7 / 62
【7】
先日、蹴り飛ばしてやりたいと思った相手を思い出した。
射抜く様な青い瞳には見覚えがあった。それも無理のない事だろう。彼らは従兄弟同士であるのだから。
「初めまして、フェイラー侯爵閣下。アウローラ・マセット・スタンリーと申します。」
カーテシーで礼を取れば、アストリウスはすぐに応えてくれた。
「楽にしてくれないか、私は傅かれる様な男ではない。」
その言葉に顔を上げたアウローラを、青い瞳が真っ直ぐ見つめる。直近では王妃を輩出したフェイラー侯爵家であるが、遡れば過去にも王族が降嫁した歴史がある。王家の色であるロイヤル・ブルーの瞳がそれを端的に物語っていた。
クロノス殿下の不敵な笑みを思い出し、彼の濃いチョコレート色の髪が母の家系から引き継いだものだと思うのは、アストリウスが漆黒の髪であったからだ。
国王陛下は金髪で、王太子殿下も父譲りの艶やかな金の髪色である。クロノスは、漆黒と金色が混じり合ってチョコレートになったのだなと、婚姻を結ぶ相手を前に思考がクロノスへと飛躍した。
だが、アウローラの記憶にある王妃陛下も、これほど黒い髪ではない。むしろブルネットと言って良いだろう。
アストリウス・フィンチ・フェイラー。
フェイラー侯爵家の次男にして現当主である。年齢は二十六歳と、アウローラよりも八歳年上であるが、もっと若く見える。
アウローラは実年齢よりも落ち着いて見られるから、二人が並んだなら見ようによっては同年代と思われるかもしれない。
先日、クロノスに『義従姉上』と呼ばれた事を悔しく思い出す。
応接室には両親とアウローラ、そしてアストリウスの四人がおり、儀礼的な挨拶を交わしてから婚約誓約書の文言の確認をした後に署名した。
前の晩から緊張していたのに、契約を結ぶ「作業」はものの数分で終わってしまった。それも、事前に母が細部まで確認をしていたからで、アウローラは言われるままに署名したに過ぎなかった。
数枚の書面にサインを記して、アウローラは生家の後継者から嫁ぐ身となった。人生は大きく道筋を変えたのに、その手続きは何とも呆気ないものであった。
「気負わずに嫁いでほしい。」
クロノスとよく似た目元であったが眼差しは穏やかに感じられた。あと数年すれば、クロノスもこんな大人の空気を纏うのだろう。
アストリウスとの婚約を前に、既にトーマスとの婚約は解かれて、同時にミネットとトーマスの婚約が改めて結ばれていた。
トーマスの生家であるハリントン伯爵家は、トーマスが当主へ婿入りするのに変わりはないから、相手がアウローラからミネットに入れ替わるのには異論を述べなかった。
どうやら、トーマスがミネットと相愛であるのは見て見ぬふりをしていたらしく、想い合う二人が添うのなら結果的に良かったのではと考えるようであった。
下手をすれば不貞と捉えられる危うい関係であったのに、何とも呑気なものだとアウローラはトーマスの両親に少しばかり呆れてしまった。
スタンリー伯爵家側が、引いてはアウローラが、妹とトーマスの有り様を咎めなかったからこそ大事にならなかったのを理解しているのだろうか。
それもこれも、今となっては終わった事である。アウローラは後継からも元の婚約からも生家からも離れる事が決まったのである。
第一印象でアストリウスに悪印象が湧かなかった事に、アウローラは心底安堵した。クロノスの事を考えなければ、好印象すら抱けたかもしれない。
襟足の短い漆黒の髪は、実直な印象を与えた。淡い金の髪と翠の瞳という優しげで華やかな風情のトーマスとは対極の、落ち着きのある容姿である。
帝国では、王家に連なる高位貴族の子息でありながら、大手商会に在籍して商会経営を学んでいたと聞く。
貴族学園を卒業すると同時に帝国へ渡っていたから、兄に代わって爵位を継ぐ為に帰国をしたのは数年ぶりの事であった。
侯爵家の事業は当然ながら、人脈作りも何もかも更地から家を建てる様に積み上げていかねばならない。
そこに次期当主として若年ながら執務と社交を学んで来たアウローラは、好むと好まざるとに関わらず、確かに「役に立つ」妻と見做されたのだろう。
初見で悪印象を抱かずに済んだのは、最初の大きなハードルを乗り越えたと言って良いのに、アウローラには一点気にかかる事があった。それは両親も承知している事だろう。
これだけ家柄も良く能力もあり端正な見目の青年貴族が、なぜに今まで伴侶を得なかったのか。そこには噂が一つあった。
帝国大学で学んでいた彼は、帝国第二皇女と親しくなり、どうやらそれは恋愛感情を伴った間柄であったのではと噂されていた。
結果的に、皇女が帝国の公爵家へ降嫁したことで、二人の恋は終わりを遂げたとされている。しかし、アストリウスが独身を通していたのは皇女を忘れられないからで、父と兄の病で帰国をしたのも、むしろ帝国での恋路を忘れるのに都合が良かっただろうと、社交界で密かに噂されていたのである。
成人しているのであれば、多少の恋愛経験があって然るべきで、その相手が大きすぎたことで噂も大袈裟になったのかもしれない。
アウローラは、そう理解しているつもりである。だから、男の過去の匂いを確かめたい気持ちには、そっと蓋をした。
射抜く様な青い瞳には見覚えがあった。それも無理のない事だろう。彼らは従兄弟同士であるのだから。
「初めまして、フェイラー侯爵閣下。アウローラ・マセット・スタンリーと申します。」
カーテシーで礼を取れば、アストリウスはすぐに応えてくれた。
「楽にしてくれないか、私は傅かれる様な男ではない。」
