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【27】
王都の邸にいる時も、夫と二人きりで過ごす時間は僅かであった。
朝餉や晩餐の席には使用人が側にいたし、お互い多忙で、朝は特にゆっくり語らうどころか食後のお茶の時間すら取れずにいた。
漸く二人きりになれるのは夜半の寝台の中で、夜明けまでの密やかな時間が、ルイーザにとって夫と向き合う二人だけの時間であった。
だから、こんな風に互いに向かい合って、テーブル越しに対面するのは何処か気恥ずかしく、婚約前の初めての会合が思い出された。
王都から別荘に来るまでの長旅で、さぞや疲れた事だろう。お茶を飲むのに伏せた目元には、やはりうっすらと隈が浮かんで見えた。
金色の長い睫毛が目元を覆う。この男性は年を取ることが無いのだろうか。
窓から差し込む明るい日射しの下で、久し振りにに見る夫は変わらず美丈夫であった。
「そんなに見つめられては顔を上げられないな。」
目を伏せたまま夫が言って、ルイーザは自分が夫を凝視していたのに気が付いた。
数え切れない回数を肌を合わせた夫婦であるのに、こんな場面で恥じらいを感じる。
「照れるな。」
「え?」
「そんなに、見られると。」
ジェイムズがここにいたなら、焦れったい!と言いそうな二人の会話である。
「その、君は元気だったか?」
まるで絵葉書の文句の様な事をオーガストが言った。
「私は元気にしておりました。旦那様は?」
「概ね元気だった。」
猛烈な夏風邪とぎっくり腰に苦しんだが。
「その、」
オーガストが何かを言いかけて、ルイーザは、ティーカップを見つめて目を伏せる夫の顔を見る。
「君を傷付けるつもりはなかった。」
「旦那様、それは私が、」
「いや、君は悪くない。無論、過ちを無かったとは言えないが、ああ、いや、そんなことではなくてだな、」
そこでオーガストは、漸く伏せた目線を上げてルイーザを見た。
「君に失望されてしまったな。」
「旦那様?」
「不甲斐ない夫だった。」
「そんな事は有りません。私が、私が悪かったのです。」
「いや、そうではない。最初に君と話し合うべきだった。君と一緒に後始末をするべきだった。そうして、君を叱れば良かったんだ。君はそれで傷付くかも知れない。だが、君ならきっと最後まで自分で方を付けて反省して、そうしてまた励んでくれただろう。」
「旦那様。」
「私は君が責任を負う機会を奪った。自分の責任で後始末をする機会を取り上げた。それが君の為には良かろうと思ったが、結果、君を蚊帳の外に置いただけだった。
君はそれで肩の荷が下りたと思う人では無いのを知っていたのに。私は、もっと君を信じれば良かったんだ。あんな失言を吐いたのを後悔している。」
「失言?」
「それで君を泣かせたろう。」
『君に任せ過ぎた』オーガストの言葉が蘇る。
「君を責めたかったんじゃない。君に甘えていた事への、あれは私の反省だ。」
「いいえ、そんなのではないのです。私は慢心していたのです。自分に力が付いてきたと過信して心に驕りがあったから、その隙間に油断が入り込んだのです。全て、私が悪かったんです。」
ルイーザは、オーガストの憂いを含んだ瞳を見つめる。
「だから、旦那様。また私を信じては下さいませんか?私、旦那様に叱られたってへこたれませんわ。ちょっと後からへこむ事はあるでしょうけれど。」
「はは、へこむんじゃないか。」
オーガストが笑いを漏らした事で空気が緩む。
「私。てっきり旦那様に離縁されるのだと思っておりました。」
「は?」
「お役に立てない妻ですもの。」
「何を言っている。」
「邸の使用人からも信用を失ってしまいました。だから「馬鹿を言うな。そんな事で君を離縁するような、そんな男だと私の事を思っていたのか。」
え?とルイーザは驚いた。もしや夫を怒らせた?
