悪魔の公爵

月野犬猫先生

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「ねぇ、お母さん。僕は幸せになれるのでしょうか」

   青い花畑の中、長い髪を靡かせる母の後ろ姿を見つめながらリアンはそう口にしていた。
  母はよく、青い花畑に連れていってくれた。
この青い花ーーーネモフィラが小さい頃から好きで、その花で冠を作る遊びを良くしていたから、リアンにも見せたかったのだと。

「どうして?」

  リアンの質問に、母は小さなネモフィラを摘みながら返事をした。良い匂いが風になびいて頬を掠る。

「お母さんはこんなに綺麗なのに、僕はこんな姿なんだもん。友達もできない。みんな僕のこと避けるんだ。お父さんもーーー」

  母は振り返るとリアンの頬を両手で包みーーー優しく微笑んだ。

「何言ってるの?リアンはとても愛らしい子よ。ほら、長いまつ毛に、可愛らしい瞳をしてる。この黒髪は少しクルクルしてて、まるでお人形さんみたい。」

「ほんとう?」

「ええ、リアン。リアンは私の自慢の子よ」

 母は真っ直ぐの瞳で、リアンにそう言うと額に口付けをした。
 リアンは瞳を潤ませると、思わず母の胸に抱きついた。
途端に花のいい香りがふわっと漂う。
この安心する匂いーーー大好きだった。
母だけがこんなふうにいつもリアンを抱きしめてくれる。
どんなに孤独でも、いつまでも母と2人で生きていくんだーーー

ぎゅっと握りしめた感触が、柔らかくなっていく。

「お母さんーーー?」

慌てて母の顔を覗く。しかし、霞んでよく見えない。

「お母さん、いかないで」

まってーーーお母さんーーー


「…………アン」

「…かあさん……」

冷たいーーー
先程まで花畑にいたはずなのに、匂いもない。

あれーーー

「……リアン!」

バチッと目を開くと、そこにはお手伝いさんが2人。床で寝ているリアンを困った顔で見下ろしていた。
「はっ…ごめんなさい。疲れていたのか寝てしまっていました…」
「あらあら、大丈夫ですよ。少し早くお迎えが来たのでお呼びに来ただけですから…大丈夫ですか?」
「はい。いつでも…」
「リアン…もしかして良い夢でも見ていたのですか?」
「えっ…あ、いや…なんでもありません…」
 
 お手伝いの言葉に、リアンはどきまぎしながらも起き上がると、服に着いた埃を払う。

ーーー久々にお母さんに会えたからかな…


「ーーーじゃあ、行きましょうか」


ーーー
ーーーーーーーーーーーーーー


 リアンがお手伝いさん達と玄関ロビーまで行くと、もう既にほかの執事やメイド、そしての他、見知らぬ銀髪の男が客用の椅子に足を組み、腰掛けていた。

「リアン。一体お迎えを待たせておいて、何をしていたの?」

 「ごめんなさい…」

「まあいいわ。ロイドさん、お待たせしてごめんなさいね。こちらですわ」

  マリアンヌはそう言うと、リアンの腕を強引に引っ張り、ロイドと呼ばれた男の前に押し出した。
  リアンはその男に軽く会釈するが、男はリアンの顔や体をまじまじと見つめながら目を細め、暫くすると、「うーん」と顎に手を当てた。
(なんだ…?まるで選別されてるみたいだ。まさかこの人が次の引き取り手…?)
  その男はスーツをビシッと着こなしてはいるが、よく見るとガタイはかなり良く、こちらを見る瞳は氷のように冷たく感じた。
  何か一つでも気に食わないことをすれば、暴力でも振ってきそうだ。ーーーみたいに。
「歳は?」
 ふと男に質問され、リアンは慌てて口を開く。この屋敷の者以外と口を聞くのなんて久々だったからリアンは酷く緊張していた。
「えっ…あ…あの、16です」
「16ですかい。にしては背が低い。肉もない。てっきり13歳ぐらいの子供かと思いました」
「…ごめんなさい」
 リアンはぺこりとお辞儀をしながら手を握りしめた。
「ーーー奥さん、この子ちゃんと食べさせてきたんですか?約束と違いますよ。それに変わった髪色をしている。血の繋がりはあるんですか?」

  随分と失礼なことをいきなりズカズカと言い出す男に周りは少しざわつく。
リアンは気まずくなり、慌てて俯いた。
容姿については言われ慣れているが、こうして引き取り手にすら思われてしまうのなら、向こうでもきっと差別をされるんだろうなーーーそう思うと明るい未来は期待できない。


ーーーやっとここから抜け出せると思ったのに。


「誰か答えていただけます?」

男の質問に、黙り込んでいたマリアンヌは「いいえ」と言葉を挟んだ。
そして、その後淡々と嘘を説明し始めた。

「実はこの子、少食なんです。お腹が空かないみたいで。私が食べてと言っても食べてくれなくて困ってたんです。私とは血が繋がっておりませんの。可哀想だから引き取っていましたけど、私がどんなに躾をしても家を出ていきたいと暴れるものですから手に負えずに」

「そうでしたか。この様子だと暴れるほど体力があるようには見えないが」
全くその通りだ。こんなこと一つもありもしない。
食べないどころか、食べさせて貰えないのだ。
しかし、ひとつも真実ではないこの説明に、相手は少し気になることはあるようだが、納得した様子だった。
ーーーマリアンヌはこういう人だとわかってはいるけど、リアンはやるせない気持ちになった。
父親もこういう時、何も言い返さない。いや言い返すどころか、むしろ肯定するだけだ。たとえそれが間違いだとわかっていたとしても。
こうしてマリアンヌの株だけが上がりリアンの印象は下がっていく。

