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15(レーンハルト視点)

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 クリストファーと約束した外出の日、いつもより早くに目が覚めてしまった。息子との外出が楽しみで早起きとか、こちらの方がはるかに子どもっぽいと少し恥ずかしい。

 待ち合わせは厩舎前、先に来て待っていたクリストファーもキラキラした顔をしているからきっと期待していたと思いたい。抱き上げて鞍の上に乗せると初めて乗ったパーシェルの高さにびっくりしている。

「た、高いですね……」
「ほら、鞍にグリップがついているだろう?それをしっかり握っているといい」

 鞍の前端に取り付けられているグリップのすぐ後ろに座り、緊張してぎゅっと体をこわばらせているクリストファーの表情には覚えがある。誰もが通る道なんだよなあ、多分俺もそうだったんだろう。

 鐙に足をかけて勢いよく飛び乗り、クリストファーの背中にくっつくように座る。小さな子どもはポカポカと暖かく、抱え込むと思っていたより大きくなっていたことに驚かされた。

 今日、サーナは一緒には来ないそうだ。

「ぜひお二人でたくさん遊んできて、今度お話を聞かせてくださいね」

 そう言って見せた笑顔は嬉しそうだったが、少しだけ淋しそうな影が瞳に見え隠れしていることには気がついた。

 サーナは俺にチャンスをくれた。まさかクリストファーが「父上に嫌われている」と考えているなんて思わなかったので、驚いて固まってしまった俺に

「クリス様とばったり会う機会を作りますから」

 と一計を案じてくれた。それもピクニックという気軽にクリスが俺を誘いやすい状況で。
 そういえば廊下を通ってクリスたちを見かけたときアシュレイが「声くらいかけろ、息子相手に何をヘタレてるんだ」と王を王とも思わない辛辣な言葉を吐いていた。ひょっとしてあいつもグルか。真正面から感謝するのはどこか悔しいな。
 今日の外出で、俺がクリストファーを嫌っているなどというのはひどい誤解だと気がついてくれればいいが。

 クリストファーはある日突然魔法を使えなくなった。それまでは普通に――――むしろ他の子どもよりはるかに上手なくらい魔法を使っていた。突然使えなくなって不安だろうに、泣きもしなければ父親に甘えたりもしなかった。
 まあ、厳しく接しすぎたかとは思っている。
 けれどクリストファーは俺の一人息子、おまけに潜在的に持っている膨大な魔力は消えていない。だから貴族たちの間でもクリストファーを王太子とするべきかしないべきかの論議が起こっている。

 クリストファーを王にしたいかといえば必ずしもそうじゃない。誰が可愛い息子にこんな重荷を負わせたいものか。とはいえ現状クリストファー以上の魔力の持ち主はいなくて、俺の後継となることは半分以上決まっているようなものだ。魔力の最も多い者が王になる(とはいえそれはほぼ王家の血筋に現れる)というこの国では「魔力があるのに使えない」ことは前例のないことだ。将来クリストファーが戴冠した後に侮られる可能性は充分あるのだ。

 だからこそ厳しく教育する。立派な王となれるように。

「あっ! 湖だ!」

 パーシェルでのんびり進んで一時間ほど、林の向こうに湖が透けて見える。日の光を反射してキラキラ輝く水面、一面に咲き乱れる色とりどりの花。ここは王家の所有する土地で、王家の者だけが利用できる保養地となっている。

「すごい! 父上、湖には魚もいるのですか?」
「魚か。いると思うぞ」

 そう言った途端に少し沖に行った水面に魚がピシャン! と跳ねた。
 途端にクリスは湖に釘付けだ。いつも硬い表情ばかり見ていたので、その変化にびっくりする。

 こんなに表情豊かなこの子を見たことがない。いや――――本当にそうか? もっと幼い頃にはよく笑っていたのではないか? 最後に笑ったのを見たのはいつだ?
 違う。この子が笑わなくなったのも本当かもしれないが、笑うのか笑わないのかすらわからないほどにこの子との関わりを持ってこなかった、そういうことじゃないのか?

