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6.着替える俺
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目が覚めたとき、最初に感じたのは胸の重みだった。
うつ伏せで寝ていたらしい。二つの柔らかな膨らみに体重がかかって、じんわりとした圧迫感がある。……やっぱり夢じゃなかったのか。
宿の天井を仰いで、深く息を吐く。安っぽい木材と、微かに黴びた布の匂い。慣れ親しんだ冒険者宿のそれだけど、鼻に入ってくる情報量が以前よりずっと多い気がする。
ゆっくりと上体を起こすと、金色の髪がさらさらと肩から滑り落ちた。長い。邪魔だ。今まで短髪だったから、寝るときに髪がどこにあるかなんて気にしたこともなかったのに。
「はぁ……」
改めて自分の体を見下ろす。寝間着代わりに借りたアルたんのシャツは体に合わず、胸のあたりが張り裂けそうだ。袖は指先まで余っているのに、胸だけが絶望的に足りていない。
昨夜の夢を思い出す。あの美女──自分と同じ顔をした女は言っていた。精神の上書きは失敗したが、肉体と能力はほぼ完全だと。魔術の才能が俺のものになっていると。
……正直なところ、まだ信じきれていない。だって俺はレベル30にもなってスキルのひとつも覚えられなかった、正真正銘の無能だったんだぞ。そんな俺に魔術の才能? 冗談がきつい。
けれど、昨日ゲオルクに治癒してもらった時の感覚は確かに本物だった。温かくて澄んだ水みたいな魔力の流れが、肌を通して体に染み込んでくるのをはっきりと感じた。あんな経験は、村人だった俺には一度もなかったことだ。
こんこん、と扉が叩かれた。
「エミさん、お目覚めですかな?」
ゲオルクの声だ。なんで朝一番がこいつなんだよ。
「……は、はい」
「おはようございます。着替えをお持ちしましたぞ」
扉を開けると、糸目の僧侶がにこにこと──いや、にやにやと立っていた。手には畳まれた衣服を持っている。
「これは宿の女将から借り受けた物でしてな。サイズは合わぬかもしれませぬが、ひとまずの急場は凌げましょう」
「あ、ありがとうございます……」
受け取ろうとすると、ゲオルクが一歩部屋に踏み込んだ。
「お着替えの手伝いが必要でしたら──」
「いりませんっ!」
慌てて扉を閉めた。危なかった。あの僧侶、朝も昼も夜も関係なくむっつりスケベなのか。信仰心はどこに置いてきたんだ。
借り物の服に袖を通す。女物を着るのは当然ながら初めてで、どこに手を通すのかよくわからないし、紐の結び方も馴染みがない。悪戦苦闘すること数分、なんとか形になった。鏡がないから見た目は確認できないけど、昨日の下着一枚よりは遥かにマシだろう。
ただ、胸のあたりがやたらと窮屈だ。女将さんにも失礼だが、サイズ感が全然違うらしい。ボタンがはじけ飛びそうで、深呼吸するのが怖い。
「お待たせしました」
部屋を出ると、廊下の壁に背を預けて待っていたアルたんと目が合った。朝の淡い光が窓から差し込んで、アルたんの金に近い茶髪を柔らかく照らしている。
──って、なんで今こいつの髪の色を気にしてるんだ俺は。
「おはよう、エミ。その服で外に出るのはちょっと厳しいな」
アルたんの視線が俺の胸元に一瞬だけ向いて、すぐに逸らされた。耳の先が赤い。
「とりあえず服を買いに行こう。金は俺が出す」
「えっ、いいの? 悪いよ、そんな……」
「困ってる人を見過ごせないだけだ。勇者として当然のことをしてるだけだから、気にするな」
勇者として当然のこと、ね。俺に対しては当然のように追放してくれたくせに。……いや、今はエミだ。エミールじゃない。余計なことを考えるのはよそう。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
