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きみ、採用

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 アノランジュは大きな街で、南北よりも東西のほうが少し距離の長い楕円形の領土を持った街である。
 街から見て北側にモルフェの大樹があり、やはりモルフェの大樹に一番近い人間の街をうたう以上は大樹に対して縦長ではなく横長の街にならざるを得なかったのだろう。
 サクラがこの街に来てからずっと滞在していたのは街の南東付近。つまり旅人たちがアノランジュの街へついて一番最初にくぐる関所のような門からすぐのあたりだ。
 そこなら薬草をとるため街から出るのも容易いし、日が暮れるギリギリまで外に居ても宿まで近い。
 人の出入りが一番多い場所でもあるため異世界人としては紛れ込みやすくもあり、換金のための案内所も近くて便利だった。
 毎日薬草を摘んで換金し、宿屋の近くでパンやスープを買って、知識を増やすために人々に紛れて話し声に耳を澄ます。
 そうするとあまり遠くまで足を運んでいる余裕はなくて、街の中央より向こう側にはまだ一度も行ったことが無かった。
 案内所で詳細を聞いて、本日やってきた本屋は街のほぼ北端にある。
 どのくらいの距離感かもよくわかっていなくて、早めに宿を出て歩いてきたけれどなかなか骨の折れる距離だった。もしも採用されて通うとなれば宿を移すことも考えなくてはならないだろう。
 街の端から端まで移動したも同然で、これだけ距離が変わればなんだか見上げるモルフェの大樹も南東に居た頃より大きく感じる。

「ここ、かな……? ずいぶん古い」
 案内所で貰った住所と地図、それを頼りにたどり着いた北端の本屋はレンガ造りの古い建物で、レンガの隙間からは苔や蔦植物が顔を覗かせていた。
 とても古めかしいけれど小汚いわけではなく、店の入り口に置いてある鉢植えもちゃんと水が与えられているし、扉にかかるOPENの看板も曲がらずきっちりと下がっている。
 街の北側は教会や自警団などの少し畏まった施設が多いためか南側よりも全体的にひっそりとしており、もしかするとこの本屋も由緒正しき本屋なのかもしれない。
 カラン、コロン。
 軋む木製の扉を押して開けば、扉の上部に括られた鐘が軽やかに来客を告げて鳴る。
 外の明かりが強かったせいで余計にだろうけれど中は少し薄暗く感じ、なお且つ建物の規模に見合わないほど両端の壁にびっしりと並んだ本の量にサクラは目を丸くする。
 棚に並びきらなかったのかそれとも分類されているのか店の中央に置かれた長いテーブルにも本が何冊も積まれ、店の奥の様子が窺えない。

「ごめんください」

 店の入り口から声をあげてみるけれど、不在なのか奥に居るのか返事らしきものは聞こえない。
「店番を探してるくらいだから店主以外に居ないのかもな……待たせてもらうかぁ」
 サクラは膨大な量の本を見渡して、背表紙に書かれているタイトルをいくつか読み上げる。
「魔素粒子学と睡眠定理……残留魔力と一般生物の関連……騎士団共通試験対策……読めはするけど全然理解が出来ない」
 この世界の文字や言語はサクラが生まれ育った元の世界には存在していなかったものだけれど、それはこの世界に転移してきた段階でどういうわけか辻褄が合わさったらしく、目覚めた当初から読むことも聞くことも話すことも出来た。
 そんな辻褄合わせが可能なら、もうちょっと転移のときにこの世界の知識を吹き込んでくれるとか身分や持ち物をある程度与えておいてくれるとか、どうにかならなかったのかとも思う。
 そもそも“転移”というのも若干サクラとしては気に食わない部分なのだ。
 元の世界で命を終えてこの世界でセカンドライフをスタートするのなら“転生”させてくれてもよかったのに。この異世界で異世界の人間として一から生を受けて育ち、そして何らかの切っ掛けで別世界の記憶を思い出す……そういう転生ならこっちの世界でも家があり家族がいて、身分も地位も貯蓄も職もあったはずだ。
 そして何より、転移ではなく転生ならばきっと今ごろ不眠症ではなかったはずなのだ!
 それなのにサクラは“転生”ではなく“転移”だった。つまり元の世界で生まれて育った馴染み深い体と記憶そのままに、死んだ瞬間この世界にただ移動してきただけなのだ。
 ブラックな会社で超過労働を強いられてボロボロの眠れぬ体のまま、体力もないし肉付きも悪いし顔色も悪いまま、親切にチュートリアルを説明してくれる神様や町民が出てくることもなく放り出されたわけである。
 なんなら人でなくても良かった。フワフワで可愛らしいこの世界のポメラニアンにでも転生させてくれたらきっと飼い主に可愛がられてまんざらでもない人生……犬生だっただろう。
 贅沢なことを言えばすごく美形に生まれるだとか、何らかの才能に恵まれて育つだとか、とにかく転移ではなく転生なら可能性は無限大だったはずなのだ。
 けれど転移なら何の可能性もない。顔も才能も一択だし、貯蓄や身分を失った分マイナススタートですらある。
 セカンドライフ! 新しい人生! なんてポジティブに言ってみてはいるけれど、どちらかというと新しい人生というよりは続きの人生でしかない。

