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【33】
「悪いが、二人にしてもらって良いだろうか」
フレデリックの言葉にジェフリーは一瞬厳しい表情をした。
「頼む」
背後にいるジェフリーを振り返らず、フレデリックの視線はイーディスに向けられている。
「ジェフリー様。大丈夫です」
イーディスの言葉に促されて、ジェフリーは「承知しました」と一言言いおいて、そのまま退室した。それに続いて護衛も使用人も部屋を出て行った。
ふう、と小さくフレデリックが息を吐いた。
侍女も出てしまったからイーディスがお茶をサーブする。
その手元をフレデリックが見つめて、イーディスは彼の前でお茶を淹れるのは慣れたことであるのに、微かな緊張を覚えた。
「体調は?」
「殿下のお心遣いのお蔭で随分早く治っているようです。先日も、診察頂いた医師様が驚いておられました」
「いや、君がだよ」
懐かしい声音だと思った。
生徒会室で二人きり、フレデリックの語る声は甘やかで、そうしてこんな風に優しかった。
「すまなかった」
突然の謝罪が何に対してなのか、イーディスには解らなかった。
「殿下、それは……」
「ああ、そうだな、君には詫びなければならないことが多過ぎる」
「……」
「イーディス」
フレデリックはイーディスを見つめて、ほんの少し頭を傾げた。
「お茶をもらっても?」
「あ、ええ、勿論ですわ、申し訳ございません」
イーディスは折角淹れたお茶を差し出すところで手が止まっていた。
フレデリックはソーサーを持ち上げ、お茶の香りを楽しんだ。それからゆっくり口に含んで味わっている。それは嘗て生徒会室で幾度も目にした光景であったが、イーディスが城に上がってからは久しく目にしてはいなかった。生徒会室の茶葉は安価なものであったし、イーディスも今ほど上手にお茶を淹れられなかったのに。
王城での彼はいつでも笑みを浮かべているのに、近寄り難い薄皮を一枚貼り付けたように、感情の在り処が解らない笑い方をする。
フレデリックが学園を卒業してしまってから、次に会ったのはジェフリーとの婚姻が結ばれてからだった。フレデリックはその頃には、既にロレインと婚約していた。
嘗ての恋人を主君として見るのにイーディスが慣れたのは、いつ頃のことだろう。気が付いた時には、フレデリックは若き王族らしい威厳を身に纏って、触れたならぴりりと痛むような、そんな近寄り難い存在感を放っていた。
そのフレデリックが、ジェフリーの邸宅の応接間で、王城のものより少しばかり劣る茶葉を楽しんでいる。
「殿下。お願いしたいことがございます」
「……何かな?」
今を機会と捉えて、イーディスは心に決めた事を願い出た。
「侍女の職を辞したいと存じます」
「……」
カップを見つめるフレデリックの長い睫毛が翳りを落として見えるのは、イーディスが緊張しているからか。
「困ったな。夫妻で一度に願い出られては」
「え?」
「ジェフリーが、私の護衛を降りたいと言っている」
「えっ、」
ジェフリーの傷は完治には至っていない。文字を書くにもカトラリーを持つにも不自然な動きを見せてはいたが、それは日にち薬が癒すもので、春が来る頃には完全にとは言えずとも今よりも確実に良くなるものだとイーディスは信じていた。
「近衛騎士団も退団する事を望んでいる」
「何ですって、ジェフリー様が?」
自分の願い事はどこかに吹っ飛んで、イーディスの頭の中はジェフリーの辞職で埋め尽くされた。
「そんな……」
ジェフリーは生まれながらの騎士である。騎士の家に騎士になるべくして生を受けて、恵まれた資質に努力を重ねて「鬼神」と呼ばれるまでになった剣豪である。
「無理強いは出来ないが、一旦、預りとした」
フレデリックは直ぐ様ジェフリーの希望を受け入れはしなかったらしい。
混乱する思考が少しずつ治まって、イーディスは胸を打つ鼓動を鎮めるのに一つ溜め息をついた。
「だが、君は違う」
俯いてしまったイーディスが顔を上げると、それを待っていたようにフレデリックは言葉を続ける。
「十分、既に君は仕えてくれた。ロレインは、君しか頼る人間はいなかったろう」
「そんなことは、」
ロレインは、いつでもフレデリックを見つめて慕っていた。姿が見えなくなってからも、フレデリックが出て行った扉をその残像を見るように、長い時間を見つめるのが彼女の姿であった。
フレデリックこそがロレインの生きる希望の源だ。
「私は彼女にとって良い夫ではない」
「そんなことはございません。ロレイン様が殿下を深く愛されておられるのを、殿下もお気付きでしょう」
「それは当然解っているよ。私は人の感情には敏感な質でね。それで随分、邪な感情を抱く輩を遠ざけて来られた」
「では、ロレイン様の、」
「好意にも気が付いていたよ。だが、私でなくても気付いただろう。あれほどの熱量を向けられては」
フレデリックの言葉はその通りで、だから余計に側付きの使用人達は、彼女がフレデリックの不在を嘆くのに心が痛んだ。ロレインの不調も確かにあったが、夜の渡りが不自然なほど控えられていたのを、イーディスばかりでなく、あのジェフリーでさえ懸念を抱いていたようだった。
「良いよ。ロレインの側近きを解こう。乳母も決まった事だし、子を産んだあとなら彼女も君がいないことに慣れるだろう」
フレデリックの放つ、ひと言ひと言に温度が感じられないのは何故だろう。フレデリックとは誠実な人間だ。清濁飲み込みながら、心の芯は真っ直ぐブレない。曲がった事を嫌うのだ。
「私はね、イーディス。ロレインを許せなかった」
到頭聞いてしまったフレデリックの言葉に、イーディスは思わず瞼を閉じた。