「まあそういうことならいいですよ。出来れば食べさせて欲しかったんですがね」

゛できれば  ゛ーーーなにか違和感のある言い方だ。
しかし、リアンがなにか口にすることは出来ない。
「ごめんなさいね。そちらでも言うことを聞いてくださればいいんですけどね」
「ええ。ーーーそれでは、引き取らせて頂きますね。契約書はそこの椅子に置いておきましたので」 
「ああ、はい。お願いしますわ」
「さあ、行きますよ」
  男はそう言うと、リアンの細い肩を持ち、屋敷の外へと連れていった。
 すると門の前に男の物らしき馬車が停まっていた。
「ここに乗ってくださいね。くれぐれも、逃げ出さないように」
「…はい」

ーーー怖い。どうしよう。

今すぐに逃げ出したい。
胸の中にそんな恐怖が湧き出てくる。
今更逃げ出すことなんてできないことはわかっていても、何かがおかしいーーーそんな気がしてならないのだ。
なぜなら先程から男は変なことばかり言うではないかーーーそれに、リアンの年齢すらしなかったのだ。一体引き取り手が引き取る子供の年齢すらしないなんてことが有り得るのだろうか。
マリアンヌの事だからリアンを早く追い出すために、雑な人に預けたのかもしれないけれど。
それでもーーー馬車は、不安の拭えないリアンを後ろに乗せると、颯爽と走り出したのだった。



ーーー
ーーーーーーーーーーーーーーー

 ロイドとリアンが後にした屋敷の中。
 マリアンヌの掛け声によりメイドや執事たちが仕事に戻る中、ふとーーーお手伝いは不安そうな表情を変えぬまま、どこかご満悦そうなマリアンヌに声をかけた。
「ーーーごめんなさい…奥様。少し質問しても宜しいでしょうか?」
「なあに?」
「あの子は、一体どこに引き取らせたのでしょうか…」
「あら、まだあの子供の話をする気?」
  マリアンヌはリアンの名を聞くや否や、嫌そうな顔をしてお手伝いさんを睨みつける。
「あ、いやーーー申し訳ありません。しかしせめて、引き取り手の住所だけでも教えていただけると…わたくしと文通をしたいと言っておりまして」
「……言っておくけどあの子にはもう二度と会えないわよ」
  お手伝いの言葉に、マリアンヌは足を組むと紅茶を口にしながら遠くを見つめた。
「奥様。一体あの子はどこへ…?」

「それを聞いてどうするのかしら?もう契約は成立しているし、あの子が居なくなってこの屋敷の汚れはなくなったわ。あなたもそうでしょ?あんなみすぼらしい容姿の子、この屋敷にふさわしくないと思っていたでしょう」
「で、ですが奥様!それにしてもあまりにも…気の毒だとは思いませんか?あの子は小さい頃に母を亡くしてーーー」
「黙りなさい!」
 その瞬間ガンッとハイヒールを地面に叩きつけたマリアンヌにお手伝いはビクッと身体を震わせる。
「も、申し訳ありません。私としたことが出過ぎたことを……」
 お手伝いはそう言うと深々と頭を下げた。
「…まぁそこまで気になるのなら一つだけ教えてあげるわ」
  マリアンヌはお手伝いの顎を掴み前に向けると、にやりと微笑んだ。
「あの子はとあるオークションに出したの。だから私にも行く先は分からないわ」
「オークション… ?そんな奥様!まさかっ」
 お手伝いが声を荒らげると、周りのメイドたちも気が付き、ざわつき始めた。
「あの子が奥様に何をしたと言うのですか?ずっと言えなかったけれど、躾と言ってご飯を食べさせないこともーーー」

「黙りなさい!さっきからうるさいわね…それもこれも元はと言えばソフィアが私の婚約相手を盗むのがいけないのよ!あなたも分かっているでしょう?私がどんなに苦しんだか。まあーーーあんなの一時的な気の迷いだったから、あの人は私の元へ戻ってきたけれどね。哀れな子供と一緒に」
本当、ざまぁないわーーーマリアンヌの捨て台詞に、お手伝いは我慢ならずに口を開く。
「奥様…それはあまりにも自分勝手なお言葉では…?全てあの子が産まれる前の話ではありませんか。それに産まれた子供に罪は全くーーー」
 お手伝いがそう言いかけたところで、マリアンヌはお手伝いの首をガシッと掴みあげた。
 長い爪が喉元に突き刺さる。
「うっ…おくっ…さまっ…」

「ねえ、あなた。ーーークビよ」

「ーーーえ?」

 マリアンヌの言葉に、お手伝いはハッと我に返ったように目を見開く。
「悲しい?」
 マリアンヌはお手伝いの首から手を離すと、お手伝いを床に押し、叩きつけた。
「いっ…奥様…そんな!待ってください。私には2人子供がいてここで働かなければ…」
「もう決めたわ!あなたなんかいらない。クビと決めたらクビよ。さっさと出てって」
 2人の騒ぎに周りもいつしか野次馬のように眺めていたが、それでもお手伝いがたとえ、首を絞められても誰一人手を差し伸べるものはいなかった。

(リアンーーーいつもこんな気持ちだったのね。守れなくてごめんなさい…)

「ほら、早くしなさいよ」
「分かりました…奥様」
 お手伝いは深くお辞儀をすると「ありがとうございました。奥様」とだけ告げ、振り返らずに屋敷を出ていった。
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