《短編版》或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

文字の大きさ
11 / 18

第十一章

しおりを挟む
「コットナー伯爵夫人」

 その声に、サフィリアは振り返った。

「まあ!司祭様!」

 ああ、これかぁと司祭は思った。
 これは典型的な愛玩動物系の眼差しだ。大丈夫か?貴族夫人がこんな無防備に人懐っこい笑みをして。

 サフィリアは、今日も爆速で家政を片付け教会を訪れていた。何をそれほど祈っているのか、ブツブツと呟く祈りには狂気が宿っていた。
 近づくと聞こえてくる「ごめんなさい、ごめんなさい」の繰り返しに、司祭は背中に冷たい汗が流れ落ちた。

 司祭と直接会うのは婚姻式以来なのに、キャソックを着ているだけで全幅の信頼を寄せているサフィリアは、ぱあと顔を輝かせた。

 あの朴念仁は、このいつまでも純真を失わない幼子のような笑みに心をやられたのか。
 それで何を拗らせて、毎日毎日、夫人は夫を苦しめているのだと己を責めて懺悔しているのか。

 問題の根本を探るべく、司祭はあのう夫人、サフィリアに声を掛けた。

「敬虔な夫人にお尋ねします。何をお悩みか?」

 こういう手合には、単刀直入が最も効く。遠回しな誘導なんて遠回しにしかならない。

「悩み……」

 途端にサフィリアはしゅんと萎んだ。笑みもしゅんと消えてしまった。
 やめてくれ、なんだか悪い事をした気持ちになってしまう。こちらのほうが懺悔したくなってきた。

「ここは神の家です。貴女の心の内は全て神には見えている」
「なんですって」
「隠し事などできないのです。貴女の願いは何ですか?貴女の悩みは何ですか?」

 些か単刀直入すぎるとは思ったが、サフィリアには効果覿面だった。顔に書いてある。「何でも話ます!」。

「ですが司祭様。私、既に告解部屋にて罪を打ち明けておりますの。貴方様にお聞かせするのは神を信じていないようで、なんだかはばかられてしまいますわ」

 いや、その告解、毎日聞かされてるの自分だし。あれほど毎日繰り返し聞かされて、それで自分には打ち明けられないと言うか。なんだかそれって悔しいな。

「あまり悩まれては、ご家族も心配なさいます」
「ああ、それはあり得ませんわ」
「は?」
「ワタクシ、夫に嫌われておりますの」

 お前、何をしている。もつれすぎて拗れすぎて、司祭は絶望したくなった。
 だがしかし、この道で鍛え抜いた神聖なる精神を総動員して、司祭はサフィリアに問うた。

「それは思い違いでは?」
「そんなことございません」

 サフィリアは清々しいほど自信満々に言い放った。

「伯爵とはお話なさったので?」

「え?するわけございませんわ。旦那様はお忙しいのです。私との会話で貴重なお時間を搾取してはなりませんわ。ワタクシ、旦那様の時間泥棒にはなりたくないのです」

 サフィリアは、今度はエヘンと胸を張って言いのけた。

「司祭様」

 何。面倒ごとしか思い浮かばない。

「ワタクシ。離縁をしようと思いますの。告解で神様に予約済みですわ。今ごろ天国で私がサインするのをお待ちでしょう。私、宣言しましたのよ、離縁しますと」

「えーと、それは誰に」

「神にです。告解でもこの場でも、毎日。神に直接お願いしたのですもの、それって直訴ですわね」

 それは毎日毎日サフィリアが、ルクスとの離縁を神に願っているということだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

フッてくれてありがとう

nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」 ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。 「誰の」 私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。 でも私は知っている。 大学生時代の元カノだ。 「じゃあ。元気で」 彼からは謝罪の一言さえなかった。 下を向き、私はひたすら涙を流した。 それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。 過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

処理中です...