漂泊のエトランジュ

ひろたひかる

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旅立ち編

旅立ちのエトランジュ1

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 リアンナは緊張していた。
 ジグハルド王国白狼騎士団第三部隊隊長リアンナ・オリエ・エリダールたるもの、大人数の前に立つことは全く苦にならない。貴族同士の腹の探り合いも慣れたものだ。
 だが、このドレスという奴はどうしたものかこれまでの人生18年間で折り合いをつけられたことがない。
 出身は侯爵家だ、令嬢としての教育も受けなかったわけではないが、その成績は致命的。あきらめてどうしても出なければならないパーティーなどは騎士団の正装でごまかしてきたというのに、今日に限って父親である侯爵から「今日は必ずドレスを着るように」とお達しを受けてしまったのだ。まあ、城で催される国王主催のパーティーだ、仕方ないことはわかっている。
 わかってはいるが。

 誰だ、このピンヒールとかいう全く実用性のない靴を考え出したのは。
 まあ、攻撃力だけは高そうだが、靴としてはいかがなものか。
 リアンナは持ち前の筋力と平衡感覚で何とかバランスをとっていたものの、ドレスの中で必死に踏ん張っている自分の足を思うと水面下で必死に足で水を掻いている水鳥にでもなった気分だった。

 けれど、綺麗なものは嫌いじゃない。
 今日侍女総出で着付けられたこのドレスは深い青、それに金のビーズや刺繍が豪華に施されたシックなドレスだ。まるでラピスラズリを見ているようなデザインは、控えめに言っても一目惚れだ。そこを持ち上げられ褒めそやされてあれよあれよという間に着付けられてしまった。侍女達の努力を無にするわけにも行かないので、諦めてドレスで出席することにした。ただ、習い性でドレスの下、太股に取り付けた小さなポーチ、空間魔法を利用して見た目よりもはるかにたくさんの荷物を入れることが出来るそれにいざという時のための剣と騎士団の制服、そしていつも騎士団の仕事の折に持ち歩く細々とした荷物が入っていることで多少精神の均衡を保っていた。ただし、両親や着付けをしてくれた侍女たちには内緒だ。怒られてしまう。

(綺麗なドレスは見てるのがいい。自分で着るのは、つ、つらい……!)

 日々騎士団の隊長として気炎を吐いている自分だから、ドレスが似合っているとは思っていない。所作だってがさつで見られたものではないだろう。せいぜい騎士団仕込みの姿勢の良さだけは誇れるが、おそらく今夜こんなふうに人からじろじろ見られるのは絶対似合っていないからだ。うん、きっとそうだ。
 そして次々にダンスを申し込まれるのは、きっと誰かの嫌がらせに違いない。このピンヒールでステップを踏むなど、苦行以外の何物でもない。よその令嬢はすごい。この苦行を笑顔でこなしていくのだから。リアンナはほとほと嫌気がさしてきていた。

 パーティーも中盤にさしかかり、さすがに足が限界だとリアンナは次のダンスを断り、そっと会場の外へ抜け出した。

 城の中庭はところどころにランタンが灯され、幻想的な場所になっている。中空にかかる月は細い三日月、なんともロマンティックな雰囲気満載だが、生憎リアンナの隣にはロマンスの相手はいない。リアンナにともについてくるのは彼女を悩ませている靴擦れだけだ。
 中庭のベンチに腰を下ろし靴を脱いだ。かかとのところが赤くなってしまっている。さてどうしたものかと困っていると、ふと陰が落ちた。誰かがリアンナの前に立ちふさがったのだ。

 特に害意を感じなかったので余裕を持って見上げると、彼女の前にいたのは長いマント姿の男性だった。夜目にもわかる高価そうなマントは左肩のところを大きな石をはめ込んだ金具で止め、赤銅色の髪は後ろへ流して整えられている。暗いのになぜ髪の色までわかったかというと、それはリアンナが彼の髪の色を知っていたからだ。

「どうした、リア。こんなところで」
「ーーーーっ! レギオン!」

 リアンナの顔がみるみる喜色に染まる。そこにいたのは王宮筆頭魔法使いにしてリアンナの幼馴染レギオン=エイド=メルファークだ。

「レギオン、久しぶりだね」
「ああ、俺もちっとも屋敷に帰らないからな。2ヶ月ぶりくらいか?」
「冗談じゃない、半年ぶりだよ」
「ーーーーマジか」

 レギオンが「しまった」というように天を仰ぐ。筆頭魔法使いのレギオンが半端なく忙しいのはよくわかっている。特に魔法の研究に時折寝食を忘れて部下に心配させていることも。だから、屋敷に帰ってこられないこともよくわかっている。
 けれど、仕事だ立場だをわかっていても寂しいものは寂しい。幼い頃から一緒にいる、その彼に会えないことはリアンナの心に大きく影を落としている。――――が、レギオンにそれを告げたことはない。

「あ~……ところでリア、今日はドレスなんだな」
「うん、父上が今日はどうしてもドレスで出席しろって」
「――――どうして?」

 少しだけレギオンの視線が鋭くなる。

「知らない。たぶん、国王陛下主催だからでしょ」
「そう……か、そうだな」

 険のある色の視線をキープしたままレギオンが自分に何かを言い聞かせるようにぶつぶつひとりごちる。考えにふけると独り言が多くなるのは彼の小さい頃からの癖だ。こうなるとしばらく放っておくしかない。リアンナはやれやれと肩をすくめた。
 するとレギオンがぱっと顔を上げた。何か結論が出たのだろうか。

「リア!」
「なに?」
「そういえば先月誕生日だったよな」
「ずいぶん前の話だね。そういえばそうだったかな」
「悪かった」

 レギオンは心底申し訳なさそうに言い、懐からペンダントを取り出した。金の鎖の先に細やかなレリーフが施された金色の円盤が下がっていて、その中心に透明な丸い石がはめ込まれている。美しいが、どこか時代を感じさせるデザインだ。

「これを」

 そう言ってリアンナの後ろにまわり、彼女の首にそのペンダントをかける。青いドレスの胸元に光るペンダントは、夜空に大きな星が現れたようだ。中心の石が柔らかく月の光を内包し、反射する。少し重たいそれは、ペンダント本体の重みだけでなくどこか歴史的な重みも加わっているような気がする。

「ごめんな、遅くなって」
「綺麗……いいの? なんだか大事そうなものじゃない」
「メルファーク家に代々受け継がれて来たものだ」
「えっ! そんな大切なものをこんな簡単に! だめだよレギオン。受け取れない」
「いいんだよ、それ持って嫁に来てくれればちゃんとメルファーク家に戻るから」
「あ、なるほど……? え? 嫁?」

 言葉の不意打ちに固まったリアンナにレギオンがそっと囁く。自信たっぷりな筆頭魔法使い様とは思えない、どこか不安な気持ちをはらんだ低い声だ。

「そ、嫁。結婚……してくれるよな?」

 レギオンとは幼馴染。いつも隣にいる相棒。
 今回のように長い期間会えなかったとしても、心はいつでもそばにいられるような関係。お互い、相手にどんな気持ちを抱いているかなんて話したことはなかったけれど、少なくともリアンナにとっては誰よりも近くにいる異性であり、彼以外にその立場に立てる男性はいない。
 有り体に言ってしまえば、リアンナはもうずっとレギオンに恋している。
 だからこそ自分の気持ちを言えなかった。伝えたくないと言えば嘘になるけれど、伝えることで今の関係が壊れてしまうことを平凡な女の子並にリアンナは怖かったのだ。なのに、それをポンと飛び越えたレギオンの言葉は。

「うそ……」
「なんで嘘なんだよ」
「だってレギオン、私の事そんな風に見てるなんて」
「やっぱり気がついてなかったか。結構周りにはバレてたんだけどな」
「えっ!」
「で、結婚してくれるのか。ちなみに答えは三択、『はい』か『イエス』か『いいわよ』のどれかしか受けつけない」
「何よそれ」

 プッと思わず吹き出してしまった。つられてレギオンも笑い出す。
 ひとしきり笑って「で、返事は?」と問いかけるレギオンにリアンナは言った。

「答えは四つめ。私もレギオンと結婚したい」

☆★☆★☆


レギオンに腰を抱かれるようにパーティー会場に戻り、まっすぐに二人でリアンナの父ランクス侯爵トマス=ベリック=エリダールの元へ向かった。
「やっとか。やきもきさせおって」とため息をつかれたが、トマスは快く二人の婚約を認め、その足で高い場所に座っている国王へ報告に行った。一緒についていった二人は、トマスの話を聞いて目を丸くした王に呼ばれた。
 
「皆のもの、めでたい知らせだ! 我が国の筆頭魔法使いレギオンと、白狼騎士団第三隊長リアンナの婚約が決まったぞ」

 おおーっ、と会場内が晴れやかな感嘆の声に包まれる。誰からともなく拍手が起こり、リアンナはなんだか恥ずかしくて真っ赤になってしまった。

「それにしてもやっとまとまったか、トマスよ」
「はあ、待たされましたな」

 学生時代からの親友同士であるトマスと王がお互いのグラスを合わせてチン、と打ち鳴らした。

「のうリアンナ、お前の父はな、まだまだお前とレギオンはくっつかないと予想しておったのだぞ」
「予想、でございますか?」
「わしは違うぞ、今宵こそはレギオンめがしびれを切らすと思っていた――――のうトマス、わしの勝ちじゃな」

 王がにやりと笑う。なんということだ、この悪友同士の二人、リアンナとレギオンが今夜思いを通わせるかどうかで賭をしていたのだ。

「父上……」
「あ! いや、リアンナ、賭と言ってもだな、せいぜい一杯おごるかどうかという程度の」
「言い訳になりません!」

 真っ赤になって怒るリアンナ、それを「まあまあ」となだめるレギオン。みるからに仲むつまじい二人に王と王妃、従者達はほほえましいものを見たというように笑いあっていた。

 その時だった。

「嘘、嘘よっ! レギオン様と結ばれるのは私じゃなかったの?!」

 若い女の金切り声が響き、会場は一瞬にして水を打ったようにしいんと静まった。
 人垣が割れ、真紅の挑発的なドレスを身にまとった背の高い女がふらふらとレギオン達に近づいてくる。

「クローディア?」

 レギオンが漏らすと女は花が開いたような笑顔を見せ、レギオンの元へ駆け寄る。

「レギオン様、あなたのそばにいたくてここまで参りましたの。変な女が寄ってきては大変だと。
 ――――だってレギオン様と結ばれるのは私。そういう運命なのですから」
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