「心外だ。私を侮ってもらっては困る。あれしきの事で離縁だと?離縁だと?!」
「だ、旦那様、落ち着いて下さいませ、」
「何を言う。君にそんな男だと思われていただなんて。私はそんな小さい男だと思っていたのか?真逆。君こそ私を捨てるつもりで此処に来たのではないか?」
オーガストの眦がきっと吊り上がる。こんな感情を露わにするオーガストは初めてであった。
「はあ、君にそんな風に思われていたなんて...」
はあと溜め息を付いたかと思うと、オーガストは頭を抱えて項垂れた。
「だ、旦那様?」
「離縁などしない。」
そこでオーガストはがばりと顔を上げた。ルイーザは、その勢いに思わず半身が仰け反りそうになった。
「ルイーザ。」
「は、はい。」
「私を侮ってもらっては困る。」
「...」
「離縁だと?そんな言葉は二度と言ってくれるな。解ったね。」
「は、はいっ」
解ったら宜しいと、オーガストは鷹揚にソファに背を預けた。
「城勤めを始めたばかりの頃。」
「え?」
唐突に話題が行き成り変わった事に、ルイーザは困惑した。
「私は少しばかり優秀であった。」
そうだろう。旦那様は優秀なお方だもの。
「一を聞けば十を理解した。」
そうだろう。旦那様は非常に優秀なお方だもの。
「そこそこ重宝されて、そこそこ仕事を任された。」
そうでしょう、そうでしょう、なにせ優秀な旦那様ですもの。
「慣れた心の隙間に油断と慢心が入り込んだ。」
ん?それは先程ルイーザ自身が言ったばかりの台詞では?
「それで大きなミスをした。陛下のお目に触れる書類であった。登用早々辞職を覚悟した。」
「旦那様、」
「君のお父上が直ぐさま対応に当たられた。お詫び行脚に奔走して下さった。私を伴って関係各所を訪って、全ての後始末をなさった。勿論、しっかりお叱りを受けた。侯爵令息の私に遠慮する文官もいる中で、君のお父上は無用な忖度はなさらなかった。私はそうやってお義父上に育てて頂いた。」
「自分がしてもらった事を忘れるほど油断していたから、君に無用な虫を引き付ける事になったんだな。」
「え?虫?旦那様何を仰っておられるのです?」
「ローレンス・ヒュー・マーモット。許すまじ。」
離縁という言葉に触発されて、夫の瞳にメラメラと炎が上がった。
ルイーザは、夫に着火したのが自分である事に思い至って、その炎が類焼する気配に恐れ慄いた。
朝餉や晩餐の席には使用人が側にいたし、お互い多忙で、朝は特にゆっくり語らうどころか食後のお茶の時間すら取れずにいた。
漸く二人きりになれるのは夜半の寝台の中で、夜明けまでの密やかな時間が、ルイーザにとって夫と向き合う二人だけの時間であった。
だから、こんな風に互いに向かい合って、テーブル越しに対面するのは何処か気恥ずかしく、婚約前の初めての会合が思い出された。
王都から別荘に来るまでの長旅で、さぞや疲れた事だろう。お茶を飲むのに伏せた目元には、やはりうっすらと隈が浮かんで見えた。
金色の長い睫毛が目元を覆う。この男性は年を取ることが無いのだろうか。
窓から差し込む明るい日射しの下で、久し振りにに見る夫は変わらず美丈夫であった。
「そんなに見つめられては顔を上げられないな。」
目を伏せたまま夫が言って、ルイーザは自分が夫を凝視していたのに気が付いた。
数え切れない回数を肌を合わせた夫婦であるのに、こんな場面で恥じらいを感じる。
「照れるな。」
「え?」
「そんなに、見られると。」
ジェイムズがここにいたなら、焦れったい!と言いそうな二人の会話である。
「その、君は元気だったか?」
まるで絵葉書の文句の様な事をオーガストが言った。
「私は元気にしておりました。旦那様は?」
「概ね元気だった。」
猛烈な夏風邪とぎっくり腰に苦しんだが。
「その、」
オーガストが何かを言いかけて、ルイーザは、ティーカップを見つめて目を伏せる夫の顔を見る。
「君を傷付けるつもりはなかった。」
「旦那様、それは私が、」
「いや、君は悪くない。無論、過ちを無かったとは言えないが、ああ、いや、そんなことではなくてだな、」
そこでオーガストは、漸く伏せた目線を上げてルイーザを見た。
「君に失望されてしまったな。」
「旦那様?」
「不甲斐ない夫だった。」
