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奈落の麗姫(うるわしひめ)編
第十四話「衣衣恋恋」前編(改訂版)
しおりを挟む第十四話「衣衣恋恋」前編
尾宇美城に臨海軍の旗が翻った時――
「姫様、よもやあの木場将軍が敗れる事は考え難いですが”もしも”の場合もあります。ここは一旦、本営を更に後方の部隊へと移された方が……」
漆黒の軍服姿で座す美姫の傍に控えた銀縁眼鏡の美女がそう進言する。
「……」
「姫様?」
しかし美姫はジッと何かを思うように沈黙したままである。
「……」
「ひめ……陽子様」
あくまで丁寧に、しかし今度は少々強めに方針を問う側近の美女。
「…………そうね、十三子」
そして漸くその言葉に返答する暗黒色の美姫……京極 陽子。
「多分、突破されるわ」
「え?」
とはいえ、返ってきたのは銀縁眼鏡の側近が予測した種類の返答では無く、その側近、十三院 十三子は小さく驚いていた。
「だから、このまま最嘉の思惑通りに事が運ぶでしょう?そうすれば……本営の所在も程無く見抜かれるでしょうね」
「まさか……それは流石に……」
自ら進言した内容であったが……
それは飽くまで”より安全策”を採るという意味合いであった。
それがまさかの――
主君から”しれっ”と出た言葉は、あの”最強無敗”木場 武春を討ち破り、更には幾つもの小隊に紛れたこの本陣を看破するだろうという到底信じられない種類の危機だとは……
数在る陽子の側近中でも特に聡明な十三子でさえ流石に考え及ばない事であったのだ。
「私が最嘉を識る様に最嘉も私を識るのよ。だったら”移動本陣”も直ぐに見つけられる道理でしょう?」
事も無げにそう応える陽子には――
それ以前の、鈴原 最嘉という”一人の武人”が一騎打ちにて最強の木場 武春を破るという金星は既に当然すぎる事象であるのだ。
「で、でしたらっ!ここは直ぐに放棄し後方の部隊へ……いえ!城は現在、敵の手中ですから離脱をっ!そうです、鷦鷯城なら未だ一原 一枝が死守をして……」
「落ち着きなさい、貴女らしくもない」
到底信じ難い予測であるが――
主君の言葉なら間違い無いのだと、十三院 十三子は現在……いや数瞬先の未来に起こりえるだろう絶望的な危機対処のために彼女らしからぬ焦りを見せ、そしてそれを主君に窘められた。
「も、申し訳ありません、陽子様。しかし……」
だが敬愛する主君の前でそんな醜態を晒してでも、十三子は陽子の身の安全を最優先に譲らない。
「そうね……予想は飽くまで最悪の場合だわ。十一が後方部隊の修正に動いている以上はこのまま持ち堪えて、逆に包囲殲滅に成功する可能性の方が高いでしょうね」
そんな家臣を気遣ったのか、暗黒姫は表情を若干緩めて自らの言を少々訂正していた。
「…………は、陽子様」
少し意地の悪い言い方をしたと、自らの言を補完する陽子。
「そうね、全て可能性の話よ。けれど対策はして置かなければならないでしょう?あの希代の詐欺師を相手にしているのだから」
「……」
確かに――
彼女ら王族特別親衛隊にとって、いいや!新政・天都原にとって!
身命を捧げた主君にして国家の象徴たる京極 陽子の身の安全こそが最優先である!!
どの様な小さな綻びも、未来の不安要素も、一つ残らず事前に潰す必要があるのだ。
「尾宇美城奪還に取り掛かっているだろう十一紋 十一と、その部隊を呼び戻します。陽子様は十一の部隊と合流の御用意を!」
そしてそうなると十三院 十三子の行動は迅速で的確だった。
「私はこのまま亜十里達の後方支援に廻りますので……」
そう言いながら十三子はチラリと美姫の傍らに控えるもう一人の少女に目配せをした。
「……フ……フフ」
視線を受けた年端もいかない少女は、ジトッとした三白眼の奥に得体の知れない光りを発し、小さい口元に”にへらぁ”と意味不明の笑みを浮かべながら――
グッ!と親指を立てて応じてみせる。
「……」
誠に解り難い反応だが……多分、
――”まかせてっ!”
