銀の森

星月 猫

文字の大きさ
上 下
1 / 1

銀の森

しおりを挟む
遠い遠い、とあるセカイで人は、様々な獣たちから進化したという。
その証拠は時々現れる。

獣の要素を持って生まれる者──獣返りとして。

一括りに獣返りと言っても程度はまちまちだ。
耳や、尻尾などの一部だけが獣な者。
顔や手足まで獣な者。
獣そのものの姿に変化へんげできる者もいる。
ただ、魔力の強い者が多いのは共通点であった。

人々は彼らを蔑んだりはしなかった。
少なくとも、平和であれば。

そして人々は山や森、海などの自然と共に暮らしていた。
その多くには王や主がいて、その場を守っている。
王や主と言っても、それの多くは獣……人々の言う、代々その地を守る土地守とちもりである。
──それはこの森でも変わらなかった。
村人たちはこの森を、『銀の森』と呼ぶ。
銀の狼が守りし森、と。

その村は、銀の森のすぐ側にある。
名も無き小さな村だが、畑や農地は村人に一年を過ごすのに充分な糧と、少しの備蓄をもたらす、良くも悪くも普通の村であった。

そんな村にあるとき、若い流れの薬師くすしがやって来た。
17歳ほどだろう彼女は、銀の森の薬草に興味があるらしい。
彼女は森に家を建てて住み着き、時々村に降りて来てはその知識と魔力を使って村人を癒やし、代わりに森では手に入らないものを貰っていった。

***

そんな関係が三年ほど過ぎた頃、彼女はふらりと姿を消した。
再び姿を現したのは、一年と少しが過ぎた頃。
彼女は自分と同じ、金髪の赤ん坊を抱えていた。

そして同じ頃──村に疫病と飢饉がやって来た。

村人は言う。
──あの薬師は魔女だったのだ!
──魔女が疫病と不作を運んできたのだ!!
と。

食べ物は少なくなり、病に伏せる者も少なくなかった。
そんなときに生まれたその赤ん坊は、銀髪に蒼い瞳が美しい──狼の獣返りだった。
大人たちは考えた。
「獣返りは成長も早く、力も強い。彼は大きくなれば良い働き手になる」
「だが、沢山食べるではないか。今、そんな余裕は無いぞ」
「幸いにも彼は狼の獣返りだ。いにしえよりの言い伝えに乗っ取り、銀の森へ返すのはいかがか」
「おお、その手があったか!」

こうして哀れな獣返りの男の子は、名前すら貰えないまま銀の森の奥深くに置き去られてしまった。
ただ一つ幸福だったのは、彼を見つけたのがただの獣でなかった事だろう。

その獣は、銀の毛並みをもった狼──この森の主であったのだ。

狼は赤ん坊を人間……魔女と呼ばれた薬師、ラヴィムのもとへと連れて行った。
「ラヴィムよ、この哀れな同士を育ててはくれまいか?」
彼女には既に娘のリャイスがいたのだが、快く引き受けた。
そして、獣返りの男の子はアルジャンと名付けられ、リャイスとは姉弟きょうだいのように育った。

ラヴィムは姉弟に薬師の知識を、銀の森の主や獣たちは魔法の扱いを教えた。
そのおかげか、姉弟は普通の人の知る事のない知識と魔法を覚えた。
──つまり、珍しい薬草の扱いや、姿を獣のそれに変える、変化へんげの魔法である。
二人は森を遊び場に朝から晩まで駆け回り、賢く、強くなっていった。

***

やがて月日は流れ、アルジャンは少年に、リャイスは少女となった。
特にアルジャンの成長は著しく、身長は既に家族の誰よりも高く、そして逞しくなっていた。
そしてラヴィムは──伏せってしまっていた。
それは病気ではなく、老いであった。
彼女の歳を鑑みれば、このセカイでは長く生きた方だったと言えるだろう。
ある冬、彼女は言った。