その言葉に顔を上げたアウローラを、青い瞳が真っ直ぐ見つめる。直近では王妃を輩出したフェイラー侯爵家であるが、遡れば過去にも王族が降嫁した歴史がある。王家の色であるロイヤル・ブルーの瞳がそれを端的に物語っていた。
クロノス殿下の不敵な笑みを思い出し、彼の濃いチョコレート色の髪が母の家系から引き継いだものだと思うのは、アストリウスが漆黒の髪であったからだ。
国王陛下は金髪で、王太子殿下も父譲りの艶やかな金の髪色である。クロノスは、漆黒と金色が混じり合ってチョコレートになったのだなと、婚姻を結ぶ相手を前に思考がクロノスへと飛躍した。
だが、アウローラの記憶にある王妃陛下も、これほど黒い髪ではない。むしろブルネットと言って良いだろう。
アストリウス・フィンチ・フェイラー。
フェイラー侯爵家の次男にして現当主である。年齢は二十六歳と、アウローラよりも八歳年上であるが、もっと若く見える。
アウローラは実年齢よりも落ち着いて見られるから、二人が並んだなら見ようによっては同年代と思われるかもしれない。
先日、クロノスに『義従姉上』と呼ばれた事を悔しく思い出す。
応接室には両親とアウローラ、そしてアストリウスの四人がおり、儀礼的な挨拶を交わしてから婚約誓約書の文言の確認をした後に署名した。
前の晩から緊張していたのに、契約を結ぶ「作業」はものの数分で終わってしまった。それも、事前に母が細部まで確認をしていたからで、アウローラは言われるままに署名したに過ぎなかった。
数枚の書面にサインを記して、アウローラは生家の後継者から嫁ぐ身となった。人生は大きく道筋を変えたのに、その手続きは何とも呆気ないものであった。
「気負わずに嫁いでほしい。」
クロノスとよく似た目元であったが眼差しは穏やかに感じられた。あと数年すれば、クロノスもこんな大人の空気を纏うのだろう。
アストリウスとの婚約を前に、既にトーマスとの婚約は解かれて、同時にミネットとトーマスの婚約が改めて結ばれていた。
トーマスの生家であるハリントン伯爵家は、トーマスが当主へ婿入りするのに変わりはないから、相手がアウローラからミネットに入れ替わるのには異論を述べなかった。
どうやら、トーマスがミネットと相愛であるのは見て見ぬふりをしていたらしく、想い合う二人が添うのなら結果的に良かったのではと考えるようであった。
下手をすれば不貞と捉えられる危うい関係であったのに、何とも呑気なものだとアウローラはトーマスの両親に少しばかり呆れてしまった。
スタンリー伯爵家側が、引いてはアウローラが、妹とトーマスの有り様を咎めなかったからこそ大事にならなかったのを理解しているのだろうか。
それもこれも、今となっては終わった事である。アウローラは後継からも元の婚約からも生家からも離れる事が決まったのである。
第一印象でアストリウスに悪印象が湧かなかった事に、アウローラは心底安堵した。クロノスの事を考えなければ、好印象すら抱けたかもしれない。
襟足の短い漆黒の髪は、実直な印象を与えた。淡い金の髪と翠の瞳という優しげで華やかな風情のトーマスとは対極の、落ち着きのある容姿である。
帝国では、王家に連なる高位貴族の子息でありながら、大手商会に在籍して商会経営を学んでいたと聞く。
貴族学園を卒業すると同時に帝国へ渡っていたから、兄に代わって爵位を継ぐ為に帰国をしたのは数年ぶりの事であった。
侯爵家の事業は当然ながら、人脈作りも何もかも更地から家を建てる様に積み上げていかねばならない。
そこに次期当主として若年ながら執務と社交を学んで来たアウローラは、好むと好まざるとに関わらず、確かに「役に立つ」妻と見做されたのだろう。
初見で悪印象を抱かずに済んだのは、最初の大きなハードルを乗り越えたと言って良いのに、アウローラには一点気にかかる事があった。それは両親も承知している事だろう。
これだけ家柄も良く能力もあり端正な見目の青年貴族が、なぜに今まで伴侶を得なかったのか。そこには噂が一つあった。
帝国大学で学んでいた彼は、帝国第二皇女と親しくなり、どうやらそれは恋愛感情を伴った間柄であったのではと噂されていた。
結果的に、皇女が帝国の公爵家へ降嫁したことで、二人の恋は終わりを遂げたとされている。しかし、アストリウスが独身を通していたのは皇女を忘れられないからで、父と兄の病で帰国をしたのも、むしろ帝国での恋路を忘れるのに都合が良かっただろうと、社交界で密かに噂されていたのである。
成人しているのであれば、多少の恋愛経験があって然るべきで、その相手が大きすぎたことで噂も大袈裟になったのかもしれない。
アウローラは、そう理解しているつもりである。だから、男の過去の匂いを確かめたい気持ちには、そっと蓋をした。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
【完結】彼の瞳に映るのは
たろ
恋愛
今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。
優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。
そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。
わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。
★ 短編から長編へ変更しました。
裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))