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奈落の麗姫(うるわしひめ)編
第十四話「衣衣恋恋」後編
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「降伏した新政・天都原兵士達は今のところ大人しくしているか……」
正面に畏まって立った宗三 壱に俺は頷いていた。
「で?」
そしてそれまで目を通していた草加 勘重郎からの定時連絡書類を一旦は肘掛けに置いて本格的に壱の報告を聞く体勢に入る。
――此処は制圧したばかりの尾宇美城、”玉座の間”
現在は戦後処理の真っ只中であった。
「現在は真琴の兵が万全の監視をしているので其方は問題ないかと思いますが、それより……」
「鷦鷯城か?」
壱の言葉を先回りする俺。
尾宇美城決戦が決着し、新政・天都原の統治者である京極 陽子を虜囚にした事で戦争自体には決着がついた、しかし――
「香賀美領の香賀城は降伏を受け入れたのですが……」
一原 一枝が立て籠もる鷦鷯城は未だ門を閉ざしたまま抗戦の意志を維持していた。
「ここに来て陽子を奪還……なんて無茶は流石に考えてないだろうが、無血開城を条件にでもして陽子の命を保障させる算段か?」
俺は正面の壱から視線を外し、玉座に座している俺の隣に控えて立つ、給仕姿の美女に問いかける。
――下ろせば長そうな髪をアップに纏めた如何にも温和そうな落ち着いた大人の女性
古風なシルエットのロングスカートワンピースにエプロン姿、頭にはレースのヘッドドレスという……
鎧の類いを一切身に纏わない伝統的な給仕。
彼女は尾宇美城決戦終結より一足先に鷦鷯城での攻防で捕虜にした、新政・天都原の将校にして京極 陽子が子飼いの王族特別親衛隊が七枚目、七山 七子である。
「一枝ならば在り得る思考だと思います」
俺の指名を受けて、正面の宗三 壱に”横合いからすみません”とばかりに先にお辞儀をしてから簡潔に答える七子。
「…………では、どうする?」
「全ては陽子様の御意向次第でしょう。姫様のお言葉を介さなければ、一原 一枝を説得するのは非常に困難かと」
続いて聞く俺にも七子は淀みなく答えていた。
「……」
――なるほど、確かに”アレ”はそういう難物だったな
この期に及んでは、鷦鷯城を包囲している熊谷 住吉の軍に命じて力尽くで蹴散らすのも容易ではあるのだが……
――ここまで来て余計な遺恨を残すのは悪手だ
――なによりも……
「これ以上死傷者を出すのは避けたいな」
漏らした俺の言葉に、控える給仕は僅かに微笑んでからサッと膝を折った。
「最嘉様、ならば是非に我が主君……京極 陽子様を御説き伏せ下さい!」
――
俺は黙ったまま給仕女の旋毛を眺めていた。
「最嘉様にしか為し得ない事と!……不躾ながらこの近衛 冬香、懇願申し上げ奉ります」
頭を深々と垂れたままで、女は切な声で訴えてくる。
王族特別親衛隊が七枚目、軍属としての士官名である”七山 七子”でなく、天都原王家に仕える家系、本名の近衛 冬香で訴えてくる辺り……
女の真剣さが窺い知れる。
「……」
それはつまり陽子の決意が……
それが既に固まっていると知るからこその、臣たる者の心からの嘆願だったろう。
「……」
「……」
「……」
俺と壱、そして頭を下げたままの七子と――
重い空気が支配する中で俺は……
「……」
――秩序と法を以て世を治める事を至上とする美姫と、
――時にそれを反故にしかねない曖昧な決断をも良しとする、俺……
天下を治めるに、二人の矜恃は相容れない。
俺は――
俺達はそれを承知だからこそ、お互いがお互いを屈服させようとした。
圧倒的な実力差を見せつけ、それさえも委ねられると思わせる様な大器を示すため……
だが――
「……」
尾宇美決戦が決着した時、俺の腕の中で力なく撓垂れた美姫を思い返す。
「最嘉……様?」
難しい表情で黙り込んだ俺に、頭を下げたままの七子が心配そうな視線だけを向けていた。
「……」
美しい容姿を泥に穢された陽子が、
彼女が虜囚となった以降に一言も言葉を発しなかったのは……
「…………俺には」
俺が尾宇美決戦前に自らに課したもの、
それは、”無垢なる深淵を亡くすことなく終結させること”
鈴原 最嘉史上最も困難な戦争と知って挑んだ結果が、激戦の果てに薄皮一枚の辛勝という……なんとも無様な勝利と言えるのかさえ疑問な出来損ないの結果だった。
彼女の矜恃を問答無用で捻伏せるには程遠い代物だったのだ。
「……くっ」
陽子は俺に負けるとは思っていなかっただろう。
もし、万が一、そういう事が在り得るならば……
――
”そういう”覚悟を実行する!
