アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

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学園から戻ると、直ぐ様、母の執務室へ通された。

「只今帰りました、お母様。」

アウローラが入室したのには気付いていただろう母は、アウローラの声が耳に入ってからも、手元の書類に視線を落としてペンを走らせている。

「お帰りなさい、そこへ座って。」

一段落ついたらしい母に促されて二人掛けのソファーに腰掛ければ、母は眼鏡を外して執務机からこちらへと歩いてくる。

まだ制服から着替えてもいない。それ程の急ぎの用とは何だろう。
頭の中の考えは表情には出さず、アウローラは応接テーブルを挟んだ向かい側に座る母を見つめた。

「後継をミネットに変える事になったわ。」

余りの事に理解が及ばず、アウローラは直ぐには返答が出来なかった。それでも何とか固まった思考を揺さぶって、何から初めに問うべきか考えた。

「何故でしょうか。」

執事が淹れてくれた紅茶をひと口含んで、母がアウローラを見る。ここに来て、ようやくアウローラは母と目が合った。自身と同じ濃く青い瞳がこちらを見る。

「貴女には嫁いでもらいます。」
「それはっ、」
「貴女が適任だからよ、アウローラ。」

何故とまで聞く前に、母は答えを告げて来た。

「ですが、私は、」
「ええ、貴女の言いたい事は解るわ。貴女が我が家の後継だったのですもの。だからこその縁談なのよ。」
「では、後継は、」
「先に言った通りミネットに継がせます。」

ミネットとは、アウローラの一つ下の妹である。

この家にあって母の言葉が覆る事は無い。スタンリー伯爵家の女当主である母が言う事は、常に決定事項であった。

アウローラは頭に血が昇るあまり、熱いのか冷えているのか自分でも解らなくなった。それでも混乱する思考から質問事項を捻り出した。

「トーマス様との婚約は、どうなるのでしょう。」
「トーマス様はミネットと婚約を差し替える事になったわ。」
「そんな、」
「気が付いていたでしょう。」

母の言葉は的を射ている。

「ミネットとトーマス様が距離が近くあったことのは。」

そんな事は、随分前から分かっていた。分かっていたが、直ぐに頷く事は出来なかった。

「アウローラ、思い違いをして欲しくないの。貴女の婚姻は、ミネットを後継にする為ではないの、貴女があちらから望まれたからなのよ。」

「お母様、」

「貴女が嫁ぐとなればミネットが後継となるのは当然の事です。その伴侶を選ぶのに、既に心を通わせる男性がいるのであれば、わざわざ別に選ぶ必要は無いでしょう。」

「ですが、」

母の言葉は全てが正論で無駄が無い。だからといって、直ぐ様納得し切れない。

「アウローラ。この婚姻はきっと貴女の為になるわ。貴女が我が家を継ぐ為に会得した知識も経験も、決して無駄にはならないわ。そうして、この家にいて妹に心を移す夫を得る事は、貴女にとって為にはならない。」

母を見つめて言葉を無くしたアウローラに、母は柔らかな眼差しを向けた。漸く母親の顔を見せてくれた母は、

「貴女の為になる事と、為にならない事とが並んでいたら、どちらを選択するかは分かるでしょう?」
そう言って、目を伏せた。

アウローラは、いまだ混乱が治まらないのを無理やり抑えて、肝心要の自身の事を確認する。

「私は何方どなたに嫁ぐのでしょう。」
「フェイラー侯爵閣下よ。」

貴族名鑑を開かずとも分かるその名に、アウローラは思わず目を瞑る。

「大変名誉な事よ、アウローラ。」

そうだろう。伯爵家の息女が侯爵家へ望まれるのであるから。


それからは、母とはまるで執務の擦り合わせをするように、これからの事を幾つか話してから、アウローラは母の執務室を出た。

出た先にミネットの姿が見えて立ち止まる。今は言葉を交わす気にはなれなかった。本当なら晩餐の席にも出たくない。

ミネットが自室に戻る背中を見届け、アウローラも部屋へと向かう。
身体が重く感じるのは、今日一日学園で過ごした疲れではないだろう。喉の奥まで重い鉛を飲み込んだ様に、身体の外も内も全てが重く感じられた。



アウローラ・マセット・スタンリーはスタンリー伯爵家の嫡女であった。
一つ下に妹のミネットがおり、二人は貴族学園に通う学生である。
アウローラが三年生。ミネットが二年生。

そうして、スタンリー伯爵家はアウローラが後継と定められて、次期女伯爵として、同い年のトーマスを婿に取る為に二人は婚約を結んでいた。

トーマスは領地が隣あうハリントン伯爵家の次男で、アウローラとミネットとは幼い頃から交流のある幼馴染であった。

二人の婚約は、アウローラがデヴュタントを迎える前年の十五歳の年に結ばれて、翌年には共に学園に入学している。

一年後には妹のミネットも入学して、その頃からだろうか、トーマスとミネットの距離が近いと感じた。それは物理的にというよりも、交わす視線であるとか言葉の端々に乗せる妙に甘さを含んだ空気であるとかの、目に見えない親密さであった。

互いのタウンハウスも近いことから、トーマスは度々アウローラを訪ねて来たが、先触れが直前であることが多く、母から執務を習っているアウローラがティールームに着く頃には、ミネットがトーマスの対応をしているのが常であった。

常であるのに、その度に二人は、お姉様がお忙しいからとか、君は多忙であるのをミネットが気を遣ってくれたとか、二人で答えを合わせたような事を言う。

二人揃って並べる言い訳は、まるで「遅く来たお前が悪い」と言われている様であり、その陰に、「まだ来なくて良かったのに」という含みを感じてしまう自分の感情が、アウローラはどうにも好きになれなかった。




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