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新学期が始まって学園に通うようになったら、きっと煩わしい思いをするだろう。エリザベスはそう覚悟をしていたが、思いの外、周囲の学生達は静観している。
協調関係にある侯爵家と伯爵家の婚約が破談になったのだ。それなりの大事であろうから、影で噂されるのは仕方が無い。
耳に入る距離だけは勘弁願いたいと構えていたが、そこは高位貴族間の婚約関係であったから、迂闊な事は口に出さないでいる様であった。
これが一年前であったなら、もう少し騒々しかったのかも知れない。
最終学年を迎えて、皆卒業後を見据え始めたのだろう。
侯爵家令息のウィリアムは当然の事、伯爵家次期当主に据えられているエリザベスを軽んじるのは得策ではない事を、皆十分承知しているらしかった。
けれども、当事者のウィリアムが同じ学園に通っているのだから、なるべく顔を会わせないよう神経を使う毎日は、エリザベスにとっては正直疲れるものである。
元々図書室で過ごす時間は多かった。
邸に戻れば後継教育が待っている。学園での課題は学園にいる内に片付けたい。
放課後を図書室で過ごして邸に戻れば、姉とウィリアムがお茶を一緒に楽しんでおり、それに時々母も加わっていたりして、どっと疲れてしまうなんてことも珍しくなかった。
大体、同じ学園にいるのだから、態々エリザベスの邸に寄らなくても、学園で待っているなり一緒に図書室で過ごすなり出来たのだ。
邸の客室やテラスで「リズ、待っていたよ。」なんて、どの口が言っていたのだろうか。
お帰りと、こちらを見つめる三人の顔を思い出して、既に終わってしまった事であるのにエリザベスは溜息が出てしまった。
そうして、こうして図書室で過ごしていたのも、無意識のうちに、姉とウィリアムが過ごす邸に戻りたくなかったのではないかと思ったりもする。
それももう終わった。流石に母は姉ほど無神経では無いようで、ウィリアムについて口に出すことは無い。姉との二人きりの会話は、あれからはエリザベスの方で避けている。
課題も終えて、いつまでもこうしていても仕方が無い。そろそろ迎えも来ている頃だと席を立ち図書室を出た。
そうして学園の馬車留まで来て、見慣れない馬車が目に入った。
いや、知ってはいる。ただ学園では見ないだけで。
あれはモーランド侯爵家の紋章であるから。ウィリアムが残っているのではない。馬車の種類も馬も御者も違う。
エリザベスの姿を認めたのか、開け放たれた扉から男が降りてくる。
一体何があったのか。胸騒ぎがする。
「お疲れ、エリザベス。」
「ジョージ様。」
思わずカーテシーをしようとして
「おいおい止めてくれないかエリザベス。そんなにかしこまらないでくれ。」
止められてしまった。
学生達は大半が帰宅している為、周りに人は疎らであるが、それでもちらほら見受けられて、皆こちらを注視している。その気配を背中に感じながら、ジョージに伴われて馬車に乗った。
「ジョージ様。」
「ん?なにかな?」
「ウィリアム様をお迎えに?」
「真逆。」
では何故学園に来たのだろう。
戸惑いが顔に書いていたらしいエリザベスを見て、
「はは、ごめん驚かせたね」
ジョージは鷹揚に言う。
こうして対面するのは久しぶりの事である。エリザベスの迎えの馬車は、先に邸へ帰されたのだろう。後で父に何があったかを報告しなければならない。
頭の中でこれからの事を思案していると、
「エリザベス。」名を呼ばれて俯いていた顔を上げた。
懐かしい笑みである。
この微笑みを幼い頃から知っている。
ここ数年、いやウィリアムと婚約してから、こうして二人きりで会うことも、向かいあって座ることも無かった。
「迷惑を掛けたね。」
何故、貴方が謝るの?
