23 / 32
【23】
しおりを挟む
新緑の眩しい季節に、婚姻式は領地の教会で執り行われた。
王都では婚姻後にお披露目の茶会を開いて、それを婚姻の挨拶とした。
出産を控えるエミリアが、領地での式に出席出来ないのを悔やんでいた。馬車で片道三日の行程は、妊婦には無理であったから。妻の身体を案ずるウォルターも王都に残った。
カテリーナの子爵家を含む、グレイ伯爵家傘下の一族達に見守られての婚姻式であった。
アナベルはこの婚姻式を以って一族に加わる。華やかな式に浮かれる気持ちは起こらなかった。
それよりも胸の奥から沸いてくる、この大地と一族領民を夫と共に守り繁栄させて行くことへの覚悟と決意を、神への誓いの言葉に重ねた。
新年の茶会からは三月が過ぎていた。
いつこれ程の心配りが出来たのか、母はアナベルの婚姻ドレスの誂えに見事な差配を見せた。学園を卒業したばかりと思えぬ気品あるアナベルの花嫁姿は、濃いサファイアの瞳と相まって美しく人々の記憶に残った。
学園の卒業直後の婚姻式は慌ただしく、余計な事を考える暇は無かった。それは、僅かでも隙が出来れば思い出すと言うことでもあった。
噂話しに溢れ返る王都よりも、山脈に抱かれた新緑眩しい領地の方が、アナベルを迎え入れる確かな安心感を与えてくれた。
式の後も三日三晩の宴が続いた。
貴族ばかりで無く、領地を支える平民の有力者達にも伯爵家の迎えた新妻だと顔見せをする。
街へ降りて領民達とも言葉を交わし、若奥様と皆に呼ばれて手を振り返した。
領民は皆温かであった。
王都生まれの王都暮らしであったアナベルに経験したことの無い、「一族の誇り」を自覚させた。
学園で一緒であったカテリーナは、疾うの昔に知り尽くしていた事だろう。
彼女は学生の時から既に、領主と領地を支える貴族の顔をしていたから。
生家であったアビンドン伯爵領の領民に、今迄こんな気持ちを持たぬままに育ってしまったことを申し訳なく思った。庇護の下で世間を知らずに育って、貴族の根幹に理解が及ばなかった娘時代の反省は、婚家の繁栄の糧にしようと誓って王都へ戻った。
「アナベル、すっかり伯爵夫人の顔になったわね。」
生家を訪ったアナベルを姉妹が囲む。
「お姉様、御身体はどう?」
「もう、いつ出て来てくれてもOKよ。」
気さくな口ぶりでエミリアが応えた。
「アナベルお姉様、とてもお美しかったわ!私もあんなドレスにしたいわ!」
「あら、マーガレット。貴女、私にもそんな事を言っていたじゃない。」
興奮気味のマーガレットをアリシアがからかう。
アリシアもこの秋婚姻を控えている。
真逆、アナベルが先になるとは思わなかった。そんな事を姉妹で話したのだった。
ほんの少し前まで住んでいた邸は、もう他家の邸宅に感じられた。
伯爵邸に移り住み、奥様と呼ばれて使用人に傅かれ、家政を覚える。
その一日一日が、アナベルを夫人として育てて行った。
当主の部屋があり、夫人の部屋があり、夫婦の部屋がある。
独り寝していたのは、ついこの前であったのに、自分とは違う熱い身体と共に横たわりながら、生まれたときからそうして来たように思えるのが不思議であった。
もう独り寝には戻れない。
背中から抱き締められて、すっぽりと包まれて眠る安堵感。平民は家族が皆一緒に眠ると聞いたことがあったが、それはとても素敵な習慣であると思えたアナベルであった。
「母が寂しがっているようだな。」
朝食の席でお行儀悪く文を読んでいたデイビッドが言う。
朝一番の早馬で届けられた文である。
「届いたなら直ぐに読まねば。あの人がどんな無理難題を吹っ掛けてくるか分かったものではないからね。」
言い訳めいた事を言いながら、その実、互いを案じ合う家族の姿は、いつ見てもアナベルを温かな心持ちにさせる。
文には嫁いだばかりのアナベルが、不自由してはいないかと認(したた)められていた。
「私も寂しいです。お義母様にもお義父様にも、また近い内にお会いしたいと。」
「そんな事を言ったら明日にも来るよ?母は馬を駆けるからね。」
「真逆。」
「追い付くのは私でも至難の技だよ。スピード狂だな、あれは。」
他愛もない話しに朝から笑える幸せ。
私は、この幸せを守らねばならない。
貴方が私を妻にした事を、幸せな事だと思ってほしい。
間違っても、彼女であったならなどと思わせぬ様に、私は貴方の笑顔を確かめる。
拭っても拭っても落ち切れない染みの様に心を染める黒い点を、アナベルは忘れる事が出来ない。
その心を抱えたまま、この男の幸せの中に自分が含まれていてほしいと願っていた。
王都では婚姻後にお披露目の茶会を開いて、それを婚姻の挨拶とした。
出産を控えるエミリアが、領地での式に出席出来ないのを悔やんでいた。馬車で片道三日の行程は、妊婦には無理であったから。妻の身体を案ずるウォルターも王都に残った。
カテリーナの子爵家を含む、グレイ伯爵家傘下の一族達に見守られての婚姻式であった。
アナベルはこの婚姻式を以って一族に加わる。華やかな式に浮かれる気持ちは起こらなかった。
それよりも胸の奥から沸いてくる、この大地と一族領民を夫と共に守り繁栄させて行くことへの覚悟と決意を、神への誓いの言葉に重ねた。
新年の茶会からは三月が過ぎていた。
いつこれ程の心配りが出来たのか、母はアナベルの婚姻ドレスの誂えに見事な差配を見せた。学園を卒業したばかりと思えぬ気品あるアナベルの花嫁姿は、濃いサファイアの瞳と相まって美しく人々の記憶に残った。
