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第六章
ルーファスは今帰ったばかりなのだろう、まだ制服姿だった。だが、自室に戻るつもりはないらしく、テラスへ向かうビアトリスと一緒に歩く。
「マチルダ、僕はミルクティーがいいな」
ルーファスは、男子にしては甘い顔立ちをしているのだが味覚も甘党である。それさえ彼には似合っていて、双子であるはずなのに特徴の薄いビアトリスとは大違いである。
ビアトリスがテラスのソファに腰掛ければ、ルーファスは向かいの席ではなく隣に座った。
「はあ、疲れた」
「そんな疲れるようなお付き合いなの?」
「知ってて聞く?」
ルーファスは、優しげな見た目ほど軟な気質ではない。
あんなふうにエリックの後ろに控えているが、ウォレスや他の子息たちとはどことなく一線を画している雰囲気がある。
だが、エリック本人には重用されて、学園内では大抵彼の側に控えている。
「ティムズのこともあったからね」
「ああ」
ティムズとは、近衛師団の副団長の子息である。将来は彼も父と同じ近衛騎士を目指しており、今はエリックの護衛を兼ねて側付きとなっている。
いつもはあの集団の中にいるのだが、今日はその姿はなかった。
「あまり面倒事を増やさないでほしいよ。ティムズもウォレスも」
ルーファスは、何気に面倒事にウォレスを加えた。
翌朝、ビアトリスは執事に文を預けた。
「これをお願いしたいの」
文の宛名を確かめて、執事は僅かに眉を動かしたが、直ぐにビアトリスを見て「承知致しました」と言った。それから、側にいたフットマンを呼んだ。
「こちらをブラウン伯爵邸に。お嬢様の大切なお手紙だ。間違いなくお届けするように」
そう言って文を手渡した。
「どれくらいで届くかしら」
「四半刻もかかりません」
「丁度良いわね」
ウォレスが「急用」の文を届けるより先に、ビアトリスの文が届くだろう。
今日の茶会はウォレスの生家であるブラウン伯爵邸で催される。この時刻なら、まだ支度もされていないだろうから迷惑にはならないだろう。
こちらは毎回直前でキャンセルされて、茶会のテーブルを撤収するのもすっかり慣れたものである。
執事も勿論、そのことはわかっているから、ビアトリスが何やら動きを起こしたことには詮索しないでくれた。
「ああ、空気が美味しいわ」
自室で両腕を頭上に掲げて背伸びをすれば、いつもの部屋の空気が清々しく感じられた。
「すうぅぅぅ、はあぁぁぁ」
吸って吐いて空気を味わう。
「窓を開けましょう」
気の利くマチルダが窓を大きく開けてくれて、爽やかな初秋の風がビアトリスの前髪を揺らした。
「人生って素晴らしい」
それほどか。そう言われそうであるが、爽快な気分のときとは言動も大袈裟になる。
ビアトリスは室内履きを脱いで寝台にぽふんと横になった。
気の利くマチルダは、そんなビアトリスが安眠できるようにと、肌触りの良いブランケットをふわりと掛けてくれた。
それから、「ごゆっくりお休み下さい」と言って部屋を出た。
「やったわ。ハロルド様」
休み明けの学園で、ハロルドに教えてあげたい。やられっぱなしのビアトリスが、ウォレスの先手を打って茶会を放棄した。
自分史上初の快挙である。
ウォレスは三回に二回は土壇場キャンセルをしているが、これほど爽快な気持ちを味わってはいないだろう。
美しい石膏装飾がされた白い天井を見つめて、ビアトリスは思い掛けなく得られた自由な時間を味わった。
他人の思惑も感情の裏側も気にしなくても良いことが、これほど心を豊かにするのか。
こんなことなら、自由を謳った詩歌の一つも憶えておけば良かった。ここで諳んじたなら、しみじみ詩の意味を味わうことができるだろう。
湿度をなくした秋の空気が心地良い。
明日からどんどん良いことが起こりそうな、そんな根拠のない多幸感まで湧いてくる。
「幸せってなんだろう」
姉たちほど厳しく淑女教育を受けたわけではない。ルーファスのように後継教育もされていない。
なのに、両親は伯爵家嫡男のウォレスとの縁を結んでくれた。何もなければ来春には、ビアトリスはウォレスの妻となり、伯爵家次期当主夫人となる。
「本当になれるのかしら。そんなもの」
ウォレスの両親は、こんなビアトリスを息子の婚約者として見てくれている。それにしては、ウォレスの「急用による婚約者との茶会不履行」についての対処は甘々である。
ビアトリスの文が届いたウォレスの邸は、今頃どうなっているのだろう。
ビアトリスから断りを入れるなんてことは初めてで、小心者の気質がついそんなことを考える。
「まあ、いいか」
なんて素敵な言葉なのか。
まあ、いいか。そう思うだけで本当に心が軽くなって、ビアトリスはそのまま秋の風に頬を撫でられながら夢の世界に沈んでいった。
「ビアトリス、貴女、お茶会に行かなかったの?」
晩餐の席で母に尋ねられたのは、午後に母が参加した茶会でウォレスの母と会ったからだろう。
「急用でウォレス様とのお茶会をお断りしたと言うじゃない。夫人は貴女が体調を崩したのではないかととても心配なさっていたわ。本当にどこか悪かったの?」
厚めのサーロインステーキを頬張るビアトリスに、母は怪訝な顔をした。
「どこも悪くはございません。急な用ができたのです」
「どんな用?」
母が眉を顰めながら訝しむように尋ねてくる。
「『急な用』という用ですわ」
「貴女と問答をしたいわけではないの。真面目に答えなさい」
「お母様。それからお父様も」
ビアトリスはナプキンで口元を拭い、改まったように母を見て、続けて父を見た。
