貴方と私の愛は違うのでしょう

桃井すもも

文字の大きさ
19 / 42

第十九章

しおりを挟む
 その日は朝から小雨が降っていた。
 夏は過ぎて、秋の初めとなっていた。

 季節なんて、はっきり今日から秋だとわかるものでもないだろうが、朝一番で窓から外を眺めたときに、ふと漂う空気の匂いが違うと思った。

 そういえば、春の初めに風が温む瞬間がある。あれも季節の変わり目なのだろう。

 今日は、レイモンドは義父とともに出掛けていた。義母は夕べから寒気がすると言って、今朝は朝餉の席でも食が進まないようだった。

 華やぎのある義母の元気がなくなると、邸内にも淋しさが漂うように思えた。


 薄暗い自室で、ロウェナは窓際に椅子を移して、仕掛りだった刺繍を手に取った。
 ロウェナは雨の日に刺繍を刺すのが好きである。チャコールグレーの厚地の布に白い花を刺していた。

 白い花といえば真っ先に白紫陽花が思い浮かぶ。穢れを知らない乳白色の花弁が無数に集まり、鞠のように咲く姿は、儚く可憐であるのにどこか素朴な逞しさがある。
 折角好きな花なのに、学園での記憶から、あまり真近で観ることはなくなっていた。

 先週から、秋明菊が咲き始めていた。
 侯爵家の庭園には、八重と一重の二種類の秋明菊が植えられている。ピンク色の品種もあるけれど、ロウェナは純白の一重が好きだった。

 それで濃い灰色の布にぴったりだと思い、刺繍の図案に秋明菊を選んだ。


 刺し始めてどれくらい経ったろう。ロウェナは無心になって針を刺していた。青みを帯びた白い糸と生成り色を二本取りにして、深みのある白い花弁を刺繍していた。

「ロウェナ様」

 そこでロウェナを呼んだのは、ルイーズではなくクロエだった。

 ロウェナは顔を上げてクロエを見た。

「どうしたの?お義母様のお加減がよくないの?」

 朝に会った義母の様子を思い出して、熱が出てしまったのかと思ったのだ。

「お客様です」

 どうやら義母の不調ではなく、来客のようだった。今日の予定で先触れのある客はいなかった。
 侍女頭のクロエが呼びにきたということは、それはきっと大切な客か面倒な客のどちらかだろう。

 普段なら、面倒な客にも義母がいてくれるだけで心強く思えたが、今日は無理をさせたくなかった。クロエもきっと、同じことを思ってロウェナを呼びにきたのだろう。

 だが、そんなロウェナの予想は外れてしまった。

「ロウェナ様にお会いしたいと仰っておられます」

 クロエはそこで声を落とした。

「ですが、お断りなさっても失礼にはなりませんでしょう」
「どういうこと?先触れがなかったから?」

 クロエはそこで、言い淀んだ。それは、いつもキビキビとした彼女らしくない姿だった。
 それでようやくロウェナは思い当たった。

「今は誰が応対しているのかしら」
「エドガー様が」

 エドガーと聞いて、執事が対応しているというよりも、彼が押し留めているのではないかと思った。

「お義母様には知らせなくても良いわ。お耳を汚すだけですもの」
「……はい」

 ロウェナを見つめていたクロエは、そこで頷くと廊下に下がった。
 ロウェナは刺繍道具はそのままにして、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 来客の馬車の音は聞こえなかった。雨音で掻き消されたのかと窓辺に寄って階下を見下ろした。
 ここからは玄関ポーチがよく見える。いつもは帰宅するレイモンドを待って、ここから馬車が着くのを見ていた。

 見下ろした先に、馬車はなかった。まさか彼女は乗り合い馬車でここまで来たのか?
 貴族の夫人がそんなことをするのは、家人に黙って家を出るときくらいだろう。

 ロウェナはエメラルド色の瞳を思い出していた。小雨とはいえ雨の日に、彼女は一人でここまで来たのだろうか。
 舞踏会の夜に会ったエイブリンの顔を思い浮かべた。


 廊下に出ると、クロエとルイーズが待っていた。

「お一人なの?」
「はい」
「侍女は?」
「一人きりでいらっしゃいました」

 クロエは、エイブリンが使用人も付けずに一人でやってきたと言った。

「ゴドリック子爵様は、」

 大変ね、そう言いかけてやめにした。
 学生時代から続く恋人の家に、夫人となってからも単身で乗り込むような妻を得て、苦労していないなんて、そんなことはないだろう。

 ゴドリック子爵家には幼い息子がいるはずで、彼女はさぬ仲とはいえ母親である。
 子爵家は大丈夫なのかと思ったところで、一番渦中にいるのは自分だと思った。

「はあ」

 使用人の前だというのに、大きな溜め息が出てしまった。

「お帰りいただきますか?」

 クロエはそんなロウェナを気遣っている。会わずに帰したとしても、それでエイブリンは文句を言えない。そもそも約束なんてしていない。

「レイモンド様に会いに来たのではないのでしょう?」

 クロエはその問いかけには、頷いて答えた。

 ウルスラ様。貴女のお力をお貸しください。私が負けそうになったなら、貴女が私を叱ってください。気弱なことでどうすると、叱咤してくださいませ。

 心の中で、ウルスラに呼びかけた。ウルスラとは会ったこともなかったし、彼女は今もオーランドの元にいるだろう。
 けれども呼びかけるだけで、少しは彼女の根性を分けてもらえるような気がした。

「さあ、行きましょうか」

 そう言ってから、ロウェナは廊下を歩き出した。単身で訪れたエイブリンが、なにを言うのか考えたが、思い浮かんだことはどれも気持ちのよいものではなかった。

 そもそも彼女と対面して、心地好かったことなど一度もない。
 ロウェナは人の好き嫌いは、それほど多いほうではない。だが、エイブリンだけは駄目だった。

 どうしてレイモンドが彼女に惹かれるのか、もうそれは本人の好みとしか言いようがない。

 結婚して半年足らずで、夫の愛人と対峙することになるなんて。そんなのウルスラの助けを借りなければ、対処なんて無理だろう。

 一歩一歩、エイブリンの待っている玄関ホールに向かった。クロエの言葉では、どうやらエドガーはエイブリンを客人とは見なさずに、応接室には通さなかったらしい。

 玄関ホールのソファに座らせて、待たせているのだという。その意味を、エイブリンは理解しているのだろうか。

 エイブリンの頭の中もレイモンドの心中も、ロウェナにはさっぱり理解ができなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

ガネット・フォルンは愛されたい

アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。 子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。 元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。 それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。 私も誰かに一途に愛されたかった。 ❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。 ❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚

きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」 新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。 それもそのはず。 2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。 でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。 美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。 だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。 どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったオノールに、やがてクラウディオの心は……。 すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?  焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。

処理中です...