学園の卒業直後の婚姻式は慌ただしく、余計な事を考える暇は無かった。それは、僅かでも隙が出来れば思い出すと言うことでもあった。
噂話しに溢れ返る王都よりも、山脈に抱かれた新緑眩しい領地の方が、アナベルを迎え入れる確かな安心感を与えてくれた。
式の後も三日三晩の宴が続いた。
貴族ばかりで無く、領地を支える平民の有力者達にも伯爵家の迎えた新妻だと顔見せをする。
街へ降りて領民達とも言葉を交わし、若奥様と皆に呼ばれて手を振り返した。
領民は皆温かであった。
王都生まれの王都暮らしであったアナベルに経験したことの無い、「一族の誇り」を自覚させた。
学園で一緒であったカテリーナは、疾うの昔に知り尽くしていた事だろう。
彼女は学生の時から既に、領主と領地を支える貴族の顔をしていたから。
生家であったアビンドン伯爵領の領民に、今迄こんな気持ちを持たぬままに育ってしまったことを申し訳なく思った。庇護の下で世間を知らずに育って、貴族の根幹に理解が及ばなかった娘時代の反省は、婚家の繁栄の糧にしようと誓って王都へ戻った。
「アナベル、すっかり伯爵夫人の顔になったわね。」
生家を訪ったアナベルを姉妹が囲む。
「お姉様、御身体はどう?」
「もう、いつ出て来てくれてもOKよ。」
気さくな口ぶりでエミリアが応えた。
「アナベルお姉様、とてもお美しかったわ!私もあんなドレスにしたいわ!」
「あら、マーガレット。貴女、私にもそんな事を言っていたじゃない。」
興奮気味のマーガレットをアリシアがからかう。
アリシアもこの秋婚姻を控えている。
真逆、アナベルが先になるとは思わなかった。そんな事を姉妹で話したのだった。
ほんの少し前まで住んでいた邸は、もう他家の邸宅に感じられた。
伯爵邸に移り住み、奥様と呼ばれて使用人に傅かれ、家政を覚える。
その一日一日が、アナベルを夫人として育てて行った。
当主の部屋があり、夫人の部屋があり、夫婦の部屋がある。
独り寝していたのは、ついこの前であったのに、自分とは違う熱い身体と共に横たわりながら、生まれたときからそうして来たように思えるのが不思議であった。
もう独り寝には戻れない。
背中から抱き締められて、すっぽりと包まれて眠る安堵感。平民は家族が皆一緒に眠ると聞いたことがあったが、それはとても素敵な習慣であると思えたアナベルであった。
「母が寂しがっているようだな。」
朝食の席でお行儀悪く文を読んでいたデイビッドが言う。
朝一番の早馬で届けられた文である。
「届いたなら直ぐに読まねば。あの人がどんな無理難題を吹っ掛けてくるか分かったものではないからね。」
言い訳めいた事を言いながら、その実、互いを案じ合う家族の姿は、いつ見てもアナベルを温かな心持ちにさせる。
文には嫁いだばかりのアナベルが、不自由してはいないかと認(したた)められていた。
「私も寂しいです。お義母様にもお義父様にも、また近い内にお会いしたいと。」
「そんな事を言ったら明日にも来るよ?母は馬を駆けるからね。」
「真逆。」
「追い付くのは私でも至難の技だよ。スピード狂だな、あれは。」
他愛もない話しに朝から笑える幸せ。
私は、この幸せを守らねばならない。
貴方が私を妻にした事を、幸せな事だと思ってほしい。
間違っても、彼女であったならなどと思わせぬ様に、私は貴方の笑顔を確かめる。
拭っても拭っても落ち切れない染みの様に心を染める黒い点を、アナベルは忘れる事が出来ない。
その心を抱えたまま、この男の幸せの中に自分が含まれていてほしいと願っていた。
3,072
あなたにおすすめの小説
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
さよなら 大好きな人
小夏 礼
恋愛
女神の娘かもしれない紫の瞳を持つアーリアは、第2王子の婚約者だった。
政略結婚だが、それでもアーリアは第2王子のことが好きだった。
彼にふさわしい女性になるために努力するほど。
しかし、アーリアのそんな気持ちは、
ある日、第2王子によって踏み躙られることになる……
※本編は悲恋です。
※裏話や番外編を読むと本編のイメージが変わりますので、悲恋のままが良い方はご注意ください。
※本編2(+0.5)、裏話1、番外編2の計5(+0.5)話です。
私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
私が彼から離れた七つの理由・完結
まほりろ
恋愛
私とコニーの両親は仲良しで、コニーとは赤ちゃんの時から縁。
初めて読んだ絵本も、初めて乗った馬も、初めてお絵描きを習った先生も、初めてピアノを習った先生も、一緒。
コニーは一番のお友達で、大人になっても一緒だと思っていた。
だけど学園に入学してからコニーの様子がおかしくて……。
※初恋、失恋、ライバル、片思い、切ない、自分磨きの旅、地味→美少女、上位互換ゲット、ざまぁ。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※他サイトにも投稿しています。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※小説家になろうで2022年11月19日昼日間ランキング総合7位まで上がった作品です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる