34 / 45
【33】
しおりを挟む
「悪いが、二人にしてもらって良いだろうか」
フレデリックの言葉にジェフリーは一瞬厳しい表情をした。
「頼む」
背後にいるジェフリーを振り返らず、フレデリックの視線はイーディスに向けられている。
「ジェフリー様。大丈夫です」
イーディスの言葉に促されて、ジェフリーは「承知しました」と一言言いおいて、そのまま退室した。それに続いて護衛も使用人も部屋を出て行った。
ふう、と小さくフレデリックが息を吐いた。
侍女も出てしまったからイーディスがお茶をサーブする。
その手元をフレデリックが見つめて、イーディスは彼の前でお茶を淹れるのは慣れたことであるのに、微かな緊張を覚えた。
「体調は?」
「殿下のお心遣いのお蔭で随分早く治っているようです。先日も、診察頂いた医師様が驚いておられました」
「いや、君がだよ」
懐かしい声音だと思った。
生徒会室で二人きり、フレデリックの語る声は甘やかで、そうしてこんな風に優しかった。
「すまなかった」
突然の謝罪が何に対してなのか、イーディスには解らなかった。
「殿下、それは……」
「ああ、そうだな、君には詫びなければならないことが多過ぎる」
「……」
「イーディス」
フレデリックはイーディスを見つめて、ほんの少し頭を傾げた。
「お茶をもらっても?」
「あ、ええ、勿論ですわ、申し訳ございません」
イーディスは折角淹れたお茶を差し出すところで手が止まっていた。
フレデリックはソーサーを持ち上げ、お茶の香りを楽しんだ。それからゆっくり口に含んで味わっている。それは嘗て生徒会室で幾度も目にした光景であったが、イーディスが城に上がってからは久しく目にしてはいなかった。生徒会室の茶葉は安価なものであったし、イーディスも今ほど上手にお茶を淹れられなかったのに。
王城での彼はいつでも笑みを浮かべているのに、近寄り難い薄皮を一枚貼り付けたように、感情の在り処が解らない笑い方をする。
フレデリックが学園を卒業してしまってから、次に会ったのはジェフリーとの婚姻が結ばれてからだった。フレデリックはその頃には、既にロレインと婚約していた。
嘗ての恋人を主君として見るのにイーディスが慣れたのは、いつ頃のことだろう。気が付いた時には、フレデリックは若き王族らしい威厳を身に纏って、触れたならぴりりと痛むような、そんな近寄り難い存在感を放っていた。
そのフレデリックが、ジェフリーの邸宅の応接間で、王城のものより少しばかり劣る茶葉を楽しんでいる。
「殿下。お願いしたいことがございます」
「……何かな?」
今を機会と捉えて、イーディスは心に決めた事を願い出た。
「侍女の職を辞したいと存じます」
「……」
カップを見つめるフレデリックの長い睫毛が翳りを落として見えるのは、イーディスが緊張しているからか。
「困ったな。夫妻で一度に願い出られては」
「え?」
「ジェフリーが、私の護衛を降りたいと言っている」
「えっ、」
ジェフリーの傷は完治には至っていない。文字を書くにもカトラリーを持つにも不自然な動きを見せてはいたが、それは日にち薬が癒すもので、春が来る頃には完全にとは言えずとも今よりも確実に良くなるものだとイーディスは信じていた。
「近衛騎士団も退団する事を望んでいる」
「何ですって、ジェフリー様が?」
自分の願い事はどこかに吹っ飛んで、イーディスの頭の中はジェフリーの辞職で埋め尽くされた。
「そんな……」
ジェフリーは生まれながらの騎士である。騎士の家に騎士になるべくして生を受けて、恵まれた資質に努力を重ねて「鬼神」と呼ばれるまでになった剣豪である。
「無理強いは出来ないが、一旦、預りとした」
フレデリックは直ぐ様ジェフリーの希望を受け入れはしなかったらしい。
混乱する思考が少しずつ治まって、イーディスは胸を打つ鼓動を鎮めるのに一つ溜め息をついた。
「だが、君は違う」
俯いてしまったイーディスが顔を上げると、それを待っていたようにフレデリックは言葉を続ける。
「十分、既に君は仕えてくれた。ロレインは、君しか頼る人間はいなかったろう」
「そんなことは、」
ロレインは、いつでもフレデリックを見つめて慕っていた。姿が見えなくなってからも、フレデリックが出て行った扉をその残像を見るように、長い時間を見つめるのが彼女の姿であった。
フレデリックこそがロレインの生きる希望の源だ。
「私は彼女にとって良い夫ではない」
「そんなことはございません。ロレイン様が殿下を深く愛されておられるのを、殿下もお気付きでしょう」
「それは当然解っているよ。私は人の感情には敏感な質でね。それで随分、邪な感情を抱く輩を遠ざけて来られた」
