RUBER

桃井すもも

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【25】

季節は秋の終わりと冬の始まりの狭間にあった。
春の初めに城に上がって、気が付けば季節を二つ通り過ぎていた。

同じ季節をロレインは隣国から渡って夏の初めにフレデリックの妃となり、今は子を宿しその身の内で育んでいる。

心の繊細さはそのままに、一日一日母となって行くロレインであったが、フレデリックとの関係は今だ薄皮一枚挟むような隔たりが見えた。見えない筈のものであるのに側付きの者なら誰もが解る、そんな冷ややかな壁がある。

近い将来、国王陛下に即位するその矜持が、フレデリックを近寄り難く見せているのか。イーディスもふとした瞬間に視線が合って、ほんの僅かな一瞬であるのに射られるような鋭さを感じることは度々であった。


夫婦であるなら、肌を合わせる瞬間が最も深く交わり関わり合う時間であるのに、皮肉な事に、ロレインが懐妊した事でそれまで定期的に持たれた同衾は無くなって、褥を別にする二人は親密な触れ合いの機会を失っていた。

子を宿しても肉の薄いロレインは酷く寒がりで、夜間も暖炉の火を消すことは無い。
広い寝台での独り寝に幾ら毛布を重ねても、本当に心の芯を温めるのは唯一人、彼女が愛する夫だろう。

月の翳る夜にそんなことを考えてしまうイーディスもまた独り寝で、やはり冷え性であったから手足が冷たく寝つきが悪い。ジェフリーの体温が恋しいのは夜気の寒さばかりではなくて、ふとした瞬間に仄暗い影に囚われてしまいそうになる。
その感情を打ち明けられる存在は一人しかなく、彼なら明確な答えをイーディスに示してくれるのではないかと思った。

イーディスはジェフリーを信頼していた。始まりはどうであっても、二人だけで築いた毎日の積み重ねは確かにある。この胸の内を打ち明けたなら、彼は必ず耳を傾けてくれるだろう。必ず、そう思えるほどの信頼を、イーディスはジェフリーに抱いていた。


雨の激しい夜だった。遠くに雷の音が響くのが聞こえていた。窓を打つ雨音に混じる雷鳴に、モンティが怯えてなかなか離れてくれなかった。

久しぶりに迎える二人の夜に、寝台に腰掛けたイーディスはジェフリーに尋ねた。

「この粉は、いつまで飲めばよいのでしょう」

ロレインを迎え入れるまでが最初の目安だった。
ロレインに仕えて彼女の側に侍り、異国に慣れず不安定になる心が落ち着きを得るまでが次の目安だった。
フレデリックの子を成す時が最終の目安で、それはうに果たされている。

フレデリックが妃を迎え入れてその妃が懐妊する。隣国から娶る妃の為に隣国の血を引くイーディスが側に控えて彼女に仕える。それが目的のジェフリーとの婚姻だった。

イーディスの問い掛けに、ジェフリーは途端に表情を変えた。
鮮烈な印象を与える赤い髪。大きな体躯も相まって、まるで鬼神に見えるジェフリーは、実は理知的で思慮深く、彼に限って迂闊な発言をすることは滅多に無い。

だがそれは表の顔で、二人で語り合う時には軽口も言えば気さくな素振りも見せて、それがイーディスを妻と認めているからなのだと思っていた。

だから、ジェフリーのこんな顔を今は見たくはなかった。イーディスが子を成さない薬を飲むのも、全てはロレインが懐妊するまで仕える為で、身重になってしまっては十分な側仕えが出来ないからだ。

来夏の出産に備えて、乳母の選定が始まっている。乳母は当然、経産婦で、イーディスでは務まらない。ロレインが出産してからは、御子に触れるのは乳母の役目で、ロレインも乳母を頼りにするだろう。

「私のお役目は、どうなるのでしょう」

何も答えてくれないジェフリーを追い詰めたい訳ではなかった。だから、質問を重ねる前に答えて欲しい。
フレデリックがどう命じたとか決め事がどうであるとか関係なくて、ジェフリーがどう思っているのかを教えて欲しかった。
いつになったら私を本当の妻にしてくれるのだろう。子を成せない事が自然の結果であるなら諦める。だが、計画的に得られなくするのは別の話しで、その務めなら既に果たしていると思えた。

フレデリックが感情を見せない顔をするのはいつもの事で、イーディスはそれが彼の拒絶の意味だと理解していた。だから、そっくり同じ顔をしたジェフリーに、揺るがないと思っていた信頼が揺らいだ。

「ジェフリーさ「解っている」
「ジェフリー様……」

憎らしいほど主君と同じ、余計な言葉も感情も一つも漏らさない。そんな姿を妻のイーディスに見せてほしくはなかった。

「私はまだ貴方の妻でいて良いの?」
「当たり前だろう」
「お役目を果たしたと思います」
「……」
「ロレイン様には直に乳母がお仕えします。そうなれば更に御心の支えが増えるでしょう」
「ロレイン妃には君が必要だろう」
「勿論、臣下として生涯フレデリック殿下とロレイン様にお仕えします。ですが、私は貴方の妻で、貴方の子を産み伯爵家の後継を得る務めがございます」

ほんの僅か、ジェフリーの眉が動く。

「私にその役目は不要なのでしょうか。それとも、」

ジェフリーの榛色の瞳がこちらを見ている。

「それとも、そのお役目は、別の方にお頼みするお積もりなのでしょうか」

最後まで言うべき言葉ではない、けれどもいつかは言わねばならない言葉だと思っていた。
今言ってしまったなら、今がその終わりのはじまりなのだろうか。

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