RUBER

桃井すもも

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【10】

気付かぬ内に、ロレインの白い手がイーディスの袖を掴んでいた。
フレデリックへの恋慕だけを抱いて、ロレインはたった独りでこの国に来た。随行して来た護衛も付き人達も大勢いたが、その中に血を分けた家族は一人もいない。
この王城の最も高い側防塔から眺めても、祖国は遠く離れて目にすることは叶わない。

ロレインの心細い心中を思うと、イーディスはなんとかしてこの儚い姫君を慰める手立ては無いかと思った。だが、短い間でもフレデリックと心を通わせ合った自分の口から、そんな事を言うのはロレインを侮るようで憚られた。

イーディスは、そのまま跪いてロレインを見上げた。揺れる瞳は深い森の奥の泉のようである。清らかな湧水を湛えて一切の穢れを知らないロレインは、イーディスには眩し過ぎた。

「ロレイン様。ゆっくりで宜しいのです。ゆっくりこの国に馴染んで、その間、フレデリック殿下と沢山お話しなさっては如何でしょう。お忙しい御方ですが、貴女様が恙無つつがなくお過ごしになられる様にとお気に掛けておられます。そちらの花もフレデリック殿下が手ずから手折られたものだそうです」

剣の稽古の帰り道、外回廊を歩いていたフレデリックは、盛りの薔薇が放つ香りに誘われたのか、庭園に寄り純白の薔薇を一輪手折って侍従に届けさせていた。

「勿論、嬉しいわ。でも、」

瞳を揺らしたままロレインはイーディスを見つめる。いつの間にか、両手はイーディスの腕を掴んで離さない。

「でも私は、フレデリック様のお手から受け取ってみたいと思ったの。そんな事を思ってしまう私は我が儘なのかしら」

「そんな事はございません。早朝の事でしたから、ロレイン様を起こしてはいけないと、そうお考えになられたのでしょう。フレデリック殿下はロレイン様に贈るのだとお思いになって薔薇を摘まれたのです。その間は、フレデリック殿下の御心はロレイン様の元にあったのですよ」

「イーディス」

ロレインが、跪くイーディスの肩に頬を寄せた。イーディスは、その薄く華奢な背中をゆっくりさする。柔らかな心が何に傷付いているのかを、皆まで確かめる術は無い。イーディスには、ロレインに寄り添いその心の吐露を受け止める事しか出来なかった。



「殿下へ報告を?」
「ええ。前回のご報告からそろそろ一週間となりますから。」
「解った。殿下のご予定を確認しよう。」

王太子の執務室へ向かった先で、前を歩く赤髪の騎士が見えた。
足早に歩み寄れば、気配に気付いたジェフリーが振り返ってイーディスを見下ろした。

王城に部屋を与えられているイーディスは、週に一度しか邸に戻れない。城では毎日会うジェフリーとは、仕事の合間であるから話題は大抵ロレインとフレデリックの事に終始した。

今日は、ロレインの寂し気な様子を伝えようと、フレデリックの侍従に言付けるつもりで来たのだが、丁度良いタイミングでジェフリーを見つけられた。それで思わず駆け寄ってしまった。

「モンティが君を探している」
「モンティが?」
「毎夜鳴かれて使用人等が困っている。流石のアネットもお手上げらしい」
「モンティ……早く会いたいわ」
「明日、夕刻に迎えに行く。モンティにもそう伝えておくよ。帰って来るぞと」
「まあ。どうやって?」
「男同士の話しをする」
「ふふふ」

赤髪のフレデリックと三毛猫のモンティが、顔を突き合わせてどんな話し合いをするのだろうと、想像したところで思わず吹き出しそうになった。
明後日は二人は非番の日で、明日の夜には邸に帰る事を許されていた。その際には、ジェフリーがイーディスを迎えに来てくれる。

すると、そこへ侍従を従えたフレデリックが執務室を出て来るのがジェフリーの背後に見えた。イーディスは通路の端に寄り、お仕着せのスカートの先を抓んで頭を垂れた。

「イーディス」

長い足で颯爽と歩くフレデリックは、あっという間にこちらへ辿り着いた。

「楽にして良いよ」

イーディスはフレデリックに許されて面を上げた。それから、ここで話すべきかを迷っていると、

「ロレイン王女の御報告をと申しております」

ジェフリーがイーディスに代わって要件を伝えてくれた。

「ああ、もう一週間経つのか。承知した。明日、執務室に来てくれないか。夕刻なら時間を取れる」
「御報告を終えた後に、私もイーディスも邸へ戻らせて頂きます」

そうジェフリーが言うと、フレデリックも理解したようだった。

「非番だったか。勿論だ、長くは掛からないだろう?」

イーディスに、暗に手短に済ませる様にと鷹揚に笑みを浮かべてフレデリックは言った。それに何処か突き放すような距離を感じて、イーディスは一言も返せぬまま頭を下げた。


用は済んだとフレデリックが歩き出す。ジェフリーもその後ろに付き従った。去ってゆく金髪の後ろ姿を見送って、そうだと思い出した。

ロレインが白薔薇の贈り物をとても喜んでいたのだと、そう伝えたかった。あれからロレインは薔薇を生けた一輪挿しを寝台のヘッドボードに移した。
月明かりでも仄かに白く見えるだろう、きっと宵に仄白く浮かんで見えて美しいだろう。そう言って、甘やかな芳香を放つ白薔薇に頬を寄せたのだった。


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