侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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【43】本編最終話

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幾つもの日が過ぎて、幾つもの年が過ぎた。

オーガストはその年、爵位を嫡男のウィンターに譲った。そうして住まいを別荘に移した。祖父が過ごした別荘を、オーガストもまた終の棲家に選んだ。


セバスは随分前に鬼籍に入っていた。マーサも使用人を辞して久しい。彼女も今はかなりの高齢となって、娘一家と暮らしている。

セバスを失った別荘を、オーガストはジェイムズに託した。セバスは生前ジェイムズを大層気に入って、別荘の差配についての仔細を教え込んでいた。
独りでは淋しかろう、ヘレンを伴わせようか考えていたところで、二人から婚姻を結ぶ事になったと報告を受けた。
長く共に主夫妻に仕えた二人は、今更離ればなれにはなりたくなかったらしい。もしかしたら、主夫妻以上に不器用で、長い間互いに抱く好意をひた隠しにしていたのかも知れない。

何れにせよ、二人は夫婦となって今も別荘の管理を担っている。二人にとっても主一家と夏のバカンスを過ごした別荘は、馴染み深い場所だろう。その頃には、長子のメリージェーンは王都の貴族学園に通っていたし、嫡男のウィンターは北の全寮制寄宿学校へ入学したばかりであった。


オーガストは夏が訪れる度に、ひと夏を一家揃って別荘で過ごした。
子供達が学園や寄宿学校に入ってからもそれは変わらず、ウィンターも夏の間は王都へは戻らず真っ直ぐ別荘で合流していた。
風光明媚な北の大地は変わらず美しく、領民達との距離が近い。ジェイムズとヘレンもいて、別荘は一家にとってもう一つの我が家であった。

ローレンスは、ウィンターが生まれた直ぐ後に妻を娶った。交易の領地を治める彼らしく、新妻は隣国の貴族令嬢であった。父親とは交易に関わる事業で長く付き合いがあったらしく、新妻は幼い少女の頃からローレンスに淡い恋心を抱いていたらしい。
一回りも年の離れた若妻を、ローレンスは大切にしていた。
夏の別荘にオーガスト一家が訪れると、必ず妻を伴って再従弟はとこ一家に会いに来た。相変わらず白馬に跨り、妻と相乗りで先触れ無しに訪れた。


そんな数十年は悲喜交々様々な事があった。
仕事はいつでも多忙であった。妻は変わらず勤勉で執務でも頼れる相棒であったが、彼女はもう必要以上に多くを背負う事は無かった。何より彼女には子育てと言う大事があった。

小さな事件は幾つも起こった。今度こそ最愛の妻に愛想を尽かされるのではないかと恐れた事も中にはあったし、子供達の事では悩ましい事柄もあった。特にメリージェーンは。
それも今は、過ぎた思い出となっている。

長い年月のうちに、妻と交わした手紙は相当数となり、別荘に移り住む際にそれらを全て王都から移した。

祖父が使っていた執務室の壁に書架を作って、中央から左右に分けて、右がルイーザ、左がオーガスト用とした。
年と月毎にインデックスを付けて美しく機能的に収めると、几帳面な文官気質が発揮されたと妻が笑った。

遠い日に、ルイーザが祖父の書簡を見つけてざっくり仕分けられたそれらを全て読破した事がある。それを思い出したオーガストは、二人が交わした書簡の全てをきっちり整え保管した。



庭にブランコが揺れている。
嘗て王都から来たばかりのルイーザが、漕いで酔ったブランコだ。祖父がオーガストの為に手ずから造ったブランコは、あちこち何度も修繕を重ねて部品交換を続けてきたから、元の姿とは随分変わっている。

あのブランコで、メリージェーンを遊ばせた。ウィンターを遊ばせた。ローレンスの娘が一緒に遊んだ事も数え切れない程である。
ルイーザは、最後まで駄目だった。少し揺らすと忽ち酔って、ボート遊びもあの夏の一度きりであった。そうだあの日、メリージェーンが彼女の身体に宿っている事を知ったのだ。


