神秘写真師

daishige

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第一話 生霊

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●1.生霊
 上岡徳馬の写真館は上野広小路にあった。日本人大工が洋館を模し左官の技で作った木造建築は、一見すると洋館に見えた。開業から数年しか経っていない上野駅も近く、写真館の前の通りは鉄道馬車や人力車の往来も多く賑わっていた。

 天窓から差し込む自然光を利用したスタヂオでは、洋装の上岡が舶来の乾板式写真機のファインダーを覗いていた。被写体の陸軍士官は、立襟ダブルボタンの半マンテル、スラックスにサイドゴアブーツといった正装でサーベルを突いて立っていた。
「はい、もう少し胸を張っていただけますか」
上岡はこわもての士官に笑顔で語りかけていた。士官は口髭をさすってから背筋を伸ばすと、より緊張した面持ちで写真機の方を見ていた。上岡はシャッターを切った。
「これで終わりか。最近は早いのぉ、御維新の前は3分ほど、じっとしていなければならなかったのに」
士官は少しを頬を緩めていた。
「はい。それにこの写真機は最新の乾板式ですので、焼き増し簡単ですし、撮影代もお安くなっています」
「そうか。それで写真はいつできるのだ」
「大森様の大佐昇進を祝しまして額装し、明日夕刻には飯倉町のお屋敷にお届けに上がれます」
「わかった。楽しみだな」
大森は口髭をさすっていた。

 「はい、確かに。ご苦労様です」
使用人の中年女性は、額を包んだ風呂敷を受け取っていた。
「今日は大森大佐はお出かけですか」
上岡は大森の屋敷の勝手口に立っていた。
「鉄道輜重(輸送)隊の屯所に行かれてます」
使用人は素っ気なく言い、それ以上のことは言いそうもなかった。
「そうですか。新たな配属先で写真撮影があればお役に立てますと、お伝えください。それでは失礼いたします」
上岡は今後の大佐とのツテをダメもとで期待し、屋敷を後にした。
 大森の屋敷を出た頃から雪がちらつき始めていたが、一向に止む気配はなかった。ガス灯が立ち並ぶ銀座の通りを歩く上岡。外国商人の雑貨店の辺りで 毛皮の外套を羽織った異国の婦人が歩いて来る。透き通るような白い肌で、青い目が妖気を放っていた。上岡はすれ違いざまに身も凍るような異様な寒さを感じた。あまりの寒さに振り返ってしまった。しかし婦人は平然と歩き去っていく。急に強い北風が吹き雪が激しく舞い出し、視界が白く閉ざされた。婦人の姿は白い世界に吸い込まれるように消えて行った。

 翌日は雪が止み青空が広がり晴れ渡っていた。薄っすらと積もった雪も昼近くには、すっかり溶けてなくなっていた。
「確か、ここの辺りだったな」
上岡は通りの傍らで三脚を立てていた。羽織袴にブーツを履いた写真助手の引田は、背負っていた写真機を降ろしていた。引田は女性にしては力があり、写真機一式を背負っても、それほど苦ではないようだった。
「私の店、テイクアピクチャーですか」
蝶ネクタイをした外国人店主が雑貨屋の店先に出て来て、上岡に語りかけてきた。
「いえいえ、ここの通りを撮影しようと思いまして、すぐに終わりますから」
「そうですか、お店、宣伝できますか」
「少し写り込むかもしれませんが、お店の宣伝には…、あのぉ必要とあれば、お撮りしますよ。お代はお安くしておきますから」
「ノーノー、タダが良い。必要ないです」
店主はそそくさと店内に戻って行った。
 「よーし、今日は屋外の撮影だ。乾板をセットして、このようにな」
上岡は引田に手本となる撮影手順を見せていた。
「あのぉ、先生、なんでここで屋外撮影なのですか。不忍の池の畔でも良かったのですが」
「あぁ、ちょっと気になることがここであったので、それもついでなのだよ」
上岡が言っている目の前を人力車が通過して行った。
「この人力車のように移動してくるものがある場合、通りがきれいに写らなくなるから、通り過ぎるのを待った方が良い」
「ブレが生じるというわけですね」
「その通り、だから屋外でシャッターを切る際には、注意してもらいたいのだ」
上岡はファインダーを覗きながら、撮影のタイミングを見計らっていた。
 小一時間程の実習を終えた上岡たちは、三脚を畳み始めた。
「これからは女子も活躍できる時代だ。引田には立派な女流写真師になってもらうぞ」
「文明開化の最先端を行っているようで、やりがいがあります」
引田は写真機一式を背負いながら微笑んでいた。