フレデリックの言葉にジェフリーは一瞬厳しい表情をした。
「頼む」
背後にいるジェフリーを振り返らず、フレデリックの視線はイーディスに向けられている。
「ジェフリー様。大丈夫です」
イーディスの言葉に促されて、ジェフリーは「承知しました」と一言言いおいて、そのまま退室した。それに続いて護衛も使用人も部屋を出て行った。
ふう、と小さくフレデリックが息を吐いた。
侍女も出てしまったからイーディスがお茶をサーブする。
その手元をフレデリックが見つめて、イーディスは彼の前でお茶を淹れるのは慣れたことであるのに、微かな緊張を覚えた。
「体調は?」
「殿下のお心遣いのお蔭で随分早く治っているようです。先日も、診察頂いた医師様が驚いておられました」
「いや、君がだよ」
懐かしい声音だと思った。
生徒会室で二人きり、フレデリックの語る声は甘やかで、そうしてこんな風に優しかった。
「すまなかった」
突然の謝罪が何に対してなのか、イーディスには解らなかった。
「殿下、それは……」
「ああ、そうだな、君には詫びなければならないことが多過ぎる」
「……」
「イーディス」
フレデリックはイーディスを見つめて、ほんの少し頭を傾げた。
「お茶をもらっても?」
「あ、ええ、勿論ですわ、申し訳ございません」
イーディスは折角淹れたお茶を差し出すところで手が止まっていた。
フレデリックはソーサーを持ち上げ、お茶の香りを楽しんだ。それからゆっくり口に含んで味わっている。それは嘗て生徒会室で幾度も目にした光景であったが、イーディスが城に上がってからは久しく目にしてはいなかった。生徒会室の茶葉は安価なものであったし、イーディスも今ほど上手にお茶を淹れられなかったのに。
王城での彼はいつでも笑みを浮かべているのに、近寄り難い薄皮を一枚貼り付けたように、感情の在り処が解らない笑い方をする。
フレデリックが学園を卒業してしまってから、次に会ったのはジェフリーとの婚姻が結ばれてからだった。フレデリックはその頃には、既にロレインと婚約していた。
嘗ての恋人を主君として見るのにイーディスが慣れたのは、いつ頃のことだろう。気が付いた時には、フレデリックは若き王族らしい威厳を身に纏って、触れたならぴりりと痛むような、そんな近寄り難い存在感を放っていた。
そのフレデリックが、ジェフリーの邸宅の応接間で、王城のものより少しばかり劣る茶葉を楽しんでいる。
「殿下。お願いしたいことがございます」
「……何かな?」
今を機会と捉えて、イーディスは心に決めた事を願い出た。
「侍女の職を辞したいと存じます」
「……」
カップを見つめるフレデリックの長い睫毛が翳りを落として見えるのは、イーディスが緊張しているからか。
「困ったな。夫妻で一度に願い出られては」
「え?」
「ジェフリーが、私の護衛を降りたいと言っている」
「えっ、」
ジェフリーの傷は完治には至っていない。文字を書くにもカトラリーを持つにも不自然な動きを見せてはいたが、それは日にち薬が癒すもので、春が来る頃には完全にとは言えずとも今よりも確実に良くなるものだとイーディスは信じていた。
「近衛騎士団も退団する事を望んでいる」
「何ですって、ジェフリー様が?」
自分の願い事はどこかに吹っ飛んで、イーディスの頭の中はジェフリーの辞職で埋め尽くされた。
「そんな……」
ジェフリーは生まれながらの騎士である。騎士の家に騎士になるべくして生を受けて、恵まれた資質に努力を重ねて「鬼神」と呼ばれるまでになった剣豪である。
「無理強いは出来ないが、一旦、預りとした」
フレデリックは直ぐ様ジェフリーの希望を受け入れはしなかったらしい。
混乱する思考が少しずつ治まって、イーディスは胸を打つ鼓動を鎮めるのに一つ溜め息をついた。
「だが、君は違う」
俯いてしまったイーディスが顔を上げると、それを待っていたようにフレデリックは言葉を続ける。
「十分、既に君は仕えてくれた。ロレインは、君しか頼る人間はいなかったろう」
「そんなことは、」
ロレインは、いつでもフレデリックを見つめて慕っていた。姿が見えなくなってからも、フレデリックが出て行った扉をその残像を見るように、長い時間を見つめるのが彼女の姿であった。
フレデリックこそがロレインの生きる希望の源だ。
「私は彼女にとって良い夫ではない」
「そんなことはございません。ロレイン様が殿下を深く愛されておられるのを、殿下もお気付きでしょう」
「それは当然解っているよ。私は人の感情には敏感な質でね。それで随分、邪な感情を抱く輩を遠ざけて来られた」
「では、ロレイン様の、」
「好意にも気が付いていたよ。だが、私でなくても気付いただろう。あれほどの熱量を向けられては」
フレデリックの言葉はその通りで、だから余計に側付きの使用人達は、彼女がフレデリックの不在を嘆くのに心が痛んだ。ロレインの不調も確かにあったが、夜の渡りが不自然なほど控えられていたのを、イーディスばかりでなく、あのジェフリーでさえ懸念を抱いていたようだった。
「良いよ。ロレインの側近きを解こう。乳母も決まった事だし、子を産んだあとなら彼女も君がいないことに慣れるだろう」
フレデリックの放つ、ひと言ひと言に温度が感じられないのは何故だろう。フレデリックとは誠実な人間だ。清濁飲み込みながら、心の芯は真っ直ぐブレない。曲がった事を嫌うのだ。
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到頭聞いてしまったフレデリックの言葉に、イーディスは思わず瞼を閉じた。
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