ビアトリスの象牙の小箱

桃井すもも

文字の大きさ
19 / 47

第十九章

しおりを挟む
「ビアトリス様、おはようございます」
「おはようございます、シャルロッテ様」

 朝の教室で、ビアトリスはクラスメイトの令嬢に話し掛けられた。

「ビアトリス様、少しよろしくて?」

 ビアトリスは席に着いて昨夜の夢のことを考えていた。隣の席のハロルドも既に登校していたが、ぼんやりするビアトリスをそっとしようと気遣ってか、話しかけてはこなかった。

 そんなところをシャルロッテから声が掛かった。話の内容になんとなく察しがついて、ビアトリスは立ち上がった。

 シャルロッテは教室の後ろ、窓際の隅に向かう。教室の角は、令嬢たちが内緒話をする格好の場だった。

 シャルロッテはハントリー侯爵家の令嬢である。そして、エリックの側近候補であるブライアンの婚約者である。

「ウォレス様とのこと。失礼ながら耳に挟みましたの」

 ウォレスとの婚約を解くための話し合いは内々のことであったが、耳の早いシャルロッテは既に知っていたらしい。もしかしたらウォレス本人がブライアンに明かしたのかもしれない。

 そう考えるだけでウォレスのやさ顔が思い浮かんで、ビアトリスは眉を寄せた。

「貴女もご苦労なさっていらしたから、お気持ちなら理解できます」

 シャルロッテは高位貴族の令嬢らしく、柔らかな金の髪に青い瞳をしている。同じ金髪青眼のブライアンとは、ビアトリスと同様に学園に入学する少し前に婚約している。
 侯爵家の長子ではあるが二歳下に弟がおり、公爵家嫡男のブライアンに嫁ぐ身である。

「エレン様のこともありましたし、貴女も、その、破談を願っているのだと聞いて、私も心が動きましたの」

 シャルロッテは「破談」というところで声を潜めた。

 ビアトリスは、シャルロッテの不安がわかる気がした。シャルロッテに限らず、エリックに侍る側近候補の婚約者たちは、少なからず不安を抱いていただろう。

 彼らは押しなべてアメリアに心を寄せていた。
 ウォレスは、はじめからアメリアへの気持ちを公言していたから間違いない。ティムズも同じようなものだった。

 ブライアンは、流石にあからさまなことはは控えていた。彼は宰相の子息であり、エリックの側近に就くのは間違いない。そんな彼であるから振る舞いは慎重だった。

 だが、彼がアメリアに友情以上の気遣いをしていることはビアトリスもわかっていた。
 ブライアン様、貴方もなのね。そんな微かな失望を感じていたのは確かである。

 シャルロッテは、同じエリックに侍る令息の婚約者として、エレンやビアトリスに親近感を抱いている。二人が同時期に婚約を解くことに心を揺さぶられたようだった。

 こんな教室の隅っこで口にすることではないのをわかりながら、改めて茶会などと場を設けるのももどかしく、こうして話し掛けてきたのだろう。

「そろそろ相談したほうが良いのかと、そう思いまして」
「それは、どなたに?」

 ビアトリスはシャルロッテの言葉に問いかけた。
 シャルロッテは、誰に相談しようと思うのだろう。彼女が相談するとなれば、それは身分の高い人物となる。

「ロゼリア様ですわ」

 シャルロッテの声音には、当然だろうという響きがあった。

「お二人が仲がよろしいことは存じております。ですが、ご自分がたの友情と側近候補たちの不純とはお話が違いますでしょう?」

 二人、とはロゼリアとアメリアのことだろう。シャルロッテは、そんな彼女たちの友情の側で、婚約者を持つ令息たちが心を動かすことを「不純」と言い表した。

 正直なところ、ビアトリスはロゼリアにもアメリアにも関わるつもりはなかった。
 ウォレスがアメリアに懸想するのはウォレスの感情で、アメリアになにかを言っても仕方のないことだと思っていた。

 彼女が魅力的なのは確かであるし、人の心はままならない。仮にアメリアに令息たちとの関係に配慮を願ったとしても、まるでそれは自分の不足をアメリアの所為ばかりに押し付けるように思えた。

「シャルロッテ様。私にはロゼリア様にお願いすることはなにもないのです」

 シャルロッテはそこで訝しむような顔をした。

「ウォレス様とのことは、私の中ではもう決まっております。父もそのことは一旦は認めてくれましたし、今からどうにかしたいとは考えておりません」

「諦めてしまうの?」

 諦めるというなら最初から諦めていた。ウォレスは婚約を結んだその日に、ビアトリスに対して不誠実を突きつけている。
 ビアトリスにあった誠実は、あの日に既に失われて、後に残ったのは貴族の約束として関係を継続するだけの努力であった。

「諦めなら最初からですわ」

 そう言うと、シャルロッテもまたその言葉の意味を理解したようだった。彼女はビアトリスの心のうちが見えるように、労るような憐れむような哀しみの滲んだ眼差しになった。

「そう」

 シャルロッテはそこで俯いた。それは彼女には珍しい姿だった。
 侯爵家の長子であり、宰相を父に持つ公爵令息の婚約者であるシャルロッテは誇りを忘れない。

 こんなふうに教室の隅にビアトリスを呼んだのは、その誇りを脇に置くほど彼女もまた悩んでいるということだろう。


 エレンに続いてビアトリスがウォレスとの婚約を破談にすることは、十年前の騒動を彷彿とさせるのは間違いない。

 十年前、可憐なる子爵令嬢に数多の令息たちが心を奪われ王家を巻き込んだ騒動から、叔母は抜け出し自身の恋を成就させた。

 ビアトリスは、象牙の小箱を思い浮かべた。人知れず小箱に向かって囁いた言葉を、胸の中でもう一度繰り返した。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

処理中です...