「リャイス、アルジャン。ここまで大きな病気もせずによく育ってくれたね。これからも二人仲良く、助けあって生きて行くんだよ──」

それから間もなくしてラヴィムは、自分の子供たちや森の主に見守られて──亡くなった。
彼女は、最後まで自分を魔女と言った村人たちを恨みはしなかった。
それは姉弟に受け継がれた事だろう。

***

そして春が過ぎて──夏がやって来た。
その夏はいつもと何か違っていた。
雨が連日のように降り続き、太陽を隠してしまい……時には遠くから雷鳴が響いた。

やっと太陽が顔を見せたその日、炎の壁はやって来た。

恐らくあの雷鳴の置き土産だろう。
程なくして炎の壁は村のすぐ側まで迫って来た。
村人たちは必死に炎を消そうとしたが、その勢いは止まらなかった。

諦めかけたその時──銀の閃光が駆け抜けた。

それは、銀の狼だった。の、だが。
二体いた。
森の主は一体だけであるはずのに……?
狼たちは炎の壁に向かって行き──吠えた。

『『止まれ!!』』

すると、どうした事か炎が一瞬、たじろいたように揺らめき、動きを止める。
そのとき、森の方から声が響いた。

「皆さん、今のうちに森へ!!」

村人たちは振り返り……驚愕した。
声の主は、あの十数年前に赤ん坊を連れていた魔女だったからだ。
「おまえは!」
「事情は後で説明します!ギン様とアルジャンの言霊ことだまが効いている、今のうちに森の奥へ!」
村人たちは不審な顔をしつつも、森へと進んで行った。

***

狼たちは村人が森の奥に向かったのを確認して──動き出した。
魔法で風をおこして炎を牽制し、その魔力を乗せた遠吠えで雨を呼ぶ。

その様子は森の高台からもよく見えていた。
もちろん、村人たちにも。
雨粒は次第に大きくなり、村に、森に降り注いだ。
それは、誰かが声なく流す涙のようではなかったか……?

程なくして、畑や農地の半分を焼き尽くした炎の壁は姿を消した。
村は冬を越えられるだろうか……?
森から出て来た村人たちの思いは、そう変わらなかっただろう。

「皆さん、聴いてください!」

魔女のよく通る声が響いた。
「まず、私たちについて説明させてください。私は薬師ラヴィムの娘、リャイスです。」
あの魔女の娘だったのか……と、ざわめく村人たちを静めたのは、獣の息遣いだった。

『リャイス、あとは俺が説明しよう』

二体の狼のうち、大柄な方がそう言って前に歩み出た。
そしてもう片方を示して言った。
『彼はこの銀の森の主、ギン様だ。そして俺はアルジャンと言う。……覚えているか?十数年前に生まれた、獣返りの事を』
大柄な狼の周りに銀色の風が渦巻き、村人たちはあまりの強風に目をそらした。

風が止み、再び見たその姿は──銀色の狼の耳と尻尾を持った少年だった。

「ま、まさか、おまえは……!!」
「そうだ。この村に疫病と飢饉がやって来たとき、おまえたちに森に置き去りにされた赤ん坊……俺はギン殿に見つけられ、薬師ラヴィムに育ててもらった」
村人たちの顔は蒼白だった。
まさか……と。
「安心してくれ。俺は誰も恨んだりはしていない。……俺の親は、薬師ラヴィムとギン様。それに──銀の森とそこに住む獣たちだ」

***

その後村人たちは俺たちに謝罪をして来た。
ラヴィムを魔女と言った事と、俺を森の奥に置き去りにした事についてだった。
そして俺の本当の親を名乗る夫婦にも会った。
彼らは俺と共に村で暮らさないか、と誘って来たのだが……丁重に断った。

俺は森で暮らしたいから、と。
あとから聴いた所によれば、リャイスにも村で暮らさないかと誘いがあったそうだ。
彼女も森でアルジャンと……俺と暮らして行きたいから、と。

***

そんな事もあって。
今でも俺はアルジャンと共に森で暮らしている。

俺は昔の事を思い出しつつ、彼女のぽっこり膨れたお腹を優しく撫でながら微笑んだ。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...