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第十三章
短い春休みが終わり、マリーローズは二学年へ進級した。
期末考査の結果で決まるクラス替えも、教室にいた面々に大きな変わりはなく、今年もエドワードとは同じクラスになれた。
うららかな春の日に、エドワードと共に学ぶ新しい一年が始める。なんて素敵なことなのかしら。
一見すれば冷静な見目と異なり、マリーローズは情が深い。激情型といってよいだろう。熱すれば熱するほど愛は深まり、深い愛は腐海よりも深い。
回文っぽくなってしまったが、兎に角、マリーローズは泥のように人を愛することができる。
「マリーローズ嬢、おはよう」
「……おはようございます。エドワード様」
新学期早々、エドワードから声をかけられて、しばし見惚れていたがために挨拶に間が空いた。
エドワードは、すでに着席していたマリーローズの傍に立ち、鞄片手にこちらを見下ろしている。
見上げる彼が神々しくて、マリーローズは眩しいものを見るようにそこで目を細めた。
「その……疵は大丈夫だったろうか」
彼はまだ、火傷ことを気にしていた。
元より軽かった火傷は、三日もすれば綺麗に治っていた。
四日目には火傷をしたことすら忘れてしまったマリーローズは、退屈を持て余していたくらいである。
それなのに、エドワードはまだ気にしていたようだ。
エドワードからは、春休みの間に何度も文を受け取っていた。高貴な人物とは筆致まで麗しく、あまりの美しい文体に額装したいと思うほどだった。
美しい文へのお礼に心を込めて返信をすれば、翌日には返信の返信が届く。
短い休みの間、二人は交換日記のように代わるがわる文を送りあっていた。
その中で、エドワードは毎回、火傷のことを気にしていた。それにはこちらも毎回、大丈夫だと返すのだが、実際に目で確かめなければ安心できないなんて素敵なことまで書いてくれた。
「どこもなにも残ってなんていないでしょう?」
マリーローズは「どうぞ、ご覧になって」と右手を差し出してみせた。
「どれ?」
エドワードはそう言うと、マリーローズの差し出す手を取り指先をきゅっと握った。
思いもかけない彼の行為に、マリーローズは固まって身動き一つできなかった。
手、手、手を握られている。
自分から「ほら」と差し出したが、まさか握られるなんて思ってはいなかった。
ぼぼぼぼと、音がするように顔が熱を持つ。きっと、右手なんかより顔のほうが真っ赤になっているだろう。
どうしたものかエドワードは、マリーローズの手を取ったままじっと見ていた。そんなに検分しなくとも、どこにも火傷の跡はない。
しかも、近視気味の彼は、よくよく見ようとするのか目の前まで手を持ち上げると、食い入るようにじっと見入っている。
――どうしましょう。エドワード様の吐息が手の甲に触れてしまいそうですわ。
「よかった。美しい手だね。ようやく安心できたよ」
美しいって言われちゃった。
だが、案外しっかり者のマリーローズは、いつまでも呆けることはなかった。
「エドワード様は、お気になさることなんて一つもございませんわ。むしろ、手当までしていただいて、お陰で治りが早かったのですもの」
なによりとても嬉しかった。
彼は最初から最後まで文句なしの紳士だった。
火傷の手当てをした後も、カフェの店員に頼んで馬車を呼び寄せマリーローズを邸まで送ってくれた。
父への説明に加えて謝罪までして、生家である公爵家への報告も怠らなかった。
もう百点満点の紳士っぷりである。
マリーローズは浮かれていた。だから全く気づかずにいた。百点満点と評したエドワードに減点なんてする気は毛頭なかったから、気がつかないままだった。
マリーローズの手を取り持ち上げたエドワードが、そのまま指先に接吻しようとでもするように、微かに震えていたなんて。
呑気なマリーローズをちらりと見て、どろりと蜜を煮詰めたような熱の籠る眼差しを向けただなんて。
「お聞きになって?マリーローズ様」
ケイトリンはいつも唐突である。
昼休みの廊下で背中から声をかけられた。
振り返ったマリーローズに、ケイトリンは前置きなんてすっ飛ばし、行き成り主題に入った。
ストレートでさっぱりした物言いは小気味よく、マリーローズはそんな彼女に好感を持っている。
「清掃が済んだようでしてよ」
「清掃?」
校内は、いつもの通りゴミ一つ落ちていない。確かに清掃済だろう。
「ふふ。マリーローズ様は春休みの間、お邸でお休みになられていたからご存知ないのね」
ケイトリンの意味深長な言葉に、マリーローズは「何かありまして?」と尋ねた。
「何かって。ふふ」
ご覧遊ばせ、と言ってケイトリンは窓のほうを見た。
花盛りの庭園が美しく見えていた。とりどりの花が咲き誇る庭園と白いベンチ。
白いベンチ。
「あら?」
「ふふふ、お気づきになって?」
白いベンチは春の陽光を浴びて気持ちよさそうに見えていた。そこはつい先ごろまで、蟻の集団に占拠されていたのだが……
「誰もいない……」
「ね?言ったでしょう?清掃済だって」
ケイトリンは心底楽しそうに続けた。
「全員めでたく駆逐されたんですのよ」
マリーローズの脳裏に蘇る、一人の女子生徒を囲む蟻の集団。そして彼らを惹き寄せる女王蟻こそパティシアだった。
「彼女。折角、学園に編入したのに。結局、お試し入学になってしまいましたわね」
「お試しとは?」
「退学なさったらしいわ」
そう言うと、ケイトリンは目を細めて「ざまあ」とのたまった。
