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【26】
すっかり後ろ向き思考になって、オーガストに離縁を言い渡されると思い込んでいるルイーザは、日が経つ内に益々心が後ろ向きになって行った。
「ルイーザ様。今日は一日どちらへ?」
「部屋におりました。」
晩餐の席でジェイムズに聞かれて、ルイーザは部屋にいたと答えた。夫の祖父の執務室に籠もっていたのだが、執務室も部屋には変わりないから嘘ではない。
ジェイムズとヘレンは夫達一行を迎え入れる準備に忙しそうであった。その間、ルイーザは外出することも許されず、祖父の執務室で祖父の愛読書や残りの手紙を読み耽って過ごしていた。
オーガストが別荘に向かっていることを告げてから、ジェイムズは何処かルイーザに監視めいた視線を向けていた。
それが、夫が別荘に到着する前に、離縁を避けようとするルイーザが出奔するのではと疑われているようで、ルイーザはジェイムズに向かって心の窓をそっと閉じた。
ジェイムズは夫の指示に従うより他は無い。ルイーザはそれを承知している。承知していながら遣る瀬無い気持ちになるのだった。
「ルイーザ様。今日は明るいお色のドレスに致しましょう。」
オーガストが今日の内に到着すると早朝に知らせが届いて、ヘレンが華やかな装いでオーガストを出迎えようと言う。
「いつものドレスで大丈夫よ。」
夫から離縁されると思い込むルイーザは、心の中はレクイエムが流れている。漆黒のドレスで出迎えたいくらいであった。
愈々夫がやって来る。それは確かな喜びだった。
夫の顔が見られる喜び。夫と再び会える喜び。
同時に、何故、ここに来るのかその理由を考えれば辿り着いてしまう辛い現実。
ジェイムズとは、何処かぎくしゃくして素直になれないままでいた。散々世話になったのだから、最後くらい穏やかな関係でいたかった。
無念。と思う内にヘレンが器用に髪を結い上げてくれた。ここ数日は外に出ていないから、日焼けはそれほど目立たない。
化粧を施されながら、心はドナドナ、深い水底に沈んで行く。
結局、選んだのは深みのあるグリーンのドレスで、「貴方の瞳の色を纏ってみました」的な装いとなったルイーザは、遠くに馬車を引く蹄の音がするのに誰よりも早く気が付いた。ヘレンがそれに気付く前に、椅子から立ち上がり出迎えの為に階下へと駆け下りた。
遠くに見えた影が近くなる。馬車に見慣れた紋が見えて、土埃を被った車体が確かに遠い王都から遥々ここに来たのだと解った。
ルイーザは思わず駆け寄りそうになる。
夫の顔を久し振りに見る。碌に顔を合わせぬまま王都を飛び出て来たから、最後に夫と会ったのはあの晩餐の夜であった。
逸る心の衝動をぐっと堪えて、ルイーザは玄関ポーチにセバスと並び立った。背後にジェイムズとヘレンが控える。
直前まで囚われていた後ろ向きな思考と、漸く夫に会える喜びがせめぎ合う。
同時に、どんな顔をして会えば良いのだろうと困惑と戸惑いが生まれた。
さして広くない別荘の敷地に馬車が滑るように入って来て、ゆっくり速度を落としながら、直に御者が馬を止めた。
御者の隣に座っていた従者が降りて、馬車の扉に向かって声を掛けた。それから扉を開いて、その先を見る前にルイーザは思わず目を瞑った。
会いたい、でもどんな顔をして?あんな事を仕出かして、それっきり邸を出て来たのに。
文での交流で蘇った温かな言葉の遣り取りをすっかり忘れて、ルイーザは夫を見ることが出来ぬまま固く瞼を瞑って俯いた。
だから、気が付かなかった。
オーガストが、ステップを一段とばしで飛び降りて、見たこともない早足で玄関ポーチを目指し、それも直ぐに駆け足になってルイーザの下まで駆け寄って、そのまま俯き身を固くするルイーザの細腰を両腕で囲って抱き上げてしまうだなんて。
