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第三十五章
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「レパトロワ」
アランは、レパトロワを見つめて名を呼んだ。
ビリジアンの瞳を揺らして、扉を押し開いたままの姿勢で立ち尽くしていた。
静かになった室内に、アランのはあはあという息づかいが響く。どうやらアランはここまで走ってきたようだった。
「ど、どうなさったの?アラン様」
「君が見合いをしていると聞いた」
「は?」
アランの背後、開かれた扉の向こう見える廊下の暗がりに兄の姿があった。どうやら誤情報を垂れ流したのは兄のようだった。
レパトロワが胡乱な眼差しを向けると、兄は横にスライドするようにフェイドアウトして見えなくなった。
行き成り扉が開いて、行き成り青年呼びされたテレンスは、傍目でわかるほどびっくりしたようだった。ぽかんと口を開けて、その表情は先ほど熱烈な告白をした彼より幼く見えた。
テレンスをそんなふうにしておきながら、アランはまだ扉のところに立ちふさがって、仁王立ちになっていた。だがそれも、背後にちらりと腕が見えて、それがアランの背中をドンと押した。
アランがつんのめるように室内に入ると、扉がバタンと音を立てて締まった。まるで悪戯な妖精がアランを部屋に押し込めたようだった。兄は今日から悪戯妖精さんになったのだろう。
尚もアランは無言のまま、びっくりして固まる二人の前に立ち尽くしていた。
「はっ」
アランはそこで一つ息を吐きだした。どうやら今まで息を詰めていたらしい。
「レパトロワ、青年」
どちらに用があるのか、アランは二人を同時に呼んだ。
「交渉は不成立だ。申し訳ないが、君たちの見合いは御破算だ」
立ち尽くしたまま言ったアランに、レパトロワは声をかけることができなかった。驚きのあまり身体が動かない。
そんな膠着状態を解いたのはメイベルだった。
「アラン様、お席へどうぞ」
メイベルはそっとアランを促して、あろうことかレパトロワの隣に誘導した。レパトロワとアランが並び座ってテレンスと向かい合う形になった。
ここでテレンスが素晴らしいのは、彼はアランがハーリントン侯爵家の嫡男であることに気がついて、すっと立ち上がって礼をしたことである。
「はじめまして。テレンス・キャンベル・ルフィールドと申します」
まだ十五歳であるテレンスは、格上で年上のアランに向かって恭しく名乗った。
「君のことは優秀な青年であると、お噂はかねがね伺っていた。カニング伯爵が興味を抱いているのも知っている。ああ、失礼、座ってくれたまえ」
立ったままのテレンスに話しかけたアランだったが、途中で無作法であったと気がついた。
「君はこれから学園で学ばれて、きっと卒業する頃にはますます賢明になられるのだろう。将来は文官を目指されているのだとか。君とともに王国の一助となるべく私も励まねばならないと考えている」
テレンスは名前を名乗っただけなのだが、アランは彼についての前情報をすでに得ているようだった。出所は悪戯妖精だろう。
「だが、これだけは申し上げねばならない。レパトロワは駄目なんだ。彼女だけは駄目なんだ。済まないが、ほかを当たってくれないか。君は将来有望であるからして、きっと良縁なら幾らでもある。だから、この子は諦めてくれ」
アランはそう言うと、隣に座るレパトロワの右手をぎゅうっと握り締めた。
同時に、レパトロワの心臓をキュウッと掴んでしまった。
「あの、ハーリントン侯爵ご令息、僕は」
「申し訳ないが、君にはすまないとしか言いようがない。あの馬鹿タレからようやく取り返すことができたんだ。レパトロワは誰にもやらん」
アランは兄からなにをどれほど吹き込まれたのか、王城から職務の合間にここに駆けつけてしまったのだろう。
と、いうよりも。
「アラン様、なにを仰っているの?」
