貴族令嬢は図書室にいる

九軒

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2.幸せすぎる夢

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 夜の闇の庭に座っていた。目の前には何冊かの本が落ちている。大人から盗んだロウソクがとうとう無くなって消えたから、あたり一面真っ暗だ。

 ……ああこれは、孤児院の頃の夢。
 この頃は字が読めるようになって嬉しくて楽しくて、毎晩寝不足になりながら何冊も読書していた。時間を忘れて没頭して、次の日の畑仕事が眠かった記憶。

「おっ前、まだ起きてたのか? こんな暗い所で何してるんだよ」

 背後から子供の声がかかった。暗いけど誰かはすぐ分かる。同い年のエドだ。
 エドは草むらに座る私の隣にどかりと腰掛けて、自らの服の中をゴソゴソとまさぐっている。そこから大量のパンと干し肉ポンポンと出してきた。
 その食料はどうやって入手してきたのか、そして一体どうやって子供サイズの服の中にあんな量の食料を仕込んできたのかは分からないけど、エドにとってこういう事はお手のものなので、服の下に食べ物を隠しても年長になってからは大人たちに気づかれたことはない。
 エドは更に服の背中からクッキーを2枚ひょいと取り出した。

「ほれ、一個やるよ!」
「いいよ、年少達にあげて」
「おいおい、これ俺とお前の分しかねーんだ。年少にこんなぽっちあげたら取っ組み合いの喧嘩になるだろ。
 早くしねーと口にねじ込むぞ」
「ええー? ……わかったよ」

 私は渋々といった風でエドからクッキーを受け取った。
 彼は私が甘いものが好きなのを知っていて、ほんの時折私にお菓子を持ってきてくれた。どういうルートで手に入れた食べ物かは一切分からないけど、お腹に入れば何でも美味しい。

「ありがとう。水飲む?」
「飲む」

 サクッとクッキーをかじりながら、エドは近くに落ちてる本をペラペラと捲っていた。
 私はこっそり貯めてた秘蔵の雨水を持ってきたコップに移して、エドに渡す。ちょっと砂っぽいけど、沢の生水よりはお腹を壊しづらい。

「なあ、本読むのって楽しいのか?」
「どれも楽しいよ。楽しくないなら読まないよ」
「そっか。てかお前、夜の図書室って鍵閉まってるだろ」
「あんなの、細いハリガネとかでガチャガチャやれば開くよ。化石みたいに古い鍵だもの」

 私はエドがくれたクッキーの端っこを大切にチョコチョコかじりながら答えた。いつかひと口でザクッと食べてみたいものだ。
 横目でエドを見ると、やはり夜中こっそり帰ってくるような日は服が滅茶苦茶に汚れてて、なんだか変な臭いがして、髪も泥かなにかでゴワゴワになってる。
 一体どこで何をしてるんだか……何度聞いても頑固なエドは絶対口を割らない。でもエドはここの孤児のために、その『何か』を必死で頑張ってくれている。というのは分かる。

「……クッキー、すごくおいしい」
「だろ?
 ……つうかお前早く寝ろよ? 畑耕しながら居眠りとか器用だけどだいぶ頭がおかしい。年少に字の読書き教える前にくたばりたいのか?」
「そんなことな……ちょっと!」
「顔洗って寝るわ。本戻す時見つかるんじゃねーぞ」

 エドはごつごつした手で私の黒いボサ髪をグシャグシャとかき回して、立ち上がって院とは反対方向に歩きだした。沢に服と体を洗いに行くんだろう。
 私は残ったクッキーをリスのようにチビチビ食べて、草むらに散らばったものをかき集めようとしたところで、何かが本の上でコロコロと動いた。落としそうになったのを慌てて受け止めると、月明かりに浮かび上がるそれは新品のロウソクだった。


   ◇◇◇◇◇


 懐かしくて優しい夢だった。目を開けたらこめかみに涙が流れて枕に落ちた。
 ゆっくり起き上がると、ここが孤児院じゃないことを思い出す。
 大きく伸びをして、ふかふかのベッドから降りてカーテンを開けると、柔らかい朝の光が部屋に差した。窓を開けるとピンと頬を差す涼しい空気が気持ちよくて深呼吸する。
 背後のドアが開く音がした。メアリーさんだ。

「ネリ様おはようございます。毎朝早く起きられますね」
「おはようございますメアリーさん。昔から早起きしてたのでつい」

 メアリーさんは朝からまばゆい女神のような笑顔でお湯をはった桶をカートで運んだ。

「とても良いことだと思いますよ。旦那様なんて昼近くまで起きないことも珍しくないんです」
「兄様は遅くまでお仕事されてますものね」
「ふふ、朝が遅いだけかも知れませんよ?」

 ニコル様とは毎日午後のお茶と夕食を一緒にとる決まりだ。朝は何故一緒ではないのかと不思議に思っていたけど、そもそもニコル様が起きていないということが後々判明したのだ。
 彼を畏怖と侮辱を込めて『梟』などと呼ぶ者もいるぐらい、彼の夜型生活は有名のようだった。
 朝から私とメアリーさんはかしましく二人で笑いあい、登校の支度を初めた。

 デリエリ家の養女になってからというもの、私は何に不自由すること無く貴族令嬢としての教育を享受させてもらっている。
 侯爵家に引き取られてからの2年はあっという間に過ぎ、家庭教師の教育を受けた後、私はニコル様の言っていたとおり学園に通い始めた。
 そこには2人の攻略対象者がいた。魔法使いとして比類なき強さを持ち、王都の魔術研究所にも強い発言権を持つルチル・マリオン教授。
 そしてもう一人は、裏で暗殺稼業を営んでいる騎士見習いの同級生のエドワルド・オズバーン。
 私が会ったことがあるのはこの二人のみだけど、攻略対象者はニコル様も合わせて全員4人。兄のように、学園外にも攻略対象者はいる。私とは今の所何の接点もないが、主人公はそのうち出会うだろう。
 もうすぐゲームの主人公ノエルが隣国の留学生として登場する。そして……それから半年の後、私は攻略対象者のうちの誰かの手にかかり、この世から退場することになる。
 兄様との関係は今の所いたって普通。恐らく嫌われてはいない……と思う。
 いつも睨むような目をしているけれど、特に怒っているわけではなくて無愛想なだけなのだとはメアリさんの談。ゲーム内では主人公に笑顔を見せる立ち絵やスチルが多くて、まさかこんなに愛想のない人だとは思いもよらなかった。これが良くも悪くも素のニコル様なのだろう。
 読書の感想から始まり、最近では謎のルートから入手した歴史的文献の解釈や討論を交わすまでになった。彼は私が学のない孤児だから、男に嫁ぐだけの女だからと見くびったり手加減したりしない。
 貴族令嬢である以上ゆくゆくは政略結婚の具にでもされるのだろうとは思うけど、今のところそんな様子は無い。
 メアリーさんは相変わらず優しく接してくれる。金髪碧眼の容姿も相まって、私は彼女を天使思って密かに崇めている。それを何かの折にニコル様に話したら、彼は天井を仰ぎ見て、なぜだかすごくげんなりしていた。
 兄様やメアリーさん、他の侍従達も温かく接してくれる。私が一方的に家族のような絆を感じている。もうすぐ幕引きなのだとしても、私は今とても幸せだ。


   ◇◇◇◇◇


 学園にいても、相変わらず図書室が一番のお気に入りの場所だ。授業以外の時間は大抵ここにいる。貴族が通う学園なだけあって、お城のように優雅で精緻な造りになっている。廊下にも絨毯が敷かれ、図書室は読書スペースに大きな窓がいくつもあって緑の庭園が一望できる。
 窓の外にもテラスがあり、テーブルと椅子が置かれていて、この時期は外の読書も清々しい。
 他の誰も寄り付かないようなテラス席の一番奥で、私はいつも誰に邪魔されることもなく読書に励んでいた。しかしそれを遮るように、背後から私に低い声がかけられた。

「アン、やっぱりここか」
「エド? 学園に出てくるのは久しぶりね。
 孤児院には顔を出してるの?」
「ああ、もうお前が知っている頃の年少はほとんど出たけどな」

 そこには攻略対象者こと、幼馴染のエドワルドがいた。
 驚いたことに、彼は孤児院にいたあの『エド』その人である。まさかこんな場所で再開するとは思ってもみなかった。
 そして恐ろしいほどの変身を遂げていた。

 院にいたエドは背は私より若干高いくらいで、体つきなんて骨と皮しかなかったけど、とにかくめっぽう喧嘩が強くて、柄の悪い外の子数人に単独で襲われてもただの一度も負けなかった。私と同じようにパンを年少達に分け与えたり外でこっそり食料を調達してたのに、人一倍畑仕事と家事をこなし機転も利く。だから殊更大人たちからの反感を買って、ちょっとしたことですぐに懲罰房に叩き込まれていた。
 あんなにヒョロヒョロだったなりはすっかり潜め、背丈もぐんと伸びて私より頭一つ分高い。艷やかな薄い榛の短髪と目の色をした彼は、今や私と同じ劣悪な孤児院の出だとは思えないほど精悍な紳士へと大変貌していた。まさしくゲーム画面で見たエドワルド・オズバーンその人だ。

 私より少し遅れて、彼も貴族の養子になったという。しかもニコル様からの斡旋があったのだと再会したエドワルドは語った。
 私が侯爵家に養子に出されてからしばらくして、孤児院に再び兄が現われたそうだ。
 彼は最初に来訪した時とは打って変わってひどく上機嫌で、子どもたちに貴族から募った古着と、沢山の保存食をお土産に持ってきたという。援助金ではなく現品支給なのが上手いやり口だ。