 自分の考えに愕然とした、その変化に気がついたのだろうか。乗っていたパーシェルがその足を止めた。急に止まったことを不審に思ったのか、クリストファーが俺を見上げた。
 青い瞳が不安そうな色をたたえている。

「どうした?」
「あ、いえ、その――――申し訳ありません。はしゃいだりして。ヤード先生にもよく怒られます。いつでも王族として気もちを顔や態度に出すな、と」

 ヤードはクリストファーにつけているマナーや立ち居振る舞いの教師だ。確かにヤードには王族としてどこに出しても恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に着けさせるよう指示を出している。だが、まだクリスにはどこで手を抜いていいのか加減がわからないのだろう。

「ヤードの言うことは正しい」
「はい……」
「だがな、今は私と二人だ。こういうときくらいはマナーを忘れても誰も文句は言わないぞ」
「え……怒っていらしたのではないのですか」
「いや、腹を立てていたさ」

 そう言いながら俺はパーシェルを降りた。そして両手を差し出してクリストファーをパーシェルから抱いて下ろす。

「ただし、お前にではなく自分自身にな。これからは少しでもおまえと話す時間を作ろう」
「本当に?! あ、いえ、でも父上はお忙しいんですから無理しないで――――」
「無理はしない。約束しよう。だがいきなりたくさん時間を作れるかというと」
「いえっ! ほんのちょっとでもお話できるなら嬉しいです!」

 勢い込んで言う真剣な瞳に申し訳なさがこみ上げる。

「――――そうか」

 そう返事するのが精一杯だった。

 用意してきたサンドイッチや菓子(先日のオレンジのケーキもあった)を二人で食べ、ほんの少しだが釣りも楽しんだ。まあ、その間お互いまだまだかしこまった物言いで口数が少なかったというのはあるが、急に変えることはお互い難しいだろう。魚は一匹だけ釣れた。銀色の小さな魚で、随行の騎士に聞いたら小骨が多くて食べ辛いというので湖にかえしてやった。

 やがて帰る時間になり、クリストファーにそう告げると「少し待ってください」と慌てて咲いている花を摘み始めた。

「サーナにお土産にしようと思って」
「なるほど。ではしおれないように」

 魔力を水に変えて小さく溜めて切り花の切り口を覆ってやる。これで持ち帰る頃までしおれることはないだろう。

「ありがとうございます」

 魔法で作った小さな水球を見てクリストファーが礼を言う。俺は花を持ったままのクリストファーをまたパーシェルに乗せた。

 城までの道をパーシェルでゆっくりと進んでいく。俺の前に座るクリストファーは行きよりもなんだか無口だ。疲れたのだろうか。

「クリス、疲れたなら寝ていてもいいぞ」
「いえ、寝たら花を落としてしまいます。せっかく父上が枯れないようにしてくださったのに」
「誰かに花を預けて――――」
「それに僕には水球は作れないんです。だからお願いして魔法をかけてもらうしかなくて、だからその花くらいは自分で持っていきたいのです」

 クリストファーはそれきり口を閉ざしてしまった。

 ハッとした。
 クリストファーのために使った魔法がクリストファーを傷つけたのだろうか、と気がついた。
 クリストファーは魔法を使えない。それこそこんな小さな水球を作ることすらできない。魔法を使いたいと思っても人に頼るしかないのだ。なまじ以前は使えていたから、使えない無力感は人一倍なのではないか。

 ――――なんと無神経な。自分を殴りたくなった。そんな子どもの前でこれ見よがしに魔法を使うとは。
 いや、けれど傷つけないためにクリストファーの前では魔法を使わないというのも違う気がする。クリストファーが気を遣われることを嫌がるかもしれない。

「――――難しいな」
「ごめんなさい……僕か魔法使えない、から」
「違うぞ、難しいと言ったのはおまえのことではない。俺自身の問題だ」
「父上の?」

 いけない、変な誤解をさせてしまう。
 ほんと難しいな。

 もっと一緒に遊ぶ時間を作れば誤解など生まれない関係を築けるのだろうか。でも今回は特別だ。王とその後継たりえる王子が一緒に外出など許されない。王と王子が一緒に事故や事件に巻き込まれ命を落としたりすれば大問題だからだ。


 本当に、難しいな。
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