期末考査の結果で決まるクラス替えも、教室にいた面々に大きな変わりはなく、今年もエドワードとは同じクラスになれた。
うららかな春の日に、エドワードと共に学ぶ新しい一年が始める。なんて素敵なことなのかしら。
一見すれば冷静な見目と異なり、マリーローズは情が深い。激情型といってよいだろう。熱すれば熱するほど愛は深まり、深い愛は腐海よりも深い。
回文っぽくなってしまったが、兎に角、マリーローズは泥のように人を愛することができる。
「マリーローズ嬢、おはよう」
「……おはようございます。エドワード様」
新学期早々、エドワードから声をかけられて、しばし見惚れていたがために挨拶に間が空いた。
エドワードは、すでに着席していたマリーローズの傍に立ち、鞄片手にこちらを見下ろしている。
見上げる彼が神々しくて、マリーローズは眩しいものを見るようにそこで目を細めた。
「その……疵は大丈夫だったろうか」
彼はまだ、火傷ことを気にしていた。
元より軽かった火傷は、三日もすれば綺麗に治っていた。
四日目には火傷をしたことすら忘れてしまったマリーローズは、退屈を持て余していたくらいである。
それなのに、エドワードはまだ気にしていたようだ。
エドワードからは、春休みの間に何度も文を受け取っていた。高貴な人物とは筆致まで麗しく、あまりの美しい文体に額装したいと思うほどだった。
美しい文へのお礼に心を込めて返信をすれば、翌日には返信の返信が届く。
短い休みの間、二人は交換日記のように代わるがわる文を送りあっていた。
その中で、エドワードは毎回、火傷のことを気にしていた。それにはこちらも毎回、大丈夫だと返すのだが、実際に目で確かめなければ安心できないなんて素敵なことまで書いてくれた。
「どこもなにも残ってなんていないでしょう?」
マリーローズは「どうぞ、ご覧になって」と右手を差し出してみせた。
「どれ?」
エドワードはそう言うと、マリーローズの差し出す手を取り指先をきゅっと握った。
思いもかけない彼の行為に、マリーローズは固まって身動き一つできなかった。
手、手、手を握られている。
自分から「ほら」と差し出したが、まさか握られるなんて思ってはいなかった。
ぼぼぼぼと、音がするように顔が熱を持つ。きっと、右手なんかより顔のほうが真っ赤になっているだろう。
どうしたものかエドワードは、マリーローズの手を取ったままじっと見ていた。そんなに検分しなくとも、どこにも火傷の跡はない。
しかも、近視気味の彼は、よくよく見ようとするのか目の前まで手を持ち上げると、食い入るようにじっと見入っている。
――どうしましょう。エドワード様の吐息が手の甲に触れてしまいそうですわ。
「よかった。美しい手だね。ようやく安心できたよ」
美しいって言われちゃった。
だが、案外しっかり者のマリーローズは、いつまでも呆けることはなかった。
「エドワード様は、お気になさることなんて一つもございませんわ。むしろ、手当までしていただいて、お陰で治りが早かったのですもの」
なによりとても嬉しかった。
彼は最初から最後まで文句なしの紳士だった。
火傷の手当てをした後も、カフェの店員に頼んで馬車を呼び寄せマリーローズを邸まで送ってくれた。
父への説明に加えて謝罪までして、生家である公爵家への報告も怠らなかった。
もう百点満点の紳士っぷりである。
マリーローズは浮かれていた。だから全く気づかずにいた。百点満点と評したエドワードに減点なんてする気は毛頭なかったから、気がつかないままだった。
マリーローズの手を取り持ち上げたエドワードが、そのまま指先に接吻しようとでもするように、微かに震えていたなんて。
呑気なマリーローズをちらりと見て、どろりと蜜を煮詰めたような熱の籠る眼差しを向けただなんて。
「お聞きになって?マリーローズ様」
ケイトリンはいつも唐突である。
昼休みの廊下で背中から声をかけられた。
振り返ったマリーローズに、ケイトリンは前置きなんてすっ飛ばし、行き成り主題に入った。
ストレートでさっぱりした物言いは小気味よく、マリーローズはそんな彼女に好感を持っている。
「清掃が済んだようでしてよ」
「清掃?」
校内は、いつもの通りゴミ一つ落ちていない。確かに清掃済だろう。
「ふふ。マリーローズ様は春休みの間、お邸でお休みになられていたからご存知ないのね」
ケイトリンの意味深長な言葉に、マリーローズは「何かありまして?」と尋ねた。
「何かって。ふふ」
ご覧遊ばせ、と言ってケイトリンは窓のほうを見た。
花盛りの庭園が美しく見えていた。とりどりの花が咲き誇る庭園と白いベンチ。
白いベンチ。
「あら?」
「ふふふ、お気づきになって?」
白いベンチは春の陽光を浴びて気持ちよさそうに見えていた。そこはつい先ごろまで、蟻の集団に占拠されていたのだが……
「誰もいない……」
「ね?言ったでしょう?清掃済だって」
ケイトリンは心底楽しそうに続けた。
「全員めでたく駆逐されたんですのよ」
マリーローズの脳裏に蘇る、一人の女子生徒を囲む蟻の集団。そして彼らを惹き寄せる女王蟻こそパティシアだった。
「彼女。折角、学園に編入したのに。結局、お試し入学になってしまいましたわね」
「お試しとは?」
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そう言うと、ケイトリンは目を細めて「ざまあ」とのたまった。
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