王子様の世話は愛の行為から。

月野犬猫先生

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第四十九話 天体観測3

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(えぇ!?あれが圭一郎さんの車!?かっけぇ…)

葵は驚いて口をぽかんと開けたまま暫くそれを見つめていた。
あの物静かで厳格な印象の圭一郎のことだから、高級車といえどもっとシンプルなデザインの車に乗っていそうだと勝手に脳内で思っていただけにかなり驚きだった。

圭一郎はロータリーの曲がり角沿い、慧矢と葵の目の前にぴたりと綺麗に停車すると、ドアを開けて葵の目の前に姿を現した。
分厚コートと大きめのマスク。その姿は他の芸能人と同じような身バレ防止対策のようだった。

(で、でも隠しててもかっこいい…というか大御所的なオーラが凄い…!)

圭一郎は葵の方に顔を向けると、一言慧矢に尋ねた。

「ん?友達もいたのか?」

葵は静かに会釈をして、慧矢に紹介されるのを冷静な面持ちで待っていた。
けれど内心では興奮しきっていて、もう今すぐにでも自分の秘めたるファンメッセージを打ち明けたい気持ちだった。
というかこの状況をおばさんに伝えたいーーーー!

「そうそう、この前兄さんのファンでサインが欲しいって言ってる後輩がいるって言ったじゃん?その後輩。」

「あー、それはそれは。ありがとう」

圭一郎はぱっと華やかな笑顔を目元に浮かべると、葵に手を差し出した。

「えっ握手…いいんですか!?」

「ああ、勿論だよ。」

「ありがとうございますっ!」

(わぁあ…ファンサービスやばすぎるだろ…感動…)

自ら差し出された圭一郎の手をがっしりと握ると、改めて心の底から凄いと感じた。
だってこれはイベントの握手会ではない、圭一郎のプライベートなのだ。
プライベートで圭一郎と話せるなんてこんな体験はもう二度とないだろうーーーー葵は今の空間を強く味わおうと思ったのだった。


ーーーー
ーーーーーーーーーーーー

圭一郎は厳格な雰囲気からは想像もつかないほど、優しくてフレンドリーな人だった。
それに対して葵は、気の強い慧矢とは似てないんだななんて思っていた。
実は圭一郎もそんな性格だったらーーーーと思っていたけれど、歳を重ねているからか、落ち着きがあって初対面で一般人の葵にも優しく、何事にも丁寧だった。
それに何より、笑顔が眩しすぎる。
こんなファンサービスを自分が貰ってしまってもいいのだろうか?という程にまで対応が優しくて本当にいい人だった。


ーーーーそれから圭一郎は葵がファンだと聞いて、色んなドラマ撮影の舞台裏の話を話してくれた。

「どの映画もドラマも歳をとるとしんどくなってね、今はあまり昔のように走れなくなってるから体力作りも欠かせないんだ。」

圭一郎はそう言って自分の腕を握りしめた。

「この前も撮影で腕を痛めてしまってね。ーーーああ、運転はできるんだけど。刀を振り回すシーンがなかなか出来なくて。」

「そうだったんですね…」

(うわぁ、大変だろうな…撮影の期間も決められてるのに…)

「まあ、でもそのうち治るからそしたら一気に撮影してくれって監督にお願いしてるんだけどね、楽しみにしてて欲しい。」

「は、はい!もちろんです!絶対見ます!」

「ありがとう。ーーーあ、あとはね」

圭一郎はまだ話し足りない子供のように宙を見上げて何かを思い出したような顔を浮かべると、「そうだ、星といえば」と呟いた。

「冬の秘密、だ。」

「あっ!」

「ああ…」

慧矢と葵はお互い対象的なリアクションだった。
慧矢は先程あのドラマの出演者が嫌いだと言っていたから多分そのせいだろう。

(何もそんな嫌がらなくてもいい気もするけどなぁ…)

