新作マフラー展示中

小戸エビス

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新作マフラー展示中

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 もう俺、社長やめようかな……
 服飾メーカーフクプク。その二代目社長の俺、篠崎二郎は、会社の成長が見込めるにも関わらず、自信を失っていた。
 その原因はこの3日間開催されていた、毎年恒例の「メーカーデザイン冬物フェア」。

 このフェアは名前の通り服飾メーカーが自社でデザインした冬物製品を出展し、希望小売価格で販売するものだ。色違いが多いと1、2点並べるのが限度だが、どの会社も自信作を出すため業界の注目度は高い。ファッション誌も取材に来るほどだ。
 フクプクはこのフェアに初めて参加した。用意したのは俺自らがデザインしたマフラー。そのデザイン名、つまり、フクプクの慣例で付ける製品デザイン別の呼び名は「恋のタテガミ」。
 柔らかそうな見た目に反し、保温効果は抜群。耳のすぐ下まで覆うため小顔効果も狙える。柄にもこだわり色のバリエーションも豊富。自信のある製品だった。
 だが、フェア初日の開場10分前。販売ブース裏の控えスペースで待機していたところ、想定外の報告があった。
「社長、大変です! レパールが、うちと同じコンセプトで4割安い製品を置いています!」
 レパールはフクプクのライバル会社だ。小売店との卸売契約でいつも競い合っている。
 慌ててブースに飛び出し、レパールのほうを見た。模様や色合いは異なるものの、報告通りのマフラーがそこにあった。

「くそっ、どうする?!」
 控えスペースに戻り一人ごちる。
 注目のフェア。売れなければ会社の評判はがた落ち。そしてこの価格差は致命的。
 いっそ値下げするか? だが4割引きでは赤字。そしてその条件で売れても、今度も赤字覚悟で作り続けなければならなくなる。フェアで好成績を収めておいて、フェア後に希望小売価格を引き上げました、生産やめましたでは、小売店の信用を失うからだ。
 フェア参加は俺の提案。だからこの窮地は俺のせい。なのに打開策が浮かばない。
 両手で顔を覆う。すると……
「社長、大丈夫です。対抗できる製品があります。事前に作っておきました」
 開発部長の吉田が話しかけてきた。対抗できる製品?
「同じコンセプトの別デザインです。コストを抑えられたので、レパールのと同じ値段で売れます。在庫も十分あります。ちょうど届きました」
 ブースに行ってみると、確かに、さっきまでなかったはずの段ボールが並んでいた。近寄って開けてみると、「恋のタテガミ」とは違うデザインのマフラーが。ラベルには「シンフォニー」と書いてある。
 何か違和感を感じるが、吉田の言う通りならこの場を凌げる。俺は陳列を急ぐよう命じた。

 そして開場の時間が来た。
 客が次々と押し寄せる。販売員は接客で手一杯になった。
 通路は混雑。レパールの様子は見えない。だが。
「社長、大成功です。『シンフォニー』、売れ行き好調ですよ!」
 連絡係の社員が告げてきた。その後も、
「『シンフォニー』、どんどん売れてます!」
「『シンフォニー』の赤、棚にある分売り切れました!」
「雑誌『ベガ』の方が来ました。『シンフォニー』の紹介記事のために、後で取材に来て頂けるそうです」
 吉報が次々に届く。
 だが。
「……『恋のタテガミ』は?」
 つい、尋ねてしまった。なんとなく分かる。
「え、ええ。そちらの販売も頑張ります!」
 逃げられた。
 隣を見ると、吉田が気まずそうに目を逸らしていた。

「……よし、『恋のタテガミ』、4割値下げするぞ」
 午後2時過ぎ。客足が落ち着いてきたころ、俺は切り出した。この時間まで「恋のタテガミ」が全く売れていなかったからだ。
 それはそうだろう。ほぼ半額の商品が同じ棚にあるんだ。
 だが、値段が同じならどうか。デザインならば俺にも自信がある。「シンフォニー」が売れるなら、同じ値段、同じコンセプトの「恋のタテガミ」はもっと売れるはずだ。開場時のピークは過ぎたが、夕方には客が増える。
「しゃ、社長、その、よろしいのですか?」
 吉田が恐る恐る聞いてきた。言いたいことは分かる。赤字が積み上がるということだろう。だが。
「問題ない。フェアが終わった後、『恋のタテガミ』の生産は止める」
 悔しいが、今は採算の合う「シンフォニー」が注目を集めている。そちらの生産を続ければ小売店の信用は保てるだろう。
「は、はあ」
 釈然としない顔で吉田が答えた。