レパトロワは心臓と右手をキュウッとかぎゅうっと握り締められて、もう息も絶えだえになっていたのだが、大切なことだと頑張って尋ねた。
「どうしてここへ?」
「君が見合いの最中だとオリヴァーが言ったから。もっと早く言えと蹴りを入れてからここへ来た」
「どうして?」
「レパトロワ?」
「どうしてアラン様がそんなに慌てるのです?」
ちゃんと説明してほしい。この胸を鷲掴みにしてしまったからには、ちゃんと責任を取ってほしい。終わらせた恋心に油を注いで再び火を灯した責任を果たしてほしい。
「どうしてってそんなこと、もう君を奪われたくないからだろう。あんなことは金輪際、御免なんだ。馬鹿タレ令息がようやく自滅したというのに、今度はこんな手強い青年とだなんて、くそっ」
アランは、発言を汚い言葉で締めくくった。
目の前では、テレンスが目を見開いてアランとレパトロワ、レパトロワとアラン、と交互に見ていた。
「お見合いなんてしておりませんわ。ただ、誠実で真っ直ぐなお気持ちに耳を洗われ感銘を受けておりました」
レパトロワは正直な気持ちを告げた。
テレンスは、家のことや家族のこと、身分や年齢を脇において、レパトロワを真摯に求めてくれたのである。その情熱と清々しさ。
「アラン様、酷いわ」
「え?レパトロワ?」
「今になってそんなことを。ずっと前から私の気持ちを知っていたくせに」
「え?レパトロワ?な、泣いてるのか?」
「馬鹿は貴方のほうだわ」
アランはレジナルドを馬鹿タレ呼ばわりしたが、あれほどレパトロワを放置して今になってこんなこと。
こんなに胸を鷲掴みにされて、もう二度と諦められなくなってしまったではないか。
「こんなに大好きなのに、この気持ちどうしてくださるの?」
「骨の髄まで愛するよ。もう泣かせないと誓うから、頼む、泣きやんでくれないか」
目の前で、いちゃいちゃしだした二人を前に、テレンスは一人静かにお茶を飲んだ。
気の利くメイベルがすぐに新しいお茶に淹れ換えてくれて、二杯目もしっかり堪能した。
二杯目は、少しだけ塩気のあるお茶だと思った。
アランは、レパトロワを見つめて名を呼んだ。
ビリジアンの瞳を揺らして、扉を押し開いたままの姿勢で立ち尽くしていた。
静かになった室内に、アランのはあはあという息づかいが響く。どうやらアランはここまで走ってきたようだった。
「ど、どうなさったの?アラン様」
「君が見合いをしていると聞いた」
「は?」
アランの背後、開かれた扉の向こう見える廊下の暗がりに兄の姿があった。どうやら誤情報を垂れ流したのは兄のようだった。
レパトロワが胡乱な眼差しを向けると、兄は横にスライドするようにフェイドアウトして見えなくなった。
行き成り扉が開いて、行き成り青年呼びされたテレンスは、傍目でわかるほどびっくりしたようだった。ぽかんと口を開けて、その表情は先ほど熱烈な告白をした彼より幼く見えた。
テレンスをそんなふうにしておきながら、アランはまだ扉のところに立ちふさがって、仁王立ちになっていた。だがそれも、背後にちらりと腕が見えて、それがアランの背中をドンと押した。
アランがつんのめるように室内に入ると、扉がバタンと音を立てて締まった。まるで悪戯な妖精がアランを部屋に押し込めたようだった。兄は今日から悪戯妖精さんになったのだろう。
尚もアランは無言のまま、びっくりして固まる二人の前に立ち尽くしていた。
「はっ」
アランはそこで一つ息を吐きだした。どうやら今まで息を詰めていたらしい。
「レパトロワ、青年」
どちらに用があるのか、アランは二人を同時に呼んだ。
「交渉は不成立だ。申し訳ないが、君たちの見合いは御破算だ」
立ち尽くしたまま言ったアランに、レパトロワは声をかけることができなかった。驚きのあまり身体が動かない。
そんな膠着状態を解いたのはメイベルだった。
「アラン様、お席へどうぞ」
メイベルはそっとアランを促して、あろうことかレパトロワの隣に誘導した。レパトロワとアランが並び座ってテレンスと向かい合う形になった。