「初等部地理学……教科書かな? 子供向けのものからなら僕でもちょうどいいかも。あとは……」
 サクラはそっと一冊の本に指をかけて引っ張り出し、中の目次を確認する。それも中身は魔法に関する本でわからない単語や計算式が沢山書かれているけれど、おそらく魔法を使った通信や映像の投影に関する本だった。
 理解は出来ないけれど、元の世界で死ぬまで関わり続けた業種に近い内容ゆえに多少興味がある。
「プログラミングみたいな要素はないのかなこの世界……あ、この魔法の属性による組み合わせと電力の相性あたりはそれっぽい? プログラミング言語も大体呪文みたいなもんだもんな……」
 ブツブツと本を見ながら己の世界に没頭していたサクラは、店の奥でカタンとちいさな物音がしたことに気が付いていなかった。
「光魔法と闇魔法は電力と比較的相性がいい……? 単純に雷魔法とかのほうがいいのかと思ったけど違うのか。でも組み合わせると意外と効果が変わったりして、自分で試せないのが勿体ないなぁ……僕みたいに才能が無くても使える簡易で小型な魔法道具がもうちょっと発達してくれたら……」

「……あの」

「わぁ!?」

 思いのほかすぐ近くで声がして驚いたサクラが本から顔を上げれば、本のすぐ向こうから腰をかがめてのぞき込むようにしている青年の顔があった。
「わ、わー!!」
「おおっと……ごめんなさい、俺はこの本屋の店主です」
「いや、こちらこそ大声を出して……いやそのまえに勝手に本を手に取って」
 声がしたことにもすぐ目の前に人がいたことにも驚いたけれど、さらにもう一つサクラを驚かせたのはこの人物の容姿である。
 簡単に言えば大変な美青年がそこにいたのだ。
 勝手な思い込みではあったのだけれど、こんなに歴史のありそうな古い本屋の店主と言えば白い髭と眼鏡の似合う老紳士じゃないかと思っていた。
 しかし目の前にいる青年はおそらくサクラよりも若い。高校生……大学生か、そのくらいの十代後半から二十代前半という年頃に見える。
 艶やかな濡れ羽色の髪は襟足だけ少し長くて紐で簡単に括られており、すっきりとした目元にトパーズ色の瞳。その配色のせいか白い肌は余計に真っ白く見えて、古びた本屋よりも王城に佇んでいた方が絵になりそうな美青年である。
「本は大丈夫ですよ、本屋ですから。何かお探しなら手伝いますか?」
「はっ、いえ、違うんです。案内所で求人を見て来た者なんですが……」
「え? あ、なるほど! よかった、だれも訪ねてきてくれないのでもう俺も忘れてました」
「だれも? こんなにいい条件の求人なのに?」
「いい条件ですか?」
「え、はい、とても……」
 サクラが不思議そうな顔をして頷くと、店主の青年は片眉を上げてからニコリと綺麗な顔でほほ笑んでポンと手をたたく。
「採用! どうぞよろしくお願いします。お名前は?」
「採用? え、もう? 採用でいいんですか?」
「はい。俺は店主のクレドといいます」
 案内所で何を持参したらいいのか聞いた時に、特に必要なものはないけれど雇い手側から色々な質問はされるだろうから答えられるようにと言われていた。なるほど、履歴書は必要ないけれど面接の対策は必要なんだな……と思って昨晩は色々と用意をしたのに、出番が一切ないまま採用されてしまった。
「サ、サクラです」
「あまり聞かない響きですね、サクラさん」
「遠い国の……植物の名前です」
 採用されたあとでやっと一つ面接用の答えに出番が与えられた。
 遠い国の生まれです、身寄りはいません、ここまで旅をしてきましたがしばらくはこの街で過ごします、旅の事故で過去の記憶が曖昧です、魔法は不得手ですが努力は惜しみません……
