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【27】
控えの客間に通されて、柔らかなソファにゆっくりと降ろされる。
頭から被せられていたジャケットが剥がされて、そろそろと見上げればやはり、笑いを堪えて噛み殺している夫の顔が見えた。
手桶に温かな湯を用意した使用人がデイビッドに戸惑うのを
「私がやるよ。君は下がってくれて良い。」
そう言って退室させた。
乾き始めたシャンパンがべとつく。
「暴れ馬、こちらをお向き。」
クスクス笑いを漏らしながら、デイビッドがアナベルの顔を上向かせた。
「随分と派手にやられたな。」
「御免なさい。」
「何故謝る?」
「騒動を起こしてしまったわ。」
「勇ましかったよ。」
「からかわないで。」
シャンパンに濡れて冷えた身体に温かなタオルが気持ちいい。
猫が喉を撫でられる如く顎を上げて、デイビッドが頬を顎をと拭いてくれるのを、アナベルは目を細め成すがままになっていた。
紅を直そうとドレスルームへ行った帰りであった。
開場に戻り向こうにデイビッドの姿を認めたところで声を掛けられた。
夫のハロルドとは離れていたらしいアデレードであった。
猫目の瞳を更に吊り上げアナベルを詰るアデレードを思い出す。
張りのある生地が弾いたらしく、ぶちまけられた液体は布地にはそれ程染みてはいないが、その分胸下からドレスを伝って足元まで垂れて零れた様である。
折角デイビッドが選んでくれたドレスであったのに、シミが残らなければ良い。
投げつけられた辛辣な言葉よりも、真正面からシャンパンをぶちまけられた無礼よりも、濡れてべとつく身体よりも、夫が用意してくれたドレスばかりが気になる新妻であった。
夜会のドレスであったから、胸元が大きく空いている。
着けていた首飾りを外して肌が露わになっているところを、喉元を拭いたついでとばかりにデイビッドが口付けを落とす。
上目遣いが悪戯を仕掛ける少年のようで愛しくも小憎らしい。
思い切り頭を抱えて胸に押し付けた。
ぶふ、とか、ぶほとか言ってデイビッドが胸元に埋まるのを、今度はアナベルが笑いを堪えた。
シャンパン塗れなのも余興の様に、今宵の夜会を楽しむ新婚夫妻。使用人は先に退室を促され良かった。こんなのは、目のやり場に困るだけであったから。
戯れてばかりの馬鹿ップルが漸く身体を拭き終えた頃、扉をノックする音が聴こえた。
「心配しなくて良い。」
表情を強張らせたアナベルの頬を撫でて、デイビッドが扉へ向かう。
僅かに扉を開き、そこにいるらしい人物にデイビッドが何やら話すのを、声が小さくてアナベルには聞き取れなかった。
静かに扉を閉めたデイビッドが戻って来る。
アナベルの表情で分かったらしいデイビッドが
「ハロルドだよ。」と教えてくれた。
「お会いしなくてよろしかったの?」と問えば、
「お互い頭を冷やす時間が必要だろう。」と返されて、どうやらデイビッドが腹を立てていたらしい事に初めて気付いた。
邸に戻ってから慌てふためく使用人達に身を清めてもらい、寝床に入る頃になって、ほっと息を付いたアナベルは、漸く緊張から解放されたのを自覚した。
床に入るデイビッドが
「何があった。」と聞いて来る。
あの後、帰りの馬車でも事の詳細を聞かれていない。むしろアナベルの心を解すような、取るに足らない世間話を面白可笑しく話しては笑わせてくれたデイビッドは、そんな心遣いが抜群に上手いと思う。
果たしてデイビッドは、何処からアデレードとの一件を観ていたのか。
デイビッドが怒りを感じたらしい事が、アナベルの心に抑えを掛ける。
「アナベル大丈夫だ。話してくれないか。」
デイビッドが穏やかな様子であるのに安堵して、アナベルはアデレードとの一件を言葉を選び慎重に話した。
多分、自分が思う以上に大事なっているだろう。デイビッドに抱き上げられて会場を後にしたまま、あの後の夜会の顛末を聞いていない。その場に残したデイビッドの従者が、後から全てを報告した筈である。
なるべく主観に囚われぬ様に、自分の記憶をなぞりながら経緯を説明した。自分の手元ばかりを見つめてデイビッドの顔を真正面から見られなかったアナベルには、デイビッドがどんな表情で話しに耳を傾けていたのか分からない。
けれども、漸く話し終えた後にデイビッドを見上げた時には、彼の顔に表情は無かった。
目が合っていて、口元は穏やかな弧を描いているのに、その表情が余りに冷やかで、キンキンに冷えたシャンパンを浴びせられた時よりも遥かにアナベルの心をヒヤリとさせた。
翌朝、早朝のうちからスタンリー伯爵家より文が届けられた。
直ぐに確かめた筈であろうデイビッドが、その中身について朝食の席で話す事はなかった。
侍女から手紙の存在を知らされていたアナベルも、それがどんなものであったのか、結局その場では聞けず仕舞いで終わってしまった。