ここでテレンスが素晴らしいのは、彼はアランがハーリントン侯爵家の嫡男であることに気がついて、すっと立ち上がって礼をしたことである。
「はじめまして。テレンス・キャンベル・ルフィールドと申します」
まだ十五歳であるテレンスは、格上で年上のアランに向かって恭しく名乗った。
「君のことは優秀な青年であると、お噂はかねがね伺っていた。カニング伯爵が興味を抱いているのも知っている。ああ、失礼、座ってくれたまえ」
立ったままのテレンスに話しかけたアランだったが、途中で無作法であったと気がついた。
「君はこれから学園で学ばれて、きっと卒業する頃にはますます賢明になられるのだろう。将来は文官を目指されているのだとか。君とともに王国の一助となるべく私も励まねばならないと考えている」
テレンスは名前を名乗っただけなのだが、アランは彼についての前情報をすでに得ているようだった。出所は悪戯妖精だろう。
「だが、これだけは申し上げねばならない。レパトロワは駄目なんだ。彼女だけは駄目なんだ。済まないが、ほかを当たってくれないか。君は将来有望であるからして、きっと良縁なら幾らでもある。だから、この子は諦めてくれ」
アランはそう言うと、隣に座るレパトロワの右手をぎゅうっと握り締めた。
同時に、レパトロワの心臓をキュウッと掴んでしまった。
「あの、ハーリントン侯爵ご令息、僕は」
「申し訳ないが、君にはすまないとしか言いようがない。あの馬鹿タレからようやく取り返すことができたんだ。レパトロワは誰にもやらん」
アランは兄からなにをどれほど吹き込まれたのか、王城から職務の合間にここに駆けつけてしまったのだろう。
と、いうよりも。
「アラン様、なにを仰っているの?」
レパトロワは心臓と右手をキュウッとかぎゅうっと握り締められて、もう息も絶えだえになっていたのだが、大切なことだと頑張って尋ねた。
「どうしてここへ?」
「君が見合いの最中だとオリヴァーが言ったから。もっと早く言えと蹴りを入れてからここへ来た」
「どうして?」
「レパトロワ?」
「どうしてアラン様がそんなに慌てるのです?」
ちゃんと説明してほしい。この胸を鷲掴みにしてしまったからには、ちゃんと責任を取ってほしい。終わらせた恋心に油を注いで再び火を灯した責任を果たしてほしい。
「どうしてってそんなこと、もう君を奪われたくないからだろう。あんなことは金輪際、御免なんだ。馬鹿タレ令息がようやく自滅したというのに、今度はこんな手強い青年とだなんて、くそっ」
アランは、発言を汚い言葉で締めくくった。
目の前では、テレンスが目を見開いてアランとレパトロワ、レパトロワとアラン、と交互に見ていた。
「お見合いなんてしておりませんわ。ただ、誠実で真っ直ぐなお気持ちに耳を洗われ感銘を受けておりました」
レパトロワは正直な気持ちを告げた。
テレンスは、家のことや家族のこと、身分や年齢を脇において、レパトロワを真摯に求めてくれたのである。その情熱と清々しさ。
「アラン様、酷いわ」
「え?レパトロワ?」
「今になってそんなことを。ずっと前から私の気持ちを知っていたくせに」
「え?レパトロワ?な、泣いてるのか?」
「馬鹿は貴方のほうだわ」
アランはレジナルドを馬鹿タレ呼ばわりしたが、あれほどレパトロワを放置して今になってこんなこと。
こんなに胸を鷲掴みにされて、もう二度と諦められなくなってしまったではないか。
「こんなに大好きなのに、この気持ちどうしてくださるの?」
「骨の髄まで愛するよ。もう泣かせないと誓うから、頼む、泣きやんでくれないか」
目の前で、いちゃいちゃしだした二人を前に、テレンスは一人静かにお茶を飲んだ。
気の利くメイベルがすぐに新しいお茶に淹れ換えてくれて、二杯目もしっかり堪能した。
二杯目は、少しだけ塩気のあるお茶だと思った。
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