という事だろうと、十三子も頷いて返す。
――
「そうね、貴女の言うように一時離脱も考慮しましょう」
そんなやり取りの間に陽子も考えを纏め終えたらしく、ここは腹心の家臣が進言に身を委ねるようであった。
「有り難う御座います、姫様」
主君にペコリと綺麗なお辞儀をした後で、銀縁眼鏡の美女はサッと背を向けた。
「私の槍を――それから兵の半数程は着いて来て下さい」
――”最強無敗”と恐れられた木場 武春将軍が破れるとは考え難い
――けれど”万が一”があっても、直ぐに十倉 亜十里と二宮 二重が守備を固めるはず
――それに十一紋 十一が指揮系統の回復をして廻った包囲網も時間を置かずに再機能するだろう……
普通ならこれでも十分であろうが、鈴原 最嘉の正攻法ではとても量れない奇策の数々を間近で経験する機会があった十三子だからこそ油断はしない!
――万が一が起こり得た時のために!
――その十一も城奪還から急遽呼び戻し、そして姫様を御護りする!
到底あり得ないと思われる不測の事態にさえも二重三重の対策を用意して……
「では、陽子様!」
槍を手に馬に跨がり銀縁眼鏡の忠臣はもう一度一礼してからその場を後にする。
十三院 十三子自身も万全策の一欠片として戦場に向かうのだ!
「鈴原 最嘉様……今回ばかりは貴方様のどの様な神算鬼謀も決して陽子様には届かせません!」
――
―
――だが程なく……
ワアァァァァッ!!ワアァァァァッ!!
京極 陽子が予測した、通常ではあり得ないはずの未来は現実になってしまった。
ワアァァァァッ!!ワアァァァァッ!!
いや、それどころか――
ドドドドドッドドドドドッ!!
ドドドドドッドドドドドッ!!
十三院 十三子と後方部隊を合流させてまで強化した最終防衛線さえもが突破される、考え得る限り最悪の事態だ!
――”縦深攻撃”……ね
ダダダッ!ダダダッ!
圧倒的火力による同時攻撃で敵軍同時粉砕を行うという荒技を兵力に劣る状況で可能にするために、
――”局地”という制限を課す事で顕在化させるなんて……
ダダダッ!ダダダッ!
京極 陽子は馴れぬ馬を駆りながらも呆れていた。
”盤面遊戯の魔女”京極 陽子が用意した包囲陣対策として、鈴原 最嘉が捻り出した切り札は――
とても真面ではない乱暴極まる捨て身の戦術。
十に一つも成功しないだろう奇策を越えた奇策……
――これでは詐欺師というよりは博徒ね
ダダダッ!ダダダッ!
「……全く、笑うしかないわ」
続けてなんとも言えぬ苦い笑みを零す暗黒の美姫。
緊急事態を察知した京極 陽子と護衛の騎馬兵は現行の司令部から脱出し、駆け着ける途中であった十一紋 十一部隊と合流するために馬を駆っていた。
ダダダッ!ダダダッ!
目立たぬように、彼女に随行する護衛はたったの二騎……
合流後は戦場外れに配置した虎の子の予備部隊に合流し、そのままこの地を離れて南下、一原 一枝が守備する鷦鷯城に司令部を移して戦場を再構築する予定であった。
そしてその後は鷦鷯城に再集結させた新政・天都原軍にて、城を包囲している臨海第三軍を撃退する!