「では、ロレイン様の、」
「好意にも気が付いていたよ。だが、私でなくても気付いただろう。あれほどの熱量を向けられては」
フレデリックの言葉はその通りで、だから余計に側付きの使用人達は、彼女がフレデリックの不在を嘆くのに心が痛んだ。ロレインの不調も確かにあったが、夜の渡りが不自然なほど控えられていたのを、イーディスばかりでなく、あのジェフリーでさえ懸念を抱いていたようだった。
「良いよ。ロレインの側近きを解こう。乳母も決まった事だし、子を産んだあとなら彼女も君がいないことに慣れるだろう」
フレデリックの放つ、ひと言ひと言に温度が感じられないのは何故だろう。フレデリックとは誠実な人間だ。清濁飲み込みながら、心の芯は真っ直ぐブレない。曲がった事を嫌うのだ。
「私はね、イーディス。ロレインを許せなかった」
到頭聞いてしまったフレデリックの言葉に、イーディスは思わず瞼を閉じた。
フレデリックの言葉にジェフリーは一瞬厳しい表情をした。
「頼む」
背後にいるジェフリーを振り返らず、フレデリックの視線はイーディスに向けられている。
「ジェフリー様。大丈夫です」
イーディスの言葉に促されて、ジェフリーは「承知しました」と一言言いおいて、そのまま退室した。それに続いて護衛も使用人も部屋を出て行った。
ふう、と小さくフレデリックが息を吐いた。
侍女も出てしまったからイーディスがお茶をサーブする。
その手元をフレデリックが見つめて、イーディスは彼の前でお茶を淹れるのは慣れたことであるのに、微かな緊張を覚えた。
「体調は?」
「殿下のお心遣いのお蔭で随分早く治っているようです。先日も、診察頂いた医師様が驚いておられました」
「いや、君がだよ」
懐かしい声音だと思った。
生徒会室で二人きり、フレデリックの語る声は甘やかで、そうしてこんな風に優しかった。
「すまなかった」
突然の謝罪が何に対してなのか、イーディスには解らなかった。
「殿下、それは……」
「ああ、そうだな、君には詫びなければならないことが多過ぎる」
「……」
「イーディス」
フレデリックはイーディスを見つめて、ほんの少し頭を傾げた。
「お茶をもらっても?」
「あ、ええ、勿論ですわ、申し訳ございません」
イーディスは折角淹れたお茶を差し出すところで手が止まっていた。
フレデリックはソーサーを持ち上げ、お茶の香りを楽しんだ。それからゆっくり口に含んで味わっている。それは嘗て生徒会室で幾度も目にした光景であったが、イーディスが城に上がってからは久しく目にしてはいなかった。生徒会室の茶葉は安価なものであったし、イーディスも今ほど上手にお茶を淹れられなかったのに。
王城での彼はいつでも笑みを浮かべているのに、近寄り難い薄皮を一枚貼り付けたように、感情の在り処が解らない笑い方をする。
フレデリックが学園を卒業してしまってから、次に会ったのはジェフリーとの婚姻が結ばれてからだった。フレデリックはその頃には、既にロレインと婚約していた。
嘗ての恋人を主君として見るのにイーディスが慣れたのは、いつ頃のことだろう。気が付いた時には、フレデリックは若き王族らしい威厳を身に纏って、触れたならぴりりと痛むような、そんな近寄り難い存在感を放っていた。
そのフレデリックが、ジェフリーの邸宅の応接間で、王城のものより少しばかり劣る茶葉を楽しんでいる。
「殿下。お願いしたいことがございます」
「……何かな?」
今を機会と捉えて、イーディスは心に決めた事を願い出た。
「侍女の職を辞したいと存じます」
「……」
カップを見つめるフレデリックの長い睫毛が翳りを落として見えるのは、イーディスが緊張しているからか。
「困ったな。夫妻で一度に願い出られては」
「え?」
「ジェフリーが、私の護衛を降りたいと言っている」
「えっ、」
ジェフリーの傷は完治には至っていない。文字を書くにもカトラリーを持つにも不自然な動きを見せてはいたが、それは日にち薬が癒すもので、春が来る頃には完全にとは言えずとも今よりも確実に良くなるものだとイーディスは信じていた。
「近衛騎士団も退団する事を望んでいる」
「何ですって、ジェフリー様が?」
自分の願い事はどこかに吹っ飛んで、イーディスの頭の中はジェフリーの辞職で埋め尽くされた。
「そんな……」
ジェフリーは生まれながらの騎士である。騎士の家に騎士になるべくして生を受けて、恵まれた資質に努力を重ねて「鬼神」と呼ばれるまでになった剣豪である。
「無理強いは出来ないが、一旦、預りとした」
フレデリックは直ぐ様ジェフリーの希望を受け入れはしなかったらしい。