鈴原 最嘉を力尽くで従えさせてでも同じ未来を生きる事を望みながら……
それがどう在っても不可能ならば、その鈴原 最嘉を躊躇無く排除する!
陽子はそういう矛盾を共存させる事ができる、恐ろしく美しい生き方の女なのだ。
――
俺が欲しいのも本心、俺が邪魔なのも本心……
京極 陽子には戦場以外での虚構は無い。
「…………ふっ」
自然と、意識した訳でなく俺は……
「最嘉……様?」
心配の視線が不可解な表情に変わる給仕女だが、俺にはもう視界に入っておらず……
俺は玉座の間にはいない、脳裏に浮かんだ黒髪の美少女のみを想う。
――何時も余裕で、少し意地悪い
――会う度にその整った紅い唇で俺に微笑みかける……
「ふふっ……」
七山 七子が不審がった視線を向けるのも無理は無い。
この状況で俺は……
胸の奥をじんわりと暖かく浸す感覚で知らぬ間に口元が緩んでいたのだ。
――本気で欲して、本気で殺す
――共生を望み、共存を拒む
心底……”我が儘な女”だ。
俺の心はチリチリと焼けるような想いで、鼓動は静かに熱く脈打つ。
それは唯一の感覚。
京極 陽子という、俺にとって唯一の感覚であったのだ。
「……」
――”だからこそ”俺は……
”最悪”の行く末を受け容れるわけにはいかない!
――そうだ、気に入らない未来を変えるため求め蓄えた”力”だった……な、
――嘉深
そうして、ふと俺の心に浮かんだのは、疾うの昔に亡くした妹の姿。
鈴原 最嘉の認識不足と力不足で永遠に失ってしまった掛け替えのない存在。
「…………」
断じて陽子を重ならせるワケにはいかないっ!
――そうだ!俺が現在まで戦い抜き、得ようとしている”本願”とは……
「わかった。必ず説得してみせる」
長い沈黙の後で漸く俺はそう口にしていた。
「最嘉様!」
ハッと顔を上げ、眩しい笑顔を見せる七山 七子。
「……ふぅ」
少々苦々しくも、それでも納得した表情の宗三 壱。
皆、望む未来は同じでも……
それは殆ど不可能で、至難と表現出来得るならば幸いなくらいだ。
だが困難さ故に明確に言葉に出来ていなかったその解答を口にしてみれば……
「……よし」
やはり俺には”それしか無い”と確信できた。
――そうと決まれば
ガタッ
俺は速やかに座を立つ。
「壱、後は任せる。俺はちょっとばかり難儀で、これ以上無いくらい魅力的なお嬢様を口説き落としてくる」
そして、愛しい女に仕える給仕を従えてその場を後にするのだった。
――
―
「紗綾香、最嘉様が陽子様に面会を……大丈夫ですか?」
コンコンコンコン――と、
重厚なドアにノックをした七山 七子は、主君の傍近くに控えているだろう妹にドア越しで声をかける。
――ガチャ
「冬香姉さん……はい、大丈夫です。臨海の領王閣下もお入り下さい」
暫く間があってから静かにドアが開き、七山 七子の実妹である十三院 十三子が顔を出したかと思うと丁寧に俺達を部屋内へと促した。
「……」
少々緊張気味で部屋に入った俺と、ドア付近で頭を下げて控える二人の姉妹。
尾宇美城貴賓室に軟禁中の京極 陽子は捕虜と言っても特別待遇であった。
拘束されるどころか、従来通りに側近として侍女として長年彼女に仕える十三子……
天都原王家の遠縁にあたり伯爵令嬢でもある近衛紗綾香が陽子の傍近くに控えて世話をするという、普段となんら変わらぬ環境だ。
――まぁ流石に、城はおろかこの部屋からの外出は許可されてはいないが……
「随分と久しぶりね……最嘉」
豪華な貴賓室が部屋の中央辺りで腰掛けて、こちらを見る美姫は――
彼女の特徴でもある美しく輝く緑の黒髪を下ろし、落ち着いた装いながらも胸元と裾に繊細な刺繍の施された優しい色合いのドレス姿であった。
「…………戦からまだ二日しか経ってないぞ」
淡いピンクの可愛らしい装いで、優雅に腰掛け微笑む絶世の美姫。
当然の如くに見蕩れながらも、なんとかその事実を返す俺だが……
「そうだったかしら?そうね、こんな処に居ると時の流れから無縁にもなるわ」
――くっ!
