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【44】
あれほど緊張していた対面は、結果から言えばなんの心配も要らなかった。
それはアストリウスの父がじゃが芋だからではなくて、確かに彼はアストリウスの言うところの、その、ずんぐり?ではあったが、そうではなくて、彼は大層穏やかな人物であった。
「頭を上げてくれないか、アウローラ嬢。いや、我が家の一員になる君を名呼びする事を許してもらえるかな?」
義父は、カーテシーで挨拶をしたアウローラの姿勢を直ぐに戻させた。気さくな鷹揚さは何処かアストリウスを思わせた。そうして商談に長けた彼は話し上手の聞き上手で、そんな所までアストリウスは父親に似ているのだと思った。
貴賓室に現れた彼は、初めから穏やかな笑みで、カチコチになっているアウローラへ掛ける言葉は優しかった。ただ、現れた姿が車椅子に座りその背を義母に押されているのだけが、流行り病が如何に重いものであったかを思い起こさせた。
アストリウスは気質は父に、姿は母似であるのもひと目で解った。落ち着きのある佇まいと貴族夫人らしい気品は、五十を過ぎた年齢が貴人としての年月を重ねたものであったのを語っている。
「急な縁談を、良くぞ受けてくれました。貴女は伯爵家の次期当主であったと聞いております。そうして間もなく婚姻を控えていたのだとも。クロノス殿下から無理矢理に結ばれた縁であるのかと心配しましたが、どうやらそうではなかったようね。
貴女が当家の家政を学ぶのに、よく励んでいるのだと家令からも、そこの朴念仁からも文をもらっておりました。さぞかし不安であったでしょう。何も知らされぬまま行き成り婚約したのですから。」
アストリウスの母の言葉には、アウローラの母の言葉と似た響きがあった。美しいのに控えめに、自身を律して勤勉に務めを果たしてきた人が、巣立つ子に掛ける思い遣りを感じさせた。
いつの時代にも、選ばれるのは女性の方で、縁談とはその最たるものであるだろう。令嬢の家格や家柄、本人の才や見目や年齢を品物の様に吟味された後に縁談は齎されるが、そこには令嬢の意志が尊重されることは先ず無い。
尊重されるものがあるとすれば、それは両親や一族の総意であり、令嬢に選択を許す貴族とは、今もそれほど多くはない。
自由恋愛が持て囃されるのは、それが小説や物語の世界であるからで、現実世界は夢や憧れだけを食べて生きては行けないからである。
半年後に婚姻を控えた嫡女がそれを解かれた。その法度が王族から出た話しであるなら誰が抗うことが出来ただろう。
アウローラが幸運であったのは、アストリウスがその意味を百も承知して、初めからアウローラへの敬意を失わなかった事だろう。
アストリウスの人柄は、王妃を輩出した高位貴族の家柄にあっても常識を逸脱することなく、人間関係や学問での学びを疎かにせず、何より懐深く温かい。
それがこの両親から引き継いだものであるのを、アウローラは初見の席で直ぐに感じ取った。それは、義兄も同様であった。
人の噂に聞いた通り、彼も義父同様に流行り病の後遺症があるのが見て取れた。車椅子椅子に座ってこそいなかったが、左の脇の下には松葉杖を挟んでいた。だが、一歩一歩進む歩みは力強く、その姿を見るだけなら直に松葉杖も不要になるのではと思われた。
実際、義父も義兄も立ち上がることも歩くことも可能であるそうで、ただ何かの拍子に力が抜けて転倒しそうになるらしい。転倒して大事になってはいけないし、何より義兄は、
「この方が都合が良いんだ。」
と、不可解な事を言った。
アストリウスの義兄とは、美しい男性であった。三十は過ぎているだろうが、見目からは二十代にしか見えなかった。これは青年時代にはさぞかしご令嬢方を虜にしただろうと容易く想像出来た。
漆黒の髪に青い瞳はアストリウスそのもので、アストリウスも見目なら整っている。
しかし、義兄はそこに静かな冷たさを湛えて、乙女達なら『氷の貴公子』だなんて渾名を付けそうな、寧ろそんな渾名がぴったりと云う姿であった。
長い黒髪を背で結わえ、左脇の下にある松葉杖が気にならないほど立ち姿が凛々しい。こんなに美しい夫がいながら、シャルロッテが何故不貞紛いの行動を起こすのか、アウローラにはその気が知れなかった。
義兄は見目通り、声も低く温度を感じさせない。だがその瞳には、年若の令嬢への気遣いが確かに見えて、アウローラは義兄を冷たい人だとは思わなかった。
「弟が不甲斐なくてすまないね。君を哀しませたのではないかと気になっていた。」
それはシャルロッテの王都での滞在を指しているのだろう。横にいるシャルロッテがどんな気持ちでそれを聞いているのかは考えない事にした。
彼女は、一応の面識がある筈のアウローラには自ら挨拶をする素振りを見せなかった。
それを察したアストリウスが、二人は既に王都にて挨拶を済ませているのだと言ってくれて、お陰で不自然な対面にはならなかった。
穏やかな気風に賢明さと気品。貴族らしさと世間に明るい聡明な気質を有しながら、突然の病に侯爵家が揺らぎ掛けた。そんな不運を払拭したのが帰国したアストリウスであり、これから彼を支えるのがアウローラである。
