遥かなる遺言

和之

文字の大きさ
21 / 54

(21)

しおりを挟む
                                   

(21)
 夕べは木屋町の居酒屋で随分呑んだ。それで飽き足らず鴨川を越えて祇園になだれ込んだ。ドアを開けた店のオーナーは青ざめた青年を直ぐに理解した。オーナーはまだ井津治を覚えていた。
「ひょっとしたらもうオーナーは替わってるかも知れないと思って来ました」
  開けるなり井津治はそう言って広くはない店のカンターに座った。母が亡くなって十年以上になるが以後も長沼のおじさんはこの店を贔屓にしていた。マスターは今日の通夜には最初に焼香を挙げて直ぐに帰って店を開けていた。
「じゃ入れ違いでしたね」
  そう言って水割りを置いた。五人座れるカンターには彼一人で三つあるテーブル席も一つ空いていた。テーブル席では店の女の子と客が愉しく話していた。
「大きくなられましたね、あの頃はまだ小学生だったのに」
「そうでしたね途方に暮れていた母は保育所まで用意してくれたこの店に感謝してましたよ」
「お母さんのお陰で店は客入りが良くなりましたからこっちも大助かりでしたけどね」
「母は水商売は初めての素人だったのにですか」
「こう云う所へ足を運ばれる人の気心は自分を発散さすためなんですからそれを女の子たちは上手く掴んであげられるかですね。でも女の子の話術のパターンはそう多く無いんですよ客も若い子にそこまで求めるのは諦めて解ってもらえないまま呑みに来る客がたい半ですからね。内はそれで一時の気晴らしが出来る範囲の料金でやってますからでもその料金以上の安らぎ満足感があれば頻繁に足を運んでくれますよあなたのお母さんの千代子さんはそんな人だったんですよ長沼さんでなくても傍らに置いておきたいと思うでしょうね」
「長沼さんに魅入られて母が抜けて大変じゃなかったのですか」
「少しはね、でも長沼さんが会社の接待に使ってくれましたから持ち直しましたよ」
「たまに行ってるのかと思ってましたけどそれじゃしょっちゅうなんですね」
  店主は井津治の酒量は知らないが、酒の速いペースに驚いていた。途中で用足しに行って青い顔で帰ってからは自制を促した。 
「おじさんが亡くなられたのは分かりますが明日の告別式にも出るンでしたらそろそろお帰りになった方がいいんじゃないですか」
「明日は出るかどうか分からない」
「どうしてまた」
 彼の意外性に店主は驚いた。
「礼子さんに上手くあしらわれた」
「一番下のお嬢さんですか、長沼さんも此処でぼやいてましたよ、三人の中で一番手の掛かる孫だと言って」
「ここでも言ってるんですか」
「あの娘(こ)を早く片付けないと言ってましたよ」
  長沼のおじさんはやはり礼子の縁談を一番に気にしているようだった。でも井津治の名はここでは挙げていない。あんなにおじさんは俺に彼女の事を挙げているのにそれが不思議だった。井津治はマスターの忠告を受け入れた。帰り着くとそのまま朝を迎えた。
  魂(こころ)なんて一体何なのだろう。死んでしまえばそんなもの誰も知れはしない。ただ己以外は本当に誰も解りはしない。それが寂しいのなら生きる資格がない、だから俺は生きる。
  誰が云った言葉だっけと考えても仕方がない。別の生き方を探すかと見飽きた天井から不意に飛び起きた頃には昼過ぎだった。告別式は間に合わないとそのまま寝込んだ。それでも夕方に彼が出掛けたのは顧問弁護士からの催促だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...