 そして、夕方。
 「シンフォニー」は相変わらず売れ続ける。だが「恋のタテガミ」は全く売れない。
 なぜだ。
 販売ブースに移動して、販売員の後ろから客の反応を窺ってみる。ちょうど、女性の2人組がブースに来ていた。
「あ、これ可愛い」
「ほんとだ、これにしようかな」
 2人が見ているのは「シンフォニー」。けれど、即断はしていない。
 これならば「恋のタテガミ」も目に入るはずだが……
「こっちのは……『恋のタテガミ』? ぷっ、なにこれ、だっさ」
「え、ちょっと……」
「見てよこの柄。どの色もないわこれ。それにこの名前、首に巻くから鬣と掛けてるの? おっさん臭い」
「しーっ、お店の人に聞こえちゃうよ」
「いやだって、これはないよ。本当に同じ会社のデザイン?」
「ちょ、ちょっと、あっち行こ。あっちにもマフラーあったから」
 2人はレパールのブースに行ってしまった。
 ……今の反応、ださい? そんな馬鹿な。
 いや、ここは認めざるを得ない。客の正直な感想なんだ。それに売り上げの差。最初と違って、値段の差を言い訳にできない。そう、値段を言い訳には、って……
 値段を下げたのは俺。つまり自分で言い逃れできなくしていた。なんてことだ。
 そういえば、値下げを言い出したとき、吉田の反応が変だったな。まさか、それまでの売れ行きからこうなることを予想していたのか?
 ……いや待てよ。変と言えば、吉田の言動は朝から変だった。確か、事前に作っておいた、って言ったよな。なんで売り出す前から別の製品、それも新デザインを用意できてるんだ?
 まさか。
「なあ、吉田」
「は、はい」
「お前、ずっと前から、『恋のタテガミ』が売れないって思ってたのか?」
「え、ええと」
 目を逸らす。言っているも同然だ。
「いや、いい。忘れてくれ」
 吉田は一礼して席を離れた。
 以前社内で行った「恋のタテガミ」のプレゼンを思い出す。あのとき、誰も反対意見を言わなかった。だから自信を持っていたんだが。
 ……社長の俺に意見を言えなかっただけか。上手くできたと思ったのは自分だけで、みんな内心で笑ってた。
 裸の王様。そんな言葉が浮かんだ。

 だが、俺はまだ気づいていなかった。この件は、俺が恥をかいた、で済む話ではなかったということに。

 フェア2日目。
 昨日の恥のせいで社員に見せる顔がない。だが、社長がブースにいない訳にはいかない。その義務感で足を運んだ。
 昼過ぎ。
 「シンフォニー」は相変わらず売れている。「恋のタテガミ」は売れない。在庫は余りっぱなしだ。まあ在庫は「シンフォニー」もまだ残って……ん?
 なぜ、在庫が残ってる? いや違う。これだけの数、どうやって作った?
 どう見ても製造ラインを組まないと無理な数だ。
「なあ、吉田」
「……はい」
「お前、俺が知らない間に、どうやって工場動かしたんだ?」

 フクプクでは工場で新たな製造ラインを組むとき、社長の承認を得てから組み始めることになっている。工場を持つ会社なら大抵そうだろう。それなのに俺が知らない製品が量産されていた。それはつまり……
「すみません、言えません」
 吉田が答えを拒む。
「言え」
「言えません」
 察しはつく。だが、言えません、じゃないだろう。
「言え」
「……」
「田辺さんか」
「!? いや、それは……」
 フクプクの工場長、田辺さん。先代社長のときからの社員で、勤続年数は俺より長い。そして2代目の俺を認めていない人間の一人。
 彼が独断でラインを組んだ。
 規則違反。いや、規則以前に一言何かあるのが常識だろう。田辺さんが言わなくても、他の誰かから。
 それとも、俺相手にはそれすら不要、ということか? 俺はそこまで馬鹿にされている? 大勢の社員から?
「すみません、社長! 田辺さんが、『先代社長なら文句は言わない』って言って、それで」
「もういい」
「でも……」
「もういい!」
 思わず怒鳴りつけた。これ以上聞けば何かが壊れそうだった。
 ……今の声、販売ブースに聞こえたか? フェアの心配と屈辱とがごちゃ混ぜになる。
「もう、いい。今日は、終わるまで、黙ってろ」
 自分でも酷い言い草だと思った。だが、こうとしか言えなかった。

