王妃の秘薬

桃井すもも

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【5】

「君も今日は疲れただろう。今夜はゆっくり休んでほしい。」
「は?」

サフィニアは、今、夫に言われた言葉に他の意味があるのかを、一瞬のうちに繰り返し考えた。

婚姻の儀が終わった夜だった。今宵は初夜である。二人にとって、初夜の共寝は艶事ではない。子を成す為の責務の筈だ。宰相には「二人拵えてくれ」と言われている。それを目の前で避けられた。

思い当たる事は一つだった。
噂は本当であったのか。だとしても、ディアマンテはこの婚姻の意味を誰よりも理解していると思っていた。それとも、何の為にサフィニアが輿入れしたのかを解らないほど暗愚であったか。

呆気に取られたまま立ち尽くすサフィニアを置いて、ディアマンテは寝室から出て行ってしまった。
豪奢な天蓋が掛かる寝台の前で、サフィニアはぽつんと独り取り残された。

「え?」

予想だにしない事だった。

「し、しょ、初夜をすっぽかされたの?」

巷で流行った三文小説があった。確か、婚姻初夜の寝台の前で、夫が新妻に叫ぶのだ。

『お前を愛することはない!私には真実の愛がある!』

サフィニアは思ったものだ。では何故婚姻を結んだの?
当時はまだ学生だったが、その学生でも解る事だった。真逆、それを自分が経験するだなんて。

いや、ディアマンテは流石にそこまでは言っていない。やんわり「休んで」と言ったのだ。けれども、添い寝も共寝も無いままに、この寝室に独り置いてけぼりにされるのは、結果的に同じ事だろう。


どうやらディアマンテにも、真実の愛があるらしい。

その噂を聞いたのは、婚約が結ばれて間もなくの事だった。

帝国で妃教育を受けていたサフィニアであるが、それは王太子を補佐するマラカイトの妃に対して施される教育であったから、母国の仕来たりに則った王太子妃としての教育は必要であった。

それに加えて、重い病を得ている女王が身を起こせる内に、王妃としての教えを急ぎ授かる為に、サフィニアは毎日登城して教育を受けていた。

城に上がって知ったのは、ディアマンテには親密な関係の令嬢がいるという噂であった。

城の侍女らが密かに囀る噂話は、毎日城へ通っていれば嫌でも耳に入って来た。
それでサフィニアは、側付きとして充てがわれた侍従に確かめた。

「アゲート。怒らないから正直に答えてほしいの。殿下には、親しくお付き合いをしているご令嬢がいるのだと噂を聞いたのだけれど。」

アゲートが、言い難い事も迷わず告げる事の出来る男であるのは、会って直ぐに解った事だった。
やはりアゲートは、問われた事に躊躇を見せずサフィニアに答えた。

「その噂は存じております。但し、真実かは不明です。」

「そう。」

嘗てサフィニアは、学生時代にマラカイトと恋に落ちた。だから、若いディアマンテが心を寄せる存在がいたとして、それは当然の事だと思えた。

だが彼は王族で、今、国はその基盤が揺らいでいる。初見のディアマンテは青年王子らしい青い若さを感じさせたものの、王家が置かれた状況を理解出来ないほど子供ではないと思われた。

「大丈夫よね。」

思わず漏れ出た独り言には、アゲートは何も答えなかった。


但し、彼はやはり優秀な男だった。
翌日登城したサフィニアに、アゲートは報告した。

「お相手は、エメローダ嬢という名のご令嬢です。ただし身分が曖昧でして、国内にその名の令嬢がいる貴族家はございません。学園でお知り合いになられた他国の貴族令嬢、しくは何処ぞの貴族の庶子であるかも知れません。」

「女王陛下はご存じなのかしら。」
「お耳には入っているかと。」
「困ったものね。殿下の侍従はどうしているの?」

ディアマンテには、クォーツという侍従がいる。

「多分、把握しているかと思われます。」
「そうよね。」

城中が知っていると言うのに、ディアマンテは恋にうつつを抜かしていると言うのか。

「貴方はどう思う?殿下はここで足を踏み外すお方なのかしら。」
「私の存じ上げる殿下とは、その様な御方とは思われません。」

恋に浮かれるのを責めているのではない。浮かれてもらっても困るのだが、せめて遣り様は考えてほしい。

「陛下がご存じなら、私が騒いでも仕方が無いわね。」

静観するしか無いでしょう、と言えば、アゲートもそれに頷いたのであった。


それが真逆、初夜を放棄するだなんて。

「宰相に、なんて言ったら良いのかしら。」

立ち尽くしていても仕方が無いので、サフィニアは取り敢えず寝台の縁に座った。

あの、言い難い事もズバリと言える宰相が、アゲートと遠縁であると云うのは、先日聞いたことである。道理で二人とも端的な物言いがどこか似ていると思ってた。
その端的にものを言える男は、明日の朝には初夜がどうであったかをズバリと聞いて来そうで、サフィニアは気が重くなった。

そんな事より、どうしよう。これでは何の為に輿入れしたのか意味が無くなってしまう。

そう考えたところで、サフィニアは思い当たってしまった。

サフィニアに望まれている役割とは、この国の安寧の為に王太子妃、引いては王妃の責務を果たすことである。子を儲ける事も責務の内だが、産むのがサフィニアでなければならない訳ではない。
ディアマンテが将来、噂の恋人を側妃に迎え入れたなら、お子は間違い無く側妃が産むだろう。

そこまで考えて、そうかと納得が行った。

「私は正真正銘、職業王妃を求められたのだわ。」

女の身であれば、これほど屈辱的な事は無いだろう。骨身を削って仕えるのに、頭だけを求められて、心も身体も必要無いと言われているのと同義である。王妃と言う名の文官職を賜ったと言っても良いだろう。

だが、不思議とサフィニアは、それを屈辱とは思わなかった。

そんな事は初めから承知であった。宰相は、サフィニアにも愛を必要としないと言っていた。互いに愛し合えずに生まれるより、側妃として迎え入れた最愛からお子が生まれる方が望ましい。

要は最低二人、ディアマンテの種から王子か王女がお生まれになれば良いのだ。


独りきりの静かな部屋に、ほうほうと梟の声が響いて聞こえた。

真逆、王族の婚礼初夜で、寝室に妃が独り取り残されて、ああでもないこうでもないと考え込んでいるなどと、誰も思いもしない事だった。



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