「そんな事は有りません。私が、私が悪かったのです。」
「いや、そうではない。最初に君と話し合うべきだった。君と一緒に後始末をするべきだった。そうして、君を叱れば良かったんだ。君はそれで傷付くかも知れない。だが、君ならきっと最後まで自分で方を付けて反省して、そうしてまた励んでくれただろう。」
「旦那様。」
「私は君が責任を負う機会を奪った。自分の責任で後始末をする機会を取り上げた。それが君の為には良かろうと思ったが、結果、君を蚊帳の外に置いただけだった。
君はそれで肩の荷が下りたと思う人では無いのを知っていたのに。私は、もっと君を信じれば良かったんだ。あんな失言を吐いたのを後悔している。」
「失言?」
「それで君を泣かせたろう。」
『君に任せ過ぎた』オーガストの言葉が蘇る。
「君を責めたかったんじゃない。君に甘えていた事への、あれは私の反省だ。」
「いいえ、そんなのではないのです。私は慢心していたのです。自分に力が付いてきたと過信して心に驕りがあったから、その隙間に油断が入り込んだのです。全て、私が悪かったんです。」
ルイーザは、オーガストの憂いを含んだ瞳を見つめる。
「だから、旦那様。また私を信じては下さいませんか?私、旦那様に叱られたってへこたれませんわ。ちょっと後からへこむ事はあるでしょうけれど。」
「はは、へこむんじゃないか。」
オーガストが笑いを漏らした事で空気が緩む。
「私。てっきり旦那様に離縁されるのだと思っておりました。」
「は?」
「お役に立てない妻ですもの。」
「何を言っている。」
「邸の使用人からも信用を失ってしまいました。だから「馬鹿を言うな。そんな事で君を離縁するような、そんな男だと私の事を思っていたのか。」
え?とルイーザは驚いた。もしや夫を怒らせた?
「心外だ。私を侮ってもらっては困る。あれしきの事で離縁だと?離縁だと?!」
「だ、旦那様、落ち着いて下さいませ、」
「何を言う。君にそんな男だと思われていただなんて。私はそんな小さい男だと思っていたのか?真逆。君こそ私を捨てるつもりで此処に来たのではないか?」
オーガストの眦がきっと吊り上がる。こんな感情を露わにするオーガストは初めてであった。
「はあ、君にそんな風に思われていたなんて...」
はあと溜め息を付いたかと思うと、オーガストは頭を抱えて項垂れた。
「だ、旦那様?」
「離縁などしない。」
そこでオーガストはがばりと顔を上げた。ルイーザは、その勢いに思わず半身が仰け反りそうになった。
「ルイーザ。」
「は、はい。」
「私を侮ってもらっては困る。」
「...」
「離縁だと?そんな言葉は二度と言ってくれるな。解ったね。」
「は、はいっ」
解ったら宜しいと、オーガストは鷹揚にソファに背を預けた。
「城勤めを始めたばかりの頃。」
「え?」
唐突に話題が行き成り変わった事に、ルイーザは困惑した。
「私は少しばかり優秀であった。」
そうだろう。旦那様は優秀なお方だもの。
「一を聞けば十を理解した。」
そうだろう。旦那様は非常に優秀なお方だもの。
「そこそこ重宝されて、そこそこ仕事を任された。」
そうでしょう、そうでしょう、なにせ優秀な旦那様ですもの。
「慣れた心の隙間に油断と慢心が入り込んだ。」
ん?それは先程ルイーザ自身が言ったばかりの台詞では?
「それで大きなミスをした。陛下のお目に触れる書類であった。登用早々辞職を覚悟した。」
「旦那様、」
「君のお父上が直ぐさま対応に当たられた。お詫び行脚に奔走して下さった。私を伴って関係各所を訪って、全ての後始末をなさった。勿論、しっかりお叱りを受けた。侯爵令息の私に遠慮する文官もいる中で、君のお父上は無用な忖度はなさらなかった。私はそうやってお義父上に育てて頂いた。」
「自分がしてもらった事を忘れるほど油断していたから、君に無用な虫を引き付ける事になったんだな。」
「え?虫?旦那様何を仰っておられるのです?」
「ローレンス・ヒュー・マーモット。許すまじ。」
離縁という言葉に触発されて、夫の瞳にメラメラと炎が上がった。
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