圭一郎本人が嫌がってる訳では無いから、弟がどうしてこんなに拒絶しているのかは不思議だった。

「あのロケの時見た星空は本当に1番綺麗だったよ。ドラマ、見たかな?最後のシーンで星だけが映されるところ。」

「あ、見ました!映像も音楽も本当に素敵でした…」

「そうそう。あのシーン、実は監督じゃなくて私が考えたんだ。こういうのがいいんじゃないか…って。」

「ええ!凄い!!」

葵が瞳を輝かせると、圭一郎は満足そうな笑みを浮かべた。

「あのシーンは、拘ってたから採用されて嬉しかったよ。それに、あのドラマには深い思い入れもあるから、どうしても自分の思いついシーンを入れて欲しかったのさ。」

「深い思い入れ…?」

葵が聞き返したところで、慧矢が「おい兄さん!!」と声を上げた。

「ん?なんだ?」

「本当いつも話長すぎ。いい加減寒いから早く車乗ろうぜ。今何時だと思ってんだよー」

そこで圭一郎もハッとした顔を浮かべた。

「ああ、そうか。すまないね。寒いのに。」

「と、とんでもないです!凄く貴重なお話をありがとうございます!本当にお話が聞けて嬉しいです!」

「嬉しいなぁ。そんな真っ直ぐに言って貰えると、これからも頑張れるよ。」

「お、俺はずっとこれからもファンです!応援してます!」

「ありがとう。」

圭一郎は深く頷きながらそうお礼を言って、車の運転席側に移動した。
しかし、そこでふと思いついたように葵に振り返ると尋ねた。

「ーーーーそういえば、君の親は迎えに来るのかい?天体観測が終わってもう随分と時間が経っているけれど…」

「はい!あ、でも、仕事の方で少しトラブルが起きたみたいで迎えは遅くなるらしくて…」

「そうなんだね。うーむ…それは困ったね。こんなところに一人で残すのは危ないな。ーーーーああ、そうか、なら私の車で学校の最寄り駅まで乗せていってあげようか。」

「…え!?」

(う、うそ!そんなこと…まじで!?)

「おいおい、それ、こいつの親と行き違いになったりしたらどーすんだよ。」

慧矢はその提案に少し驚いたあと呆れたように言い返したが、圭一郎は真剣に考えているのか、葵の方に向き直ると更に訊ねた。

「親は向かってきてる?」

「あーえっと、それが連絡も来てなくて向かってるかもわからないんです。」

「そうか、なら最寄りの駅まで友達の親が乗せてってくれるって親に連絡しておけば平気だ。とりあえず寒いから乗りなさい。」

圭一郎はそう言うと後部座席の方のドアを開けた。

(えぇ!?ちょ、圭一郎さんまじで乗せてってくれる気なのか!?)

葵はそんな状況にどうすればいいのか分からずに固まっていると、ふと慧矢にポンッと背中を押された。

「はぁ……ほんと兄さんて良い人過ぎるわ。ーーーーよかったなお前。こんな体験できるの本当にお前くらいだぞ?今日はなんか知らないが特別上機嫌なだけだからな。」

「あ、そ、そうですよね!本当にありがとうございます…」

(そうだよな。本当に凄いことだよな。でも……)

「ははは、いいんだよ。というか、本当にこんな若い子が私のファンだとは。自分のファンの年齢層はもっと高いと思っていたよ。」

「そうなんですか?俺は本当に昔からファンです。」

「ありがとう。とても嬉しいよ。」

圭一郎は心から嬉しそうにそう言うと、エンジンをかけ直した。

その間葵は急いでスマホをとると、優一にさっき圭一郎が言った通りに連絡しようかーーーーとスマホを開いた。

(優一さん、本当にどうしたんだろ。)

それでもやはり、まだスマホには連絡が来ていなかった。
トラブル、何があったのかわからないけど大丈夫なのだろうか。

(優一さん…)


ーーーー『迎えに行くから待ってて』ーーーー

ただそれしか言わなかったのに、それしか言われなかったのに。
その言葉の重みがどれほど自分にとって嬉しかったかは、わからない。

ただーーーー


「……乗らないのかい?」

圭一郎にそう言われて、葵はハッと顔を上げると間もなく頭を下げた。
大ファンで、本当に好きでたまらない俳優だ。
なのに、それ以上の気持ちが葵の胸の中をくすぐっていた。

