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「奥様、こちらは如何致しましょう。」
クローゼットの奥から侍女が取り出した箱を見て、コレットは「ああ、」と小さな声を漏らした。
その宝石箱を知らない訳では無い。
けれども、クローゼットの奥に、心の奥深くに仕舞い込んでもう思い出すまいと決めたものだ。
中身なら開けずとも全て知っている。
濃い藍色のラピスラズリに金の縁取りがされた耳飾りは、エドガーから初めて贈られた耳飾りだ。
エドガーの蒼い瞳に金の髪。これを着けて一緒に観劇を観に行った。演目まで憶えている。けれども中身はよく憶えていない。婚姻が決まったばかりで隣に座るエドガーに緊張していて、中身が頭に入って来なかった。少しだけ胸が苦しかった。でもそれは嫌な苦しさではなかった。
エナメルガラスのヘアクリップも憶えている。
ロイヤルブルーのフラワーモチーフがコレットのくすんだ金の髪にも良く映えて、侍女が美しいと褒めてくれた。
エドガーの経営する百貨店の新商品で、表通りのショーケースにも同じものが飾られていた。
大粒の3連真珠を繋いだネックレスは、中央に乳白色の螺鈿細工のカメリアが飾られている。コレットの20歳の誕生日にエドガーから贈られた。
贅を尽くした贈り物に、エドガーの妻であることを誇らしく思った。
嬉しかった。この日の事を生涯忘れないと思った。
珍しい碧色の琥珀の髪飾りも、大粒のサファイアが嵌められたブローチも、全部全部憶えている。
贈られた喜びを憶えている。
だから、心の中から、記憶の中から消した日のことも憶えているのだ。
お茶会でエドガーと未亡人の噂を聞かされた日であったから。
邸に戻って宝石箱ごとクローゼットの奥深く仕舞い込んで、そうして忘れた。
嫌な噂も不実の怒りも、何も聞けない臆病な自分も。
『何故宝石を着けない』
『髪飾りがあるだろう』
あの夜会の夜、エドガーは何を思っていたのだろう。
あの問いかけに、コレットは花が好きだと答えた。
言葉には出さない言葉で、貴方が贈った宝石よりも、庭師が切り出した名前も知らない庭の花が好きだと、そう言ったのだ。
侍女の問い掛けに
「それは置いて行って良いわ。」
そう答えた。
素直にエドガーの目の前で身に着けていたら、エドガーは喜んでくれたのだろうか。
未亡人の腰に手を添えて微笑んだように、コレットにあの柔らかな笑みを向けてくれていたのだろうか。
コレットはエドガーに別居を願い出た。
エドガーは約束通りコレットの希望を受け入れた。
結局、再度の話し合いに於いても、エドガーはコレットとの離縁に首を縦に振らなかった。
あの夜会の夜から、コレットはエドガーを今迄と同じ様に見ることが出来なくなっていた。
噂で聞いたエドガーではなく、目の前で妻ではない女性に寄り添うエドガーは、もうコレットの知る夫ではなかった。
誰かと夫を奪い合う事も共有する事も、コレットには到底無理な話しであった。
エドガーからも伯爵家からも離れなければ、コレットは前に進めない。
この一年、コレットはエドガーから贈り物は受け取っていない。
同じくこの一年、コレットがエドガーに伴われて夜会に出た回数は片手で余る。
コレットが宝石箱を忘れたように、エドガーもまた、コレットの預かり知らぬ何事かを忘れてしまったのかもしれない。
クローゼットの奥から侍女が取り出した箱を見て、コレットは「ああ、」と小さな声を漏らした。
その宝石箱を知らない訳では無い。
けれども、クローゼットの奥に、心の奥深くに仕舞い込んでもう思い出すまいと決めたものだ。
中身なら開けずとも全て知っている。
濃い藍色のラピスラズリに金の縁取りがされた耳飾りは、エドガーから初めて贈られた耳飾りだ。
エドガーの蒼い瞳に金の髪。これを着けて一緒に観劇を観に行った。演目まで憶えている。けれども中身はよく憶えていない。婚姻が決まったばかりで隣に座るエドガーに緊張していて、中身が頭に入って来なかった。少しだけ胸が苦しかった。でもそれは嫌な苦しさではなかった。
エナメルガラスのヘアクリップも憶えている。
ロイヤルブルーのフラワーモチーフがコレットのくすんだ金の髪にも良く映えて、侍女が美しいと褒めてくれた。
エドガーの経営する百貨店の新商品で、表通りのショーケースにも同じものが飾られていた。
大粒の3連真珠を繋いだネックレスは、中央に乳白色の螺鈿細工のカメリアが飾られている。コレットの20歳の誕生日にエドガーから贈られた。
贅を尽くした贈り物に、エドガーの妻であることを誇らしく思った。
嬉しかった。この日の事を生涯忘れないと思った。
珍しい碧色の琥珀の髪飾りも、大粒のサファイアが嵌められたブローチも、全部全部憶えている。
贈られた喜びを憶えている。
だから、心の中から、記憶の中から消した日のことも憶えているのだ。
お茶会でエドガーと未亡人の噂を聞かされた日であったから。
邸に戻って宝石箱ごとクローゼットの奥深く仕舞い込んで、そうして忘れた。
嫌な噂も不実の怒りも、何も聞けない臆病な自分も。
『何故宝石を着けない』
『髪飾りがあるだろう』
あの夜会の夜、エドガーは何を思っていたのだろう。
あの問いかけに、コレットは花が好きだと答えた。
言葉には出さない言葉で、貴方が贈った宝石よりも、庭師が切り出した名前も知らない庭の花が好きだと、そう言ったのだ。
侍女の問い掛けに
「それは置いて行って良いわ。」
そう答えた。
素直にエドガーの目の前で身に着けていたら、エドガーは喜んでくれたのだろうか。
未亡人の腰に手を添えて微笑んだように、コレットにあの柔らかな笑みを向けてくれていたのだろうか。
コレットはエドガーに別居を願い出た。
エドガーは約束通りコレットの希望を受け入れた。
結局、再度の話し合いに於いても、エドガーはコレットとの離縁に首を縦に振らなかった。
あの夜会の夜から、コレットはエドガーを今迄と同じ様に見ることが出来なくなっていた。
噂で聞いたエドガーではなく、目の前で妻ではない女性に寄り添うエドガーは、もうコレットの知る夫ではなかった。
誰かと夫を奪い合う事も共有する事も、コレットには到底無理な話しであった。
エドガーからも伯爵家からも離れなければ、コレットは前に進めない。
この一年、コレットはエドガーから贈り物は受け取っていない。
同じくこの一年、コレットがエドガーに伴われて夜会に出た回数は片手で余る。
コレットが宝石箱を忘れたように、エドガーもまた、コレットの預かり知らぬ何事かを忘れてしまったのかもしれない。
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