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翌朝の朝餉の席に、ミネットは現れなかった。両親もそれには何も言わなかったから、アウローラも聞くことはしなかった。
その場にミネットの姿が無いことで、昨夜のミネットとトーマスの会話を思い出す。
トーマスの語った言葉の一つ一つが腑に落ちて、彼の気持ちもこれまでの行動も、全てが納得出来た。
アウローラは、あれほど赤裸々な二人の会話を耳にしても、感情を乱される事はついぞ無かった。それは今、アウローラの心を占める存在がトーマスとは別のところにあるからだろう。
漆黒の髪色を思い浮かべる。自身より濃く鮮やかな青い瞳を思い出す。
婚約を結んだ時に、これ程までに心を囚われるとは思ってもいなかった。だが、もしかしたら、あの初見の時には既に囚われていたのかもしれない。
朝の食堂で、そこだけ空いた席を見る。
ミネット。貴女がどんな未来を選んでも、私の伴侶を貴女に奪われる事だけは起こり得ない。彼を貴女の選択肢に入れる事を許すだなんて出来ないのだから。
思えばミネットとは、この邸にいていつも明るく光を齎す存在であった。明朗で無邪気で、プライドが高いのは少しばかり厄介ではあったが、愛すべき存在であったと思う。
アウローラは、この伯爵家にいた嘗ての姉妹に思考が及ぶ。ミネットと良く似た叔母の姿。
母と叔母の間で、父を巡って同じ様なことが起きたのだとして、母はどんな気持ちでどんな決意で、父と添う事を決めたのだろう。どんな気持ちで、妹に心を寄せた婚約者を受け入れたのだろう。
母とアウローラは見目も気質も良く似た母娘であるが、進む未来だけは大きく変わった。もしかしたら母は、アウローラに自分と同じ轍を踏ませない為に、この縁談を受け入れたのかもしれない。
いつでも母を気遣う父は、今も母に穏やかな笑みを向けて、何気ない話題を振っては母が楽しめているのかを確かめている。
父の瞳は淡い翠の優しい色で、その柔らかな翠色の瞳の奥に、何か言葉では言い表せない濃く深く仄暗いものを見つけてしまったのはいつ頃であったか。
しかし、父の感情は父だけのものであるから、アウローラには父の本心など解らない。
母と叔母と父。
アウローラとミネットとトーマス。
そうして、アウローラとアストリウスと、
その先には、侯爵家でアウローラを出迎えた美しい金色の髪を結い上げた女性が思い浮かんだ。
彼女はまだあの邸ににいるのだろうか。病を得た夫を置いて、アストリウスと聖夜を過ごした義姉である。
シャルロッテを思い出して途端に食欲が失せて、胸のつかえは渋めの紅茶にミルクを足して飲み干した。
年が明けてもアウローラは侯爵家へは訪問しなかった。
夫人教育は年明けからと伝えられていたが、具体的な日時は決められておらず、それを確かめようかと思ったが、伝えられないのをこちらから聞くのは憚られた。
アストリウスは兎も角、執事のフランクには「うっかり」等と言うことはない。
聖夜の日に侯爵家を訪問した際にも、フランクは年明けの訪問日については何も言わなかった。
それは、シャルロッテとの鉢合わせを避けようとしてであろう。であれば、アウローラはお誘いを受けるまでは動けない。
どのみち一週間後には、王城での舞踏会があるのだから、その際にはアストリウスと話しが出来る。今後の事もそこで確かめようと、諸々の感情には気付かないフリをした。
ドレスは既に年明け前に届いていた。
今はトルソーに飾られたドレスを眺める。
またしても、アウローラには縁の無かった色である。揃いの衣装であるなら、彼もこの色を纏うのか。
「お綺麗なお色でございますね。」
侍女の言葉に頷く。
春の曙の空のような、淡く燃える朝焼けのような、淡いコーラルピンクのドレスであった。
「アストリウス様もピンクをお召しになるのかしら。」
「それは無いかと。」
「そうよね。」
侍女と会話をしながら、何処に彼の色を入れようかと考える。
アストリウスの黒と青。アウローラの茶色と青。
「珊瑚にしましょうか。珊瑚に真珠を併せましょう。」
結局、ドレスの色に合わせて装飾品についてを侍女と示し合わせたその翌日に、侯爵家から使者が訪れた。舞踏会で身に付ける様にと書き添えられた文と一緒に小さな化粧箱が届けられた。
「これが真珠?」
思わず侍女と一緒に覗き込む。
大玉の真珠はほんのり金色を帯びて、シャンパンゴールドよりも赤みが強い。まるで朝ぼらけの朝日を浴びる雲の様な、淡いコーラルを帯びた南洋真珠であった。
イヤリングと首飾りを揃いにして、アストリウスはアウローラへと贈ってくれた。イヤリングは大粒のひと粒真珠、首飾りも形と粒が揃えられて、これで何れ程の価値となるのかアウローラには見当も付かなかった。
ただ、アストリウスがアウローラの為に、この珍しい真珠を取り寄せたのだと、それだけは確かに解った。
侍女に唆される様に椅子に座り、鏡の前でイヤリングを嵌める。それから髪を上げて、白く細い首に首飾りを巻いた。
アウローラの柔らかな白い肌に、仄かにコーラルピンクを帯びた大粒真珠は良く映えた。このまま絵師を呼んで絵姿を描いて欲しいと思った。
