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緞帳が全て上がると室内は思いの外明るかった。
明るくなった室内を改めて見渡せば、背表紙の質感からして時代の古さを窺わせる書物の数々が、整然と書架に並んでいる。
「キャスリーン様、お手が汚れましたらお使い下さい。」
フランツが大判の布を用意してくれて、埃除けとして膝に掛けることも出来そうである。
「ゆっくり見てみたいのだけれど、良いかしら。」
「本日は急ぎの用件はございません。どうぞごゆっくりお過ごし下さい。後ほどお飲み物をお持ち致します。」
フランツが図書室を出て、キャスリーンは室内に独りとなった。
フランツはきっと扉の外に護衛を置いてくれるだろう。
それ程広い部屋では無い。ただ高さがあって、書架は天井まで伸びており、そこにも書物がびっしりと並べられている。
一体どうやってあの一番高いところの本を取れると言うのだろう。
窓辺を奥に進むと角のところにローテブルとソファーが置かれていた。
ここでお茶が飲めるらしい。
何冊かテーブルに置いて、ゆっくり読書が出来そうな空間である。
キャスリーンは最近にしては珍しく、わくわくしているのを感じた。
幼い頃から落ち着いていると評されて感情の起伏が平坦だと思われがちだが、人並みの感情は持ち合わせているつもりである。
今の結婚生活の状態を見ればどこが人並みの感情なのだと言われそうだが、それはキャスリーンにとってアルフォンが恋い焦がれる男ではないからだ。
失いたくないものには、キャスリーンだって執着もすれば感情も乱される。
大凡の室内の配置が理解出来て、手前の通路からゆっくり書架を眺めて歩く。
キャスリーンは古語が読める。
それは貴族であっても珍しく、専門の教師に付いて学ばなければ習得するのは難しい。
幼い頃、兄と共に王城へ連れて行ってもらった事があった。
その頃のキャスリーンは五歳位であったから、難しい書籍でなければ意味の理解は別として読み取る事は可能であった。
当主教育を受ける兄に寂しいからという体で付いている内に、同年代の子女に比べれば少しばかり物を覚えた。
父が何の用事で王城へ兄妹を伴ったのかは分からない。
父が用事を足す間、侍女と共に王城の広く長い回廊脇のテラスで待っていたのだが、少しだけだと侍女に強請って回廊の先まで散策した。
長い回廊の先を進んで、漸く突き当った角を曲がる。
侍女がもうここまでですと後ろから言うが、もうちょっと、この先で止まるからと我が儘を言って、兄と手を繋ぎその先に足を踏み入れた。
「あっ、」
声を出したのは兄だった。
回廊の角を曲がった先は新たな回廊に繋がっており、幼心に此処は迷路なのだと解った。
ただ、驚いたのはそこではない。
目の前にロゼッタストーンの様な遺物が展示されていた。
今だからロゼッタストーンらしい物と解るが、当時は岩版に理由のわからぬ文字らしきものが彫られている、そう云う認識であった。
「お前達、誰?」
遺物に圧倒されて呆けて見上げる兄妹に声が掛かる。
貴方こそだれ?
そう思う間もなく、兄がキャスリーンの頭を抑えた。侍女が礼の姿勢を取っている。あれはカーテシーだ。尊い方へ挨拶をする時の姿勢だとガヴァネスに教わったのを思い出す。
見様見真似でカーテシーをすれば、
「いいよ。それよりお前達、誰?」
少年は尚も尋ねて来る。
「王国の若き太陽、アンソニー第一王子殿下にご挨拶を申し上げます。こちらにおられるは、ヴァイアー伯爵家令息スチュワート様とご令嬢のキャスリーン様にございます。この様な場所に迷い紛れて入り込んでしまいました無礼を何卒お許し下さいませ。」
侍女がキャスリーン達の身分を明かして詫びている。
幼いなりに大変な事が起こっているのだと理解した。
「ああ、いいよ、分かった。お前も面を上げて良い。で、お前達、コレを見ていたの?」
アンソニー殿下はここまで入り込んだ事はどうでも良い風であった。
「コレを見たいの?」
「はい。」
答えたのはキャスリーンで、横で兄がぎょっとする。
「ふうん。分かった、こっちにおいで。」
手招きされてキャスリーンは歩み寄る。
「お嬢様!」侍女が小さな悲鳴を上げた。
「コレは古語だよ。なんと書いているかは学ばねば解らない。僕はなんとなくなら読めるよ。これは祈りの言葉さ。太陽神へ雨を願っているのさ。日照りの際に神事を執り行ったんだな。」
「まあ、すごいわ。」
「凄いだろう。僕は学んでいるからね。お前も学べばそのうち読めるさ。」
アンソニー殿下はそう言ってキャスリーンを見下ろして微笑んだ。
金の髪が綺麗だった。真っ青な瞳は空より青かった。
それからどうやって元の場所に戻ったのか、残念ながら記憶が無い。
兄はもう少し記憶が鮮明であろう。
アンソニー殿下はキャスリーンより三つ年上であるから、当時は八歳位だったと思われる。
今は立太子され王太子として王国の期待を一身に背負っている。
一つだけ憶えているのは、邸に戻ったその日の晩餐の席で、古語を習いたいと強請った事か。