「ルイーザ」
突然身体に受けた衝撃に、思わず小さく声が漏れた。大きくて硬くて温かなものに体当たりされて、直後に身体が揺らぐ間も無くきつく囲い込まれた。同時にふわりと地面から足が離れて、慌てて目を開くと、オーガストが、オーガストの碧の瞳がルイーザを見つめていた。
旦那様、と言いたくとも言えなかった。
オーガストがルイーザに口付けて、言葉は全て夫の唇に奪われた。
ぎゅうと抱き締める腕の強さに息が詰まる。薫る香油の香りが懐かしい。この腕を知っている。抱き締める腕の強さも胸の温かさも知っている。
ルイーザを毎夜抱き締めた夫の腕だ。毎夜温めた夫の胸だ。
ルイーザの夫、ルイーザの最愛、ルイーザだけのオーガストだ。
いつも間にか涙が溢れて、慌てたオーガストが親指の腹で涙を拭った。拭っても拭っても溢れる涙は、終いにはオーガストの口付けで拭われた。
「ごめんなさい、旦那様、」
言いたい言葉は他にもあるのに、口から出たのはそれだった。
「愛してるんだ、ルイーザ」
一番言いたかった言葉は夫が言った。
「いい加減に中へお入り下さい。」
邪魔する輩はジェイムズだった。
「ジェイムズ。」
オーガストが渋顔をしてルイーザを降ろし、ジェイムズを見る。
「護衛が目のやり場に困っております。ご夫妻のお部屋ならご用意しておりますので、続きはそちらでなさって下さい。真っ昼間からこんな所で熱い抱擁はお辞め下さい。」
お前こそ真っ昼間から何言ってんだ。
その場にいたジェイムズ以外の全ての人間がそう思った。
オーガストに腰を抱き寄せられて邸に入るのに、脇に退いたジェイムズと目が合った。
ルイーザはそこで立ち止まる。
「ごめんなさい。ジェイムズ。」
ここ数日間の態度を詫びた。
「貴女がお謝りになる事など何もございません。」
ジェイムズは生真面目な顔でそう言った。
「貴女は貴女のままで宜しいのです。どうかそのままのルイーザ様でいらして下さい。」
そう言って、ジェイムズはルイーザに向かって微笑んだ。
「ルイーザ様。今日は一日どちらへ?」
「部屋におりました。」
晩餐の席でジェイムズに聞かれて、ルイーザは部屋にいたと答えた。夫の祖父の執務室に籠もっていたのだが、執務室も部屋には変わりないから嘘ではない。
ジェイムズとヘレンは夫達一行を迎え入れる準備に忙しそうであった。その間、ルイーザは外出することも許されず、祖父の執務室で祖父の愛読書や残りの手紙を読み耽って過ごしていた。
オーガストが別荘に向かっていることを告げてから、ジェイムズは何処かルイーザに監視めいた視線を向けていた。
それが、夫が別荘に到着する前に、離縁を避けようとするルイーザが出奔するのではと疑われているようで、ルイーザはジェイムズに向かって心の窓をそっと閉じた。
ジェイムズは夫の指示に従うより他は無い。ルイーザはそれを承知している。承知していながら遣る瀬無い気持ちになるのだった。
「ルイーザ様。今日は明るいお色のドレスに致しましょう。」
オーガストが今日の内に到着すると早朝に知らせが届いて、ヘレンが華やかな装いでオーガストを出迎えようと言う。
「いつものドレスで大丈夫よ。」
夫から離縁されると思い込むルイーザは、心の中はレクイエムが流れている。漆黒のドレスで出迎えたいくらいであった。
愈々夫がやって来る。それは確かな喜びだった。
夫の顔が見られる喜び。夫と再び会える喜び。
同時に、何故、ここに来るのかその理由を考えれば辿り着いてしまう辛い現実。
ジェイムズとは、何処かぎくしゃくして素直になれないままでいた。散々世話になったのだから、最後くらい穏やかな関係でいたかった。
無念。と思う内にヘレンが器用に髪を結い上げてくれた。ここ数日は外に出ていないから、日焼けはそれほど目立たない。
化粧を施されながら、心はドナドナ、深い水底に沈んで行く。