「あ……ご、ごめんなさい。ーーーやっぱり俺、親来るまで待ってます。なんか、なんとなくですけどこっちに向かってきてるような気がするんです。本当にすみません。」

「おいおい、まじかよ?兄さんが危ないからって折角乗せてってくれるってのに?」

慧矢は腑に落ちない様子だったが、圭一郎がそれを制したあとゆっくり頷いた。

「ーーーーまあ、それもそうだな。でももう23時だしいくら高校生の男の子と言っても深夜は危ないからそれだけは気をつけてほしい。」

「は、はい。気をつけます。本当にありがとうございました!これからもずっとずっと、応援してます!」

「ありがとう。また会えるといいね。」

(圭一郎さん本当に優しい……!流石大物。性格も何もかもがいいんだなぁ…)

「ーーーんじゃ、またな。」

「はい!先輩もまたっ…」

葵がもう一度会釈をすると、車はロータリーを抜け颯爽と走っていってしまった。
そしてまた沈黙が訪れると、葵は駅前のコンビニの壁沿いにまで行って、冷えた指を擦り合わせた。
ーーーふと電車が来る音が聞こえるとどこからか走ってきたサラリーマン風の男が急いで駅の方に走っていくのが見えた。

(あぁ……そっか。)

ここら辺は東京ではあるけれど、行きに何気なく帰りの時刻表を見た時終電が割と早かったということを葵は思い出した。

ーーーーまだ連絡は来ない。

先程から1分ごとに携帯を確認してはいるものの返信のひとつさえも優一からは入っていない。
やはり、圭一郎の言う通りに学校の最寄り駅まで乗せてってもらった方が良かったのだろうか。
俳優の圭一郎の運転する車に乗せてもらえるなんてあんな特別な体験はもう今後なかったし、おばさんにも話せることだっただろう。
葵はそんなことを思った。
ただーーーーそれでも何故か、何故なのか優一のその言葉が酷く嬉しく感じてしまったのだ。
そして何よりも優一の仕事が大丈夫なのか心配だった。
今朝も遅刻していったわけだし。(自分のせいではない、絶対に。)


「はぁ、寒いなぁ…」

葵はマフラーに顔を埋めると、冷たい風を感じながらそっと目を瞑ったーーー

本当ならーーー素直に圭一郎さんのご厚意に甘えるべきだっただろうし断るところではなかったかもしれない。
こんな寒い中で待つなんて馬鹿馬鹿しいことだし、こんな寒さでは風邪を引くかもしれない。
なのにこうやって優一を待ってる、迎えに来てくれるのを待つ。そんな時間さえも嬉しく思う。
そんな自分がまるで恋してる乙女みたいで、葵はそんな自分にひとつ身震いをした。

(俺ってそんなキャラじゃねぇだろ!…でも…)

葵ははぁっと浅く息を零した。

(ーーーやっぱ昔のこと無意識に俺は気にしてるのかな…)

幼い頃過った母の顔、どんな時だって母は迎えに来ることは無かった。
父親は少し優しかったけれど、父もなんとなく自分に対しての扱いが冷めていて、思えば母もいつも誰かと遊んでいたような気がする。
自分がいた事など本当に忘れてしまっているみたいで、たまに名前を呼んでも反応はなくて、あの顔はーーー誰だったのだろうか。
未だに母親が別人に見えたことがなぜなのかわからなかった。

ただひとつ確かなことがあるならばそれは、自分が大切と思っていた気持ちはいつも一方通行で、自分を必要としている人、自分を大切にしてくれる人など誰一人としていなかったーーー

ーーーそれだけの事だーーー


「ぎゃははは!!」

その時だった。
突然男の笑い声が聞こえてきた。
葵がぱっと前を向くと遠くの方からガヤガヤとした数人の男達がこちらに歩いてきていた。
手には缶ビールを持っていて、随分と酔っ払っている歩き方だった。
葵はそうわかった瞬間、目を合わせないように視線を下げて壁際に寄り添った。
できるだけあの男たちの視界に映らないように、何事もなく通り過ぎてくれることだけを考えて、葵は目をぎゅっと瞑った。

(どうか絡まれませんように、どうか絡まれませんように…)

しかし、そんな思いも虚しく横を通り抜けていく男たちの中の一人が、少しの段差でよろけた拍子に葵の肩に思い切りぶつかったのだった。

「っ…いてぇな。」

男は不機嫌そうに舌打ちをしてからそう言うと、ギロリと葵の顔を睨んだ。その他の男も気づいたらしく「なんだ?」とこちらに振り返る。
20代前半といったところだろうか。まだ若い。
けど体格はかなりがっしりとしていて、掴みかかってきたとしたら一溜りも無いだろう。

「す、すみません…」

葵は大人しく謝って1歩、また1歩と体を引いた。
心臓がドクドク激しく脈打ち、嫌な音を立てる。

(ど、どうしよう東京のヤンキーとか絶対怖いって…。ここは大人しく駅の方に行くべきか…?)