初見の緊張が解けた頃には、自身の未来と責任を思い、新たな緊張が生まれるのであった。
それはアストリウスの父がじゃが芋だからではなくて、確かに彼はアストリウスの言うところの、その、ずんぐり?ではあったが、そうではなくて、彼は大層穏やかな人物であった。
「頭を上げてくれないか、アウローラ嬢。いや、我が家の一員になる君を名呼びする事を許してもらえるかな?」
義父は、カーテシーで挨拶をしたアウローラの姿勢を直ぐに戻させた。気さくな鷹揚さは何処かアストリウスを思わせた。そうして商談に長けた彼は話し上手の聞き上手で、そんな所までアストリウスは父親に似ているのだと思った。
貴賓室に現れた彼は、初めから穏やかな笑みで、カチコチになっているアウローラへ掛ける言葉は優しかった。ただ、現れた姿が車椅子に座りその背を義母に押されているのだけが、流行り病が如何に重いものであったかを思い起こさせた。
アストリウスは気質は父に、姿は母似であるのもひと目で解った。落ち着きのある佇まいと貴族夫人らしい気品は、五十を過ぎた年齢が貴人としての年月を重ねたものであったのを語っている。
「急な縁談を、良くぞ受けてくれました。貴女は伯爵家の次期当主であったと聞いております。そうして間もなく婚姻を控えていたのだとも。クロノス殿下から無理矢理に結ばれた縁であるのかと心配しましたが、どうやらそうではなかったようね。
貴女が当家の家政を学ぶのに、よく励んでいるのだと家令からも、そこの朴念仁からも文をもらっておりました。さぞかし不安であったでしょう。何も知らされぬまま行き成り婚約したのですから。」
アストリウスの母の言葉には、アウローラの母の言葉と似た響きがあった。美しいのに控えめに、自身を律して勤勉に務めを果たしてきた人が、巣立つ子に掛ける思い遣りを感じさせた。
いつの時代にも、選ばれるのは女性の方で、縁談とはその最たるものであるだろう。令嬢の家格や家柄、本人の才や見目や年齢を品物の様に吟味された後に縁談は齎されるが、そこには令嬢の意志が尊重されることは先ず無い。
尊重されるものがあるとすれば、それは両親や一族の総意であり、令嬢に選択を許す貴族とは、今もそれほど多くはない。
自由恋愛が持て囃されるのは、それが小説や物語の世界であるからで、現実世界は夢や憧れだけを食べて生きては行けないからである。
半年後に婚姻を控えた嫡女がそれを解かれた。その法度が王族から出た話しであるなら誰が抗うことが出来ただろう。
アウローラが幸運であったのは、アストリウスがその意味を百も承知して、初めからアウローラへの敬意を失わなかった事だろう。
アストリウスの人柄は、王妃を輩出した高位貴族の家柄にあっても常識を逸脱することなく、人間関係や学問での学びを疎かにせず、何より懐深く温かい。
それがこの両親から引き継いだものであるのを、アウローラは初見の席で直ぐに感じ取った。それは、義兄も同様であった。
人の噂に聞いた通り、彼も義父同様に流行り病の後遺症があるのが見て取れた。車椅子椅子に座ってこそいなかったが、左の脇の下には松葉杖を挟んでいた。だが、一歩一歩進む歩みは力強く、その姿を見るだけなら直に松葉杖も不要になるのではと思われた。
実際、義父も義兄も立ち上がることも歩くことも可能であるそうで、ただ何かの拍子に力が抜けて転倒しそうになるらしい。転倒して大事になってはいけないし、何より義兄は、
「この方が都合が良いんだ。」
と、不可解な事を言った。
アストリウスの義兄とは、美しい男性であった。三十は過ぎているだろうが、見目からは二十代にしか見えなかった。これは青年時代にはさぞかしご令嬢方を虜にしただろうと容易く想像出来た。
漆黒の髪に青い瞳はアストリウスそのもので、アストリウスも見目なら整っている。
しかし、義兄はそこに静かな冷たさを湛えて、乙女達なら『氷の貴公子』だなんて渾名を付けそうな、寧ろそんな渾名がぴったりと云う姿であった。
長い黒髪を背で結わえ、左脇の下にある松葉杖が気にならないほど立ち姿が凛々しい。こんなに美しい夫がいながら、シャルロッテが何故不貞紛いの行動を起こすのか、アウローラにはその気が知れなかった。
義兄は見目通り、声も低く温度を感じさせない。だがその瞳には、年若の令嬢への気遣いが確かに見えて、アウローラは義兄を冷たい人だとは思わなかった。
「弟が不甲斐なくてすまないね。君を哀しませたのではないかと気になっていた。」
それはシャルロッテの王都での滞在を指しているのだろう。横にいるシャルロッテがどんな気持ちでそれを聞いているのかは考えない事にした。
彼女は、一応の面識がある筈のアウローラには自ら挨拶をする素振りを見せなかった。
それを察したアストリウスが、二人は既に王都にて挨拶を済ませているのだと言ってくれて、お陰で不自然な対面にはならなかった。
穏やかな気風に賢明さと気品。貴族らしさと世間に明るい聡明な気質を有しながら、突然の病に侯爵家が揺らぎ掛けた。そんな不運を払拭したのが帰国したアストリウスであり、これから彼を支えるのがアウローラである。
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