宿を出ると、朝の町は活気に満ちていた。露店の商人たちが声を張り上げ、荷車が石畳の上をがらがらと引かれていく。焼きたてのパンの香ばしい匂いが風に乗って鼻をくすぐり、思わず腹が鳴った。
ゲオルクもなぜか当然のように付いてきている。クルトとカールは宿に残ったようだ。クルトは「買い物とか興味ない」の一言だったし、カールは「ははっ、起きたら行く。ははっ」と言ったきり二度寝に入っていた。
「こちらなどいかがですかな」
ゲオルクが足を止めたのは、仕立て屋ではなく下着屋の前だった。
「まずは下から整えるのが肝要かと。昨晩も男物の下着でしたし、お体に合った物をお召しになれば、ずいぶんと楽になるはずですぞ」
もっともらしいことを言っているが、こいつの目が細く光っている。絶対に下心がある。いや、下着は確かに必要だけど。
「拙僧がお選びしましょうか? このような事柄には、意外と詳しくてですな」
「なんで僧侶が女性の下着に詳しいんですか」
「……博愛の精神、とだけ申しておきましょう」
博愛を盾にスケベを正当化するな。
「もういい。エミ、こっちの店に入ろう」
見かねたアルたんが、ゲオルクから俺を引き剥がすようにして、隣にあった仕立て屋の扉を開けた。カランと鳴る鈴の音が心地いい。
店内には色とりどりの布地と完成品の服が並んでいて、奥のカウンターでは恰幅のいい女性の店主が針仕事をしていた。眼鏡越しに俺たちを一瞥して、「おや」と声を上げる。
「あらまぁ、朝から綺麗なお嬢さんだこと。旅の方?」
「は、はい。その……服を一式揃えたいんですが」
「見りゃわかるわよ、そのパッツンパッツンの胸。よくそれで街歩いてきたわねぇ」
店主は豪快に笑いながらカウンターを回り、俺の体を矯めつ眇めつ眺めた。
「サイズ測るから、奥に来な。ぼうや、あんたは表で待ってて」
アルたんが追い出され、ゲオルクは最初から入店を拒否されていた。この店主は人を見る目がある。
奥の仕切りの向こうで、採寸が始まった。
「ちょっと腕上げて。……へぇ、すごいねぇこの体。細いのに出るとこ出てて、女の僻みを買うタイプだわ」
紐の尺で胸囲を測られる。くすぐったい。男の体では絶対にない感触で、自分の体なのに他人の体を触られているような妙な感覚がする。
「はい、これ着てみて。下着もちゃんとしたの付けな」
「あ、ありがとうございます」
渡されたのは、白いブラウスに青みがかった灰色のロングスカート、それに革のベストとブーツだった。下着も一式。生まれて初めて女物の下着を身に付ける。構造がさっぱりわからなくて四苦八苦したけど、なんとか装着に成功すると、嘘みたいに楽になった。胸がちゃんと支えられている。今までどれだけ重力に苦しめられていたんだ。
「どう? 出てきな」
仕切りから出ると、店主が満足げに頷いた。
「いいじゃないの。やっぱり美人は何着ても映えるねぇ」
表で待っていたアルたんとゲオルクのところに戻ると、二人の反応は対照的だった。
「…………」
アルたんは口を半開きにしたまま固まっている。
「おぉ……これは、これは素晴らしい。まさに女神の御姿……拙僧、思わず五体投地の衝動に駆られましたぞ」
ゲオルクは大袈裟に手を合わせている。こいつの場合、信仰と煩悩の区別がつかない。
「ア、アルフレッドさん?」
「……あ、いや。似合ってる。すごく」
それだけ言って、アルたんはぷいっと横を向いた。耳が真っ赤だ。
なんだろう。男の俺からすると、幼なじみにそんな反応されても嬉しくないはずなのに、不思議と悪い気はしなかった。たぶん、この体の本能みたいなものだ。きっとそうだ。たぶん。
「さて、次はギルドに行こう」
アルたんが早足で歩き出した。照れ隠しだとわかるのは、幼なじみだからだ。
「ギルド?」
「冒険者ギルドだ。ステータスの確認ができる。君がこの先どうするにしても、自分の力を把握しておいたほうがいい」
確かにそれは重要だ。今の俺がどういう状態なのか、俺自身が一番わかっていない。
あの美女は、魔術の才能があると言っていた。でもそれは夢の中の話だ。本当にスキルが使えるのか、使えるとしたらどんなスキルなのか、レベルはいくつなのか──気になることだらけだった。
うつ伏せで寝ていたらしい。二つの柔らかな膨らみに体重がかかって、じんわりとした圧迫感がある。……やっぱり夢じゃなかったのか。
宿の天井を仰いで、深く息を吐く。安っぽい木材と、微かに黴びた布の匂い。慣れ親しんだ冒険者宿のそれだけど、鼻に入ってくる情報量が以前よりずっと多い気がする。
ゆっくりと上体を起こすと、金色の髪がさらさらと肩から滑り落ちた。長い。邪魔だ。今まで短髪だったから、寝るときに髪がどこにあるかなんて気にしたこともなかったのに。
「はぁ……」
改めて自分の体を見下ろす。寝間着代わりに借りたアルたんのシャツは体に合わず、胸のあたりが張り裂けそうだ。袖は指先まで余っているのに、胸だけが絶望的に足りていない。
昨夜の夢を思い出す。あの美女──自分と同じ顔をした女は言っていた。精神の上書きは失敗したが、肉体と能力はほぼ完全だと。魔術の才能が俺のものになっていると。
……正直なところ、まだ信じきれていない。だって俺はレベル30にもなってスキルのひとつも覚えられなかった、正真正銘の無能だったんだぞ。そんな俺に魔術の才能? 冗談がきつい。
けれど、昨日ゲオルクに治癒してもらった時の感覚は確かに本物だった。温かくて澄んだ水みたいな魔力の流れが、肌を通して体に染み込んでくるのをはっきりと感じた。あんな経験は、村人だった俺には一度もなかったことだ。
こんこん、と扉が叩かれた。
「エミさん、お目覚めですかな?」
ゲオルクの声だ。なんで朝一番がこいつなんだよ。
「……は、はい」
「おはようございます。着替えをお持ちしましたぞ」
扉を開けると、糸目の僧侶がにこにこと──いや、にやにやと立っていた。手には畳まれた衣服を持っている。
「これは宿の女将から借り受けた物でしてな。サイズは合わぬかもしれませぬが、ひとまずの急場は凌げましょう」
「あ、ありがとうございます……」
受け取ろうとすると、ゲオルクが一歩部屋に踏み込んだ。
「お着替えの手伝いが必要でしたら──」
「いりませんっ!」
慌てて扉を閉めた。危なかった。あの僧侶、朝も昼も夜も関係なくむっつりスケベなのか。信仰心はどこに置いてきたんだ。
借り物の服に袖を通す。女物を着るのは当然ながら初めてで、どこに手を通すのかよくわからないし、紐の結び方も馴染みがない。悪戦苦闘すること数分、なんとか形になった。鏡がないから見た目は確認できないけど、昨日の下着一枚よりは遥かにマシだろう。
ただ、胸のあたりがやたらと窮屈だ。女将さんにも失礼だが、サイズ感が全然違うらしい。ボタンがはじけ飛びそうで、深呼吸するのが怖い。
「お待たせしました」
部屋を出ると、廊下の壁に背を預けて待っていたアルたんと目が合った。朝の淡い光が窓から差し込んで、アルたんの金に近い茶髪を柔らかく照らしている。
──って、なんで今こいつの髪の色を気にしてるんだ俺は。
「おはよう、エミ。その服で外に出るのはちょっと厳しいな」
アルたんの視線が俺の胸元に一瞬だけ向いて、すぐに逸らされた。耳の先が赤い。
「とりあえず服を買いに行こう。金は俺が出す」
「えっ、いいの? 悪いよ、そんな……」
「困ってる人を見過ごせないだけだ。勇者として当然のことをしてるだけだから、気にするな」
勇者として当然のこと、ね。俺に対しては当然のように追放してくれたくせに。……いや、今はエミだ。エミールじゃない。余計なことを考えるのはよそう。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
