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第一章
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「プリムローズ、私が思うに君は多分、癒しの聖女なんだよ」
その声に、レパトロワは立ち止まった。
プリムローズという名にも、声の主にも覚えがあった。
王都にプリムローズという名の令嬢は、記憶の限り一人しかいない。声音にまで気品が窺える男子生徒についても、よく知る人物なら一人いる。
学園の放課後に廊下を通りかかったのは偶然で、レパトロワはこのまま引き返すべきか迷った。
数学教師に頼まれクラスメイトから課題ノートを集めて、それを届けた帰りだった。レパトロワの教室よりも二つ手前にあるその教室は、レジナルドのクラスである。
それから、プリムローズも彼とは同じクラスだった。
「まあ。そうなのかしら、レジナルド様」
「間違いないよ、プリムローズ」
折角、憶測をしていたのだが、早々に本人たちが身分を明かした。
数学教師と少し長めの雑談をしていたから、すでに大半の生徒が帰っていたらしく、廊下は人もまばらだった。
レパトロワは、胸の奥に湧き起こる背徳感を押しやって、開きっぱなしの扉にそおっと近づき中を覗き見た。
「御神託は本当に聞こえたのよ?でも、はっきりとは⋯⋯。ただ、なんだか身体が温かなものに包まれる不思議な感覚があったのは確かだわ」
「プリムローズ、私は君を信じるよ。君は聖なる乙女なんだ。きっと癒しの聖女なんだよ」
机を挟んで向かい合う一組の男女。
どちらもレパトロワはよく知っている。
レジナルドはレパトロワの婚約者であるし、プリムローズは同い年の従姉妹である。
二人の間には机が距離を隔てていたが、レパトロワの視線の先で、レジナルドはプリムローズの手を取った。
手を繋いだ二人には、もう周りなんてものは見えていないのだろう。扉から覗くレパトロワの前髪にも気がつくことはない。
レパトロワの教室はこの先にある。開け放たれた扉からは廊下が見通せる筈なのだが、今の二人には互いの瞳しか見えていないようだった。
レパトロワはゆっくり一歩踏み出して、そこから早歩きになって扉を通りすぎた。少し先にはもう一つ扉があって、そこは普段は教師が出入りするのに使っている。
放課後の今は扉は閉まっており、小窓はあるが、磨り硝子越しには誰であるかはわからないだろう。
だがこの燃えるようなこの赤髪は、硝子から滲むように見えてしまうに違いない。
結局、レパトロワは二人に気づかれることなく通りすぎてしまった。それで良かったのだが、もしレジナルドがひと目でも磨り硝子に目をやったなら、彼はレパトロワだと気づくのだろうか。
気づくいたとして、彼はなにを思うのだろう。
自分の教室まで戻ったが、室内にはもう誰もいなかった。帰宅するために鞄を持って歩き出そうとして、すぐには帰る気になれず立ち止まった。
ふと見上げた先の窓を見る。
冬の夕暮れは早く、窓から見える空は茜色に染まっていた。夏の夕陽よりも柔らかく、あの燃えるような、瞳に焼き付き滲むような鮮烈な夕焼けではない。
こんなに鮮やか髪色をしているのに、レパトロワは冬生まれである。白い雪が降り積もる夜に、燃え上がる真っ赤な髪で生まれてきた。
せめて冬の夕暮れのように、仄かに染まる柔らかな赤髪だったら、婚約者の心を惹きつけることもできたのだろうか。
「そんなことはきっと、神様にしかおわかりにならないわね」
独りきりの教室で、レパトロワは呟いた。
レパトロワ・モーガン・カニングは、つい先日、冬の初めに十六歳になったばかりである。
カニング伯爵家の子女に生まれた。三つ上には兄がおり、彼もまた燃えるような赤髪である。
戦場にいたなら鮮血を浴びたと思われるだろう赤髪は、カニング伯爵家が始祖から受け継ぐ色である。
燃えるような忠臣を王家に捧げる旧家。それがカニング伯爵家なのであった。
一見すれば体躯に恵まれた父も兄も騎士と見紛う姿をしている。レパトロワも令嬢としては背が高く、痩身に赤髪を靡かせて立つ姿は苛烈に見える。
紺碧色の瞳は大きく潤んでいても、吊り目がちなためにやはり気が強く見えるだろう。
だが、カニング伯爵家は文の家門である。
父も兄も文官として王城に出仕する宮廷貴族で、治める領地はない。戦うのは戦場ではなく政の世界であった。
レパトロワも、鮮烈な印象を与えるのは外見ばかりで、その内面は、真っ白な肌と同じく控え目な気質をしていた。
そんなレパトロワを、婚約者であるレジナルドは物足りなく思うのだろう。見目ばかりは人目を引くのに、華のない性格は面白味に欠けるらしい。
貴族を体現するような華やぎのあるレジナルドにとって、レパトロワもカニング伯爵家も、どことなく地味な印象を抱かずにはいられないようだった。
レジナルドとは、学園に入る少し前に婚約を結んでおり、そろそろ一年が経とうとしている。
レジナルド・キャンベル・ルフィールドは、ルフィールド伯爵家の長子である。一つ下には弟がおり、レジナルドは嫡男として、将来はルフィールド伯爵家を継ぐ立場にある。
両家は同じ伯爵家ではあるが、ルフィールド伯爵家は王国の西側に領地を持っており、そんなところも婚約者とは、レパトロワは生まれも育ちも大きく異なるのだった。
その声に、レパトロワは立ち止まった。
プリムローズという名にも、声の主にも覚えがあった。
王都にプリムローズという名の令嬢は、記憶の限り一人しかいない。声音にまで気品が窺える男子生徒についても、よく知る人物なら一人いる。
学園の放課後に廊下を通りかかったのは偶然で、レパトロワはこのまま引き返すべきか迷った。
数学教師に頼まれクラスメイトから課題ノートを集めて、それを届けた帰りだった。レパトロワの教室よりも二つ手前にあるその教室は、レジナルドのクラスである。
それから、プリムローズも彼とは同じクラスだった。
「まあ。そうなのかしら、レジナルド様」
「間違いないよ、プリムローズ」
折角、憶測をしていたのだが、早々に本人たちが身分を明かした。
数学教師と少し長めの雑談をしていたから、すでに大半の生徒が帰っていたらしく、廊下は人もまばらだった。
レパトロワは、胸の奥に湧き起こる背徳感を押しやって、開きっぱなしの扉にそおっと近づき中を覗き見た。
「御神託は本当に聞こえたのよ?でも、はっきりとは⋯⋯。ただ、なんだか身体が温かなものに包まれる不思議な感覚があったのは確かだわ」
「プリムローズ、私は君を信じるよ。君は聖なる乙女なんだ。きっと癒しの聖女なんだよ」
机を挟んで向かい合う一組の男女。
どちらもレパトロワはよく知っている。
レジナルドはレパトロワの婚約者であるし、プリムローズは同い年の従姉妹である。
二人の間には机が距離を隔てていたが、レパトロワの視線の先で、レジナルドはプリムローズの手を取った。
手を繋いだ二人には、もう周りなんてものは見えていないのだろう。扉から覗くレパトロワの前髪にも気がつくことはない。
レパトロワの教室はこの先にある。開け放たれた扉からは廊下が見通せる筈なのだが、今の二人には互いの瞳しか見えていないようだった。
レパトロワはゆっくり一歩踏み出して、そこから早歩きになって扉を通りすぎた。少し先にはもう一つ扉があって、そこは普段は教師が出入りするのに使っている。
放課後の今は扉は閉まっており、小窓はあるが、磨り硝子越しには誰であるかはわからないだろう。
だがこの燃えるようなこの赤髪は、硝子から滲むように見えてしまうに違いない。
結局、レパトロワは二人に気づかれることなく通りすぎてしまった。それで良かったのだが、もしレジナルドがひと目でも磨り硝子に目をやったなら、彼はレパトロワだと気づくのだろうか。
気づくいたとして、彼はなにを思うのだろう。
自分の教室まで戻ったが、室内にはもう誰もいなかった。帰宅するために鞄を持って歩き出そうとして、すぐには帰る気になれず立ち止まった。
ふと見上げた先の窓を見る。
冬の夕暮れは早く、窓から見える空は茜色に染まっていた。夏の夕陽よりも柔らかく、あの燃えるような、瞳に焼き付き滲むような鮮烈な夕焼けではない。
こんなに鮮やか髪色をしているのに、レパトロワは冬生まれである。白い雪が降り積もる夜に、燃え上がる真っ赤な髪で生まれてきた。
せめて冬の夕暮れのように、仄かに染まる柔らかな赤髪だったら、婚約者の心を惹きつけることもできたのだろうか。
「そんなことはきっと、神様にしかおわかりにならないわね」
独りきりの教室で、レパトロワは呟いた。
レパトロワ・モーガン・カニングは、つい先日、冬の初めに十六歳になったばかりである。
カニング伯爵家の子女に生まれた。三つ上には兄がおり、彼もまた燃えるような赤髪である。
戦場にいたなら鮮血を浴びたと思われるだろう赤髪は、カニング伯爵家が始祖から受け継ぐ色である。
燃えるような忠臣を王家に捧げる旧家。それがカニング伯爵家なのであった。
一見すれば体躯に恵まれた父も兄も騎士と見紛う姿をしている。レパトロワも令嬢としては背が高く、痩身に赤髪を靡かせて立つ姿は苛烈に見える。
紺碧色の瞳は大きく潤んでいても、吊り目がちなためにやはり気が強く見えるだろう。
だが、カニング伯爵家は文の家門である。
父も兄も文官として王城に出仕する宮廷貴族で、治める領地はない。戦うのは戦場ではなく政の世界であった。
レパトロワも、鮮烈な印象を与えるのは外見ばかりで、その内面は、真っ白な肌と同じく控え目な気質をしていた。
そんなレパトロワを、婚約者であるレジナルドは物足りなく思うのだろう。見目ばかりは人目を引くのに、華のない性格は面白味に欠けるらしい。
貴族を体現するような華やぎのあるレジナルドにとって、レパトロワもカニング伯爵家も、どことなく地味な印象を抱かずにはいられないようだった。
レジナルドとは、学園に入る少し前に婚約を結んでおり、そろそろ一年が経とうとしている。
レジナルド・キャンベル・ルフィールドは、ルフィールド伯爵家の長子である。一つ下には弟がおり、レジナルドは嫡男として、将来はルフィールド伯爵家を継ぐ立場にある。
両家は同じ伯爵家ではあるが、ルフィールド伯爵家は王国の西側に領地を持っており、そんなところも婚約者とは、レパトロワは生まれも育ちも大きく異なるのだった。
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