四天王戦記

緑青あい

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左道四天王見参 《第六章》

其の拾

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 丁度、船倉からの階段を上がって来た鍾弦しょうげんが、いきり立つ副官や隊員をいさめ、恣拿耶しだやを手招いた。
 指揮官代行の、あまりにも思いがけぬ言葉に、唖然とする隊員。
 副官も、すぐに異議を唱えようとしたが、強靭な眼差しと、手で制された。
 ズラリ並んだ数十名の隊員が、敵意に満ちた険しい視線を向け、見守る中、恣拿耶はゆっくりと、鍾弦の待つ船倉入り口へ歩いた。彼が歩いたあとには、点々と血が落ちていく。
「久しぶりだな、恣拿耶」
「……鍾弦! 三日月みかげを、どこへやった!」
 口の端をゆがめ、悪辣あくらつに嗤う鍾弦を、憎悪に満ちた目で睨み、恣拿耶は叫んだ。
「三日月……それが《黄泉月巫女よみづきみこ》の本名か。ま、どうでもいいことだが。あの娘なら船倉にいる。心配するな。客人として丁重にあつかっているからな。どうだ、逢いたいか?」
「今更、聞くまでもない!」
 恣拿耶の、怒気を孕んだ返答は、実に簡潔だった。鍾弦は得意満面でうなずく。
「だろうな。では、ついて来い。但し妙な真似はするなよ。娘の命を保障できなくなるぞ」
 一応の念は押しつつ、船倉へといざなう鍾弦に、副官が近づき諫言した。
「鍾弦どの、いくらなんでも危険です! 奴の鬼業禍力きごうかりきは、これまでに何人もの同朋を!」
 確かに、赤戦袍あかせんぽうの隊員は、船内の至るところに、配置されている。
 しかし同時に、彼らは《雁木紋がんぎもんの恣拿耶》の、恐ろしい鬼業禍力も、知っている。
 安易に気を許し、核心へ導くというのは、あまりにも危険と思われた。たとえ、恣拿耶が重傷を負っていたとしても、油断は禁物だ。けれど、鍾弦には絶対的な自信があった。
 それは、彼の余裕ある表情からも、見て取れた。
「大丈夫だ。それより、先刻申しつけたこと、しっかり準備しておけよ」
 鍾弦にかく命じられ、副官も、『なにか考えあってのことだろう』と、思いなおした。
「はい……承知しました」
 副官は折れ、鍾弦と恣拿耶に、道を開けた。
 しこうして恣拿耶は、鍾弦とともに階段を降り続け、船底に最も近く、薄暗い船倉の一室へたどり着いた。鍾弦が、扉にかけた錠前を外すや、恣拿耶は室内へ飛びこんだ。
「三日月! 無事か!」
ああ……恣拿耶!」
 船員用の保存食や、衣類など、さまざまな物が山積みとなった船倉の壁際に、三日月はいた。手足を縛られ、自由を拘束されているものの、怪我はなく、元気そうだった。
 恣拿耶の登場に驚き、けれどすぐさま瞳を嬉々と輝かせ、だが次には血染めの彼に不安を覚え……三日月は胸を震わせた。一方で、恣拿耶は心底、安堵し、急いで三日月の元へ駆け寄ろうとした。もう傷の痛みも感じない。彼女さえ無事ならいい。ところが――、
「感動の再開場面に、水を差して悪いが、こちらも仕事なんでね。どうだ、三日月。そろそろ朝廷に上がり、御方さまのため、その神通力とやらを使ってくれる気になったか?」
 一足早く三日月に近づいた鍾弦が、スラリと抜いた【六諡号派太針剣ろくしごうはたしんけん】の鋭い切っ先を、彼女の首筋に突きつけ、こう問いかけた。ハッと息を呑み、恣拿耶の足は一瞬、止まる。
「そ、それは……できないと、何度も云ったはずです!」
 三日月は、細首を震わせながらも、鍾弦を睨み、きっぱりと宣言した。
「鍾弦! 剣を退け! もし、三日月に、かすり傷ひとつでも、負わせたら、貴様……」
 怒り狂う恣拿耶を完全に無視し、鍾弦は三日月に、巧妙な誘導尋問を続けた。
「では、質問を変えよう。お前は、恣拿耶を、本当に愛しているのか?」
「え?」
 質問の意味が判らず、不可解そうに、鍾弦の顔を見上げる三日月。
「その角がある限り、【巫丁族かんなぎひのとぞく】の血が流れている限り、お前たちに安寧はない。つまり、『百鬼狩り令』から逃れるため討伐隊員だった奴を籠絡し、隠れ蓑にしようとしたわけではないんだな? だって、そう疑われても仕方ないだろう。奴はお前と出逢うまで、お前の同族を、散々殺戮して来た男だぞ? 隊長だったこの俺でさえ、脅威を感じるほどにな」
「そ、そんなこと! するわけがありません! 過去はどうあれ、私は心から、彼を……」
「そうか、それを聞いて、安心したよ。ならば、恣拿耶のため、なんでもできるんだな?」
 ここまで来て、ようやく三日月は、鍾弦が云わんとしていることの、真意を悟った。
「……私が、云う通りにすれば、恣拿耶のことは、不問に付してくださる……と?」
 三日月の心が揺らぎ始めたのを察し、恣拿耶が慌てて、鍾弦の言葉を否定した。
「三日月! こんな奴の云うことを聞いてはダメだ! 朝廷はお前を利用したら、必ず口封じにお前を殺すだろう! なにせ『百鬼狩り令』を発布した張本人だ……信じるなよ!」
 鍾弦は忌々しげに舌打ちし、懐のクナイを、恣拿耶めがけて投じた。
「うっ……」