宿を出ると、朝の町は活気に満ちていた。露店の商人たちが声を張り上げ、荷車が石畳の上をがらがらと引かれていく。焼きたてのパンの香ばしい匂いが風に乗って鼻をくすぐり、思わず腹が鳴った。
ゲオルクもなぜか当然のように付いてきている。クルトとカールは宿に残ったようだ。クルトは「買い物とか興味ない」の一言だったし、カールは「ははっ、起きたら行く。ははっ」と言ったきり二度寝に入っていた。
「こちらなどいかがですかな」
ゲオルクが足を止めたのは、仕立て屋ではなく下着屋の前だった。
「まずは下から整えるのが肝要かと。昨晩も男物の下着でしたし、お体に合った物をお召しになれば、ずいぶんと楽になるはずですぞ」
もっともらしいことを言っているが、こいつの目が細く光っている。絶対に下心がある。いや、下着は確かに必要だけど。
「拙僧がお選びしましょうか? このような事柄には、意外と詳しくてですな」
「なんで僧侶が女性の下着に詳しいんですか」
「……博愛の精神、とだけ申しておきましょう」
博愛を盾にスケベを正当化するな。
「もういい。エミ、こっちの店に入ろう」
見かねたアルたんが、ゲオルクから俺を引き剥がすようにして、隣にあった仕立て屋の扉を開けた。カランと鳴る鈴の音が心地いい。
店内には色とりどりの布地と完成品の服が並んでいて、奥のカウンターでは恰幅のいい女性の店主が針仕事をしていた。眼鏡越しに俺たちを一瞥して、「おや」と声を上げる。
「あらまぁ、朝から綺麗なお嬢さんだこと。旅の方?」
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「見りゃわかるわよ、そのパッツンパッツンの胸。よくそれで街歩いてきたわねぇ」
店主は豪快に笑いながらカウンターを回り、俺の体を矯めつ眇めつ眺めた。
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アルたんが追い出され、ゲオルクは最初から入店を拒否されていた。この店主は人を見る目がある。
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渡されたのは、白いブラウスに青みがかった灰色のロングスカート、それに革のベストとブーツだった。下着も一式。生まれて初めて女物の下着を身に付ける。構造がさっぱりわからなくて四苦八苦したけど、なんとか装着に成功すると、嘘みたいに楽になった。胸がちゃんと支えられている。今までどれだけ重力に苦しめられていたんだ。
「どう? 出てきな」
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「…………」
アルたんは口を半開きにしたまま固まっている。
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ゲオルクは大袈裟に手を合わせている。こいつの場合、信仰と煩悩の区別がつかない。
「ア、アルフレッドさん?」
「……あ、いや。似合ってる。すごく」
それだけ言って、アルたんはぷいっと横を向いた。耳が真っ赤だ。
なんだろう。男の俺からすると、幼なじみにそんな反応されても嬉しくないはずなのに、不思議と悪い気はしなかった。たぶん、この体の本能みたいなものだ。きっとそうだ。たぶん。
「さて、次はギルドに行こう」
アルたんが早足で歩き出した。照れ隠しだとわかるのは、幼なじみだからだ。
「ギルド?」
「冒険者ギルドだ。ステータスの確認ができる。君がこの先どうするにしても、自分の力を把握しておいたほうがいい」
確かにそれは重要だ。今の俺がどういう状態なのか、俺自身が一番わかっていない。
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