頭から被せられていたジャケットが剥がされて、そろそろと見上げればやはり、笑いを堪えて噛み殺している夫の顔が見えた。
手桶に温かな湯を用意した使用人がデイビッドに戸惑うのを
「私がやるよ。君は下がってくれて良い。」
そう言って退室させた。
乾き始めたシャンパンがべとつく。
「暴れ馬、こちらをお向き。」
クスクス笑いを漏らしながら、デイビッドがアナベルの顔を上向かせた。
「随分と派手にやられたな。」
「御免なさい。」
「何故謝る?」
「騒動を起こしてしまったわ。」
「勇ましかったよ。」
「からかわないで。」
シャンパンに濡れて冷えた身体に温かなタオルが気持ちいい。
猫が喉を撫でられる如く顎を上げて、デイビッドが頬を顎をと拭いてくれるのを、アナベルは目を細め成すがままになっていた。
紅を直そうとドレスルームへ行った帰りであった。
開場に戻り向こうにデイビッドの姿を認めたところで声を掛けられた。
夫のハロルドとは離れていたらしいアデレードであった。
猫目の瞳を更に吊り上げアナベルを詰るアデレードを思い出す。
張りのある生地が弾いたらしく、ぶちまけられた液体は布地にはそれ程染みてはいないが、その分胸下からドレスを伝って足元まで垂れて零れた様である。
折角デイビッドが選んでくれたドレスであったのに、シミが残らなければ良い。
投げつけられた辛辣な言葉よりも、真正面からシャンパンをぶちまけられた無礼よりも、濡れてべとつく身体よりも、夫が用意してくれたドレスばかりが気になる新妻であった。
夜会のドレスであったから、胸元が大きく空いている。
着けていた首飾りを外して肌が露わになっているところを、喉元を拭いたついでとばかりにデイビッドが口付けを落とす。
上目遣いが悪戯を仕掛ける少年のようで愛しくも小憎らしい。
思い切り頭を抱えて胸に押し付けた。
ぶふ、とか、ぶほとか言ってデイビッドが胸元に埋まるのを、今度はアナベルが笑いを堪えた。
シャンパン塗れなのも余興の様に、今宵の夜会を楽しむ新婚夫妻。使用人は先に退室を促され良かった。こんなのは、目のやり場に困るだけであったから。
戯れてばかりの馬鹿ップルが漸く身体を拭き終えた頃、扉をノックする音が聴こえた。
「心配しなくて良い。」
表情を強張らせたアナベルの頬を撫でて、デイビッドが扉へ向かう。
僅かに扉を開き、そこにいるらしい人物にデイビッドが何やら話すのを、声が小さくてアナベルには聞き取れなかった。
静かに扉を閉めたデイビッドが戻って来る。
アナベルの表情で分かったらしいデイビッドが
「ハロルドだよ。」と教えてくれた。
「お会いしなくてよろしかったの?」と問えば、
「お互い頭を冷やす時間が必要だろう。」と返されて、どうやらデイビッドが腹を立てていたらしい事に初めて気付いた。
邸に戻ってから慌てふためく使用人達に身を清めてもらい、寝床に入る頃になって、ほっと息を付いたアナベルは、漸く緊張から解放されたのを自覚した。
床に入るデイビッドが
「何があった。」と聞いて来る。
あの後、帰りの馬車でも事の詳細を聞かれていない。むしろアナベルの心を解すような、取るに足らない世間話を面白可笑しく話しては笑わせてくれたデイビッドは、そんな心遣いが抜群に上手いと思う。
果たしてデイビッドは、何処からアデレードとの一件を観ていたのか。
デイビッドが怒りを感じたらしい事が、アナベルの心に抑えを掛ける。
「アナベル大丈夫だ。話してくれないか。」
デイビッドが穏やかな様子であるのに安堵して、アナベルはアデレードとの一件を言葉を選び慎重に話した。
多分、自分が思う以上に大事なっているだろう。デイビッドに抱き上げられて会場を後にしたまま、あの後の夜会の顛末を聞いていない。その場に残したデイビッドの従者が、後から全てを報告した筈である。
なるべく主観に囚われぬ様に、自分の記憶をなぞりながら経緯を説明した。自分の手元ばかりを見つめてデイビッドの顔を真正面から見られなかったアナベルには、デイビッドがどんな表情で話しに耳を傾けていたのか分からない。
けれども、漸く話し終えた後にデイビッドを見上げた時には、彼の顔に表情は無かった。
目が合っていて、口元は穏やかな弧を描いているのに、その表情が余りに冷やかで、キンキンに冷えたシャンパンを浴びせられた時よりも遥かにアナベルの心をヒヤリとさせた。
翌朝、早朝のうちからスタンリー伯爵家より文が届けられた。
直ぐに確かめた筈であろうデイビッドが、その中身について朝食の席で話す事はなかった。
侍女から手紙の存在を知らされていたアナベルも、それがどんなものであったのか、結局その場では聞けず仕舞いで終わってしまった。
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