「私はこの孤児院で、中々得難い子を養子に迎えることができた。可愛い我が妹が育った大切な場所なのだから、当家は喜んでこの孤児院を援助しよう」

 と、シスター達に告げた。彼女ら大人は皆大喜びで大賛成だったそうだ。目に見えるよう……
 エドワルドを初めとした子どもたちは、とてつもない量の服や食料にこそ感謝したけれど、それ以上の期待は一切しなかった。
 しかし全く大人たちの思惑通りにはいかなかった。彼が次に孤児院を訪ねた際には、『寄付を募るための視察』と称して国のお偉方を大勢引き連れて現われたのだ。いつもすました顔のシスターもさすがに真っ青になっていたそうだ。うーん、これは見たかったな……
 結果的に孤児院運営に関わっていた大人達、修道院にいた訳あり貴族令嬢達、孤児たちを長きにわたり虐げてきた者達の首がほぼすげ替えられる大騒ぎになったそうだ。今は国から派遣された人物が運営を引き継ぎ、多大に集まった寄付で院の建物の大改装も行われた。子どもたちは飢えることも寒さに震えることも無く、教師も付いてきちんとした識字教育が施されるまでになった。衛生状態が改善されたお蔭で当時いた年長の子ども達はすぐに引き取り手が見つかり、語学と計算をしっかりと修めていることで、奉公先にも困らないという。

 エドワルドは私に『稼業』のことをひた隠しにしている。私には荒事に関わっているその片鱗すら見せない徹底ぶりだ。
 でも私はゲームを通してその事を知っている。孤児院から出てその後どういう経緯でかはわからないけど……院の子どもたちにとびきり優しかったあのエドが、今や売れっ子の暗殺者として働いてるなんて正直違和感しかない。
 この辺のいきさつは前世の作中でも語られなかった。何せゲームが始まる前から彼は暗殺者だったのだから。
 私は最初「ゲームならではの突拍子もないとんでも設定ですね、わかります」と思ってあまり深く考えなかったけれど、もしかしたら彼は孤児院にいた頃から、その道には足を踏み入れていたのかもしれない。夜に院を抜け出した日のエドはいつもぐしゃぐしゃに汚れた風体で、大量の食料を服の中に隠し持って帰ってきたし、年少の子が風邪を引いて危なかった時も、その夜貴重な薬を手に入れて帰ってきた。その後彼はすぐに懲罰房に入ったから、私はてっきり院の大人の誰かから盗んできたとばかり思っていたけど……懲罰房は院を抜け出しただけでも当たり前のように入れられたから、実際のところは分からない。
 ガリガリの非力な子供に、人を殺せたかどうかなんて分からない。けれど、優しいエドが私達を生かすために必死に頑張ってくれていたことだけは確かだ。
 だから、私はたとえエドが何をしていたとしても、それを暴いてどうこうするつもりは一切無い。
 私も飢えを凌ぐために作物を長年ちょろまかしたし、院の大人達からこっそり食べ物を盗んだことだってある。何せ彼らは肥えるほど食料が有り余っていたんだから。理不尽な大人たちに殺意を抱いた事も、正直一度や二度では済まない。奴らを殺す力があればと思う日だってあった。
 エドが人道から足を踏み外していたとしても、私に何かを言う権利はないのだ。
 ゲームのルート分岐によっては、彼が自ずから私を殺しに来るのだから、気になることはその間際にでも色々と聞いてみるとしよう。
 今はただの同級生として、過酷な子供時代を共に過ごした幼馴染として、邪魔しない程度に会話をして、孤児院の頃のようにただ近くにいるだけ。

 エドワルドは読書する私の隣りに座ってずいと肩を寄せ、本を覗き込んできたり、長い指で私の前髪をすくって遊んでいる。正直邪魔。
 こうやって私の読書中に茶々を入れてくるのは、子供の頃からのエドの悪い癖だ。あの頃より図体が大きくなったのを計算に入れてほしいと心から思う。

「……相変わらず、お前小難しい本ばっか読んでるな」
「この間の討論会で、兄様に完膚なきまでに叩きのめされたのよ。
 次は負けないわ」
「議題は?」
「『魔術の生産業への活用』よ。物がもっと効率的に大量生産出来るもの」
「ふうん」
「うちは兄の代から織布生産を行ってるの。人力でやってるけど折角魔法力っていうエネルギーがあるんだから、そこから機械で機織すればいいのよね」
「きしょ……く?」
「人に頼らず魔法力を使って自動で機織り機を動かす仕組み。時計あるでしょう? あれはほんの時々魔法力を流し込むだけで効率よく正確に動くでしょ? それを機織りに転用するの」
「ふーん、そう……」

 エドワルドは私の前髪をいじりながら、かなり気のない返事を返してくる。
 こうやって私の周りをウロチョロするのも、ノエルが学園にやって来るまでのことだろう。
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