混乱する思考が少しずつ治まって、イーディスは胸を打つ鼓動を鎮めるのに一つ溜め息をついた。
「だが、君は違う」
俯いてしまったイーディスが顔を上げると、それを待っていたようにフレデリックは言葉を続ける。
「十分、既に君は仕えてくれた。ロレインは、君しか頼る人間はいなかったろう」
「そんなことは、」
ロレインは、いつでもフレデリックを見つめて慕っていた。姿が見えなくなってからも、フレデリックが出て行った扉をその残像を見るように、長い時間を見つめるのが彼女の姿であった。
フレデリックこそがロレインの生きる希望の源だ。
「私は彼女にとって良い夫ではない」
「そんなことはございません。ロレイン様が殿下を深く愛されておられるのを、殿下もお気付きでしょう」
「それは当然解っているよ。私は人の感情には敏感な質でね。それで随分、邪な感情を抱く輩を遠ざけて来られた」
「では、ロレイン様の、」
「好意にも気が付いていたよ。だが、私でなくても気付いただろう。あれほどの熱量を向けられては」
フレデリックの言葉はその通りで、だから余計に側付きの使用人達は、彼女がフレデリックの不在を嘆くのに心が痛んだ。ロレインの不調も確かにあったが、夜の渡りが不自然なほど控えられていたのを、イーディスばかりでなく、あのジェフリーでさえ懸念を抱いていたようだった。
「良いよ。ロレインの側近きを解こう。乳母も決まった事だし、子を産んだあとなら彼女も君がいないことに慣れるだろう」
フレデリックの放つ、ひと言ひと言に温度が感じられないのは何故だろう。フレデリックとは誠実な人間だ。清濁飲み込みながら、心の芯は真っ直ぐブレない。曲がった事を嫌うのだ。
「私はね、イーディス。ロレインを許せなかった」
到頭聞いてしまったフレデリックの言葉に、イーディスは思わず瞼を閉じた。
3,589
あなたにおすすめの小説
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
【完結】愛していないと王子が言った
miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。
「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」
ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。
※合わない場合はそっ閉じお願いします。
※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした
凛蓮月
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】
いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。
婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。
貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。
例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。
私は貴方が生きてさえいれば
それで良いと思っていたのです──。
【早速のホトラン入りありがとうございます!】
※作者の脳内異世界のお話です。
※小説家になろうにも同時掲載しています。
※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
愛される日は来ないので
豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。
──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。
遊び人の令嬢が目を付けたのは、私の真面目な婚約者でした
おいどん
恋愛
子爵家の令嬢エリーネと伯爵家の次男のノルトが婚約を結んだのは、半年前だった。
真面目で優秀なノルトに相応しい婚約者であろうとするものの、エリーネには自信がなかった。
ある日、遊び人と噂の令嬢べルティーナとノルトが共にいるところを見てしまう。
「真面目クンは壁さえ破っちゃえばこっちのもんだからね〜」
「きっと、彼女の美しさに嫉妬しているのだわ…」
「…今度は、ちゃんと言葉にするから」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる