連れて行きますので」
「それがいいだろう」
「とにかく、我々も休みましょう」
「そうだな……」

 久々に魔力を使ったし、もうすっかり深夜になってしまった。急激に眠たくなって、ぼんやりとする目をこすりながら、私は自分の寝室に向かった。寝間着に借りたカイルのシャツに着替えようと上の服を脱いだ所で、背後のドアが開いた。

「ん……? どうしたカイル……」
「ここにしかベッドが無いので、アンヘルと一緒に寝ようかと」
「ああ……そうか。それもそうだった……そうするかー……」

 私はぼんやりしながらぶかぶかのシャツに体を通し、大欠伸しながらぼふっとベッドに横たわった。
 やがて寝支度を終えたらしいカイルが私の横に寝そべり、おもむろに私の頭から枕を抜き取り、奪っていった。
 半分眠りに落ちかけていた私がぼんやり振り返ると、カイルは自分の頭に枕をあてがっていて、私の両肩をぐいっと引き寄せた。

「ふぇ……」

 私の首の下にカイルの腕が滑り込んできて、もう片方の手は私の背に回された。私のちっぽけな体は、完全に大柄な体にくるみ込まれた状態だ。
 見上げるとカイルはひどく穏やかな笑みを浮かべ、私を眺めている。
 私の背中を撫でる手がひどく温かくて、すごく心地がいい……

「おやすみなさい」
「……すみ……」

 安心感と温かさに、瞼を開けていられないほどの眠気がどっと押し寄せて、私の意識はそっと途切れた。
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みんなの感想(2件)

なち
2018.11.24 なち

世界観とカイル×アンヘルが好きです…!!
初めは勇者×魔王の恋愛ものなのかな?って思ったんですが、神官×魔王とは…尊い
これからの展開が気になって気になって昼しか眠れません!!更新楽しみに待ってます!!!

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fumya
2018.07.16 fumya

面白いです~。なんというか、この空気感が好きです。
魔王様可愛いし、宰相も可愛いww
勇者もリリアちゃんも可愛いですし。皆ええ子やっ><

更新、楽しみにしていますm(_"_)m

九軒
2018.07.17 九軒

感想ありがとうございますー(´▽`)
皆呑気でホンワカしてる話なのでちょっと色々心配でしたが、楽しんでいただけて嬉しいです!

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