昔から変な人に絡まれることは多かったし、その度に上手く交してきたが、酔っ払いヤンキーというものは1番厄介でなかなか逃れることができないと知っていた。
葵は軽く会釈すると駅の方へと向かった。
しかしその瞬間肩をガシッと掴まれ、背筋がゾッと凍りついた。

「おい。お前、学生?」

「あっ…い、いやその…」

葵は恐怖のあまり言葉に詰まると、掴まれた肩を引こうと動いた。しかし相手の力は思ったより強い。

「こんな時間に何してんだ?俺にぶつかってきやがってよぉ」

(な、なんだそれ!お前がぶつかってきたんだろ!!)

葵は思わずそう言いかけた口を噤んだ。
ここで口論になるのは面倒だし、何よりも相手をこれ以上怒らせたら自分の身が危ないと思ったのだ。
葵は何も言わずただ頭を下げた。
怖くて、手が震えた。
逃げたい。なのに、どうすることも出来ない。

(どうすればいいんだろう。こういう時、どうしたらいいんだろう。)

ーーーあれ、どうやって助けを呼べばいいんだっけーーー

どうするべきなんだっけ。

足がすくんだ。その瞬間だった。

「おい!!てめぇ、俺の言葉を無視すんじゃねぇよ!!!」

男がついに痺れを切らしたのかそう叫ぶと葵に向かってもう一つの手を握りしめて向けた。

葵は咄嗟に目を瞑った。
殴られる、そう気づいたのに足はビクとも動かなかった。

(もう、終わりだ…)

ーーーそうだよ。いつだってこういう時、助けに来てくれる人なんていないんだからーーー

そう思ったその時だった。
車の走る音が一気に近づいてきて、やがて勢いよくバタンとドアが閉まる音が聞こえたかと思うと、間もなく¨ビービービー!!!¨と、警報のようなブザーの音が鳴り響いたのだった。
葵は目を瞑ったままビクッと体を揺らした。

一瞬自分が鞄にしまっていたブザーが鳴ったのだと思ったが、そんなはずは無かった。
男たちは突然のことに驚いたらしく、葵の肩を掴んでいた手を離すと、ザワザワと騒ぎ出した。

「な、なんだ?」

「おい、あいつ誰だ…?」

「知らねぇよ。警察か?」

「やっべ。逃げようぜ!」

(え…?警察…?)

葵が疑問に思ったその時、低い声が少し距離の離れたところから聞こえた。

「おい、そこで何してる。」

(え…!!)

その声は紛れもなく優一だった。

葵はそう気づくなり目を開けて、顔を上げた。
するとそこには、葵が優一に貰ったものと同じ防犯ブザーを指にぶら下げて掲げた優一が、サングラスもマスクもせずに立っていた。
顔を隠さなくてもいいのか?と葵は心配になったが、視界が暗いせいで、顔も服さえもぼやけて映る程度だったから酔っ払いの目からしたらブザーを持ったお巡りさんに思えてもおかしくはなかった。

(優一さん…来てくれた…来なかったらどうしようって思った…)

葵はホッとして、足の力が抜けて思わずしゃがみこんだ。

すると優一はズカズカと男たちに歩み寄り、1人の殴りかかろうとしていた男の前まで来ると、顔を近づけた。
男は優一よりも背が低いためその体格の違いに気押されて思わず後ずさっていた。

「おい。この子に今何したかって聞いたんだけど、聞こえなかった?」

(ゆ、優一さん…?)

