四天王戦記

緑青あい

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左道四天王見参 《第六章》

其の七

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 ここで再び、場所を『苦界島くがいとう』の墓所三昧堂さんまいどうに戻してみよう。
 中では《左道四天王さどうしてんのう》に留守をまかされた女付き馬屋と女賞金稼ぎが、酒酌みながらこんな会話をかわしていた。
「ねぇ、妥由羅たゆらさん。気になってたんだけど、あなたには確か連れの可愛い子がいたんじゃなかったっけ? あの猫目で乱髪の坊や、どうして一緒じゃないの? ああ……もしかして、地獄の『苦界島』って聞いたら、怖じ気づいちゃったのかしら? それでお留守番?」
 女付き馬屋《白野干びゃくやかん氷澪ひみお》が、相手の酒盃に徳利をかたむけつつ、問いかける。
太毬たいがは、そんな腰抜けじゃないよ。ちょいと事情があってね……来られなかったのさ」
 女賞金稼ぎ《宵染よいぞめの妥由羅》は、氷澪の酌を受けつつ、ため息まじりに答える。
 妥由羅は今、逡巡していた。氷澪が、杏瑚あんごたちのために用意した酒肴……その中へ、鍾弦しょうげんから渡された例の毒薬を混入すべきか、まだためらっていたのだ。
 燎牙りょうがは、杏瑚が置いていった鎮痛剤を呑み、三昧堂の隅で穏やかに眠っている。つまり、氷澪一人の目を盗めば、それは簡単にできたはずだ。しかし……妥由羅の心は重かった。所以ゆえん、良心の呵責というヤツである。さらには、【嬪懐族ひんかいぞく】女戦士としての、誇りと矜持も邪魔をしていた。
 氷澪は、そうして胸元を押さえ、青白い顔でうつむく妥由羅に、不安を覚え始めた。
「なにか、重い荷物を背負っちゃってるのね……妥由羅さん。あのさ、私でよければ、悩みを話してみない? こんなはすでも、もしかしたら、力になれるかもしれないわよ?」
 暗器の使い手で、直感鋭く男勝りではあるが、心根はまっすぐな氷澪である。妥由羅の懊悩を、心底案じての差し出口であった。けれど、妥由羅は黙りこんだまま、口を開こうとしない。そんな彼女の心裏を読み、氷澪は気になっていた一点を、恐る恐る訊ねてみた。
「もしかして……あなたの悩みって、その太毬君って子に、あるんじゃない?」
 途端に、妥由羅の顔色が変わった。さらに強く己の胸元をつかむ。
「本当はなにがあったの? あの子のために、なにを苦しんでいるの? ねぇ、妥由羅さん」
 酒肴を乗せた座卓をどけ、妥由羅へにじり寄る氷澪。すると妥由羅は、やがて迎える決戦に向け、少しでも心の準備を整えようと、杏瑚の昔馴染みである氷澪へ逆に問いかけた。
「あんた、あの破戒僧と知り合いなんだろ? だったら教えておくれよ。奴らは何故、ああも残虐非道な罪を、平気でかさねられるんだい? 良心の呵責ってモンがないのかい?」
 良心の呵責……それこそ、今まさに、妥由羅が心の中で、戦っている相手でもあった。
 すると氷澪は苦笑いし、ため息まじりに云った。
「多分……平気じゃないわよ。だって、昔ね……ヤブ先生、寝物語に話してくれたもの」
 氷澪は、如意輪門町にょいりんもんちょうで遊女をしていた数年前、常連客として、足しげく通って来ていた杏瑚から聞いた《左道四天王》の過去を、その壮絶な生い立ちを、妥由羅に語り始めた。