 恣拿耶は、直撃こそ避けたものの、クナイで左腕の一部をえぐられ、小さくうめいた。
「恣拿耶!」と、思わず身を乗り出す三日月。太針剣の切っ先が、チクリと咽に刺さった。
「少し、黙っていてもらおうか……だが」
 冷酷に嗤う鍾弦。
 少し間を開けてから、さらに恣拿耶の怒気に火を注ぐようなセリフを吐いた。
「それにしても、まさか……沈着冷静なお前が、ここまでやるとは、正直なところ、驚いたよ……どうやら董嗎とうまは、しくじったようだな」
 鍾弦の悪態を聞き、恣拿耶は、親友が死にぎわに残した言葉を、思い返して叫んだ。
「貴様か……董嗎の妹を人質に取り、奴を密偵に仕立てたのは! 柚摩ゆまは無事なのか!」
「啊、あの【泪麻るいま】娘か。心配するな。あれだけの美貌と特異体質を持す、金の卵だ。まだ生かしているぞ。しかし、恣拿耶。お前らしくもない。またひとつ、弱味を見せたな?」
 ニヤリと、勝ち誇ったように嗤う鍾弦の顔こそ、まるで鬼のように邪悪だった。
 恣拿耶は、悔しさに歯噛みして、鍾弦の凶相を睨んだ。
「鍾弦、貴様……昔と変わらんな! どこまでも、卑劣な奴め!」
「そういうお前も正義面して、ぐだぐだ綺麗事を並べるところなんか、昔と少しも変わらんじゃないか。いや、成長していないと云うべきか。結局、お前は考えが甘いんだよ。元より【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】には、ふさわしくなかったんだ。よりによって、斯様な【巫丁族】の邪鬼に、心を奪われるとは」
「やめろ! 【巫族】は、邪鬼なんかじゃない!」
 恣拿耶が叫んだ言葉は、鍾弦をイラ立たせたが、三日月の胸には強く響いた。
 感動で、目頭が熱くなる。
「ふん。すっかり、この女に洗脳されたらしいな。愚か者め……とにかく、三日月」
 鍾弦は、三日月の咽に、さらに深く太針剣を喰いこませ、冷然と云い放った。
「こうなった以上、嫌とは云わせんぞ。愛する男を死なせたくはないだろう。我々の指示に従うんだ。さもなくば、恣拿耶は生きてこの軍船から出られなくなるぞ? いいのか?」
 直後、船倉の扉を押し開けて、武器を手にした隊員たちが続々と突入して来た。せまい船倉内部に敵意戦意があふれ返り、窒息しそうなほどの圧迫感を恣拿耶と三日月に与えた。
 恣拿耶は、いよいよ全面対決の覚悟を固めて、左腕に禍力をこめた。しかし彼が【手根刀】を爆発させる寸前、それに気づいた三日月が到頭、悲痛な決心を言葉にしてしまった。
「……云う通りにします。だから、恣拿耶を……無事に逃がして……」
 大粒の泪をこぼしながらも、三日月は愛する男のため、憎い相手に助命嘆願をした。
「三日月! なにを云う! こんな奴ら、俺がすぐに叩き潰してやる! 待ってろ!」
「いけません、恣拿耶! それ以上、鬼業を使えば取り返しのつかないことになります! 私のことなら心配しないで……御上にも多少の情けはあるはずです。私、【巫族】の仲間のためにも朝廷で、この神通力を使ってはっきりさせます。【巫族】は鬼の眷族ではないと……だから『百鬼狩り令』を取り消して欲しいと……これは私に与えられた使命なのです。どうか恣拿耶……この好機を、【巫族】最後の希望を奪わないで……お願いです!」
 三日月は恣拿耶に自分をあきらめさせるため、泪ながらに訴えた。
 千切れそうな胸の痛みと戦いながら、懸命に言葉をつむいだ。
 しかし彼女の発した言葉も、全部が嘘ではなかった。
 彼女は、己の神通力を利用し、同朋を苦しめる悪法廃除を、皇帝陛下に訴えるつもりなのだ。儚い期待ではあったが、なにもせずただ酷使された上、抹殺されるよりはマシだ。
「三日月……俺との、約束は、どうなる!」と、なおも食い下がる恣拿耶。
「ごめんなさい……私一人だけ安全圏に逃げるなんて、やっぱりできません……忘れてください。なにもかも……出逢ってから、今日までのこと……すべて悪い夢だったのです」
「悪い、夢……?」
 恣拿耶は、三日月の口をついて出たセリフに、愕然となった。逆に鍾弦はご満悦である。
「賢明な判断だな。なるほど【巫族】にしては確かにできた女だ。この角さえなければ陛下の目に留まっていたかもしれんぞ。まぁ『百鬼狩り令』廃除の件は、かなり期待薄だが」
 それでも、恣拿耶が助かるなら、かまわない。
 三日月は目を伏せ、もう二度と、恣拿耶を見ないと誓った。
「三日月! 俺を見ろ! 俺は、お前のためなら……ぐっ!」
 背後に居並ぶ隊員に、いきなり棍棒で殴られ、恣拿耶の意識は、遠くなった。
 そして、床板に倒れこんだ恣拿耶は、鍾弦の差配で、有無を云わさず隊員たちに担がれ、船倉から連れ出されてしまった。三日月は、思わず「啊っ!」と、小さな悲鳴を上げた。
「約束は守るゆえ、お前も御方さまのため、精々尽くすのだぞ」
 退室間際の鍾弦に、そうささやかれ、三日月は、ただうなずくことしかできなかった。
 扉が閉まり再び錠が下ろされる。暗い船倉に、一人残された三日月は、愛する男と引き裂かれた悲しさ、憎い仇のため働かなくてはならなくなった悔しさに、声を殺して泣いた。
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