「ウィリアムがもう少し身の程を弁えてくれたら、君を傷付ける事もなかったのに。」
「いいえ、ジョージ様。貴方様が謝る事ではありません。お詫びをしなければならないのは我が家も同じですから。」
「何故?」
「姉が、」「いや、いいよ。」
エレノアにも責任の一端はあろう。ジョージは不快に思っていないのだろうか。
そこまで考えて、ふと気づいた。馬車は何処へ向かっているのだろう。
エリザベスの戸惑いに気付いたらしいジョージが言う。
「最近カフェが出来ただろう?」
ああ、そんな話を学園でも耳にした。
「あれは私がオーナーなんだが、良ければ君をお誘いしたくてね。」
ジョージは帝国での留学期間で経営学を学んでいたらしい。帰国してからは様々な事業に着手しており忙しそうであった。真逆カフェまで経営を始めていたとは。
将来侯爵家を支える立場である自分の耳の遅さに恥じ入ってしまう。
「安心して。私が個人的に興した事業だよ。侯爵家のものではないんだ。だから知らなくて当然なんだよ。」
穏やかな眼差しに安堵をする。
黒髪に榛の瞳。
金髪蒼眼のウィリアムとは全く似ていないのは、お祖父様の隔世遺伝であるからか。
見目も纏う雰囲気もまるで似つかない兄弟であった。
この人と一緒であったなら、今頃こんな事にはなっていなかったのではないか、思わずそんな事を考えて、いやいや姉とジョージ様は慕い合って婚約したのだ。後継を妹に譲る程に。そんな事を考えていると、馬車は目的地へ着いたようであった。
協調関係にある侯爵家と伯爵家の婚約が破談になったのだ。それなりの大事であろうから、影で噂されるのは仕方が無い。
耳に入る距離だけは勘弁願いたいと構えていたが、そこは高位貴族間の婚約関係であったから、迂闊な事は口に出さないでいる様であった。
これが一年前であったなら、もう少し騒々しかったのかも知れない。
最終学年を迎えて、皆卒業後を見据え始めたのだろう。
侯爵家令息のウィリアムは当然の事、伯爵家次期当主に据えられているエリザベスを軽んじるのは得策ではない事を、皆十分承知しているらしかった。
けれども、当事者のウィリアムが同じ学園に通っているのだから、なるべく顔を会わせないよう神経を使う毎日は、エリザベスにとっては正直疲れるものである。
元々図書室で過ごす時間は多かった。
邸に戻れば後継教育が待っている。学園での課題は学園にいる内に片付けたい。
放課後を図書室で過ごして邸に戻れば、姉とウィリアムがお茶を一緒に楽しんでおり、それに時々母も加わっていたりして、どっと疲れてしまうなんてことも珍しくなかった。
大体、同じ学園にいるのだから、態々エリザベスの邸に寄らなくても、学園で待っているなり一緒に図書室で過ごすなり出来たのだ。
邸の客室やテラスで「リズ、待っていたよ。」なんて、どの口が言っていたのだろうか。
お帰りと、こちらを見つめる三人の顔を思い出して、既に終わってしまった事であるのにエリザベスは溜息が出てしまった。
そうして、こうして図書室で過ごしていたのも、無意識のうちに、姉とウィリアムが過ごす邸に戻りたくなかったのではないかと思ったりもする。
それももう終わった。流石に母は姉ほど無神経では無いようで、ウィリアムについて口に出すことは無い。姉との二人きりの会話は、あれからはエリザベスの方で避けている。
課題も終えて、いつまでもこうしていても仕方が無い。そろそろ迎えも来ている頃だと席を立ち図書室を出た。
そうして学園の馬車留まで来て、見慣れない馬車が目に入った。
いや、知ってはいる。ただ学園では見ないだけで。
あれはモーランド侯爵家の紋章であるから。ウィリアムが残っているのではない。馬車の種類も馬も御者も違う。
エリザベスの姿を認めたのか、開け放たれた扉から男が降りてくる。
一体何があったのか。胸騒ぎがする。
「お疲れ、エリザベス。」
「ジョージ様。」
思わずカーテシーをしようとして
「おいおい止めてくれないかエリザベス。そんなにかしこまらないでくれ。」
止められてしまった。
学生達は大半が帰宅している為、周りに人は疎らであるが、それでもちらほら見受けられて、皆こちらを注視している。その気配を背中に感じながら、ジョージに伴われて馬車に乗った。
「ジョージ様。」
「ん?なにかな?」
「ウィリアム様をお迎えに?」
「真逆。」
では何故学園に来たのだろう。
戸惑いが顔に書いていたらしいエリザベスを見て、
「はは、ごめん驚かせたね」
ジョージは鷹揚に言う。
こうして対面するのは久しぶりの事である。エリザベスの迎えの馬車は、先に邸へ帰されたのだろう。後で父に何があったかを報告しなければならない。
頭の中でこれからの事を思案していると、
「エリザベス。」名を呼ばれて俯いていた顔を上げた。
懐かしい笑みである。
この微笑みを幼い頃から知っている。
ここ数年、いやウィリアムと婚約してから、こうして二人きりで会うことも、向かいあって座ることも無かった。
「迷惑を掛けたね。」
何故、貴方が謝るの?
「ウィリアムがもう少し身の程を弁えてくれたら、君を傷付ける事もなかったのに。」
「いいえ、ジョージ様。貴方様が謝る事ではありません。お詫びをしなければならないのは我が家も同じですから。」
「何故?」
「姉が、」「いや、いいよ。」
エレノアにも責任の一端はあろう。ジョージは不快に思っていないのだろうか。
そこまで考えて、ふと気づいた。馬車は何処へ向かっているのだろう。
エリザベスの戸惑いに気付いたらしいジョージが言う。
「最近カフェが出来ただろう?」
ああ、そんな話を学園でも耳にした。
「あれは私がオーナーなんだが、良ければ君をお誘いしたくてね。」
ジョージは帝国での留学期間で経営学を学んでいたらしい。帰国してからは様々な事業に着手しており忙しそうであった。真逆カフェまで経営を始めていたとは。
将来侯爵家を支える立場である自分の耳の遅さに恥じ入ってしまう。
「安心して。私が個人的に興した事業だよ。侯爵家のものではないんだ。だから知らなくて当然なんだよ。」
穏やかな眼差しに安堵をする。
黒髪に榛の瞳。
金髪蒼眼のウィリアムとは全く似ていないのは、お祖父様の隔世遺伝であるからか。
見目も纏う雰囲気もまるで似つかない兄弟であった。
この人と一緒であったなら、今頃こんな事にはなっていなかったのではないか、思わずそんな事を考えて、いやいや姉とジョージ様は慕い合って婚約したのだ。後継を妹に譲る程に。そんな事を考えていると、馬車は目的地へ着いたようであった。
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