結局、選んだのは深みのあるグリーンのドレスで、「貴方の瞳の色を纏ってみました」的な装いとなったルイーザは、遠くに馬車を引く蹄の音がするのに誰よりも早く気が付いた。ヘレンがそれに気付く前に、椅子から立ち上がり出迎えの為に階下へと駆け下りた。
遠くに見えた影が近くなる。馬車に見慣れた紋が見えて、土埃を被った車体が確かに遠い王都から遥々ここに来たのだと解った。
ルイーザは思わず駆け寄りそうになる。
夫の顔を久し振りに見る。碌に顔を合わせぬまま王都を飛び出て来たから、最後に夫と会ったのはあの晩餐の夜であった。
逸る心の衝動をぐっと堪えて、ルイーザは玄関ポーチにセバスと並び立った。背後にジェイムズとヘレンが控える。
直前まで囚われていた後ろ向きな思考と、漸く夫に会える喜びがせめぎ合う。
同時に、どんな顔をして会えば良いのだろうと困惑と戸惑いが生まれた。
さして広くない別荘の敷地に馬車が滑るように入って来て、ゆっくり速度を落としながら、直に御者が馬を止めた。
御者の隣に座っていた従者が降りて、馬車の扉に向かって声を掛けた。それから扉を開いて、その先を見る前にルイーザは思わず目を瞑った。
会いたい、でもどんな顔をして?あんな事を仕出かして、それっきり邸を出て来たのに。
文での交流で蘇った温かな言葉の遣り取りをすっかり忘れて、ルイーザは夫を見ることが出来ぬまま固く瞼を瞑って俯いた。
だから、気が付かなかった。
オーガストが、ステップを一段とばしで飛び降りて、見たこともない早足で玄関ポーチを目指し、それも直ぐに駆け足になってルイーザの下まで駆け寄って、そのまま俯き身を固くするルイーザの細腰を両腕で囲って抱き上げてしまうだなんて。
「ルイーザ」
突然身体に受けた衝撃に、思わず小さく声が漏れた。大きくて硬くて温かなものに体当たりされて、直後に身体が揺らぐ間も無くきつく囲い込まれた。同時にふわりと地面から足が離れて、慌てて目を開くと、オーガストが、オーガストの碧の瞳がルイーザを見つめていた。
旦那様、と言いたくとも言えなかった。
オーガストがルイーザに口付けて、言葉は全て夫の唇に奪われた。
ぎゅうと抱き締める腕の強さに息が詰まる。薫る香油の香りが懐かしい。この腕を知っている。抱き締める腕の強さも胸の温かさも知っている。
ルイーザを毎夜抱き締めた夫の腕だ。毎夜温めた夫の胸だ。
ルイーザの夫、ルイーザの最愛、ルイーザだけのオーガストだ。
いつも間にか涙が溢れて、慌てたオーガストが親指の腹で涙を拭った。拭っても拭っても溢れる涙は、終いにはオーガストの口付けで拭われた。
「ごめんなさい、旦那様、」
言いたい言葉は他にもあるのに、口から出たのはそれだった。
「愛してるんだ、ルイーザ」
一番言いたかった言葉は夫が言った。
「いい加減に中へお入り下さい。」
邪魔する輩はジェイムズだった。
「ジェイムズ。」
オーガストが渋顔をしてルイーザを降ろし、ジェイムズを見る。
「護衛が目のやり場に困っております。ご夫妻のお部屋ならご用意しておりますので、続きはそちらでなさって下さい。真っ昼間からこんな所で熱い抱擁はお辞め下さい。」
お前こそ真っ昼間から何言ってんだ。
その場にいたジェイムズ以外の全ての人間がそう思った。
オーガストに腰を抱き寄せられて邸に入るのに、脇に退いたジェイムズと目が合った。
ルイーザはそこで立ち止まる。
「ごめんなさい。ジェイムズ。」
ここ数日間の態度を詫びた。
「貴女がお謝りになる事など何もございません。」
ジェイムズは生真面目な顔でそう言った。
「貴女は貴女のままで宜しいのです。どうかそのままのルイーザ様でいらして下さい。」
そう言って、ジェイムズはルイーザに向かって微笑んだ。
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