予め臨海の九郎江侵攻に失敗した部隊を早々に引き上げさせていた陽子は、海路から再上陸するだろう岩倉 遠海達の軍との挟撃で完全に尾宇美南部を確保できるはずだと……
「……」
京極 陽子の神がかった頭脳は既に新たな戦場の設定に向け戦略を軌道修正し始めていたのだった。
ドドドドドッ!!ドドドドドッ!!
――っ!
そんな中、馬を駆る陽子達の遙か前に砂埃が見えた。
それは一軍の騎影群、此方に一直線に向かって来るということは……
「御姫様っ!無事でなによりさね!!」
それは間違いなく!混乱した後方部隊の再編に向かってそれを成し、そのまま尾宇美城奪還を目指す途中だったのを呼び戻した”王族特別親衛隊”筆頭の十一紋 十一部隊であった。
ドドドドドッ!!
――これで急場は凌げた!
時間さえ得られれば臨海軍の強襲は息切れし、もう余力の欠片も残らないだろう。
陽子は密かに胸をなで下ろす。
「……」
――今回の尾宇美城前の戦いでは、被害は臨海陣営の方が遙かに甚大だろう
――再集結後の再戦では勝機は充分にある!
――けれど……尾宇美城前の戦いは一応は負けになるのかしら?
この時、陽子はそんな事を考える余裕さえあった。
完全に窮地を切り抜けられる確信が出来たからだ。
ダダダッ!ダダダッ!
「……」
――もう少し……あと少しで尾宇美の戦場はもう過去の戦とな……
ドドドドドッ!!ドドドドドッ!!
「させるかよっ!陽子ぉぉ!!」
「っ!?」
だが彼女の背には――
「そう急ぐなよ!いつもいつも連れないお嬢さんだなぁっ!!」
背後から聞き慣れた男の声が浴びせられたのだ。
――くっ!あの…………ばか
陽子はここに来て初めて!その美しい紅の唇を僅かに引き攣らせていた。
ダダダッ!ダダダッ!
「陽子ぉぉっ!」
ダダダッ!ダダダッ!
「……くっ!」
暁最古の王家である天都原王族という良血で、それ故に幼少から文武共に嗜んでいる京極 陽子にとっては馬術も同様だが……
ダダダッダダダッ!
ドドドドドッ!!
常に最高司令官として最奥に在った京極 陽子と、年端もいかない頃から戦場に在って雑兵以上に死と隣り合わせの死線を潜り抜けて来た鈴原 最嘉では……
ダダダダダダッ!!
ドドドドドッ!!
如何せん乗り手の技量と乗馬する馬の潜在能力が違いすぎた!
見る間に二人の距離は無くなり、
――ここまできて……
「このぉぉっ!」
陽子に従っていた一騎が堪らず反転し、しつこく追い縋る鈴原 最嘉に斬りかかる!
「ここはお任せをっ!」
ギャリィィーーン!!
それを今度は、鈴原 最嘉に追随して来た臨海兵士が阻んで、馬上で火花を散らしながら縺れて視界から消えさった!
「領王閣下は先へっ!もう一騎は私が……」
そしてそのままもう一人の臨海兵士が馬を横へ、京極 陽子の最後に残った護衛である二人乗りの騎馬兵に襲いかる!
ザスッ!ザスッ!ザスッ!
「ぐはぁぁっ!!」
だが、その臨海兵士は――
直後に何本もの投擲短刀を体前面に受け、まるでハリネズミの様な姿で落馬していた。
「……フフ……フフフフ」
ジトッとした三白眼。
その奥にある得体の知れない危うい光と、無機質な小さい口元に”にへらぁ”と不気味な笑みを浮かべて――
”王族特別親衛隊”の四枚目にして精神病質少女!
暗器使いの四栞 四織が二人乗り騎馬の後座にて、スカート端を両手に握りしめ立ち上がって嗤っていたのだった。
第十四話「衣衣恋々」前編 END
応援ありがとうございます!
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