そうして何日か後に、古語を教える教師が邸を訪れた。
明るくなった室内を改めて見渡せば、背表紙の質感からして時代の古さを窺わせる書物の数々が、整然と書架に並んでいる。
「キャスリーン様、お手が汚れましたらお使い下さい。」
フランツが大判の布を用意してくれて、埃除けとして膝に掛けることも出来そうである。
「ゆっくり見てみたいのだけれど、良いかしら。」
「本日は急ぎの用件はございません。どうぞごゆっくりお過ごし下さい。後ほどお飲み物をお持ち致します。」
フランツが図書室を出て、キャスリーンは室内に独りとなった。
フランツはきっと扉の外に護衛を置いてくれるだろう。
それ程広い部屋では無い。ただ高さがあって、書架は天井まで伸びており、そこにも書物がびっしりと並べられている。
一体どうやってあの一番高いところの本を取れると言うのだろう。
窓辺を奥に進むと角のところにローテブルとソファーが置かれていた。
ここでお茶が飲めるらしい。
何冊かテーブルに置いて、ゆっくり読書が出来そうな空間である。
キャスリーンは最近にしては珍しく、わくわくしているのを感じた。
幼い頃から落ち着いていると評されて感情の起伏が平坦だと思われがちだが、人並みの感情は持ち合わせているつもりである。
今の結婚生活の状態を見ればどこが人並みの感情なのだと言われそうだが、それはキャスリーンにとってアルフォンが恋い焦がれる男ではないからだ。
失いたくないものには、キャスリーンだって執着もすれば感情も乱される。
大凡の室内の配置が理解出来て、手前の通路からゆっくり書架を眺めて歩く。
キャスリーンは古語が読める。
それは貴族であっても珍しく、専門の教師に付いて学ばなければ習得するのは難しい。
幼い頃、兄と共に王城へ連れて行ってもらった事があった。
その頃のキャスリーンは五歳位であったから、難しい書籍でなければ意味の理解は別として読み取る事は可能であった。
当主教育を受ける兄に寂しいからという体で付いている内に、同年代の子女に比べれば少しばかり物を覚えた。
父が何の用事で王城へ兄妹を伴ったのかは分からない。
父が用事を足す間、侍女と共に王城の広く長い回廊脇のテラスで待っていたのだが、少しだけだと侍女に強請って回廊の先まで散策した。
長い回廊の先を進んで、漸く突き当った角を曲がる。
侍女がもうここまでですと後ろから言うが、もうちょっと、この先で止まるからと我が儘を言って、兄と手を繋ぎその先に足を踏み入れた。
「あっ、」
声を出したのは兄だった。
回廊の角を曲がった先は新たな回廊に繋がっており、幼心に此処は迷路なのだと解った。
ただ、驚いたのはそこではない。
目の前にロゼッタストーンの様な遺物が展示されていた。
今だからロゼッタストーンらしい物と解るが、当時は岩版に理由のわからぬ文字らしきものが彫られている、そう云う認識であった。
「お前達、誰?」
遺物に圧倒されて呆けて見上げる兄妹に声が掛かる。
貴方こそだれ?
そう思う間もなく、兄がキャスリーンの頭を抑えた。侍女が礼の姿勢を取っている。あれはカーテシーだ。尊い方へ挨拶をする時の姿勢だとガヴァネスに教わったのを思い出す。
見様見真似でカーテシーをすれば、
「いいよ。それよりお前達、誰?」
少年は尚も尋ねて来る。
「王国の若き太陽、アンソニー第一王子殿下にご挨拶を申し上げます。こちらにおられるは、ヴァイアー伯爵家令息スチュワート様とご令嬢のキャスリーン様にございます。この様な場所に迷い紛れて入り込んでしまいました無礼を何卒お許し下さいませ。」
侍女がキャスリーン達の身分を明かして詫びている。
幼いなりに大変な事が起こっているのだと理解した。
「ああ、いいよ、分かった。お前も面を上げて良い。で、お前達、コレを見ていたの?」
アンソニー殿下はここまで入り込んだ事はどうでも良い風であった。
「コレを見たいの?」
「はい。」
答えたのはキャスリーンで、横で兄がぎょっとする。
「ふうん。分かった、こっちにおいで。」
手招きされてキャスリーンは歩み寄る。
「お嬢様!」侍女が小さな悲鳴を上げた。
「コレは古語だよ。なんと書いているかは学ばねば解らない。僕はなんとなくなら読めるよ。これは祈りの言葉さ。太陽神へ雨を願っているのさ。日照りの際に神事を執り行ったんだな。」
「まあ、すごいわ。」
「凄いだろう。僕は学んでいるからね。お前も学べばそのうち読めるさ。」
アンソニー殿下はそう言ってキャスリーンを見下ろして微笑んだ。
金の髪が綺麗だった。真っ青な瞳は空より青かった。
それからどうやって元の場所に戻ったのか、残念ながら記憶が無い。
兄はもう少し記憶が鮮明であろう。
アンソニー殿下はキャスリーンより三つ年上であるから、当時は八歳位だったと思われる。
今は立太子され王太子として王国の期待を一身に背負っている。
一つだけ憶えているのは、邸に戻ったその日の晩餐の席で、古語を習いたいと強請った事か。
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