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31.(アシュレイ視点)

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「反対? 殿下が?」

 ロゼが青天の霹靂、といわんばかりに目を見開いている。
 それはそうだろう、私だって信じられない。サーナ様以上にクリストファー殿下がなついている人間はいないから、陛下とサーナ様の結婚に殿下が反対するとは夢にも思っていなかった。レーンハルトからその話を聞かされたときは私も今のロゼと同じような顔をしたからな。

「だってあんなにサーナ様のこと大好きなのに」
「ええ。だから不思議なんですよ」

 ロゼが持ってきた書類をばらりとめくりながら同意した。
 レーンハルトは昨日クリストファー殿下にサーナ様との結婚を伝えたそうだ。だが殿下はとても嫌がった。それこそ泣いて泣き疲れて眠ってしまうほどに。

「サーナ様も陛下もショックでしょうねえ」
「ええ。ですがそれからクリストファー殿下、サーナ様から離れないようで」
「――当然、サーナ様が嫌だから反対した訳じゃないわよね。だとしたら、陛下にサーナ様を取られるのが嫌、っていうことかしら」
「ああ、それならありそうですね」

 クリストファー殿下はまだ幼いけれど、ひょっとしたら淡い初恋のようなものなのだろうか。誰よりも自分の近くにいてくれる彼女への好意が独占欲になっても不思議じゃない。
 けれど。

「ただ、それでは説明のつかないこともありますね」
「何?」
「サーナ様が母上みたいになったら嫌だ、と殿下が発言されたことです」
「母上――ミカエラのこと?」
「そうです」

 肯定して私はまだミカエラが王宮にいた頃のことを思い返す。
 クリストファー殿下は母親であるミカエラのことを慕っていた。だが肝心のミカエラは傍目に見ても息子をかわいがっているとは思えなかった。子供の世話を世話役や侍女に任せるのは貴族として当たり前ではあったのだが、ほとんどクリストファー殿下と接触を持ちたがらず、たまに会って嬉しそうに話しかける幼い息子には素っ気ない態度を見せていた。人前だったり時折気が向いた時には優しい言葉をかけたりするのだが、それだけだ。母と子の関係はお世辞にもいいとは言えず、私にはクリストファー殿下の片思いに見えた。

 やはり殿下は寂しかったのだろう。
 だからサーナ様が結婚したら自分と一緒にいる時間が短くなってまた淋しくなってしまうのではと心配している?
 その方がありそうな気がする。

 そう考えながら書類をめくっていたが、手が止まった。
 一枚の書類が目に止まったからだ。

「こいつは」
「ボンザね。やっぱりこいつが一番気になるわ、私も」

 ロゼが持ってきた書類は、国内外の虫使い――魔力で虫を操ることに長けた者たちのリストだ。あのセベートを扱うことのできる虫使いを神殿に頼んでリストアップしてもらっていた、その結果が来たのだ。
 なぜ神殿かというと、ファルージャでは子どもが一定の年齢になると神殿で持っている魔力の性質や量を調べることになっているからだ。特に虫使いは比較的稀な才能、子どもの頃の記録から辿れば候補者が絞り込めるだろうとあたりをつけ、リストアップしてもらっていた。そのリストをロゼが持ってきてくれたのだ。

 ちなみに虫使いの仕事は、本来農作物を荒らす害虫を操り被害が出ないよう虫を隔離したり、あるいは受粉のために花から花へ虫を飛ばしたり、主に農作業で重宝されている。中には虫を使って諜報活動をする虫使いもいるがそれは一握り。虫使いに限らず能力の悪用は厳罰に処されることがほとんどなので、諜報活動を行うものは厳選されるからだ。

 さて、ロゼから手渡されたリスト、その中でもこのボンザという男は我々の思い描いていた虫使いにほぼ条件が合致していた。
 セベートの棲息地程近い村の出身、家族はなく本人の素行もあまり褒められたものではない。だが虫使いとしての能力はなかなかのもので、一時期は大地主の元に雇われていたこともある、と。
 腹に一物ある貴族が彼を見つけやすく、容易く話に乗ってきそうで、また後腐れなく始末しやすい立ち位置にいるわけだ。

「第一候補だな、このボンザが」
「そうね。継続して調査してるから、何かわかったらすぐ報告するわ」
「頼みます」

 他の候補者についても精査しようと書類に目を落とす。だがいつもならすぐ退出していくロゼが、珍しく立ち去らず何か考え込むような表情をしている。

「どうしました? ロゼ」
「えっ、いや、あの――その、サーナ様のお披露目の時なんだけど」
「ええ、どうかしましたか?」
「――本当に私も出席するの?」
「そうですよ」

 私は書類から顔を上げた。ロゼは視線を泳がせて言葉を探している。
 彼女の言いたいことはわかっているんだ。私は今回のお披露目会の統括をする立場なので私にそれを話しに来たのだろう。
 更に言えば私とロゼは幼馴染。ロゼとロゼの兄オスカーとは親同士が親交があったこともあり、小さな頃から気心の知れた間柄なのだ。彼女の考えていることなどわかるし、また彼女も私にならこういう言いづらいことも言いやすいのだろう。
 でもついいたずら心がむくむくと湧き上がって、わからないふりをしてにっこりと質問した。

「何か困ったことでも?」
「それが、いつもエスコートしてくれるオスカー兄上が先月婚約しちゃったでしょう? 婚約者のアリッサも出席するからオスカーはアリッサをエスコートするし、私はエスコートしてくれる人がいないのよ。ひとりで出席するなんて世間体も悪いし、今回私は欠席するなんてわけには――」
「いかないですね。そもそも貴女のエスコートは決まっています」
「え?」

 狐につままれたような、とサーナ様の国では表現するらしい。そんなロゼの驚いた顔にしてやったりと内心ほくそ笑んだ。
 ロゼがパーティーの類いを苦手にしているのはよく知っている。それもできることなら生涯出席したくないというほど苦手なのだ。
 ずっと神殿に仕える者として仕事に邁進してきたロゼ。侯爵令嬢でありながら、華やかで人の思惑がうごめく社交界が大の苦手らしい。
 だから今回のもオスカーが婚約したのを口実に何とか欠席しようとしている魂胆が見え見えなのだが、とりあえずそこはスルーする。
 そもそもロゼは侯爵家の出身、おまけに今回のパーティーの主役・サーナ様の教師役も務めているのだから、欠席するなんて選択肢はあり得ないのだが。

「その嫌そうな顔はやめてもらえませんか、ロゼ。エスコート役としては胸に刺さります」
「え、ごめんなさ――え、エスコート役?」
「はい、私が貴女をエスコートします」
「あ、アシュレイ――が?」
「何か不都合でも?」
「不都合って――」

 まあ、不都合があっても却下。却下です。
 夜会嫌いのロゼがどうしても出席しなければならないならない舞台、こんなチャンスを逃すわけにはいかない。
 普段のローブ姿とは違う着飾ったドレス姿の彼女をエスコートする役目を他の男になんて譲れるわけがないだろう?

 私は有無を言わさぬ笑顔をロゼに向けた。そろそろ私のことを異性として意識してもらわねばいけないね。
 オスカーやロゼの両親にもこっそり話は通してある。レーンハルトにも、もちろん彼女の職場である神殿にもだ。

 外堀を埋める作業は順調に進んでいる。
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