父は「えっ?」という顔をして、とばっちりを受けたような戸惑いを見せた。そんな両親を、ルーファスは面白がるように見つめていた。
「マチルダ、僕はミルクティーがいいな」
ルーファスは、男子にしては甘い顔立ちをしているのだが味覚も甘党である。それさえ彼には似合っていて、双子であるはずなのに特徴の薄いビアトリスとは大違いである。
ビアトリスがテラスのソファに腰掛ければ、ルーファスは向かいの席ではなく隣に座った。
「はあ、疲れた」
「そんな疲れるようなお付き合いなの?」
「知ってて聞く?」
ルーファスは、優しげな見た目ほど軟な気質ではない。
あんなふうにエリックの後ろに控えているが、ウォレスや他の子息たちとはどことなく一線を画している雰囲気がある。
だが、エリック本人には重用されて、学園内では大抵彼の側に控えている。
「ティムズのこともあったからね」
「ああ」
ティムズとは、近衛師団の副団長の子息である。将来は彼も父と同じ近衛騎士を目指しており、今はエリックの護衛を兼ねて側付きとなっている。
いつもはあの集団の中にいるのだが、今日はその姿はなかった。
「あまり面倒事を増やさないでほしいよ。ティムズもウォレスも」
ルーファスは、何気に面倒事にウォレスを加えた。
翌朝、ビアトリスは執事に文を預けた。
「これをお願いしたいの」
文の宛名を確かめて、執事は僅かに眉を動かしたが、直ぐにビアトリスを見て「承知致しました」と言った。それから、側にいたフットマンを呼んだ。
「こちらをブラウン伯爵邸に。お嬢様の大切なお手紙だ。間違いなくお届けするように」
そう言って文を手渡した。
「どれくらいで届くかしら」
「四半刻もかかりません」
「丁度良いわね」
ウォレスが「急用」の文を届けるより先に、ビアトリスの文が届くだろう。
今日の茶会はウォレスの生家であるブラウン伯爵邸で催される。この時刻なら、まだ支度もされていないだろうから迷惑にはならないだろう。
こちらは毎回直前でキャンセルされて、茶会のテーブルを撤収するのもすっかり慣れたものである。
執事も勿論、そのことはわかっているから、ビアトリスが何やら動きを起こしたことには詮索しないでくれた。
「ああ、空気が美味しいわ」
自室で両腕を頭上に掲げて背伸びをすれば、いつもの部屋の空気が清々しく感じられた。
「すうぅぅぅ、はあぁぁぁ」
吸って吐いて空気を味わう。
「窓を開けましょう」
気の利くマチルダが窓を大きく開けてくれて、爽やかな初秋の風がビアトリスの前髪を揺らした。
「人生って素晴らしい」
それほどか。そう言われそうであるが、爽快な気分のときとは言動も大袈裟になる。
ビアトリスは室内履きを脱いで寝台にぽふんと横になった。
気の利くマチルダは、そんなビアトリスが安眠できるようにと、肌触りの良いブランケットをふわりと掛けてくれた。
それから、「ごゆっくりお休み下さい」と言って部屋を出た。
「やったわ。ハロルド様」
休み明けの学園で、ハロルドに教えてあげたい。やられっぱなしのビアトリスが、ウォレスの先手を打って茶会を放棄した。
自分史上初の快挙である。
ウォレスは三回に二回は土壇場キャンセルをしているが、これほど爽快な気持ちを味わってはいないだろう。
美しい石膏装飾がされた白い天井を見つめて、ビアトリスは思い掛けなく得られた自由な時間を味わった。
他人の思惑も感情の裏側も気にしなくても良いことが、これほど心を豊かにするのか。
こんなことなら、自由を謳った詩歌の一つも憶えておけば良かった。ここで諳んじたなら、しみじみ詩の意味を味わうことができるだろう。
湿度をなくした秋の空気が心地良い。
明日からどんどん良いことが起こりそうな、そんな根拠のない多幸感まで湧いてくる。
「幸せってなんだろう」
姉たちほど厳しく淑女教育を受けたわけではない。ルーファスのように後継教育もされていない。
なのに、両親は伯爵家嫡男のウォレスとの縁を結んでくれた。何もなければ来春には、ビアトリスはウォレスの妻となり、伯爵家次期当主夫人となる。
「本当になれるのかしら。そんなもの」
ウォレスの両親は、こんなビアトリスを息子の婚約者として見てくれている。それにしては、ウォレスの「急用による婚約者との茶会不履行」についての対処は甘々である。
ビアトリスの文が届いたウォレスの邸は、今頃どうなっているのだろう。
ビアトリスから断りを入れるなんてことは初めてで、小心者の気質がついそんなことを考える。
「まあ、いいか」
なんて素敵な言葉なのか。
まあ、いいか。そう思うだけで本当に心が軽くなって、ビアトリスはそのまま秋の風に頬を撫でられながら夢の世界に沈んでいった。
「ビアトリス、貴女、お茶会に行かなかったの?」
晩餐の席で母に尋ねられたのは、午後に母が参加した茶会でウォレスの母と会ったからだろう。
「急用でウォレス様とのお茶会をお断りしたと言うじゃない。夫人は貴女が体調を崩したのではないかととても心配なさっていたわ。本当にどこか悪かったの?」
厚めのサーロインステーキを頬張るビアトリスに、母は怪訝な顔をした。
「どこも悪くはございません。急な用ができたのです」
「どんな用?」
母が眉を顰めながら訝しむように尋ねてくる。
「『急な用』という用ですわ」
「貴女と問答をしたいわけではないの。真面目に答えなさい」
「お母様。それからお父様も」
ビアトリスはナプキンで口元を拭い、改まったように母を見て、続けて父を見た。
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