 上岡は写真を手に現像室から出て来た。引田は袖をたすき掛けにして写真館内の掃除をしていた。
「引田、やはり俺の思った通りだよ」
「先生、何がですか。その写真にはちょっとブレがありますけど」
引田は箒を手にして、写真を見ていた。写真には銀座の通りが写っていたが、電柱とガス灯の間に薄っすらと白い靄のようなものがあった。
「これをよく見てくれ、ブレではないんだ。異国の婦人の姿に見えないか」
「言われてみれば、そうですが…撮影の際には西洋のご婦人はいませんでしたけど」
「神秘写真術を用いれば、より具体的にわかるはずだ」
上岡は、引田が怪訝そうな顔をしていても全く気にしていなかった。
 上岡は現像室の隣にある小部屋の鍵を開けて中に入って行った。小部屋には独逸伝来の神秘写真術の本や、術に用いる道具がいろいろと置いてあった。
 上岡は白い布が掛けられたテーブルに写真を置き、その四隅に蝋燭を立てて火を灯した。金色のゲルマン十字があしらわれたペンダントを首から提げてから、銀色の聖杯から聖水を銅製の噴霧器に注いだ。古代ゲルマン語の呪文を歌のように唱えると、写真に聖水を噴霧して静かに目を閉じた。
 上岡の脳裏には写真内の世界が広がり始めた。銀座の通りに漂っていた白い靄は、かなりハッキリとし、透き通るような白い肌に青い目をした異国の女性の姿になった。動きが一切ない止まったままの女性は、何か言いたげな表情をしていた。写真内の上岡は外国商人の雑貨屋に入って行く。開店準備をしていた店主も静止していた。そのまま店の奥を見回す上岡。一番奥のテーブルの引き出しから、手紙の端が見えていた。上岡は、ペンダントをかざしながら、英語で書かれた手紙を引き抜いてみた。上岡はドイツ語なら会話と読み書きできたが、英語も多少は読むことができた。うなずく上岡はペンダントで十字を切ると写真内の世界から抜け出し、現実の小部屋に戻った。
 「先生、だとしたらあの店主は女子の気持ちが全然わかってませんね」
引田は写真館のソファのカバー取り替えていた。
「そうなんだ。あの怪異生霊になったご婦人は、店主の帰りをひたすら待っているのに、不貞を働き日本人の妾を侍らせるとは…、ありがちなことでもあるがな」
上岡は写真を手にソファにドカッと座った。
「それで先生は、そのご婦人は寂しさから精神を病んでいると感じたのですか」
「神秘写真術中に感じたから確かだ」
「可哀想ですね」
掃除をすべて終えた引田もソファにちょこんと座っていた。
「手紙からコーンウォールの地方貴族の娘ということがわかったから、たぶん世間知らずで一途なのだろう」
「先生、あの店主に言った方が良いのではないでしょうか」
「国に帰れって言うか。しかしなぁ、新たな市場を求めて日本に来たのだろう。大儲けでもして一旗揚げないと帰れないのだろう」
「でも生霊になるくらいですから…、放っておくとどうなるのですか」
「店主か通りすがりの人に悪さをするかもしれない。わかった。あの雑貨店に行こう」
上岡はソファから立ち上がり、小部屋の鍵を閉めに行った。

 「今日の用は、何」
店主はぶっきら棒であった。
「ここに古着のドレスはありますか」
上岡と店主は店の中程に立っていた。引田は店先で様子を見ていた。
「ドレス、あの女、着るの」
「いえいえ、洋装の貸し衣装に必要なものでして」
「…ここには、ないよ」
「取り寄せることはできますかね。できればイギリスのコーンウォール辺りの貴族のドレスなんかが良いのです
が」
上岡が言うと店主は目つきが明るくなった。
「オー、コーンウォール。マイワイフ、生まれた所」
「それでは、どんなものがあるか、わかりますか」
「…古いドレス、売り物として見たことないよ」
「今度、奥さんの所に行くことがあったら、ドレスの写真など見せてください」
「フォト、写真。イギリスに帰って撮らないと」
「文明開化の日本で洋装の貸し衣装はニーズがあります。いずれ大きな取引になると思いますが」
「それはグッドなトレードね」
店主はかなりニンマリとしていた。
「ドレスに汚れや破れがないかも、店主のあなたに調べてもらって、その上で等級別に価格を決めたいのですが」
「クォリティー・チェックね。わかった」
「それで、いつ頃なら写真などが見られますか」
上岡が言うと、店主はスケジュール表を引っ張り出して見ていた。
「一週間後の船、イギリスに帰ります。待っててください。日本、戻ったら連絡します」
「早い方が助かります」
上岡が手を差し伸べて、店主と握手していた。横目で店先の引田を見る上岡は、上手く行ったと微笑んでいた。

 上岡と引田は神田川の橋を渡っていた。
「先生、良かったですね。これであの西洋婦人は、生霊にならなくて済みそうではないですか」
「そうたが、貸衣装の需要はあるかな」
「良家の子女は卒業写真をドレスで撮影なんて、銘打ったらどうですかね」
「その宣伝文句は洒落てるな。さっそく店頭にのぼり旗でも立てるか」
「のぼり旗ですかぁ…、ハイカラではないような気がしますけど」
「まぁ、それは君に任すよ。それはそうと引田、店先にあった赤いリボンが欲しかったんだろう。何度も見ていたからな」
「えぇ、まあ。髪を束ねて結ぶのに良いかと思いまして」
「その方が、作業が円滑になるなら、今度立ち寄って時に買っても良いぞ」
「先生、ありがとうございます」
「そのかわり、しっかりと助手を務めてもらうからな」
上岡の脳裏には異国の婦人の笑顔が浮かんでいるようだった。
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