庭を眺めながら懐かしい過ぎた日々を思い出したオーガストは、ふと思い立って祖父の執務室に向かった。ここは手紙を収める書架を造った以外は、祖父が暮らしたまま残している。
初めて別荘を訪れたルイーザは、この部屋をとても気に入っていた。

オーガストは書架の前に立って上から順に棚を眺めた。棚は全て引き出し式で、手紙が日焼けしない仕様になっている。
いつもなら、ルイーザから送られた手紙を眺める。自分が妻に送った手紙など、気恥ずかしくて見る気にもならない。

だから、ほんの気紛れだった。
妻に宛てて自分が送った手紙を収めた棚を見ようと思った。
適当に目に付いた引き出しを開けて、手紙を抜き出しては、毎回同じ書き出しであるのに自分でも笑ってしまった。

『ルイーザ。君は元気だろうか。私は元気だ。今日も幸せな一日だ。』

「確かに君のお蔭で、私はいつでも幸せだった。」

自分が書いた葉書に話し掛ける。

それからオーガストは、一番下の棚を開けた。
一番下段にある棚は他よりも高さを取って、書簡以外の小物も仕舞う事が出来る。
そこでオーガストは見付けた。懐かしい妻の持ち物であった。

オーガストが、初めて別荘へ移り住んだルイーザに送ったレターボックスだった。白い塗装も草花模様も色褪せている。それでもルイーザはとても大切にしていたから、金具を直したり剥げた塗装を補修して長い間愛用してくれた。

金具は錆びてはいなかった。
蓋を止める金具を持ち上げれば、滑らかに持ち上がった。蓋を開けてみれば、中に貼られた深紅のビロード生地は端が日に焼け色褪せて、そこだけが煤けた色になっていた。そうして沢山の絵葉書が残っていた。王都やこの街で買い求めたものだろう。
そこにオーガストが買ったとおぼしきものが見えた。

「これは、」

葉書を引き出し、現れた絵柄を見る。

オーガストが、レターボックスと一緒に贈った絵葉書だった。苺が好きなルイーザの為に、苺が盛られた静物画の絵葉書を贈っていた。

「君、これを使わず取っておいたのか?」

そんな疑問が口をついて、オーガストはそのまま表面にひっくり返す。

『旦那様、好きです。』

「なんだこれは。」

とても短い愛の言葉。色褪せたインクから、きっとルイーザはこれをあの夏に書いたのだろう。

「どうして出してくれなかったんだ?」

オーガストへ向けた愛の言葉は、白いレターボックスに仕舞い込まれたまま数十年間眠っていた。

ルイーザは恥ずかしかったのだろうか。それとも、あまりに情けない夫に愛想を尽かして、手紙を送ることを辞めてしまったのか。

もうずっと昔の出来事なのに、オーガストは胸が締め付けられて痛みを感じた。

「まあ、旦那様。こちらにいらしたの?」
「ルイーザ、」
「何をご覧になっているの?あら?それは私のレターボックス。」
「...」
「まあ、旦那様見ちゃったの?恥ずかしいわ。返して下さる?」
「駄目だ。これは私に宛てた手紙だろう。」
「思わず筆が走ってしまったの。書き損じよ、書き損じ。」
「書き損じ...」

栗毛の髪も金色の髪も共に白くなっている。瞳ばかりは変わらず温かな榛色で、ルイーザはオーガストを見上げた。

「だって貴方には大切な事は直接言葉で伝えると決めたのですもの。これはもうお蔵入りですの。私の心に仕舞った大切な思い出なのよ。」

そう言ってルイーザはオーガストの手から葉書を取る。それから、

「旦那様、好きです。」

手紙の文句をそっくりそのまま言って、榛色の目を細めた。



本編完


本編はこれにて完結となります。
この後、番外編がございます。引き続きお楽しみ下さいませ。




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