 そして2日目が終わり、3日目が終わり。
 3日目にして「シンフォニー」は全色完売。一方、「恋のタテガミ」は7割引にして、ようやく売れたのが3つ。
 しかもその間に判明した。俺の商品設計には無駄が多く、それでコストが上がっていたらしい。
 馬鹿馬鹿しくて声も出ない。俺はなんで、こんなもので自信満々になっていたのだろう。
 いや、今なら分かる。「親の七光り」、「2代目のボンボン」。そんな声を黙らせるため、実績が欲しかったんだ。
 それがこのザマ。
 結局、俺が間違っていて、俺を陰で笑っていたほうが正しかったという訳だ。
 黙々とブースを片付ける。ふと、段ボールに描かれた会社のロゴが目に入った。フクプク。そのどこか可愛らしい名前からデザインした、タヌキのマスコットが一緒に描かれている。
 今はそのマスコットさえも俺を遠ざけているように感じた。無様だな。
 もう俺、社長やめようかな……

 そんなことを考えていたときだった。
「すみません、『ベガ』編集部の浅野と申します。取材、よろしいでしょうか?」
 スーツ姿の女性が元気よく名刺を差し出してきた。取材?
「え、ええ、どうぞ」
 反射的に対応した。そういえば、取材の話があったか。
 彼女が椅子に座る間に、俺は表情を整える。社内の事情がどうあれ、対外的には社長は会社の顔だ。
「それで、取材というのは、『シンフォニー』の件ですね?」
 だから俺は、自己紹介の後、自分から切り出した。
「はい! 凄いです、あのマフラー。それでその、『シンフォニー』を作った社長のお話を是非とも伺いたくて」
 嬉々として語る浅野女史。その言葉に俺は面食らった。「シンフォニー」を作ったのが俺?
 いや、対外的には、会社の製品は社長が作った、という言い方もできるか。
 だが……
「いえ、実はですね、『シンフォニー』を作ったのは私ではなく、そこにいる開発部長の吉田なんです」
 正直に話し、吉田を示す。控えスペースの隅に立っていた。
 女史は困惑する。これだと俺からは話を聞けそうにない、けれど今吉田に聞きに行くのも俺に対して失礼、そんな風に迷っているのだろう。
 だが、俺は続ける。
「実はね、私が作ったのは、もうひとつの『恋のタテガミ』のほうなんです。見たでしょう? 全然売れてないマフラー。私の力なんて、あの程度です」
「は、はあ……」
 ますます困惑する女史。無理もない。
 だから、俺はこうまとめた。
「でも、吉田が工場長の田辺に掛け合って、『シンフォニー』を作ってくれていまして。そのおかげで、会社が恥をかかずに済んだんですよ」
 これが今回の件の全てだろう。
「なので、すみません、吉田からも話を聞いていただけませんか」
  そう促す。今回の成功は「シンフォニー」が勝ち取ったんだ。俺が目立つ筋合いじゃない。
 ポカンとした顔の浅野女史。吉田もポカンとしている。だが女史はすぐに察したようだ。
「はい、是非!」
 元気よく返事すると、吉田のほうに向かっていった。

 そして俺はブースの片づけに戻った。作業の傍ら、田辺さんのことを考える。
 彼がしたことは規則違反。だが、不問にする。
 彼にとってフクプクは先代と一緒に育てた会社。それを功を焦った2代目が危機に晒したんだ。昔気質の彼のこと、クビ覚悟で会社を救うつもりだったとしてもおかしくはない。
 一度、ちゃんと話し合うか。あの人と揉めていても会社は得しない。
 売れ残りを箱に詰め、棚を倉庫に返却。戻ってくると、
「篠崎社長、本日はありがとうございました!」
 浅野女史がブースに出てきていた。「会社の顔」の笑顔で応じる。
 少し言葉を交わした後、記事用の写真を何枚か撮影してもらう。最後にブースの前で集合写真。
「ばっちりです、ありがとうございます」
 そして、意外な一言。
「では、記事は、社員の皆様の力を引き出した篠崎社長の勝利、という方向で書かせて頂きます」
「え?!」
 思わず声が出た。そうなるか? いやこれも、外からはそう見えるのか?
 ふと吉田を見る。彼は安心したような顔で、元気のいい雑誌記者を見送っていた。
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