アウローラは、アストリウスから贈られた品を身に着けて、鏡に映るこの姿をどうにかして形に残しておきたいと、そう思った。
その場にミネットの姿が無いことで、昨夜のミネットとトーマスの会話を思い出す。
トーマスの語った言葉の一つ一つが腑に落ちて、彼の気持ちもこれまでの行動も、全てが納得出来た。
アウローラは、あれほど赤裸々な二人の会話を耳にしても、感情を乱される事はついぞ無かった。それは今、アウローラの心を占める存在がトーマスとは別のところにあるからだろう。
漆黒の髪色を思い浮かべる。自身より濃く鮮やかな青い瞳を思い出す。
婚約を結んだ時に、これ程までに心を囚われるとは思ってもいなかった。だが、もしかしたら、あの初見の時には既に囚われていたのかもしれない。
朝の食堂で、そこだけ空いた席を見る。
ミネット。貴女がどんな未来を選んでも、私の伴侶を貴女に奪われる事だけは起こり得ない。彼を貴女の選択肢に入れる事を許すだなんて出来ないのだから。
思えばミネットとは、この邸にいていつも明るく光を齎す存在であった。明朗で無邪気で、プライドが高いのは少しばかり厄介ではあったが、愛すべき存在であったと思う。
アウローラは、この伯爵家にいた嘗ての姉妹に思考が及ぶ。ミネットと良く似た叔母の姿。
母と叔母の間で、父を巡って同じ様なことが起きたのだとして、母はどんな気持ちでどんな決意で、父と添う事を決めたのだろう。どんな気持ちで、妹に心を寄せた婚約者を受け入れたのだろう。
母とアウローラは見目も気質も良く似た母娘であるが、進む未来だけは大きく変わった。もしかしたら母は、アウローラに自分と同じ轍を踏ませない為に、この縁談を受け入れたのかもしれない。
いつでも母を気遣う父は、今も母に穏やかな笑みを向けて、何気ない話題を振っては母が楽しめているのかを確かめている。
父の瞳は淡い翠の優しい色で、その柔らかな翠色の瞳の奥に、何か言葉では言い表せない濃く深く仄暗いものを見つけてしまったのはいつ頃であったか。
しかし、父の感情は父だけのものであるから、アウローラには父の本心など解らない。
母と叔母と父。
アウローラとミネットとトーマス。
そうして、アウローラとアストリウスと、
その先には、侯爵家でアウローラを出迎えた美しい金色の髪を結い上げた女性が思い浮かんだ。
彼女はまだあの邸ににいるのだろうか。病を得た夫を置いて、アストリウスと聖夜を過ごした義姉である。
シャルロッテを思い出して途端に食欲が失せて、胸のつかえは渋めの紅茶にミルクを足して飲み干した。
年が明けてもアウローラは侯爵家へは訪問しなかった。
夫人教育は年明けからと伝えられていたが、具体的な日時は決められておらず、それを確かめようかと思ったが、伝えられないのをこちらから聞くのは憚られた。
アストリウスは兎も角、執事のフランクには「うっかり」等と言うことはない。
聖夜の日に侯爵家を訪問した際にも、フランクは年明けの訪問日については何も言わなかった。
それは、シャルロッテとの鉢合わせを避けようとしてであろう。であれば、アウローラはお誘いを受けるまでは動けない。
どのみち一週間後には、王城での舞踏会があるのだから、その際にはアストリウスと話しが出来る。今後の事もそこで確かめようと、諸々の感情には気付かないフリをした。
ドレスは既に年明け前に届いていた。
今はトルソーに飾られたドレスを眺める。
またしても、アウローラには縁の無かった色である。揃いの衣装であるなら、彼もこの色を纏うのか。
「お綺麗なお色でございますね。」
侍女の言葉に頷く。
春の曙の空のような、淡く燃える朝焼けのような、淡いコーラルピンクのドレスであった。
「アストリウス様もピンクをお召しになるのかしら。」
「それは無いかと。」
「そうよね。」
侍女と会話をしながら、何処に彼の色を入れようかと考える。
アストリウスの黒と青。アウローラの茶色と青。
「珊瑚にしましょうか。珊瑚に真珠を併せましょう。」
結局、ドレスの色に合わせて装飾品についてを侍女と示し合わせたその翌日に、侯爵家から使者が訪れた。舞踏会で身に付ける様にと書き添えられた文と一緒に小さな化粧箱が届けられた。
「これが真珠?」
思わず侍女と一緒に覗き込む。
大玉の真珠はほんのり金色を帯びて、シャンパンゴールドよりも赤みが強い。まるで朝ぼらけの朝日を浴びる雲の様な、淡いコーラルを帯びた南洋真珠であった。
イヤリングと首飾りを揃いにして、アストリウスはアウローラへと贈ってくれた。イヤリングは大粒のひと粒真珠、首飾りも形と粒が揃えられて、これで何れ程の価値となるのかアウローラには見当も付かなかった。
ただ、アストリウスがアウローラの為に、この珍しい真珠を取り寄せたのだと、それだけは確かに解った。
侍女に唆される様に椅子に座り、鏡の前でイヤリングを嵌める。それから髪を上げて、白く細い首に首飾りを巻いた。
アウローラの柔らかな白い肌に、仄かにコーラルピンクを帯びた大粒真珠は良く映えた。このまま絵師を呼んで絵姿を描いて欲しいと思った。
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