相変わらず極自然に皮肉を織り交ぜてくる才媛だ。
「きょ、今日は黒一色ではないんだな……はる」
「何時もそういうイメージカラーで居るわけではないわ、似合わないかしら?」
――おぅっ!?
少々”はにかんで”応える正真正銘の美少女に!不覚にも俺の心臓は大きく跳ねる!
「ぐ……うぅ……く、俺の負けだ…………めちゃくちゃ……似合ってる」
なにが負けなのかサッパリ意味不明だが、俺はそう絞り出していた。
「最嘉にそう言われると素直に嬉しいわ」
そして応じる美姫の表情はそれとは対照的に少し憂いを帯びて……
「……」
――俺はこんな日常会話をしに来た訳ではない
「…………はる」
意を決して彼女にそれを尋ね……
「尾宇美城強襲、背後からの部隊はどうやって?」
「……」
その矢先に俺の決意は見事に遮られていた。
「香賀美領の香賀城は万全だったでしょう?海路も封鎖していた。なのに貴方の部隊は後背から出現した……教えてもらえるかしら?」
至高の笑みを浮かべながら問いかける美姫は――
「…………お前ならもう察しがついてるだろう」
少々ふて腐れ気味にそう応える俺に”ふふふ”と漆黒の双瞳を細めたままだ。
「なんだよ、感想戦でもしようってか?そんなことより……」
だがそれどころでない俺は、陽子の生死に関わる話をするため意気込んで来た俺は、
ぶっきらぼうにその話題を終わらせようとするが――
「敗北した理由を明確にしたいだけよ。過ぎた尾宇美の事で特に遺恨とか文句なんて在るはずもないわ、駄目かしら?」
微笑む美姫は憎らしいほどの余裕で、だが何処か何時もの彼女とは思えぬ寂しい瞳にも見えた。
――ちっ!