それはいつもの優しい笑顔を向けた優一ではなかった。
鋭い目付きで男を睨んで、低い声でそう言うと、男たちはいとも簡単に怯んでしまったようだった。

「き、聞こえたけど…お、俺は何もしてねぇよ。ぶつかってきたからちょっと注意しようと思ってただけだし、な?」

男はほかの男に同意を求めるように目配せした。
がしかし周りの男たちはすっかり優一の剣幕に何も言えなくなっていた。

「つ、つーかお前誰だよ。」

「誰かどうかは関係ない。そんなことより今君があの子に向かって殴ろうとしたのが見えたが、見間違いか?」

優一が先程の男と同様に同じようにして殴りかかるような体制をとると男はゴクンッと唾を飲んだ。

「い、いやそれはっ…あいつが勝手にぶつかってきたからそんでっ…」

その瞬間優一が相手の服の襟を掴んでダンっと地面を踏むと、男たちはびくっと肩を震わせてそのまま「すみませんっしたぁー!」と勢いよく謝り、酒の酔いも覚めたのかドタドタと音を立てて全速力で逃げていってしまった。

(こ、こわ…)

葵も思わず唾をゴクリと飲み込んだ。
あんな優一を見たのは演技以外では初めてかもしれない。
仕事のトラブルもあった事だしイライラしていたのだろうか?
綺麗な顔だから尚更、表情のない顔は怖さを引き立てている気がした。
そんな優一はまだ言い足りなさそうな顔を男たちの背中に向けたまま、ブザーを握りしめてポケットにしまうと、一つため息をついた。

それから暫くの沈黙の後……

「ゆ、優一さん…お、俺…」

男たちの姿もすっかり見えなくなったところで葵がやっと立ち上がって恐る恐る声を出すと、優一はハッと我に返り急いで葵のもとに駆け寄った。

「葵くん、怪我は?殴られる以外に何かされなかった?」

「いや、俺は全然大丈夫ですよ。それより優一さんの…」

仕事は大丈夫だったんですか?と言いかけたところで、優一にぎゅっと強く抱きしめられて葵は息を飲んだ。
ドクンと小さく胸が鳴った。

(え、え!?)

「大丈夫じゃないよ。ごめん。怖い思いをさせてしまった。後一歩遅かったら殴られていただろうな。本当にごめん。」

頭上から聞こえた優一の声は先程とは打って変わって酷く優しかった。
葵は小さく頷いた。
確かに怖かった。助けなんて呼べなかったしどうしたらいいか分からなかった。
こんな夜遅くに1人でいるなんてあまりにも危険だったと思う。

殴られそうになった時はもう本当に終わりだと、そう思った。

でも、そんなことはもう信じられないくらいにどうでも良くなっていた。

(優一さんが来てくれた。)

なんだかそれだけで、胸がぎゅっとなった。

優一は葵の頭にポンポンっと手を乗せて、その後で深いため息をついた。

「はぁ…。こんなことなら打ち合わせの途中で抜け出してくればよかった。今日はマネージャーのトラブル続きで打ち合わせ開始時間が大幅に遅れてしまったから長引いてしまったんだ。」

「い、いやいや抜け出すのはダメですよ!?大事な仕事なんですから。あ、でも…せめてこっちに向かってる事くらいは連絡して下さい。分からないじゃないですか。」

優一はその言葉に対し、「え?」と首を傾げた。

「え?じゃないですよ!もう、こんな遅くになっても連絡が来ないから一体どうしたのかと思って心配したんですから…!」

「いや…おかしいな。僕はもう何通も葵くんに送っているんだけど…」

「…え?全く来ていなかったですよ?」

葵にそう言われ、優一はスマホを取り出して改めて確認すると、その後に小さく謝った。

「……あ、ごめん。」

「ほら!絶対送り忘れてる!」

「いや、僕はどうやら葵くんに向けて送っていたはずのメッセージを栄人に送っていたみたいだ。」

「……え。」

(ええええ!?俺への返信を栄人さんに!?それって色々大丈夫なのか!?)