『あなたたち、どうしてそんなに悪事の限りを尽くせるの? 親兄弟は、泣いてるわよ?』
『生憎と、わしらは皆、血縁者に見捨てられたクチでな。なにをしようと、どこで死のうと、哀しむ者などおりはせん。ゆえに、後先考えず好き勝手なことができるっちゅうワケじゃ』
『親に、捨てられたの?』
『……少しばかり、長話になるが、聞きたいか?』
『えぇ、聞きたいわ』
栄碩えいせき劫貴族こうきぞくでありながら、母親の不貞で生まれたために、【火光尊洗礼かこうそんせんれい】を口実として、焼き殺されそうになった。彗侑すいゆうは流行病で二親を亡くした上、あの美貌と栴檀せんだんの〝逆鱗げきりん〟が災いしてのう、集落で年嵩の男どもに嬲られそうになり、殺傷沙汰に及んだ挙句、処刑前に命辛々出奔しゅっぽんする破目となった。倖允こういんに至っては、盗賊に襲われた際、助かりたい一心の親父に、母親もろとも人身御供にされ、母親は盗賊に犯され自害、倖允はそのまま盗賊に飼われ、あの通り粗暴な悪党に育て上げられた。かく云う儂は、【贄神種にえがみしゅ】であるがゆえに、まだ物心もつかぬ内、この呪われた血で二親を殺してしまって喃。儂の呪業じゅごうを恐れた村人どもに、山中へ遺棄された。儂は鬼業者きごうしゃに育てられ、辛うじて生き延びることができた。いや、ここまで生きられたこと自体、奇跡としか云いようがない。だからこそ儂らは、人生を思いきり謳歌すると決めたのじゃよ。五年前、出会ったあの日から、儂らは儂らの人生に、糞小便を引っかけてくれた世間の奴らへ、復讐しながら生きとるんじゃよ』
『で、でも……親がいなけりゃあ、あなたたちは存在しなかったワケで……誰かが力を貸してくれなかったら、生き抜けなかったワケで……感謝こそすれ、憎むなんてのは……』
『ハテ、可笑しなことを云う。儂らが存在して喜ぶ酔狂な者が、この世におるんかい喃?』

 氷澪は、当時のことを思い出し、哀しげな笑みを浮かべては、こうつぶやいた。
「ヤブ先生も他の三人も、常人にはとても堪えられないような、地獄を見たのよ。そしてきっと、今も地獄を見続けているんだわ。そうすることでしか……他者の地獄を通して生きることでしか、心を保てないんじゃないかしら」
 氷澪の言葉を聞き、妥由羅は、ハッと我に返った。四人の過去に、同情したわけではないし、どんなに生い立ちが不幸でも、今まで犯して来た罪を正当化する理由にはならない。
 けれど、妥由羅の心に、迷いが生じたのは確かだ。
〈やはり、毒薬なんて、こんな卑怯な手で、決着をつけるべきじゃない……〉
 ところが、その時である。ガタガタと音を立て、三昧堂の板唐戸いたからどが開いた。
おいねえさんがた。戻ったぞい」
「まったく……本当に疲れたよ」
「しかも、情報収集に進展なし」
「啊、胡乱うろんなネタばっかだしな」
『苦界島』の方々へ情報を仕入れに往っていた四天王が、ようやく帰ってきたのだ。
 しかし、四人の口ぶりから、それは空ぶりに終わったらしい。杏瑚がつぶやいた。
「ここの連中は、まったくもって当てにならん。どいつもこいつも半分、脳みそが腐っとるから喃。まるで話にならんわい。あちこち歩き回っただけ、くたびれ儲けじゃったわい。やはり、真実にたどり着くためには、『奈落』とやらに直接、足を運ぶ他、ないようじゃ」
「そういうワケだ。俺たちはこれから『奈落』へ向かう。お前らはまた、ここで待ってろ」
 すると、妥由羅が、三昧堂の戸口に立ちはだかり、こう宣言した。
「今度は、私も一緒に往くぞ。止めても無駄だ。あんたたちから、離れないからね」
 実は妥由羅、氷澪から聞いた四人の過去に興味を持ち、彼らと行動をともにすることで、あらためて《左道四天王》という悪党について、考察しなおしたかったのだ。
 そんなことなど露知らず、四悪党しあくとうは、これを適当に去なした。
「誰も止めはせんよ。戦力が増えるのは、心強いから喃」
「ふん、女の身で……そんなに死にたいなら、勝手にしろ」
「但し、足手まといはお断り。自分の身は、自分で守るんだねぇ」
「俺は大歓迎だぜ。へへへ……愉しくなりそうだな」
 かくして《左道四天王》と《宵染めの妥由羅》は、新たな目的地『奈落』を目指すため、一時的な不戦条約を結んだ。五人は、不安そうに見送る氷澪を残し、再び三昧堂をあとにした。
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