「………………世界分断以前の、西方大陸での……城塞戦を参考にした」
――その真摯な視線に
――その切ない双瞳に
俺は自然と応じてしまう。
「凡夫をその一戦のみで後世に”征服王”と至らしめた……そう、船が山を越えたのね」
そして矢張り……
それだけで――
いや、既に予想していたと考えた方が自然だろうが、この才媛は俺の仕込んだ奇策に対して完璧な推測をしていたのだ。
世界が”近代国家世界”と”戦国世界”に別たれるまだ以前に……
海の向こう、大陸の遙か西方にて起こったという二大国家同士の戦争。
難攻不落の城塞都市攻略戦で、攻める側は終始海路を遮断され続けたらしいが……
なんと攻め手の王は船を陸に引き上げ、密かに丘を越えて川から奇襲を仕掛けたという。
この奇策に守備側は大いに混乱し、結果敵にその後の趨勢に大きく影響した、そういう戦史から発想を得た俺の策を……
「それで香賀城方面戦はその後も継続していたのね」
俺に言うというよりは独り納得したように、形の良い顎を小さく頷かせる美姫。
――
戦史の王は一帯に油を引き、丸太を土台に敷き詰めて船を引っ張ったらしいが……
そこまで人手を割けない状況であった我が臨海軍は、予め香賀美領の山中に潜伏させていた神反 陽之亮の特殊工作部隊”闇刀”に現地にて木を伐採させていた。
来たる時の為に”組み立て式”の簡易船を幾つか用意させる為だ。
実行以前に新政・天都原軍に事が露呈しては元の木阿弥であるから、行軍時に資材を運ぶような目立つことは出来ず、実際に送り込む別働隊も少数に成らざるを得ない状況での苦肉の策だったとも言える。
だが何よりも――
今、陽子が真っ先に指摘した様に、臨海軍第二軍本隊は当初の作戦目標である尾宇美合流を失敗した後も香賀城攻略に張り付いてしつこく攻撃を続行した。
それは工作部隊や別働隊へと意識が向かないよう、最大限注意を逸らすためであった。
「本当に”綱渡り”を好むのね、最嘉は……」
諦めた様に穏やかに微笑む女に俺はもう限界だった。
「いい加減にしろよ、陽子!」
「……」
「もういいだろ?俺とお前の戦は終わったんだ。これ以上は必要ない、この後は……」
らしくない彼女を見ているのが辛くなり、俺は一気に本題に踏み入るも、
「貴方と私は目指すものが似ていても方法が違いすぎるわ、それは最初から解っていた事でしょう?」
――ちっ!
「だから?それがどうした!敗者は勝者に従うのが……」
「私を処断しなさい、最嘉」
「……」
――にべもない
陽子との付き合いはそれなりに長いが……
今までで最も”にべもない”拒否の言葉だった。
「国家を導く頂点はひとつだけ。”船頭多くして……”と謂われるのは理解しているでしょう?」
――飽くまで自分の存在をそう位置づけるのかよっ!
「ああ……今回は本当に船は山を登ったのだけれど、ふふふ」
「……」
そして似つかわしくない、くだらない言い回しで場を濁す女。
「お前はどうだか知らないがな。俺は惚れてんだよ、そう簡単に失うわけには……」
「私も好きよ、最嘉。私の人生では唯一だったわ」
――平然と
”だったわ”と俺達を過去にする女に俺は心底……
いや、平然とそういう嘘を最後の言葉にしようとする女に俺は……
目の前で火花が散った錯覚を感じ、直後に理性が飛んでいた!
「お前の”魔眼”は天都原王に捧げたんだろうがっ!」
――そう、最悪の場面で
――最低の機会に”それ”を口にしてしまった俺
「…………」
陽子はただ黙って……
そして先ほどまでの穏やかな微笑みは一瞬で消え、ゾッとする冷たい暗黒の双瞳で俺を見据えていた。
「くっ……」
後悔先に立たず……とは、正しく今の俺の為にある言葉だろう。
「そう……それが最嘉の私に対する評価、想いなのね」
冷たい……
本当に温度の霧散した奈落の双瞳。
「ちが……いや……」
――違わない
――けど……
「だったらどうだと、陽子に良いように利用されるのは昔も今も同じだ、いまさら……」
俺は熱い気持ちしか持たず……
「いまさら…………なにかしら?」
陽子は冷たい奈落の双瞳で……
「だ、だから……俺はそれでも陽子を失いたくないと……」
「……」
俺は……
「俺はお前をずっと……ずっと……」
徒手空拳で挑む。
「……」
――否
「今回は俺の言うことを聞いてくれ、頼むから」
無防備を晒して無様に請い縋る。
――
陽子は……
そんな俺を見詰める暗黒の双瞳は……
「最嘉のことは好きよ、愛してるわ。けれど…………」
そうして可愛らしい装いだった美姫は、戦場と変わらぬ”無垢なる深淵”へと……
「顔も見たくないくらい大嫌いだわ」
恐ろしいほど研ぎ澄まされし氷の双瞳で俺を見ていたのだった。
第十四話「衣衣恋恋」後編 END
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