「な、なんて送ってたんですか!」

「えっと…寒くない?今から急いで行くから駅の中で待ってて。って。でも返信来なくて全然間違っていると気づかなかった。」

「そ、それ絶対栄人さん戸惑ってるじゃないすか…」

「まあそれは大丈夫だよ。あとで言っておくし。それより風邪引いたら大変だから車に乗ろう。」

優一は葵の手を握ると、前へ歩き始めた。
葵はその瞬間またドキドキしてしまった。
でも、優一の手が思った以上に酷く冷たかったことに違和感を持った。
そしてよく見ると優一は上着を着ていないことに気づいた。もしかして仕事場から急いできたからだろうか。

「ゆ、優一さん。今思ったんですけどなんでそんな寒い格好なんです…?」

「うん?……ああ、実は今日マネージャーの上着が汚れてしまって着れなくなったから、自分のものを貸したんだ。」

「えええ!そ、それ、優一さんの方が風邪ひくじゃないですか!」

「いや、僕は大丈夫。それより葵くんが凍えていないか凄く心配だった。」

「お、俺は…大丈夫ですよ。」

「葵くんは大丈夫じゃない時ほど大丈夫って言うから困るよ。」

(え…?)

葵が優一の顔を見ると優一は困ったように笑った。

「…それにしても、連絡が来ないのによく待ってたね。」

「え、あっ…そ、それは…だって優一さんがあんなに念押して迎えいくって言うから!そ、それに本当は圭一郎さんの弟の先輩と一緒で、圭一郎さんと今日会ってて、駅まで乗せてって貰えるみたいな話にもなってたんですけど行き違いになったら困ると思って…」

葵がそこまで言うと、「あぁ、会ったんだ。」と優一は呟いた。

「はいっ。あ、サインも貰えましたよ!」

「それは、良かった。」

「はいっ!」

葵の満面な笑みに優一は微かに微笑むだけだった。
それから車に乗り込むと、暖房のおかげで温かくて、葵はホッと胸を撫で下ろした。
凍りついていた足の指先の感覚もじきに戻ってきた。
車が前進し始めると葵は半分窓を開けた。

「……星、沢山見れた?」

「はい!なんか本当に、望遠鏡なんかを覗かなくても肉眼で大粒の雨みたいな星空が見れたんですよ!あれはもう、本当に凄かったです。」

「そっか。ーーーなら今度、もっと綺麗に見える場所へ連れていってあげるよ。」

「え、もっと綺麗に見える場所?…長野とか?」

葵が先程の[冬の秘密]のロケの話を思い出して何気なくそう言うと、優一は一瞬驚いたように目を見開いたが、その後「そうだよ。」と言った。

「ドラマの撮影で見たんだ。もしかして、宮井さんから聞いた?」

「あ、はい!本当に綺麗なところでその光景が忘れられないらしいです。もしかしてその星は圭一郎さんと見たりしたんですか?」

「そうそう。撮影終わりに宮井さんに星を見ようと誘われて山のほうへ登って見たんだよ。」

「え、そうなんですね!!」

「ーーーでも、意外だな。あれは嫌な思い出になっていると思っていた。」

「え?」

葵が聞き返すと、優一は前を見つめながらすぅと浅く息を吸い込んだ。

「ーーーああ、まあ…流石にそこまでは聞いてないか。」

「え、何の話ですか?」

「いや、知らないなら知らない方がいいかもしれない。」

「だ、大丈夫です!というかなんなら圭一郎さんのファンとして是非とも知りたいというか…!!どんな恥ずかしい話でも大丈夫です!受け入れられますから!」

葵がサインを両腕に力強く抱きながらそう言うと、優一は少し悩んだ挙句、「まあそれなら、いっか。」と呟いて話を続けた。

「驚くかもしれないけど………実はあの時僕は宮井さんに告白されたんだよ。」

「おお、そうなんですね!!………は?」

葵はそこまで言って口をぽかんと開けた。

「え、こ、告白って…?告白ってーーーあの告白?」

(まてまて、圭一郎さんって普通に女性が好きな人じゃないの!?え、違うの!?)

葵が何も言えずにいると優一はもう一度ゆっくりした口調でしっかりと述べた。

「そう、内緒でもいいから付き合ってくれと言われた。もちろん、断ったけどね。」

「は、はぁぁあ!?」

(なんじゃそらぁぁぁあ!!!!)

これぞ本当の冬の秘密。とそんなことを言っている場合ではない。
衝撃的な事実に、葵は暫く口を閉じることが出来なかった。
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