「へぇ、いいですね! では明日から早速来てほしいんですけど大丈夫そうですか?」
「あ…………はい!」
 続けてどんな質問が飛んできても大丈夫、と思っていたけれど結局それ以上クレドから質問が飛んでくることは無く、やっぱりサクラが用意しておいた質疑応答は用なしのようだ。
「店は十一時から開けてます、でも開店から俺が居ないなんてことはないのでそれを過ぎて来てくれても平気です。十八時には店じまいで、店番中は本も好きに読んでください。あ、奥の居住スペースも入って平気なので飲食やトイレなんかも好きにしてくださいね」
「クレドさんは、どこかへ出かけるんですか?」
「そういうわけでもないんですけど、ほら、俺一人だと結局近場に短時間出かけるのでも店を閉めるか、開店前や閉店後しか時間がないじゃないですか。それで人を探したんですよね」
「ああ、そうか……あ、じゃあもしかして僕あんまり必要なかったりしますか?」
「サクラさんがどれくらい稼ぎが欲しくてどれくらい休みたいかに合わせますけど、ここの稼ぎだけで済ませたいなら俺が店に居るときも店番を担当してくれれば俺は自分の時間作りますよ」
「助かります! 稼ぎというより、えっと……本が読みたいので、あまり来なくていいって言われたらどうしようかなと」
「なるほど、それは俺としても助かります。やぁ、よかったな来てくれたのがサクラさんで」
「へ、へへ……」
 モデルかアイドルのようなキラキラした美青年に笑顔で褒められるなんて経験は初めてで、恥ずかしいような嬉しいようなよくわからないむず痒い気持ちについ変な笑い声が漏れてしまう。
 お世辞だとしてもまったくかまわない、大変いい気分である。
 あまり店に来なくていいと言われるようならここの仕事がない時は今までと同じく薬草でも摘んで足しにしようかと思ったけれど、ここだけで済むのならそれに越したことは無い。
 それならなるべく早いうちに今いる宿から出てこちら側の宿を探したほうがいいだろう、今の状態では少し通勤時間がかかり過ぎる。

 元の世界ではあんなにブラックな労働に追われていたのに……この世界ではこんなにいい仕事につけるだなんて。
 始業時間もゆるくて、休日や給与の希望も事前に聞いてくれて、福利厚生も手厚い。
 まだ働いていないためどの程度かはわからないけれどどうやら忙しい店ではないそうだし、店主は話した様子から悪い人とは思えないし、同性のサクラからみても目の保養になる容姿というおまけつき。
 そして本が読める!
 古くて小さい店だけれど相当量の本があるし、先ほどざっと見ただけでも幼児向けから難しい本まで多種多様に揃っていた。
 サクラがこの世界の知識を深めるのにこれほどいい環境はやはり他にないだろう。クレドの言った「来てくれたのがサクラさんでよかった」という言葉が本心かお世辞かはわからないけれど、サクラのほうは心の底からここで雇ってもらえてよかったと思っている。

「しっかり店番します、よろしくお願いします!」
「よろしく、サクラさん」

 クレドのまぶしい顔面にサクラは目の前がチカチカと点滅するようだった。
 赤面するだとか直視できないだとかそういうわけではないけれど、なんだろうか、もしかすると自分は面食いというやつだったのかもしれない……
 なにはともあれこれにてあっけなくサクラの就職活動は終了だ。
 さようなら無職、明日からはサクラもこの世界で定職を持った立派な社会人である。

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